現実は厳しいことを彼はまだ知らない
7時59分、俺はいつも通り食卓で朝食を摂っていた。味噌汁に納得ごはんと北海紅鮭の塩焼き。日本人らしいヘルシーメニューだ。
「きょう最も運勢が悪いのは、ごめんなさ~い、おうし座のアナタ。うぅ、なんだかウ〇コ臭くなりそうな予感…。外出は避けたほうがいいかも。でも大丈夫! そんなアナタのラッキーアクションは、諦める! 人生ときには諦めも大事! がんばれウ〇コマン! さぁ、今日も元気にいってらっしゃ~い!」
占い最下位か。この時間はウチみたいに食事中の家庭も多いだろうに、デリカシーに欠けること言いやがって。けどアンラッキーな占いは気にしない!
食事を終えて制服に着替え、仕度をを済ませた俺はルンルン気分で出掛けた。
◇◇◇
「今日は、今日は、バレンタイ~ン♪ スキップしながらゴートゥースクール♪ ひゃっほ~い!」
雪の降る街中に、奇声を上げながら軽快にスキップする少年の姿があった。
音威子府神威、見るからに怪しい16歳。通行人の冷ややかな視線を目一杯浴びながら今日も元気に登校中。
◇◇◇
今日はバレンタイン! どうせチョコは貰えないだろうけど、11日に麗ちゃんから前倒しで貰ったからいいもんね~♪♪
ベチャッ!
頭に溶けかけた雪が落ちたようなので、払い落とそうと右手で頭をバサバサと掻くと、ねっちょりしたものに触れた。
右手を顔の前へ下げると、粘着質の白と黄土色が混じった物体がくっついるのを確認。
あぁ、あれだ、カラスの糞だ。
「アホ~アホ~」
アホだと!? 俺をバカにしてんのか!?
「おいカラス!! てめぇ唐揚げにすんぞ!! カラスだけにカラアゲ…。なんちて。わーはっはっはっ!! ぎゃーはっはっはっ!!」
センス抜群のギャグを言うと、雑居ビルの屋上の端に留まっていたカラスは左翼で『おしりペンペン』と『アッカンベ~』をしてから更に「アホ~」と俺を一瞥して飛び去った。
カラスのやつめ、俺があまりにもイケメンだから嫉妬してやがるな。
「やだ何あの子? つまらないこと言って一人で爆笑してるわよ?」
「やぁねぇ奥さん、最近の若者は何考えてるか解らないわ」
付近のオバサンたちが立ち話をしている。どんな話をしてるか聞こえんが、通行人の邪魔になるから立ち話はやめなさい。
◇◇◇
学校に着いてすぐトイレに駆け込み、洗面台に備え付けられている緑色の水石鹸を頭に塗ってカラスの糞を洗い流し、いつも通り後ろの扉から教室へ入ると、ちょうど朝のホームルームが始まる8時半。愛しのマイエンジェル、麗ちゃんと一言くらい会話したかったが、23歳、クリーミー男子で担任の大楽毛安夢が前の扉からほぼ同時に入室したのでやむなく断念。コイツ、放課後になったら生徒や職員から食い切れないくらいチョコ貰うんだろうな。
しかし、今日もエンジェルを一目見ただけで動悸、息切れ、目眩がするぜ…。半端ねぇ破壊力だわ。
◇◇◇
昼休み、今日のランチは日本人らしくコンビニで買った鮭おにぎり6個。内訳は180円の高級おにぎりと100円おにぎりを3個ずつ。ドリンクは緑茶『うらら』。
食べ始める前に昨日、麗ちゃんからもらった手作りの鮭おにぎりのお返しをしなきゃ。
「うら…、留萌さん! これ、昨日くれたおにぎりのお礼! 朝買ったやつだから冷めちゃったけど、よかったらどうぞ」
言って、麗ちゃんに缶のミルクティーを手渡した。おにぎりをあげようかと思ったが、麗ちゃんがお腹いっぱいだと迷惑になるので飲み物にした。
危なかった。麗ちゃんって言いそうだった。
「あ、ありがとう」
お、もしかしていま微笑んだ? 気のせいか? でもほんのちょっとだけ表情が緩んだような…。
「いやいや、こっちこそ、おにぎりめっちゃ美味かったです! 今日も雪まつりの新聞頑張ってつくろう!」
「うん」
口調は相変わらず淡白だけど、俺と二人っきりになればとびきりの笑顔が待っている。そういや雪まつり以来、二人っきりになってないな。
二人っきりじゃなくても、せっかく同じクラスなんだから、一緒にランチを食べたりしたいけど、麗ちゃんに気を遣わせて不快な思いをさせたら嫌だし…。う~ん、やっぱ気長に間柄を深めていくしかないか。
◇◇◇
放課後の教室。女子たちは意中の相手にチョコを渡したり、女子同士で友チョコ交換をしている。その中に麗ちゃんの姿はない。きっといつものように図書室か新聞部の部室へ行ったのだろう。
チョコを貰える見込みのない俺も早く部室へ行って麗ちゃんと楽しく新聞を作りたいのだが、親友の勇が誰かからチョコを貰えるのではと空しい期待をして教室に残るというので、少し付き合うことにした。
…のだが、やっぱり貰えなかった。
「悪かった。無駄な時間を使わせてしまった」
「頑張ろうぜ。勇はまず好きな人を見つけよう」
「そうだな。待つだけじゃなくて、好きな人見つけて攻めてかなきゃな。お前も留萌さんと付き合えるように頑張れよ」
「おう、サンキュー!」
勇と別れた俺は、モテないという現実を受け入れた上で気持ちを切り替え、早く麗ちゃんに会いたい一心で部室へ向かった。
モテない男子の現実は厳しい。何か期待したって何もない。
でもスマン勇。実は俺、前倒しでチョコ貰ったんだ。なんて言えない。
◇◇◇
「こんちはー!」
「おーす! ねっぷ!」
部室の扉を開けると、二年生の見知さんがいつも通り元気に迎えてくれた。麗ちゃんは何故かそわそわしながら自分のカバンの中を見ている。
「ういーっす! 今日は頑張って新聞仕上げちゃいますよ! なっ、留萌さん」
「うん、そうだね」
「そうかい、頑張れ!」
見知さんは俺好みの元気で魅力的な女性だが、彼氏が居るらしいので恋愛対象外。幸せな女性の邪魔はしないのが俺のポリシー。
「知内さん、あの、私、チョコ…」
「ああ、いいのいいの! 私が勝手にあげただけだから!」
「すみません。後日、お返し持ってきます」
二人の会話から推測すると、麗ちゃんは見知さんから友チョコを貰ったけど、あいにく麗ちゃんはチョコを用意していなかったということだな。
「いやいや、ホント、気にしないで! あ、ねっぷにもバレンタインあるよ。当然、義理だけどさ」
「マジっすか!?」
なんだ!? 義理とはいえ見知さんからもチョコ貰えるなんて、今年はツイてるぞ!! 朝は頭にカラスの糞が付いてたけど…。
「はい、バナナ」
見知さんは一本のバナナを両手で握って笑顔で俺に差し出した。
「バナナ、っすか…?」
なんでバレンタインにバナナなんだ? 麗ちゃんからはチョコバナナ貰ったし、もしかして、バレンタインにバナナ渡すの流行ってるのか?
「お好みで溶かしたチョコレートにディップして召し上がれ~」
言って、見知さんは俺と麗ちゃんを交互に見ながら笑みを浮かべた。
なんだろう? まぁいいや。
それから、見知さんは用事を思い出したと言って帰ってしまい、俺と麗ちゃんは二人きりの、そう、二人っきりの部室で黙々と雪まつりの新聞を仕上げた。
「うっしゃー新聞できたー!!」
出来上がったら、最後に写真や見出し、誤字脱字のチェックをする。
見出しにドーン!! と大きく載せたのは、麗ちゃんお気に入りの水族館の動物たちが並ぶ大きな雪像。
「いや~、動物は可愛いな!」
もちろん麗ちゃんも可愛いぞ!
「うん、そうだね」
せっかく二人っきりなのに、なんだかぎこちない麗ちゃん。あぁ、はしゃいだら外に声が漏れるし、顧問が来たら気まずいからか!
「あの…」
「ん?」
「チョコです…。バレンタインの…。改めて…」
改めてチョコ!? まじで!? これガチでキテるんじゃね!?
「うおおおおおお!! サプラーイズ!! ありがとう!! ありがとうございます!!」
思わずありがとう麗ちゃーん!! と言いそうになったが、付き合う前の段階でそんな事言ったら流石にドン引きされそうなのでグッと堪えた。
最高だぜマイエンジェル!! あぁ、心臓発作起こしそう!! キュン死しそう!! キュンどころかグングン来てるぜ!! 早くチョコ食いてー!!
「ねぇねぇ食べていい!?」
「どうぞ」
星型のミルク、ウサギ型のホワイト、ハート型のピンク、どれにしようかな? ハート型のピンクにしよう!
パクッ!
「おいっ、Cーぃ!!」
口いっぱいに広がるイチゴの香りは、まるで高原のお花畑で両手をいっぱいに広げながら呼吸しているようだ。あぁ、そして何よりギュッと詰まった愛情!!
俺、超しあわせだー!!
神威がウハウハな一方で…。物語はさりげなく新たな一歩を踏み出しました。




