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アップルケーキに愛をこめて  作者: セリ
アップルケーキに愛をこめて3 ~王宮の陰謀篇~
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6  後日譚 ~ホワイトアスパラは恋の味 ②~

「気づかれたかな」


 老人が、金髪娘に視線を戻して言う。大き過ぎる上着が体形を隠しているが、白髪の下にあるのは白く優美な女性の顔で、青紫の瞳がガス灯の光を受け煌めいている。


「大丈夫。話に夢中になってるよ」

「リーザが男とデートするとは。こういう日がいつか来ると、覚悟はしていたが……」


 ユリアスは白髪に指を突き入れ、嘆くように首を振った。首の後ろで結んだ白髪と若々しい顔が不釣り合いだが、暗がりにいるせいか変装に気づく者はいない。


「ブルーノはいい奴だよ。胸を張って推薦できる」


 答える金髪娘は、マテオである。伯爵家の蔵から引っ張り出した古めかしいアンティークローズのドレスに蒼いオーガンジーのフリルを重ね、胸元をリボンのコサージュで隠している。目の大きな愛らしい顔を笑顔に変え、彼は傷心のユリアスを慰めた。


「僕で良かったら、リーザの代役を務めるよ。オペラもバレエも好きだし、社交場に出かけるのも好きだ。どこでもお伴させてもらうからさ、元気出せよ」

「代役……本当に? 約束する?」


「もちろん」

「では明日さっそく洋装店に行き、ドレスを仕立てよう。実を言うと、前々から君のことを可愛いなと思っていたんだ」

「ドレス……何で?」


 ぽかんと口を開けたマテオの前で、ユリアスはにやりと笑って優雅に肘をつき、彼の顔を覗き込んだ。


「君には、リボンやフリルたっぷりの可愛いドレスが似合うよ。今夜の幼女みたいな出で立ちも似合ってるけどね。リーザは大人びたシンプルな服装が好みで、なかなか私の注文を聞いてくれないんだ。君なら聞き入れてくれるよね?」

「ちょっと待て。僕は、女装するとは一言も……」


「リーザの代役をやると約束したよな? 来週、国立歌劇場で春のオペラ週間が始まる。一緒に行ってくれるだろう? 美しく着飾った君を連れて行く。誰もが君の美を褒め称えるだろう。私も鼻が高い」

「待てって。ドレスは君で僕はタキシードだろう、普通。今日だって、君がどうしてもって言うから無理したんだぞ。次は君が無理をする番だ」


「私が女装するわけないだろう。明日、正午に迎えに行くから。ドレスを着て待っていてくれ。私と一緒の時は、男装禁止だ」

「冗談だろ……」

「もちろん本気だとも。君が約束してくれて良かった。安心したら元気が出て来たよ。ありがとう」 

 

 ありがとうと言われても――――。マテオは、ごくりと唾を呑み込んだ。約束……してしまったのか? まさか嘘だろ。何度か女装したが、家族に見られたことは一度もない。歌劇場には両親も来るはずで、2人とも卒倒するだろう。


「一度披露してしまえば、後は楽なものだよ。何だかんだ言いながら、人々は君の女装を認めるだろう。美しいからね。目の保養になる美に対し、人は寛容だ。美しく生まれたのが運のつきなんだよ。あきらめろ」


 楽しそうに脅すユリアス。マテオは、自分の経験不足を呪いたい気分だった。相手が男なら胸ぐらをつかむところだが、女性の場合はどうすればいいんだろう。


「いっそのこと、僕ら2人とも男装したらどう? その方が無難だ」

「断る。男と出かける気はない。君は特別だ。女装してくれたらね。最新流行のドレスを着た君は、どんなに可愛いだろう。胸がときめくよ」 


 ふざけるなと言おうとし、言えなかった。ユリアスは笑っているが、リーザとブルーノのことで傷ついている様子が垣間見える。


 僕に無茶なことを言って、傷心を癒そうとしてるんだなとマテオは思った。彼女は、僕に甘えてる。それで心が癒せるなら、かまわない。僕はかまわないんだけど――――。


 彼女を喜ばせるか、親兄弟の精神衛生を守るか。彼女をがっかりさせるか、親を卒倒させるか。2つに1つ。


 いや、何かいい方法があるはずだ。この窮地を脱する方法が、きっとある。そう自分に言い聞かせるマテオの耳に、人々のざわめきが飛び込んだ。


 客人たちに目礼しながら65席あるテーブルの間をゆっくり歩いているのは、黒の夜会服に身を包んだゲオルグ皇太子殿下である。すぐ後ろに、カミーラ・フォン・ペテルグ公爵令嬢がいる。


 蜂蜜色の巻き毛を結い上げ、大胆に肩を出したドレスをまとうカミーラは幻のように可憐で美しく、華やかな女性客の間でもひときわ目立つ。奥まった席まで行くと、ゲオルグは椅子を引いて彼女を座らせた。


 『クローネ』の食事はオードブルから始まるが、給仕が最初に彼女の前に置いたのは豚肉のソテーである。


「ご指示に従い、用意させて頂きました」


 給仕の言葉にカミーラは無言でうなずき、白い皿に乗せられた一切れの豚肉をじっと見つめる。碧の瞳がみるみる潤み、前に座ったゲオルグは困ったように咳払いした。


「クヴィーちゃん。ママ、来たわよ」

「……カミーラ。わかっていると思うが、王宮内で飼われている豚は食用だ。ペットじゃない。残酷なことを言うようで、すまない」


「殿下が謝ることはありませんわ。悪いのは、わたくしです。子豚ちゃんが余りに可愛くて……でも、もうやめることにします。わたくしが王宮の家畜小屋に足を踏み入れることは、二度とないでしょう」

「君を待っている子豚は他にもいる。君が来ないと寂しがるだろう」


 ゲオルグはテーブルに肘をついて身を乗り出し、妙に慌てている自分に気がついた。ゆっくりと指を組み直し呼吸を整え、寂しいのは自分だなどとは考えないようにした。


 何度もデートに誘い、断られたことは決して思い出さないことにする。15歳の少女の頭の中が理解できず、一体カミーラは何に興味を持っているんだと苛立った記憶に厳重な蓋をした。


「わたくしだって寂しいわ。でも愛するものが、このような姿になるのは……。ごめんなさい。無理を言って連れて来て頂いたのに」


 天井を見上げ涙を押しとどめる小さな貴婦人が、親のいない子豚を可愛がる彼女の姿に重なり、ゲオルグの心に沁み通っていく。


 カミーラは悪評もあるが、豊かな愛情を秘めた少女だろうと彼は思っている。悪名高きペテルグ公爵の娘として生まれたばかりに、愛情をうまく表現できない生い立ちをたどったのだろう。


 可哀想な娘だ。そう思うと彼女にしみじみとした愛情を感じる自分に、彼は戸惑っていた。


「これからは、犬を育てようと思っています」

「犬……?」


「盲導犬を。他国では、盲導犬の訓練士を養成する学校もあるんですよ。いずれは学校経営もしてみたいんですけれど、当面は盲導犬の訓練に専念しようと思って」

「なるほど」


 彼の頭の中で、王宮内に盲導犬訓練施設を作る計画が瞬時に出来上がった。他国には視力を失った傷痍軍人に犬を与える民間施設があると、彼は聞いていた。トライゼンでも議論されたことがあったが、それっきりになっている。


 いずれ施設は王宮外に移すとして、それまでは彼女を手の内に置くことが出来る。もう暫くの間、カミーラを自分の掌に乗せておこう。ようやく心の平穏を取り戻した彼はにんまりし、提案した。


「興味深い計画だ。出資させて貰おう」


 トライゼンの日没は遅い。夜8時過ぎ、夜の闇が王都を包み三日月が空を彩った。『クローネ』が満席の賑わいを見せる頃、ブルーノとリーザのテーブルにデザートが置かれた。


 ホワイトアスパラの3種ソースから始まったフルコースは、ホワイトアスパラとチーズのムースで締めくくられる。


 ブルーノは、この日のために集めた愉快な話でリーザを笑わせながら、内心焦っていた。次の約束について、彼女の返事が貰えない……。彼女の困った顔を思い出すと、尋ねることすらためらってしまう。


 デザートと紅茶を終え、帰らなければならない時間になった。王宮勤めのリーザには門限があり、破ると減給処分を受ける。仕方なく立ち上がり、ブルーノは彼女の手を取った。甘いジャスミンの香水が鼻をくすぐり、彼の無念と未練を煽る。


 最後の手段だと、テーブルを担当していた給仕に目配せした。前もってチップをはずんでおいたのだから何とかしてくれと祈りながら、給仕の後から玄関口へと向かう。


「本日ご来店のお客様には、プレゼントをご用意しております。おひとつ選んでください」


 給仕は花台に置かれた丸いガラス鉢を持ち上げ、リーザに差し出した。鉢の中には、テーブルの数だけ小さな封筒が入っている。彼女が一枚選ぶと、鉢を戻し、黒いお仕着せのポケットから小型ハサミを取り出した。


「お嬢様。キャンディーをどうぞ」  


 反対側の花台には、キャンディーの詰まったガラス鉢が乗っている。彼女がキャンディーを選んでいる間に、給仕は封筒をハサミで切り、中から紙片を抜き出した。ポケットから別の紙片を取り出し、素早い手つきですり替える。目を剥くブルーノの前で紙片を開き、笑顔で言った。


「おめでとうございます。お食事券が当たりましたよ。次のご予約時に、フォアグラとホワイトアスパラのポアレを二名様分ご用意させて頂きます」

「まあ……」


 リーザの顔が、パッと明るくなった。彼女の好物は、1にホワイトアスパラ、2にフォアグラである。彼女のためにフォアグラをコース料理に入れてほしいと注文したのだが、あいにく品切れで果たせなかったのだ。


「来週、西トライゼンより最高級フォアグラが入荷致します。ホワイトアスパラは、ご存じの通り、日ごとに風味と甘味を増してまいります。当店自慢の一品をお約束しますよ」

「良かったな。ユリアスと来るといい。きっと喜ばれるよ」


 彼女の気持ちを慮り、彼は言った。


「この券は、貴方のものだわ。わたしはただ、封筒を選んだだけよ」

「君のものだよ。俺からのプレゼントだ。君の弟を連れて来るのもいいんじゃないかな。ユリアスの屋敷に来てるんだろう?」

「ええ……」


 努力は、した。それで駄目なら仕方がない。が、まだ諦めたわけじゃない。次のチャンスがきっと来る。


 そう信じリーザに優しい目を向けるブルーノを、彼女はじっと見つめた。数度瞬きした後、彼女の唇が弓型に上がり、ゆっくりと笑みを形作っていく。


「弟やユリアスとは、また別の機会に。今夜は楽しかったわ。次も貴方と楽しい時間を過ごしたいわ。御一緒して頂けません?」


 ブルーノは返答に詰まった。今、何と言った? 夢か、空耳か。


「俺と?」

「ええ、貴方と。お願いできます?」

「喜んで!!」

 

 よっしゃあああああっっ! 次のデートを手に入れた。全力でぶつかれば何とかなるもんだ。やればできる男だ、俺は! 


 全力疾走で駆け抜け、一等を勝ち取った気分だった。この爽快感と達成感。先祖の血が騒ぎ、勝利の雄叫びをあげたくなるのを必死に押しとどめ、彼女と並んで来週の予約をした。


 店を出る時、彼女に気づかれないよう拳を小さく突き上げると、給仕はにっこりして片目をつぶった。



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