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アップルケーキに愛をこめて  作者: セリ
アップルケーキに愛をこめて3 ~王宮の陰謀篇~
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6  後日譚 ~ホワイトアスパラは恋の味 ①~

3人称シリーズ第3弾は、今日と明日の2日間に分けてお送り致します。

男性読者の皆様ごめんなさい。女子TUEEEE!男子KAWAISOOO!なお話です。

カップルらしからぬ3組のカップルの、こぼれ話をお楽しみください。



 王家御用達レストラン『クローネ』は、トライゼン随一の名店である。


 トライゼン人の多くが山賊だった時代に粗末な掘っ立て小屋食堂として建てられ、改築と改装を重ねつつ粗末な掘っ立て小屋風外観を保ち、多くの王族・貴族の舌をうならせて来た。


 粗末な掘っ立て小屋を装った入り口から一歩足を踏み入れると、粗末な掘っ立て小屋的内装でありながら壁もテーブルも椅子も床も高級チーク材で、ホワイト・クリスタルに包まれた無数のガス灯が、粗末な掘っ立て小屋を模した天井を星空のように飾っている。


 食材を店の地下貯蔵品と温室に頼り切りだった冬場を経て、この日待ちに待った春の初ものが出されるとあって、夜の開店と同時に大勢の客が『クローネ』につめかけた。


 トライゼン人が待ち望む春の初もの――――ホワイト・アスパラガスである。


 トライゼン人ほどホワイトアスパラを好む人種はいない。トライゼン人の口癖とも言うべき「春が来れば」が、ホワイトアスパラのお目見えと同時に「春が来た。ホッホー」へと劇的に変わる様は他国人の揶揄の的となることも多かったが、当のトライゼン人はまったく気にしていない。


 自国産初入荷の知らせは即刻王宮に伝えられ、初日は王族あるいは王族の紹介状を持つ者に限り、ホワイトアスパラ料理が振る舞われる。


 着飾った紳士・淑女が集う店内。中央に近い席で、ブルーノ・フォン・シュバイツは目の前の美少女に見惚れていた。


 リーザ・フォン・ヴァイヘン嬢は艶やかな黒髪を高く結い上げ、ほっそりとした白い首が絵のように美しい。大人びた赤いサテンのドレスをまとい、愛らしい水色の目は料理が待ちきれないかのように給仕の動きを追っている。その様子が子供っぽくて、彼は微笑した。


 念願の初デート。喜びの高笑いが込み上げて来たが、彼は紳士らしい落ち着いた態度を崩さなかった。


「知り合いに、ホワイトアスパラ好きの女の子がいて良かった。喜んで食べてくれる人と一緒だと、食事が楽しいからね」

「そう言って頂けると嬉しいわ。今日のこの席、予約を取るのは大変だったでしょう」

「でもないよ。たまたま手に入ってね」


 たまたま手に入ったので彼女を誘ったと彼は説明したが、事実は違う。リーザの好物がホワイトアスパラだと聞きつけ、あちこち奔走し、ようやく手に入れたのである。


 人気の高い『クローネ』のホワイトアスパラ初日席なら、男性とデートしない彼女も応じてくれるだろうと考えたのだ。女性を射止めるなら、まず胃袋をつかめ。


 結果は大成功だったが、「やっぱり無理」と後から断って来るのではないかと気が気ではなく、馬車で王宮へ迎えに行く間も落ち着かなかった。


 もちろん、そんな裏話を口にするつもりは全くない。言えば彼女は引いてしまうだろう。


 最初のデートで引かれては困る。友人のようなさらりとした態度で親しみやすさを印象づけ、真面目で誠実な面を見せて信頼を勝ち取り、次のデートにつなげなければ。失敗は許されない。 


「君の好物がホワイトアスパラだと知っていたら、領地から初ものを取り寄せたのに。残念だ」


 自慢に聞こえないよう、さりげなさを装い、彼女が興味を持ってくれることを期待した。彼女の好物など去年のうちに調べ済みだということは、おくびにも出さない。


「ご領地でホワイトアスパラを栽培してらっしゃるの? 素敵」

「大した量ではないが、市場にも出荷しているよ。収穫量をさらに上げようと土壌改良を進めているところだ。そうそう、来月には旬ものが届くはずだから、もし良かったら贈らせてもらうよ」


「ホワイトアスパラは、高価ですもの。頂くわけにはいかないわ」

「君には、高価な贈り物をする価値がある。なーんてね。実を言うと、友達に食べてもらうようにと毎年母が届けてくれるんだ。レオンやマテオには毎年渡してる。君は俺の大切な友達なんだから、遠慮することはないよ」


 「友達」の部分を強調し、彼はにっこりした。まずは、友達からだ。友情を大切に慈しみ、少しずつ愛情へと育てるのだ。そんな決意を微塵も感じさせない気安さで、彼は彼女に笑いかけた。


「そういうことなら喜んで頂くわ。ありがとう」


 リーザは頭を下げる代わりに愛らしく小首をかしげ、その仕草に彼はぼうっとなった。か、可愛い……。彼女がメイド服を着て毎朝起こしてくれたら、寝起きの悪さが一発で治るかもしれんと妄想に浸る。


「おや、リーザ君。食事に来たのかね?」


 男の声に邪魔され、ブルーノの妄想はあえなく砕け散った。タキシードを着た年配の紳士がテーブルの横に立ち、値踏みするように彼の全身に視線を走らせている。若造の来る所ではないとでも言いたげだ。


 食事以外の何をしにレストランに来るんだと下から睨み上げたが、紳士の視線はリーザに移ってしまっている。


「まあ、男爵」

「いやいや、立たんでいい。座ったままでいいよ。食事なら私がいつでも招待したのに」

「とんでもございませんわ。彼はフィアの友人で、シュバイツ卿です。シュバイツ卿、こちらはバトラス男爵よ」


 男2人が睨み合う。軍配は、無表情で殺気立つブルーノに上がった。怖気づいた男爵は挨拶もそこそこに逃げ出し、リーザは目を丸くした。


「料理を待つ間の期待に満ちた空気を邪魔されたくなくてね。実を言うと、俺もホワイトアスパラが大好きなんだ」

「そうだったの」


 彼は水を一口飲みながら、バトラス男爵は昨年か一昨年に夫人を亡くしたんじゃなかったかと思い出し、不愉快になった。リーザを後妻にしようなどと、考えてはいまいな。


「大学では何を専攻するの?」

「法律と農学を学ぼうと思ってるんだ」

「2つも? 大変そう」

「俺はシュバイツ家の長男だから、いずれ領主にならなければならない。でも父が存命の間は、議員か官僚を務めようと思ってね」

「リーザ嬢ではありませんか?」


 またか! いきなり会話に割り込んで来た若い男を、ブルーノは歯を剥き出して追い払った。伯爵家の四男だと? 知ったことか、礼儀知らずめ! リーザが目を見開いて驚いていることに気づき、慌てて笑顔を取りつくろった。


「君の友人に、失礼な振る舞いをしてしまったかな」

「友人というより、お客様かしら。バトラス男爵もアレックス卿も王宮書庫にお勤めで、サロンにはよくお見えになるのよ」

「仕事には、すっかり慣れたみたいだね」

「ええ。お蔭さまで」


 彼の中で、不安が頭をもたげた。男爵に、伯爵家の四男坊――――。彼女は真面目なしっかり者で男嫌いだから安心していたが、15歳の美少女にいつ縁談が来てもおかしくない。いや、来ない方がおかしい。周囲が、彼女を放っておかないだろう。


 とはいえ今の自分ではどうする事も出来ないと、彼はにこやかに話しかけながら、心の中で唸った。焦ったところで何も変わりはしない。まずは、彼女の親しい友人という地位を確固たるものとする。話は、それからだ。


 給仕がやって来て、目をきらきらさせたリーザと彼の前に皿を置いた。白い皿には茹で加減の違うホワイトアスパラが2本ずつ乗っていて、オランデーズソースなど3種類のソースが線や水玉を描いている。


 給仕が彼女の後ろを回った時、甘いジャスミンの香りがふわりと流れて来た。彼女の香水だ。馬車で向かい合わせに座った時も、同じ香りがした。


 もしも友達から恋人へと昇格したら移り香の心配をしなきゃならんのかなと、彼は未確定な未来を想像して口元をほころばせた。彼女を抱き寄せ、ジャスミンの香りが服に移る。屋敷に戻ったら側使いが意味ありげにニヤニヤするんだろうなと思うと、口元が緩んで仕方がない。


「頂いていい?」

「もちろん」


 彼が答えるなり、リーザは太さが彼女の手首ほどもあるホワイトアスパラを一口サイズに切り、唇にくわえた。先端から少しずつ味わうように前歯と舌でずらし、奥歯でゆっくり噛んでいる。


 目を閉じた美しい顔に恍惚の表情が広がり、ピンク色の唇から「ああ……」と喘ぎ声にも似た溜め息が洩れ出た瞬間、彼の背中をぞわぞわと何かが走った。


「最高だわ……」

「そ、そうかい?」


 急に熱くなり、彼は上着を脱ぎネクタイをはずしたくなった。「最高だわ」の主語が自分だったら良かったのにと、ぼんやり考える。残念なことに、主語はホワイトアスパラだ。


「冬の間、王族の方々は温室栽培のホワイトアスパラを召し上がるんだけど、薄味で物足りないんですって。南国産の輸入物は大味だし、やっぱりホワイトアスパラは春先の地物に限るわね」

「そうだね。本当に」


 ナイフとフォークを持ち上げたものの、彼は彼女から目が離せなくなっていた。


 なまめかしく動く彼女の唇。彼女の舌の上で、柔らかく茹でられたアスパラはとろりと甘くとろけ、クリーミーな味わいが口一杯に広がって行くだろう。固めに茹でられた方はシャキシャキと歯切れ良く、やや苦みばしった甘味を楽しませてくれるはずだ。


 食事をするリーザが色っぽくて、「友達から始めよう」が崖っぷちへと追いやられて行く。


 彼女から視線を引き剥がし、ブルーノはアスパラにナイフを入れた。目を上げると、彼女はフォークに突き刺した一切れをレモンバターソースに浸している。


 風味を楽しみながら唇の奥へと吸い込み、満足と感嘆の表情を浮かべ、色っぽい吐息を一つ。小さな赤い舌がちろりと現れ、唇に付いたバターソースを舐め取った瞬間、「友達から始めよう」が吹っ飛んだ。


 結婚だ、結婚。他の男に盗られる前に。悠長なことは言っていられない。今この時にも、悪賢い男が彼女を後妻にしようと画策していないとも限らない。結婚し、獣じみた男どもから彼女を守らなければ。


 使命感に急かされ、リーザを領地に連れ帰り両親に会わせられないものかと知恵をしぼった。思いついたのは、一つだけ。ホワイトアスパラ食べ放題無料ツアーがあるんだけど――――。


 呆れ返るほど、見え透いている。野菜を利用しなければならない自分が情けなく、他に名案はないかと頭を巡らせながら、自然な口調で話しかけた。


「そうやって美味しそうに食べてもらえると、誘った甲斐があるよ」

「美味しそうじゃなくて、本当に美味しいのよ」


 リーザは嬉しそうで、彼の胸は幸福感で一杯になった。一生彼女に美味しい物を食べさせたい。妻に美味しい物を食べさせることが男の誇りと幸福につながるのだと、この時ほど強く感じたことはなかった。


 しかし、結婚について彼女はどう思っているんだろう。下心を悟られぬよう、さりげなく尋ねる。


「仕事は楽しい? 結婚後も仕事を続ける夫人がおられるようだけど、よほど楽しいのかな」

「楽しいことも、辛いこともあるわ。わたしは一生続けるつもりよ」

「結婚しても働くの?」

「結婚するつもりはないわ」


 ポッキーン。希望が無残に折れた。土の下から芽を出した途端、葉もつけないうちに折れてしまった。


 何のこれしきと歯を食いしばり、とりあえず賛成しておくことにする。女性との会話は、肯定しながら続けなければならない。決して相手を否定してはいけない事を、彼はこれまでの経験で知っていた。


「そうか。それもアリだろうな。私生活は大事だが、まずは仕事をきちんとこなさないとね」

「貴方もそう思う? 職場の同僚が、そういう人ばかりだといいのに。女官の中には、結婚相手を探しに来てるような人もいるのよ。お仕事をさぼって王宮書庫の若い事務官に色目を使ったりして、呆れちゃうわ」

「それはひどいな」


 結婚するつもりはない――――か。色っぽい彼女の唇を恨めしく見つめ、待つしかないのかなと思う。レオンは4年待つと言っていたが、どんだけ我慢強いんだ。


 ここは引いておこうと、彼は戦略を練り直した。1歩引き、2歩進めばいい。進むためには、次のデートの約束を取り付ける必要があるが――――。 


「リーザ。もし良かったら、もう一度ここでホワイトアスパラを食べないか? 帰りに予約すれば席が取れるだろう」

「そうねえ。やめた方がいいんじゃないかしら。だって2度も食事を御一緒したら、誤解されると思うの」


 金づちで頭をぶん殴られた気がして、彼はよろめいた。やめた方がいい――――デートを。誤解――――されたいんだが。壊れそうな心を必死に立て直し、途方に暮れた。 


 オペラ、バレエ、スポーツ観戦。それらすべてを、彼女はユリアスと出かける。自分と付き合ってくれと言いたいが、まだそこまで親しくなってはいない。どうすればいいんだ……。彼女の言葉にグサリと胸を突き刺されたまま、彼は微笑を作った。


「今時、そんな誤解をする人はいないよ。周りを見てごらん。夫婦や婚約中のカップルだけでなく、職場の同僚らしい2人連れもいる。足もとに大きなカバンを置いてるのは、仕事帰りだろう。最近では女性同士、男性同士でもレストランに入れるようになったし、色んな人がいると思うな」


「そう? でも……」

「そうだな。帰るまでに考えてくれればいいよ。俺はホワイトアスパラが好きで、君といると楽しいからまた来たいけど、君にも都合があるだろうからね」


 困った様子の彼女を見て、彼は引き下がった。彼女を困らせたくないし、無理強いはしたくない。強引に誘えば彼女のことだから、ユリアスのもとへ逃げ帰ってしまうだろう。


 でも、何とか承知してくれないかな。淡い希望を抱きつつ、面白い話で彼女を笑わせることに専念した。「まずは友達」というスタートラインも危うくなり、「せめて友達!」と必死に祈った。


 その様子を、最奥席の暗がりから白髪の老人と金髪娘が見ている。老人は黒のタキシードがやけに大きくダボダボして、娘の方は金髪の三つ編みを背に垂らしていた。




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