5 昔日の名残 Ⅰ
夕刻近く。僕たちが集まったのは王妃様の居室ではなく、王宮官房室でした。
客室棟の反対側に立つ通称「執務棟」の最奥、薄暗い通路と質素な樫の扉の先にある王宮官房室は、秘密めいた小部屋です。小さな窓から午後の微かな陽光が差し、シャンデリアの下に大きな楕円形のテーブルが一つ。
正面席に座る王妃様の背後には、淡い色彩のスーツを着て短銃と長剣を腰に帯びたトーニオさんが立っています。王妃様のそばで、国王陛下と護衛官以外の人間が武器を携帯することは許されていないはず。ということはトーニオさんは、王妃様の護衛官扱いなんでしょうか。
王妃様付きの護衛官といえば、高位の武官です。トーニオさん、凄い。まだ大学生なのに高位なんだ。感心して見ていると、トーニオさんがウィンクを寄越しました。中身は変わってないみたい……。
王妃様に近い席に陣取っているのは、侍従長です。眼光鋭く、口ひげを生やした口元は厳しく引き結ばれて、腹黒いというよりも厳格そう。
レオンさんと僕は末席に着き、ボーデヴィッヒ侯爵と向き合っています。放蕩者のくせに背筋を伸ばし腕を組んだ姿は軍人っぽくて、何処かふてぶてしい。
僕が睨みつけると、侯爵はプッと吹き出しました。何が可笑しいの? ふん、そうやって僕を見下ろしていられるのも今のうちだぞ。
悪知恵の働く侯爵のことだから、知らぬ存ぜぬとしらを切り通すでしょう。厳めしい顔つきの侍従長は顔に似合わぬ腹黒さ全開で、刃向って来るに違いない。
それを上手くかわしながらエードバッハの証言を引き出しつつ、王妃様の代理として2人を問い詰めるんです。できるかな。やらなければ。沈黙が続き、緊張が高まって行きます。
輝くシャンデリアはスポットライトめいて、何だか舞台に立っている気分です。舞台女優だったママ――――。僕はママの血を引いてるんだから、演技ができるはず。
空想の中の僕は堂々とした美人女優で、名探偵を演じています。並外れた英知と迫力で悪党どもを追い詰め、難事件をいとも簡単に解決し、観客は僕の演技に感動して惜しみない拍手を送ってくれるでしょう。ふっふっふ。
しかしこのお芝居、脚本がありません。その場で台詞を考える即興劇? で、できるかな……。
固く組んだ手に温かい手がそっと重ねられ、すぐに離れて行きました。レオンさんが僕を見て、うなずいています。俺がついてるから大丈夫と言ってるみたいに。
レオンさんにうなずき返し、トーニオさんを見るとにっこり笑っています。僕は一人じゃない。一人で舞台に立つんじゃない。2人の兄が共演してくれる。そう思うと心強くて、自然に笑みがこぼれます。
やがて扉が開き、軍服姿のラインハルト王子が入って来ました。足を止め集まった面々を見回す青い目は峻厳で、魂すら射抜きそうです。
「これは一体何の騒ぎですか、母上」
「お掛けなさい、ラインハルト」
殿下が王妃様と僕の間に着席する間、王妃様の視線は兵士2人に挟まれ、両手を前で縛られたエードバッハに痛ましく向けられています。
「老いましたね、マティアス」
沈痛な紳士の口元に、微笑が浮かびました。
「お懐かしい、アン様。生きて再びお目にかかれるとは。このような姿を晒し、申し訳ありません」
「規則により縄を解くことはできませんが、お座りなさい」
兵士2人はエードバッハを侯爵の二つ隣に座らせて退室し、扉が閉ざされるや王妃様の声が響きます。
「集まって貰ったのは、ナタリア・ハンセン・エードバッハが許可なく帰国した件で事情を聞くためです。軍、王宮官房室、男爵家、それぞれ思惑や見方が違うでしょう。最終判断は、わたくしが致します。それぞれの事情を、包み隠さず話してくれることを願っています。エメル、始めなさい」
「はい」
王妃様に指名され、僕は震える足を持て余しながら立ち上がりました。さあ、お芝居の始まりだ。
「謎は、すべて解けました」
声は朗々として小部屋に響き渡り、皆の視線が僕に集まります。
「この事件はアメルグの賭博場で、ボーデヴィッヒ侯爵がエードバッハ氏に多額の借金を作った事から始まったのです。侯爵はエードバッハ氏が最も望んでいる物を提供することで、借金を帳消しにしようとしました。それが、ナタリア夫人とラインハルト王子の面会です」
思いっきり凄みのある顔を作り、侯爵に指を突きつけました。侯爵は、驚いたように口をぽかんと開けています。よしよし、僕の名推理に度肝を抜かれているな。勢いに乗り、さらに声を張り上げる僕。
「エードバッハ氏は何度もラインハルト殿下に手紙を出し、使者を送ってナタリア夫人に会ってくれるよう申し入れましたが、叶いませんでした。そこに侯爵が付け入ったのです。そうではありませんか、エードバッハさん」
エードバッハは顔を上げ、うなずきました。
「その通りだ。彼の申し出は、金銭よりはるかに価値があった」
「夫人が大事なんですね。それについては、後ほど詳しく聞かせてください」
なぜナタリア夫人をラインハルト王子に会わせようとしたのか知りたいけれど、それは後回し。今はまず侯爵と侍従長の罪を暴かなければ。
「エードバッハ氏とナタリア夫人が侯爵邸に潜伏することになり、侯爵は次の難問を抱える事になりました。どうやって夫人と殿下を引き合わせるか。ここでも彼は悪運に恵まれ、殿下が男爵家の娘を結婚させてペッ……そのう、手元に置こうとしている話を耳にしたのです」
ペット――――殿下にとって僕は、頭を撫でたり脅しつけてビクビクする姿を楽しんだり、気晴らしをするにピッタリの犬なんです。もしかしたら、サディスティックな傾向をお持ちなのかもしれない。そんな話を王妃様の前でするわけにもいかず、言葉を濁しました。
「侯爵は、その話に飛びつきました。僕が受け取った国王陛下の結婚命令書には侍従長の判がありましたが、あれは侍従長自らが押したものですか?」
侍従長は重い口を閉ざしたまま、真っ直ぐ僕を見ています。いかにも謹厳実直といった、その顔つき。国王陛下に長年仕え盤石の信頼を得ている彼が、僕みたいな子でもすぐに分かる小細工をして、地位も名誉も信頼も棒に振るような真似をするでしょうか。
するはずがない。ということは――――僕の頭の中で、冴えわたった勘がピンと弾けます。
彼は、侯爵に騙されたんだ。今の今まで侍従長はこの悪事に加担しているかもしれないと思っていたけど、彼は部下に騙された気の毒な被害者なんだ。
「僕が思うに、あれは偽造された物ではないでしょうか。侍従長は殿下の指示に従って国王陛下の結婚命令書を作り、ボーデヴィッヒ侯爵ではない別の人物の名前を書き込んだ。それを侯爵が横から言葉巧みにかすめ取り、自分の名前に書き替えてしまったんです!」
ほとばしる自信。全身を包む高揚感。ああ、舞台役者っていい気分。侯爵は目を見開き、恐怖のあまり口角をピクピク震わせています。だいぶ精神的に参っているな。よし、もうひと押しだ。
「侯爵は許嫁となった僕を脅し、殿下のご機嫌を取るようにと言い含めました。ナタリア夫人との面会を、殿下に承諾させるつもりだったのでしょう。それが不可能だと知ると、エードバッハ氏をけしかけ、僕を誘拐させたんです。殿下はたとえ臨時雇いであっても、ご自分の使用人を見捨てるような方ではありません。侯爵の目論見は見事に当たり、殿下は僕を助けに来てくれて、成行きでナタリア夫人と対面することになったのです」
プググ――ツ。
咽喉を詰まらせたような呼吸困難の発作を起こしたような、妙な音が聞こえました。続いて笑い声。ボーデヴィッヒ侯爵が、お腹の底から笑ってる……。
「何が可笑しいのっ」
僕の頭にカッと血が昇りました。この期に及んで何の作戦? 笑って誤魔化す気?!
「何とか言ってください、侍従長。私はともかく、貴方は部下にやすやすと騙される阿呆だと思われているんですよ。あはは」
「すべてはボーデヴィッヒのした事で、私は何も知らなかった。なるほど、その手があったな」
「何言ってるんですか。勘弁してくださいよ」
侍従長の厳格な顔が僅かに緩み、面白そうに僕を見ています。何でしょう、この流れ。僕の英知を試してるのか、それとも……。
「君は根本的な間違いをしている。私に借金はない。賭博でエードバッハに負けてはいないし、1リキュも借りていない」
えっ……。借金がない? さてはボーデヴィッヒめ、僕を言いくるめて逃げ切る気だなっ。そうはさせるものか。
「賭博場のオーナーに話を通し、エードバッハが現れたらテーブルを一つ貸切にして貰う手はずになっていたのさ。腕のいいディーラーを連れて、毎日待ったよ。いかさま賭博で、彼から偽の借金をするために」
「でも……でも、負けたんでしょ? いかさまでも、負けは負けでしょう」
「そうはならない。あの店は、いかさま賭博厳禁だ。発覚すれば、勝負は無かったことになる」
「私は、まんまと罠に掛かったというわけか」
呻くようなエードバッハの声に、侯爵は肩を竦めました。
「悪く思うな」
「何のためにそんな事をしたんですかっ」
「仕事のためさ」
「もう一つ、間違いを指摘させて貰おう」
ラインハルト王子の鋭い声が、僕と侯爵を切り裂きました。
「私はさる人物に君との婚姻を打診したが、国王の結婚命令書を作らせた覚えはない」
「殿下でなければ、誰が命令書を……」
まさか、この件に国王陛下が関わってる? ……ええっ。
「私からも言わせてほしい。侯爵を庇う気持ちはさらさら無いが、君をさらったのは私の一存だ。侯爵に、けしかけられたからではない」
そんな……。僕の推理は、ボロボロです。
侯爵は借金で困り果てていたわけでもないのに僕を脅しエードバッハを騙し、エードバッハは侯爵にけしかけられてもいないのに僕を誘拐し、殿下は僕を無理やり結婚させようとし、結婚命令書を作らせたのは国王陛下? 悪い奴が4人いる……?
「4人は、共犯が、つながりは、えっと……」
「エメル。陛下が侍従長に何らかの指示を出したのではないかと、君と話した記憶があるんだが」
レオンさんが助け舟を出してくれ、真っ白になった僕の脳に光が差しました。ここは王妃様が事情を知る場であって、僕の推理を披露する場じゃない。僕はただ、王妃様の代理として尋問すればいいんだ。
「そうでした。侍従長、陛下から何の指示を受けたのか話してくださいますか」
「話して頂戴、ビル。陛下や貴方が思うほど、わたくしはヤワではありませんよ」
王妃様の言葉に嘆息めいた深い息を吐き、侍従長は背もたれに預けていた背を起こしました。