3 王家の愛妾 Ⅵ
僕の足に、ユリアスさんの長い足が絡みついています。
胸に押しつけられているのは、リーザさんの豊満な胸。寝室のベッドでユリアスさんとリーザさんに挟まれ、2人に抱きしめられるように僕は横たわっています。
硬直する僕の体。ユリアスさんは足の甲で僕のふくらはぎを撫でてるし、リーザさんの胸はプリンみたいにプルンプルンしてるし、眠れない――っ!!
「あ、あの、もう少し離れませんか? 広いベッドで、こんなにくっ付かなくたって……」
「だめーん。エメルって暖かいから、抱き枕にちょうどいいわあ」
リーザさんの甘えるような声。吐息が耳をかすめ、背筋がぞくぞくします。
「あばら骨が数えられるな」
ユリアスさんに胸を探られて、僕は口をわなわな震わせました。そ、そこまで! そこから上は、だめ――っっ!
「だ、ひ――――っ」
「なあ、エメル。もう少し普通に叫んでくれないか?」
「め、ひ――――っ!」
ユリアスさんの手が僕の胸をパカッと覆い、呼吸困難に陥った僕は口をぱくぱくさせました。
「うーん。かろうじて女の子かなあ。微妙なところだけど。全然ないとも言えるが」
ぺったんこの胸をユリアスさんになでなでされて、僕はじたばたと暴れました。
変態だ――――っっ。この2人、変態だっ。前から疑ってたけど、今度という今度は間違いない!
「ぼ、僕、貧乏性だから、簡易ベッドで寝ます! 狭いベッドが好きですっ」
あたふたとベッドから飛び出した僕を、リーザさんの声が追いかけて来ます。
「あーあ、逃げられちゃった。ユリアスのせいよ。触っちゃ駄目って、あれほど言ったのに」
「女の子同士で胸を触るのは普通だろ?」
「エメルは繊細な子なんだから、女子クラスの流儀は通用しないのよ」
胸を触るのが普通……?
そう言えばフィアではよく女の子同士で胸を触り、大きくなっただの萎んだだのと騒いでいます。スカートをめくって下着の見せ合いっこはするし、僕の脳が破裂しそうな猥談もするし――――女の子たちは男性同士の恋愛話が大好きです――――、もしかすると女子クラスは変態の巣窟かもしれない。
簡易ベッドにもぐり込み、ほっと息をつきました。いくらフィアに馴染んでも変態にはならないぞっと心に決め、目を閉じるとレオンさんの面影がよぎって行きます。
夏の草原に似た、爽やかで微かに甘い香り。青草と杉と柑橘系果実の香りがベッドに残っている気がして、僕はうっとりと毛布にくるまりました。
レオンさんに抱きしめられるとドキドキするけど、安心して眠れます。ドキドキするけど安心もできる――――2つの相反する気持ちを感じさせるレオンさんは、不思議な力の持ち主です。
レオンさんの温もりに包まれ、僕は穏やかな眠りに落ちて行きました。
遠ざかるレオンさんの後ろ姿。夏草の香りを頼りに、四本足で追いかける僕。
「クンクン。よし、こっちの方角だな」
僕の鋭い鼻は、とらえた香りを逃しません。レオンさんの姿は見えなくなったけど、後をたどって行けるはず。
「ほらほらほーら」
いきなりボーデヴィッヒめが現れ、指でつまんだ靴下を僕の前にぶら下げました。毛羽立った毛糸の靴下は悪臭が立ち、奴の意図は明らかです。僕の進路を妨げようとしてるんだなっ。
「そんな物で僕が迷うと思うなよ!」
放蕩者のくせに、趣味の悪い靴下だなあ。後ろ足で、砂をかけてやりました。ふん、悪党め。
鼻を地面につけ、必死にレオンさんの匂いをたどる僕の前に、次々と強敵が現れます。
甘い花と柑橘の混じり合った香りのトーニオさん。パパの濃厚な革と樹木の香り。ラインハルト王子の刺激的なスパイスの匂い。みんな、どうしてコロンやトワレや香水を使うんだろう。レオンさんだけでいいのに。
レオンさんは、どこ……? 消えそうなレオンさんの痕跡を必死に探し、ようやく見つけました。レオンさんに飛びつき、尻尾を振って匂いを嗅ぐ僕。ふんふん、ふんふん。
うん、間違いない。レオンさんの匂いだ。でも変だな。湿った毛の臭いがするぞ。焼け焦げた臭いも。クンクン。
「……へ?」
気がつくと簡易ベッドで、毛布を鼻の穴に突っ込んでました。レオンさんの爽やかな香りは消え、暖炉の前でユリアスさんが火をおこしています。
ひどい夢だった……。犬になるなんて。夢はその人の願望を表すと先生が言ってたけど、僕は犬になりたくありません。いや問題は、夢の中とはいえ匂いを嗅いでいたことかも。僕の願望――――匂いを嗅ぐ?
匂いにこだわるなんて、まるでボーデヴィッヒ侯爵みたいです。レオンさんの匂いをクンクン嗅ぐなんて、ボーデヴィッヒも真っ青な匂いフェチぶりです。まさか――――まさか――――。
「僕は、匂いフェチ……?」
ボーデヴィッヒのことは言えない。僕は匂いフェチで、とうとう変態の仲間入りをしてしまったんだ――――。衝撃の事実に、頭を殴られたような気がしました。
落ち着け、エメル。たった一度夢を見たからと言って、変態とは限らない。でもそうでしょうか。小さい頃から香水に敏感だったから、匂いフェチの片鱗は昔からあったような。心の底に願望があるからこそ、夢に出て来るんじゃないの?
体を強張らせ、ぎくしゃくとベッドから下りると、暖炉の前でしゃがんでいたユリアスさんが振り返りました。小さな火が木片を包み、大きく燃え上がって行きます。
「おはよう、エメル」
「おはようございます。あの、ユリアスさん。もしも僕が変態だったら、嫌いになりますか?」
泣きそうになって尋ねると、ユリアスさんは目を見張り、次の瞬間にはクスクス笑い出しました。
「ならないよ。モップを持って学校にやって来た君を見てるから、今さら何を知らされたって驚かないよ」
「そうですか。そうですよね」
モップって、そんなにびっくりするような物かなあ。どこの家にもあると思うけど。あれ、僕のモップが見当たらない。しまった。昨日から厨房に置きっぱなしだ。
「それに、私にも多少おかしな傾向があるからね」
「はあ……」
知ってます。ユリアスさんとリーザさんが立派な変態だということは、夕べ身をもって知りました。
考えてみれば、僕の周囲はおかしな人が多い。パパとトーニオさんは何でもありだし、ブルーノさんとマテオさんは女性の下着を穿いて踊るし、ボーデヴィッヒ侯爵は言うまでもないし、その中でレオンさんだけがまともです。
レオンさんが僕の正体を知ったら、何て言うだろう。きっと――――
「すまない、エメル。変態の女の子とは付き合えない」
僕の足が、カクカク震えました。レオンさんは、僕のことを嫌いになるに違いない。レオンさんに嫌われる――――だめぇっ! 僕が変態だということは、秘密にしておこう。
でも「一生そばにいて欲しい」とレオンさんは言ってくれたし、もしもそれが「結婚しよう」の意味だとしたら、僕はいつかレオンさんの隣で眠ることになるんです。
僕の体が、凍りつきました。一度あることは、二度三度あると言います。夢の中で犬になりきり、眠ったまま毛布を鼻の穴に突っ込んで、隣にいるレオンさんの全身をクンクン嗅ぎ回ることだってあり得るんです。
そんなことになったら――――。
僕の変態ぶりが露見し、レオンさんに嫌われる。結婚した後で嫌われるか、最初から結婚をあきらめるか。どちらを選ぶと聞かれたら、嫌われる方は選べそうにありません。
ということは――――僕はレオンさんと結婚できない。ガーンと重い衝撃が頭を揺さぶり、僕はよろめきました。
「どうした?」
ユリアスさんが心配そうにのぞき込み、僕の口からこぼれる哀しい言葉。
「結婚は……無理です」
「もちろん、破談にすべきだ」
「ええ、破談です」
「曖昧な情報だが、ボーデヴィッヒが王宮官房室に出入りしていたという話がある。彼と侍従長とは、何らかのつながりがあるのかもしれない」
「え? ボーデヴィッヒ?」
目をぱちくりさせ、レオンさんで一杯になった頭を懸命に現実に引き戻しました。ボーデヴィッヒの陰謀を阻止しなければ! 今はそのことに専念しよう。
「……僕も、ボーデヴィッヒ侯爵と侍従長は手を組んでるんじゃないかと思います。ただの勘ですけど。2人は似た者同士だから」
腹黒い――――。その共通点だけでも2人がグルだという根拠になるはず。……たぶん。
「手を組んでいたとして、何のために?」
「レオンさんは、国王陛下が何かの指示を侍従長に出したんだろうと言ってました。その指示を果たすために、侍従長は僕を利用したんじゃないかって。そこにボーデヴィッヒ侯爵が加わったと思うんですけど……」
ユリアスさんは人差し指でこめかみを叩き、首を振っています。
「何かが見えそうなんだが……。はっきりしないな」
「僕、ユリアスさんから聞いた話をレオンさんに伝えて来ます。きっとレオンさんの役に立つと思います」
レオンさんに会って言わなければ。僕、変態なんです――――じゃないっ! 伝えるべきは昔の陰謀劇や、ナタリア夫人とラインハルト王子の関係です。匂いフェチについては口にするんじゃないぞっと自分に言い聞かせ、僕はレオンさんの部屋に向かいました。
扉は鍵がかかり、ノックをしても返事がありません。レオンさん、出かけてるのかな。
厨房に行ってみると、時間が早いせいか火をおこすキッチン・メイドが一人いるきりで、他には誰もいません。
「リーデンベルク嬢?」
声をかけられ、僕は振り返って身構えました。口髭をはやした紳士が、にこやかに礼をしています。この人、見覚えがある――――。
「エードバッハと申します。ここでお目にかかれるとは嬉しい。貴女と話がしたいと、ずっと思っておりました」
僕と話? 何の? なんか怪しい。
「僕の方こそお会いできて光栄です。人を探してるのでこの辺で失礼します。それではさようなら」
「どなたをお探しかな?」
「えっと、兄……クレヴィング卿を。それではさようなら」
「ああ、颯爽とした紳士ですね。先ほど別れたばかりですよ。急いで屋敷に戻られるとかで……あ、お待ちを」
レオンさんは、エードバッハから情報を得ようと直接話を聞いたのかな。屋敷に戻るなら、馬車置き場か馬房にいるはず。お辞儀をして去ろうとする僕を、エードバッハが引き止めました。
「馬車置き場まで、同道させて頂いてよろしいかな? 近いうちに、ネフィリムという名馬を見せて頂く約束をしたのですよ。私は馬が大好きで、アメルグに牧場を持っています。ネフィリムは、とてもいい馬だそうですね」
「はい。馬については詳しくないですけど、名馬だそうです」
エードバッハは僕にぴったり張り付き、馬車置き場までついて来ました。僕から情報を引き出そうとしてるに違いない。
彼はラインハルト王子に会いたがってるらしいから、僕と親しくなって便宜をはからせようとしてるのかも。その手に乗るものか。
早朝の馬車置き場を、雪まじりの冷たい風が吹き抜けます。人影はなく使用人の姿すらありません。レオンさんを探す僕の耳もとで、エードバッハが囁きました。
「失礼、リーデンベルク嬢」
「え? き、きゃあ――っ!」
僕の体がふわりと浮き、足をバタバタさせたけれど無駄で、荷物みたいに馬車に放り込まれました。
「何するのっ」
壁にぶつけた頭をさすりながら暴れる僕を、エードバッハは軽々と押さえ込み、慣れた手つきで僕の両手を後ろ手に縛りあげて行きます。
「申し訳ないが、ラインハルトを誘い出す餌になって頂く」
「僕をさらったって、王子様がのこのこやって来るわけないでしょ!」
「そうでもないと思うが。あの麗しきロイスブルク伯爵夫人を追い払い、君と食事しようとしたそうじゃないか。たいそうな御執心ぶりだ」
「どうしてそれを……」
エードバッハがにやりと笑い、僕はひらめきました。ボーデヴィッヒから聞いたんだ。エードバッハとボーデヴィッヒは、やっぱりグルなんだ。
必死にもがいたけれど座席の取っ手につながれてしまい、馬車の扉がピシャリと閉じられました。エードバッハに余計な情報を与えまいと気をつかったつもりだけど、奴の狙いは誘拐だったんだ! 自分の迂闊さに涙が出そうです。
こういう時に限ってモップはないし。どうしよう。餌にするつもりなら、僕に危害は加えないに違いない……きっと。殺されるなんてことはないだろう……たぶん。動き出した馬車の中で、怯えきった脳に鞭をふるいました。
馬車は、どこに向かってるんだろう。これからどうなるの? ボーデヴィッヒと侍従長がグルだとすると、エードバッハと侍従長もグル……?
三人は、何を企んてるんだろう。今のところ表立った問題は僕への結婚命令だけど、裏に陰謀が隠されているのかも。エードバッハはラインハルト王子に会い、何をしようとしてるの?
馬車は大通りを猛スピードで進み、貴族の邸宅らしい建物に入って行きました。リーデンベルク邸からもユリアスさんの屋敷からもほど近い建物に見覚えはないけれど、立派な佇まいは大貴族の住まいだろうなと想像させます。
というかエードバッハめ、僕に目隠しをしないとは、抜かったな。逃げてやる。リーデンベルク邸まで近いんだから、逃げ出してやるっ。
馬車が止まり、僕は引きずり出されました。縛られたままホールへと連れて行かれ、大きな階段の下で立たされること数分。モップを探してきょろきょろする僕の前に、ドレス姿の女性が降りて来て、僕の口が大きく開いていきます。
絶世の美女です。世間的には、昔は美女だっただろうと言った方が正しいかもしれません。窓から差し込む光を受けて、女性の目尻に僅かな皴が見えます。年の頃は、四十代でしょうか。
それでも美女です。黄金の髪が陽光に煌めき、澄んだ青い目は宝石のよう、華やかな顔立ちが薔薇色のドレスと相まって薔薇の花を思わせます。
「お客様なの、マティアス?」
「はい、ナタリア様。ラインハルト殿下のご友人です」
「まあ、嬉しいこと」
美女の顔がぱあっと明るくなり、優しい眼差しが僕に注がれました。ナタリア――――ナタリア夫人?
でも、何か変だ。エードバッハは「ナタリア様」って言わなかった? 自分の妻に「様」? 僕を縛る縄が見えてるはずなのに、嬉しい?
この人が「トライゼンの薔薇」と呼ばれ、国王陛下の愛妾だった女性なのか。階段下で僕を見下ろす長身の美女を、僕はまじまじを見つめました。