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アップルケーキに愛をこめて  作者: セリ
アップルケーキに愛をこめて3 ~王宮の陰謀篇~
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3  王家の愛妾  Ⅳ


「豚肉のロースト・ポークだ。持って行け!」

「豚肉以外のロースト・ポークがあるんですかっ」


 コック長の威勢のいい声に合わせ、元気よく質問する僕。


 カウンターに次々と並ぶ4枚のお皿には、ほどよく焼かれ厚めにスライスされたロースト・ポークが乗っています。肉の回りでジュウジュウ湯気を立てているのは、黒ビールソースです。コック長は眉間にしわを寄せ、僕を凝視しました。


「ド素人め。早く運べ」

「はいっ」


 あるんだ――――。豚肉以外の肉を使ったロースト・ポークが、王宮にはあるんだ。どんな料理だろう。後で教えてもらおう。


 お皿に銀のクロッシュをかぶせ、そろそろとワゴンを押して回廊を進むと、向こうからレオンさんがやって来ます。レオンさんは僕にうなずきかけ、カラクさんが押していたワゴンに手を添えました。


「手伝わせほしい。何かしないと、ラインハルト殿下のヴァレットに推薦してくださった王妃様の御好意を無駄にすることになる」

「かまいませんが……。ゆっくり押してください。もしや、いずれは侍従職にとお考えですか?」


 カラクさんはレオンさんにワゴンを譲り、2台のワゴンに目を配りつつ尋ねました。


 王宮で働く人々の大半は平民ですが、侍従と女官を務めるのは貴族です。領地を持たない次男や三男にとって侍従職は人気の職業で、ラインハルト王子のあの侍従さんも、いつも渋い顔をしていますが貴族なんです。


「そこまでは考えていないが、何事も勉強だからね」


 そう答えるレオンさん。料理が冷めないよう急ぎつつ、ゆっくり慎重に進んで王家のダイニング・ルームに着き、カラクさんが侍従さんに料理を見せました。


「本日の肉料理は、シュバイネブラーテン黒ビールソース添えです」


 えっ。豚肉のロースト・ポークじゃないの? シュバイネブラーテンも豚肉をローストして作る料理ではあるけれど。後でカラクさんに聞いてみよう。


 室内は暖かく、深い赤のカーテンが曇ったガラス窓を飾っています。豪華なシャンデリアの下、正方形の家族用ダイニングテーブルに国王陛下と王妃様、ゲオルグ皇太子殿下とラインハルト王子がそれぞれ向かい合って座り、会話を楽しみながら食事をしておられます。


 ラインハルト王子の金髪と青い目が気になるけれど、それ以上に夕食の話題に驚かされました。議会だの多数派だの法案だのといった難しい言葉が飛び、どうやら陛下の望む法案を議会に通すために何をすべきか意見が交わされているようです。


 リーデンベルク家の晩餐といえば、パパが領地視察の折のエピソードを面白可笑しく話し、皆で笑うのが定番ですが。威厳ある国王陛下に比べ、パパの人格は軽いなあ。大好きだけど。


 2人の給仕さんが前菜のお皿を下げ、カラクさんが慣れた手つきでロースト・ポークの乗ったお皿を2枚、指の間に挟んで持ち上げました。レオンさんが残り2枚のお皿を運び、僕の担当はサラダです。青いお皿に美しく盛り付けられた、小海老とクルミとホワイトアスパラガスのサラダ。息を詰めてテーブルにお皿を置く僕の後から、レードルとグレービーボートを手にした給仕さんがドレッシングをかけて行きます。


「あら、レオン卿じゃないの。給仕までしてくださるの?」

「何でもさせて頂きます」


 レオンさんの顔を彩る魅惑の微笑。王妃様は満足そうにうなずき、僕に目を留めました。


「まあ、貴女はエメル? 素晴らしい恰好ね。髪、そんなに短かったかしら」

「は、はい。その節は、かつらを被ってましたので、その、一生懸命働かせて頂いてます」

「そんなに固くならないで。愉快なお仲間と一緒に、ラインハルトの話し相手になってくださればそれでいいのよ」


 王妃様は朗らかに笑い、ラインハルト王子はやれやれと言いたげに首を振っています。国王陛下が顔を上げ、直立不動の僕を見ました。


「どちらの令嬢だね?」

「リーデンベルク男爵家よ。ディリアが再婚したでしょう?」

「そうだったね。新しいリーデンベルク卿は、確か王宮に勤めていたんだったね」


 国王陛下は僕の頭のてっぺんから爪先までざっと眺め、口角が僅かに上がったように見えたのは気のせいでしょうか。


「フィアでは、そういう服装が流行っているのかな。先々月、ラーデン侯爵が爵位継承の挨拶に来たが、彼女も男装だった」

「ユリアーネね。ゲオルグがフィアの学生だった頃は、可愛らしいドレス姿で王宮に遊びに来ていたけれど。そうそう、皇太子妃にどうかと働きかけがあったわね。懐かしいわ」


 王妃様はクスクス笑い、僕は目を見開きました。ユリアーネ・アドリアナ・フォン・ラーデン侯爵――――ユリアスさんのことです。


 ユリアスさんが、可愛らしいドレス姿? しかも皇太子妃候補だった……? ゲオルグ皇太子殿下は、フォークでサラダをつつきながら苦笑しています。


「勘弁してください。彼女は苦手だ。その話は彼女の父親の政治的野心から出たもので、今では無効です」

「もちろん、結婚は当人同士の愛情が優先されるべきだわ。陛下もわたくしも、あなたの結婚を政治や外交に利用するつもりはありませんよ」


「皇太子妃についてはゲオルグに一任するが、娘の父親や親族が政治に口出ししないことを結婚の条件とする。わかっていると思うが」


 国王陛下の声がゆっくり穏やかに流れ、一瞬の沈黙が降りました。陛下の言葉が何を意味するのか、僕のささやかな脳でさえ察しています。アイヒホルン卿のことだ――――。


 空のお皿を乗せたワゴン2台をレオンさんとカラクさんが押し、後からついて行く僕の耳にゲオルグ殿下の声が届きました。


「田舎の父娘は、田舎に帰します」


 皇太子殿下は、愛妾と別れるつもりなの?


 華やかに見える王家の愛妾の立場がどういうものか、判ったような気がしました。殿下の心一つで、簡単に呼び寄せられたり見離されたり。ミレーヌさんほどの美女でも疲れ切ってしまうほど弱くて儚くて、よほど強い女性でなければ務まりません。


 愛して貰えるなら――――ミレーヌさんの切ない言葉が脳裏に蘇り、気分が沈んでしまいます。愛だけでいいなんて、哀しすぎる。もっと欲張りになっていいはずなのに。愛はもちろん、輝く未来も笑い合える家族も欲しいと思っていいはずなのに――――。


 相手が王族だと、そうはいかないんでしょうか。やっぱり僕は愛妾でなく、愛する男性と結婚し地味でもいいから堅実な家庭を築きたい。


 僕の隣でワゴンを押すレオンさんの横顔を見上げ、もしかしたら僕はこの人と結婚するのかなあと思いました。ハンドルを握るレオンさんの手は、拳闘をしていたせいかゴツゴツして男性的です。


 あの手で僕の頬をなぞったり、髪を撫でたりするんだ――――。そう思うと全身が熱くなり、心臓が飛び跳ね、息苦しくなった僕をレオンさんが不思議そうに見つめています。


「どうした? 顔が赤いな。のぼせたのか?」

「い、いえ。大丈夫です」


 ほ、本人の隣であらぬ妄想をするものじゃありません。レオンさんの視線が僕に向けられるたびに、肌がピリピリ痛いほど敏感に反応し、ようやく厨房に着くとマテオさんが来ていました。


 時刻は午後9時前。客室棟に宿泊している方々の晩餐の準備で、厨房内も給仕さん達も大忙しです。マテオさんが手伝うと申し出て、カラクさんは「助かるよ」と頬を緩めました。


「ウナギのアールズッペだ!」

「ウナギ以外のアールズッペがあるんですかっ」


 コック長とのこういうやりとり、何度目でしょうか。アールズッペは、ウナギのスープです。カウンターに並んだスープ皿には、ふんわり柔らかそうなウナギの切り身とアンズ、プラム、桃が入っていて、スープが甘酸っぱい香りを放っています。


「ウナギのアールズッペだと、ウナギのウナギのスープという事になりますよっ。いいんですかっ」

「いいから、持って行け!」


 コック長の声に笑いが含まれているように聞こえたのは、空耳でしょうか。うーん。おかしい。誰かに尋ねたいけど、カラクさんは晩餐を運んで客室棟に行ってしまったし……。


「……ウナギのアールズッペって、変ですよね?」


 僕が尋ねると、レオンさんはワゴンを止め、人差し指の先で僕の額を軽く突きました。


「からかわれたんだよ」

「エメルちゃんって何でも真面目に受け取るから、ついからかいたくなるんだよね」


 レオンさんの向こうで、マテオさんがワゴンを押しながら笑顔を見せています。やっぱりそうなのか。コック長め、ふてえ奴だ。


 ダイニング・ルームに到着してレオンさんとマテオさんがスープを配り、僕はパン籠とトングを手に、柔らかそうな白パンをパン皿に置いて回りました。


 国王ご一家の会話は、ダレフ殿下が明朝アーデンに立たれることから街道の除雪作業、出稼ぎ労働者の待遇へと変わっています。料理を配り終えた僕たちは深々と礼をして退室し、僕はマテオさんに小声で尋ねました。


「ダレフ殿下と王子様の密談は、どうでした?」

「それが、侍従のスミスに邪魔されて聞けなかったんだ。ヴァレットは部屋に戻り殿下の靴を磨けと、追い返された。ああ、磨いたよ。途中でブルーノと交代したけど。明日の朝までブルーノがラインハルトに張り付くから、エメルちゃんは心配しなくていいよ」

「ありがとうございます。あの、侍従長の方は?」


 レオンさんは、不本意そうに首を振っています。


「のらりくらりと、かわされた。結婚命令は国王陛下の意思だとはっきり断言したが、理由については上手くはぐらかされたよ。古狸め。侍従長室を出た後、ボーデヴィッヒについて調べていた者が報告に来た。クラレスト中の貸金業者を当たったが、侯爵家の資産が売却されるという話は無かったそうだ。彼らの情報網は他国にまで及んでいるから、ボーデヴィッヒが金に困っていたらすぐに分かるんだが」


「ということは……」

「妙な話さ。ボーデヴィッヒの賭博の話が間違いだったか、秘密裡に借金を支払ったか。明日は銀行を当たらせてみるよ。預金の動きが分かるといいんだが。ボーデヴィッヒ邸で、ナタリア夫人を見かけたという話がある。特命大使夫人をなぜ隠す必要があるのか、それも調べさせよう」


 夫人はアメルグにいるというボーデヴィッヒ侯爵の言葉は、嘘だった……? あの大嘘つき! 


「ブルーノが、ナタリア夫人についての昔話を女官から仕入れて来た」


 マテオさんがワゴンを押しつつ、レオンさんに並びかけました。


「24年前、ナタリア夫人は王子を出産したらしいよ。でも死産で、夫人は精神的におかしくなったんだって。その後すぐエードバッハと結婚してアメルグに渡ったから、最近の夫人について詳しいことは分からないけど、子供はいないみたい。夫婦で各国をよく旅行していたそうだよ」


 ナタリア夫人が王子を出産した――――。何だか、嫌な気分です。ナタリア夫人は金髪で青い目で、ラインハルト王子も金髪で青い目で、王子様が生まれた頃に夫人も出産していて、悲しいことに死産で、でも実は――――。疑惑と想像が頭の中を巡り、最悪の気分です。


 あり得ない! 歪んだ空想を断ち切り、見上げるとレオンさんが厳しい顔で考え込んでいます。まさかレオンさんも同じことを考えてるんじゃ――――。


 厨房に戻ると、コック長が眉間に縦じわを刻んで待ち構えていました。気持ちを切り替え、戦闘開始です。王家の夕食も残すところデザートのみ。僕はコック長を睨み返し、コック長は銀の蓋をかぶせたお皿をカウンターに置きました。


「デザートは、取り寄せたばかりの新鮮なリンゴを使っている」


 リンゴ。これまでのパターン通りなら、きっと「リンゴのアップルケーキ」とか「リンゴのアップルパイ」とか言うに違いない。僕は落ち着き払って人差し指をチッチッと振り、「子供っぽい冗談ですねえ」と笑いとばしてやるんだ!


「これはな、リンゴの――――」

「リンゴの――――?」


 勿体ぶった仕草で、蓋に手を置くコック長。中に入っているのは、ケーキかパイか。ごくりと唾を呑み、お皿を見つめる僕。


「生――――っっ!!」

「ええええっ! ……ナマ?」


 蓋の下から現れたのはクリーム色の薔薇の花だけど、よく見るとリンゴで出来ています。ナイフを使ってリンゴに彫刻を施し、一輪の薔薇を形作っているんです。花びらの1枚1枚が繊細で美しく、ガクの部分も3枚の葉っぱも、緑に色づけされたリンゴです。


「すごい……。綺麗」

「そうか?」


 コック長は相好を崩し、骨ばった指で鼻の下を撫でました。あ、照れてる。眉間の縦じわが消え、目の縁に笑いじわが出来ています。


「どうやって作ったんですか? あなたが作ったんですか?」

「当たり前だ。フルーツ・カービングというんだ。時間がある時に教えてやるよ。さ、持って行け」


 からかわれたけど、そんな事を忘れるぐらいコック長は素晴らしい料理人です。彼の高度な技により、リンゴは本物の薔薇かと見まごう芸術品へと様変わりし、お皿の上で咲き誇っています。僕は、尊敬の眼差しでコック長を見上げました。


 明日にでも、フルーツ・カービングを教えて貰おう。皮付きリンゴを薄く切って花びらの形に並べたことはあるけど、薔薇の花を彫り出すなんて凄い技術です。僕に出来るかなあ。


「エメ。リーザが迎えに来てくれたぞ」


 レオンさんがフルーツ皿をワゴンに移しながら言い、振り返るとリーザさんが手を振っています。明るいブルーのドレスを着て艶やかな黒髪を結い上げ、学校にいる時より大人っぽい。王宮のメイドさんは白いエプロンを着けますが、女官はエプロン無しのドレス姿で、華やかな貴婦人といった風情です。


「夕食を取りに来たのよ。ユリアスも来てるから、一緒に食べましょう」

「ありがとうございます。でも僕、仕事がまだ……」

「行けよ」


 レオンさんの黒い瞳が僕に向けられ、柔らかい声が静かに響きました。


「後はデザートだけだから、俺がやっておく。色々あって疲れただろう。早く休め。俺は今晩客室棟に泊まるから、何かあったら来るんだぞ」

「はい。じゃ、お言葉に甘えて……」


 僕のお腹が、クーと鳴っています。昼食をあれほど大量に食べたのに、お腹の中が空っぽです。夕食のメニューは何だろう。リーザさんが僕の隣に立ち、耳元で囁きました。


「客室のベッドで、3人仲良く暖まって寝ましょうね」


 え……。ユリアスさんまで泊まるの? それはいいけど、3人仲良く暖まって寝るという言葉が妙に引っ掛かり、僕は硬直してしまいました。





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