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アップルケーキに愛をこめて  作者: セリ
アップルケーキに愛をこめて3 ~王宮の陰謀篇~
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1  結婚相手は見知らぬ人  Ⅲ

 

 ボーデヴィッヒ家の四頭立て馬車は、大通りの石畳をまっすぐ王宮に向かって走りました。通り沿いのプラタナスはすっかり葉が落ち、雪の積もった枝が北風に揺れて寒そうです。


 毎年冬になると、雪かき職人として雇われた人たちが各地方から出稼ぎにやって来て、王都クラレストの人口は一気に膨れ上がります。パブは朝のひと仕事を終えた職人さん達で賑わい、きれいに除雪された道を人々が行き交っています。


 馬車に揺られ、窓から見える景色をぼんやり眺めながら、僕はボーデヴィッヒ侯爵に会ったら何を話そうかと真剣に考えていました。


 自分の気持ちを正直に話すのが一番いい。順序立てて、礼儀正しく、でもはっきりと。フィアを卒業するまで結婚する意思はないこと、国王陛下に翻意してもらいたいことなどを話し、協力を乞おう。


 侯爵はきっと僕に賛同するに違いない。放蕩者が結婚を望むとは考えられないし、僕の持参金に目を付けるとも思えない。リーデンベルク家は裕福だけど、僕の持参金と言ったら領地のロザヴェインだけで、もっと多額の持参金の付いた花嫁がいるはずです。


 トーニオさんは侯爵が妻を愛人としてラインハルト王子に差し出すような話をしていたけれど、よりによってドレスもまともに着こなせない、痩せっぽちでチビの僕みたいな奴を王子様の愛人にしようなんて考えるはずがないんです。王子様の愛人候補なら、他に適任者が何人もいるでしょう。


 侯爵と僕は、自由を手に入れたいという点で意気投合するはず。話が終わったら固い握手を交わし、次に会う時はレオンさんとトーニオさんにも同席して貰うことを約束して、僕は家に帰るんです。


(完璧だ)


 我ながら素晴らしい計画に口もとがゆるみ、会心の笑みがこみ上げて来ます。僕だって、やる時はやるんです。


 ニマニマしているうちに馬車は白と金に彩られた柵門を抜け、先祖たちの壁画が描かれた王宮門をくぐり、広場の先にある馬車寄せ場で止まりました。御者の隣に座っていたカーネルさんが扉を開けてくれ、馬車から降りた僕の前に黒茶色の厳めしい建物がそびえ立っています。


 ――――トライゼン王宮。


 幾つもの建物が回廊でつながっているそうですが、僕は舞踏場のある建物にしか入ったことがありません。


 雪は止んだものの風が強く、横から吹きつける寒風に吹き飛ばされそうになりながら、前屈みになって王宮玄関までの数十歩を歩きました。


(風にも負けず――――雪にもめげず――――僕は行く!)


 愛用の武器を握りしめ、風に向かって進む僕。……あ、恰好いいかも。勇者になった気分で悦に入りました。今日は本当にいい日です。


 8段ある石段を上がって中に入ると円形ホールで、小さなアーチ型の窓が並び、どんより曇った空のせいか暗い雰囲気です。


 高い天井一面に戦闘場面が描かれ、血まみれになって戦う悪鬼のような山賊たちが僕にのしかかって来ます。


 床は青っぽい色大理石が敷き詰められ、所々にある赤い模様が血の雫に見えて、ぞくりとしました。天井からしたたり落ちる血を表現しているのかな――――まさか。


「失礼ですが、レディ。本当にそれをお持ちになるのですか。よろしければ、こちらでお預かりしましょうか」


 カーネルさんの声がホールに響き、僕は飛び上がりました。……それ? 

 カーネルさんの視線の先には、僕のモップがあります。血に飢えた山賊たちに見下ろされ、ますます武器は手離せません。


「もちろん持って行きます」

「さようで御座いますか。かしこまりました」


 慇懃に礼をするカーネルさんの後からホールを抜け、広い回廊に出ました。アーチ型の窓はホールより大きいけれど、日差しが少ないせいかやはり薄暗く、天井から下がった蝋燭のシャンデリアと壁に埋め込まれた蝋燭立てから、ちろちろと赤い炎が見えます。


 天井は黄金で縁取られた豪華なフレスコ画で覆われ、白い漆喰の壁には肖像画やタペストリー、獣の剥製や剣、防具などが飾られています。甲冑が等間隔に置かれ、まるで回廊を守る兵士のようで、今にも動き出しそうです。


 床の色大理石が蝋燭の炎に照らされて青く妖しく輝き、ここは「青の回廊」だろうと僕は思いました。王宮には回廊がいくつもあり、「青の回廊」はその一つで、客人専用の棟と王宮玄関を結んでいるはずです。


 目がちかちかするほど金色で豪華絢爛なフィアとは違い、トライゼン王宮は重厚で、どことなく怖ろしげな雰囲気です。金糸できらびやかに織られたタペストリーを見上げ、中央に描かれた男が下げているのは生首だということに気づき、僕は叫びそうになりました。 


 王宮と呼ばれているものの、ここは今でも野蛮で怖ろしい山賊の総本山なんです。とんでもない所に来てしまったんじゃないか――――。そんな思いが脳裏をよぎり、懸命に否定しました。


 王宮に住み込む貴族らしい男性や使用人達が通り過ぎ、僕をちらっと見て口角を僅かに上げます。笑っているのかな。それともこれが王宮式の挨拶なのかな。軽く会釈を返したけれど、腑に落ちません。


 きっとモップを握った僕の勇ましい姿が珍しいに違いない。モップがどれほど役に立つか、彼らは知らないんです。――――気の毒に。

 一歩先を行くカーネルさんが振り返り、何か言いたげに僕を見つめています。


「レディ。侯爵様にお会いする前に鏡をお使いになりますか? こちらに御座いますが」

「あ、はい」


 身支度は大切です。白い壁に掛けられた四角い鏡は黄金の彫刻に縁どられ、前に立つと僕のお腹から上が映りました。僕の頭も――――。僕の目は可哀相な頭に釘付けになり、鏡に映った僕の口が大きく開かれていきます。


「わ、わあああっ」


 僕の髪は1本残らず天を目ざし、櫛を使って丁寧に逆毛を立てたみたいな有様です。しかも髪のあちこちに落ち葉がくっ付いて、まるで山奥で行き倒れになった人みたいです。


 貴族らしい男性や使用人達は、僕の頭を見て笑っていたんだ――――。茫然とする僕の後ろで、カーネルさんがこほんと咳払いしました。


「侯爵様に従い長らく外国におりましたので、クラレストで洒落者と呼ばれる方々は、そのような髪型をなさると思っておりました」

「頭に落ち葉を乗せて街を歩いたら洒落者ではなくて、変わり者と呼ばれますよ」


 落ち葉をつまみ上げる僕をカーネルさんが手伝ってくれたけれど、よく見るとカーネルさんの口角がひくひく動いています。カーネルさんはまたもや咳払いし、穏やかな口調で言いました。


「お嬢様のような方が侯爵様と結婚してくださるなら、侍従としてこれほど嬉しいことは御座いません。侯爵様も24歳になられ、そろそろ身を固めたいとお考えのご様子。僭越ながら、お2人の末永いお幸せを願っております」


「あの、でも、侯爵様は結婚したくないんでしょう?」

「いえまさか。結婚を望んでいらっしゃいますよ」


 ええっ?! 放蕩者の分際で結婚しようなんて図々しい! と思わないでもなかったけど、それどころじゃない。

 侯爵は結婚に乗り気でいる? そんな……。侯爵と手を組み、結婚を白紙に戻す僕の周到な計画はどうなるの?


 計画を根底から揺さぶられ、僕は慌てふためきました。どうしよう。ここは冷静に考えなくては。まぶたを小刻みにぱちぱちさせ、ゆっくり落ち葉を取り除き髪を整えつつ時間を稼ぎ、僕は懸命に知恵を絞りました。


 僕の脳ときたら、追い詰められると真っ白になってしまうシロモノです。役立たずめと鞭をビシビシ振るい、とにかく侯爵を説得しようと思いました。何をどう説得すればいいのか、まったく思いつかないけれど、とにかく説得です。


 それで駄目だったら――――仕方がない。最後の最後の最後の手段――――脅し。モップを突きつけ、「殺すぞ」とか何とか言って脅す場面を想像したけれど、侯爵を相手にそんな事ができるとは思えません。


 うう、どうしよう……。


「どうされました?」


 うなだれていたらしい僕の隣に、カーネルさんが立ちました。鏡に映るカーネルさんの横顔は、気遣わしげで心配そうです。


「何でもありません。行きましょうか」


 無理をしてにっこり笑い、僕はぎくしゃくと歩き出しました。計画を練り直して出直したい……そんな思いが頭をよぎったけれど、もう引き返せない。


 無計画でも場当たり的でも、とにかく説得です。にこやかに、友好的に。それでどうしてもどうしてもどうしても駄目なら、突然怖い奴に変身すればいい。暴力的に脅しつける僕を見て、侯爵は震え上がり、こんな怖ろしい女の子を妻にするなどとんでもないと考え直すでしょう。


 よし。そういう方針で行こう。うまくいくかな……。


 「青の回廊」を抜けると赤い絨毯の敷かれた別の回廊に出て、両側に扉が並んでいます。客人専用の棟まで来たんだと思うと、僕の頭の中はますます白くなっていきます。 


 カーネルさんが扉の一つを叩き、僕の緊張は頂点に達しました。ど、ど、どうしよう。足がガクガク震え、手にしたモップがプルプル揺れています。こんな状態で、侯爵と話ができるんでしょうか。


 でも、やらなければ。まずは説得……いえ違う。説得の前に相手の話を聞いて、本当に結婚に乗り気なのかどうか確かめなくては。それも違う。最初は自己紹介でしょう。丁寧に、男爵家の名に恥じぬ挨拶をして、それから話を……。


 「入れ」と部屋の中から声がしてカーネルさんが扉を大きく開き、僕はモップを両手で握りしめ室内に駆け込みました。

 さほど広くない部屋です。豪華な調度品も華やかな内装も、僕の目には入りません。窓際に置かれた机に向かっていた紳士が、振り返って僕を見た瞬間、僕は叫びました。


「ぶっ殺すぞっ!! ……あ?」


 ……え? ええええ――――っっ! 僕の用意周到な計画がっ。どうしてもどうしてもどうしても駄目な時の、最後の最後の最後の手段を真っ先に使ってしまった!!!


 どうしよう、どうしよう、どうしよう。落ち着け、エメル。ここで挫けたら、恥をかいただけで終わってしまう。突如不利に陥った体勢を挽回するため、僕は気合で脳みそをかき回しました。


「えっと、その、僕、エメル・フォン・リーデンベルクですっ」


 そうそう、まずは自己紹介です。それから……何だっけ。


「あの、あの、僕、……結婚しません!!」


 とにかく自分の意思を、はっきりと伝えることです。よし、やれた。次は、僕の意思の固さを伝えなければ。


 レオンさんが拳闘の試合で見せる、相手を威嚇するような表情を真似て、僕は思いっきり怖い顔をしました。唇をキッと引き結び、ぐっと眉根を寄せ、唖然としている侯爵を睨みつける。よし、決まった。


 侯爵は咽喉が詰まったような声を出し、やがてそれは高らかな笑い声へと変わって行きました。座ったまま片手でお腹を押さえ、片手で片眼鏡をはずし、肩を震わせています。


 ……笑われた。僕は大の男が震えあがるほど怖ろしい顔をしているはずなのに。何で?


 若き侯爵はおもむろに立ち上がり、静かな足取りで僕に近づいて来ます。赤銅色の短髪が豊かにうねり、黒い目が鋭い。はっとするほど端整な顔立ちは、どことなく初めて会った頃のレオンさんを思い出させます。あの怖かったレオンさんを。


 スーツの形がトライゼンの紳士たちが着ている物と微妙に違っていて、アメルグ製のスーツだと気がつきました。遥か海の彼方の国アメルグで仕立てられたレディメイド(既製服)のスーツが、近年トライゼンにも入って来ていますが、お洒落なトーニオさん曰く「物足りない」のだそうです。


 トライゼンや近隣諸国で着られるスーツは肩パッドが入っていて、かっちりとした硬い作りになっているのに比べ、侯爵が着ている物はしなやかで柔らかそうです。


 最新流行のストライプのタイをゆるめ、シャツのボタンをはずした姿は退廃的にも乱れ姿にも見えます。この人はわざわざ海の彼方まで放蕩をしに出かけ、さんざん悪い遊びをして飽きたから帰って来たんだなっと僕は思いました。




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