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アップルケーキに愛をこめて  作者: セリ
アップルケーキに愛をこめて2 ~ギムナジウム入学篇~
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4  王国の暗部  Ⅱ


 学生と拳闘士とバウマンの手下たちが入り乱れて殴り合い、波に呑まれるように見え隠れするレオンさんの姿が遠ざかるにつれ、真っ赤な怒りで爆発しそうになる僕の頭。


「戻って! どうしてこんな事するのっ」


 レオンさんが、すぐそこにいるのに。レオンさんと一緒に家に帰れるところだったのに。ひどい。

 馬上でフォルクさんと向かい合い、フォルクさんの胸を叩き足を振り上げてお腹を蹴っ飛ばし、手足を振り回しながらどこに噛みついてやろうかと視線を走らせました。


「噛みつくのは勘弁してくれよ、子猫ちゃん。落ちると怪我するよ」


 僕の心を読んだみたいにフォルクさんは言い、暴れる僕を押さえるように片腕で強く抱き、腹立たしいことにおまえなんか道端の石だぜって言ってるみたいに笑っています。


「今頃、俺の仲間は引き揚げに掛かってるはずだ。レオンがあの場を脱出できたら、アレクとの取引場所を教えてやるつもりだ。いや、脱出して貰わないと困る」


 何言ってるの? 


「アレクさんとの取引場所をレオンさんに教えたって言ってなかった?」

「これから教えるところさ」


 フォルクさんは何でもないことのように言い、僕の頭にまたもや血が昇りました。


「嘘つき! もう信じない。あなたなんかもう絶対に信じないっ」


 フォルクさんの腕を振りほどこうとしたけど逆に力一杯抱きしめられて、息が出来なくなった僕の神経を逆撫でしながら、楽しそうな笑い声が夜の帳に消えていきます。


 睫毛をぷるぷる震わせ涙をこらえ、フォルクさんの肩越しにぼんやり浮かぶ倉庫群を見やりました。

 レオンさん、大丈夫かな。マテオさんやブルーノさんや他のみんなも。どうか無事でいて。


 僕の気持ちも知らず、馬は用水路沿いに東に向かって軽快に走り、『東地区初等学校改築工事現場』と看板の立った場所に入って行きました。


 建物は取り壊しの最中のようで、崩れた壁にもたれ暇そうに座っていた男たちが、フォルクさんを見るなり立ち上がり歩み寄って来ます。


「首尾は?」


 人相の悪い男の一人が馬の口を取りながら尋ね、フォルクさんが「まずまず」と答えて馬から降り、僕を抱きおろしました。

 別の男が僕に毛布を掛けてくれて、よく見ると皆とても若いんです。


「大勢集めてくれたから助かったよ。お蔭でフィアの連中に邪魔されることなく、ここまで来れた」

「一高の奴ら、貴族を叩きのめせるって喜んでたぜ」


 男たちの会話から推察するに、ここにいるのは第二高等学校、即ちフォルクさんと同じ学校の生徒のようです。


 殆どの平民の子供は初等学校か中等学校を終えると働きに出るので、高等学校の入学者数は少なく、卒業する者は更に少ないんです。

 レオンさん達に襲いかかったのは第一高等学校の生徒のようで、一高は貧民街の近くにあります。


 恨むに値する貴族もいるだろうけど、すべての貴族が悪いわけじゃないのに……。


 そんな事を口にできるわけもなく、僕が毛布にくるまって固くなっているとフォルクさんが寄り添い、しきりに手を振り仲間を追い払っています。


「汚い手で触るなよ」

「見るぐらいいいだろ。おかしな恰好してるが、可愛いじゃねえか」

「見るのも禁止だ」

「おいおい……」


 仲間内の冗談らしく皆笑っていて、その中に僕はもちろん入れません。ぼんやり前を見ながら実際には何も見ていなくて、立ち竦んだまま何とか脳を働かせようとしていたんです。


 フォルクさんは何をする気なんでしょうか。僕をアレクさんに売り飛ばすつもりらしいけど、レオンさんの関与も望んでるみたいだし……。

 

 そうしているうちにカンテラがちらちら光り馬が一頭走り込んで来て、フォルクさんの仲間らしい若者が馬から降りながら早口でまくし立てました。


「バウマンの奴、尻尾を巻いて逃げ出したぜ。一高の連中が見境なくバウマンの手下どもを殴り始めたから、収拾がつかなくなったんだ。フィアの糞どもは、血眼になってその子を探してる。どうする?」


 若者が僕をちらっと見て、僕は奥歯を食いしばりました。

 レオンさんが僕を探してくれてる――――。レオンさんにこれ以上心配を掛けないよう、何とか自力で逃げ出さないと。


 フォルクさんはポケットから懐中時計を取り出して時間を確かめ、

「予定通りだな」

 そう言って若者に時計を放りました。


「きっかり30分後に、この場所をレオンに教えてやれ」

「わかった」


 寒さがしんしんと沁みてきて、毛布を頭から被ったけれど少しも暖かくならなくて、僕はその場に座り込みました。

 フォルクさん達は何やらひそひそと打ち合わせをしていて、時折僕の方をちらっと見ます。


 信用できないフォルクさんと知らない人達。その上モップや代わりになる物も見当たらず、体じゃなくて心が寒い。

 強くなったと思っていたけれど、勘違いでした。怖くて心細くてたまらない――――。


「明け方までには家に帰れるよ」


 フォルクさんが近づいて来て言ったけど、僕はもう彼を信用しないことにしたから、思いっきりしかめっ面で睨んでやりました。

 苦笑から真剣な表情へと変わっていく、フォルクさんの顔――――。


 僕の腕を引いて立ち上がらせ、仲間から離れた暗闇に連れて行き、びくびくし始めた僕の肩を抱き寄せて、フォルクさんは僕のこめかみに額を押しつけたんです。


「この先おまえに近づくのは難しくなるだろう。貴族の令嬢と平民の男だもんな」

「僕はベネルチアの馬の骨でパパの結婚でたまたま貴族になって、あなたはトライゼンの馬の骨で一生ならず者のままで、そんなの最初っから分かってることじゃないですか」


 僕は心細さを怒りに変え、フォルクさんはくくっと笑って睫毛を伏せました。


「その小生意気な罵りをずっと聞いていたいよ。ロータスの花が咲けば、望みは叶う」


 またロータスですか。花束を持ったフォルクさんは妙にしっくりくるけど、そんな幻想に僕は騙されません。


「レオンが何でバウマンの裏帳簿を盗んだのかが分かれば、もっと周到な計画が立てられるんだけどな。教えてくれ、砂糖菓子ちゃん。何を隠してる?」

「何も……」


 フォルクさんは僕の顔をのぞき込み、その顔が真剣だったから僕はびくっとしました。


「ほんとに何も……。あなたの方こそ何を隠してるんですか。僕を売り飛ばしたら、レオンさんやトーニオさんが黙ってませんよ。僕のパパやお母様だって」


 どうしてこんな大騒ぎになってしまったんだろうと、涙ぐみそうになります。


「黙ってはいないだろうが、大声は出せないだろう。出せるならとっくに警察部隊を呼んでるよ。それが出来ないのは、レオンの側にやましい事があるからだ。だろ?」


 脱獄犯をかくまってるから――――。

 だからレオンさんは警察に知らせず、フィアの学生だけでバウマンに立ち向かったんです。


 僕が捕まったりしなければ、レオンさんの足を引っ張ることもなかったのに。

 そう思うと泣きそうになり、フォルクさんの顔を見上げ、ううん違うと思い直しました。


 フォルクさんが僕を捕まえたりしなければ、こんな騒ぎにはならなかったんです。

 悪いのは、こいつ――――。


 怨念をこめてフォルクさんを睨みつけたけれど、僕の怨念はぴよぴよヒヨコのように鳴きながらフォルクさんを素通りし、塵となって消えました。

 フォルクさんはくすっと笑って僕の頬をぽんぽんと叩き、甘い声で言うんです。


「まずは堂々と男爵家の門をくぐれる資格を手に入れる。その後、おまえを手に入れるべく努力する」

「は……?」


 何言ってるの。前も後もなく、フォルクさんみたいな与太者がくぐれるのは牢獄の門ぐらいなのに。

 

「まずは型通りに花を送り、高級レストランに誘い、食事が終わったら……どこに連れ込まれたい?」

「まっすぐ家に帰ります。その前に信用できない人と出かけたりしません」


 僕が真面目に答えると、フォルクさんは声を上げて笑いました。


「来たぞ!」


 見張りをしていた男の声がフォルクさんの笑い声にかぶさり、馬車の止まる音がして男たちが校門から入って来ました。

 中央に、黒いビロードのマントをまとった若い紳士がいます。アレクさん……?! 


 アレクさんの両隣にはペテルグ公爵邸で会ったカールさんとフランツさんがいて、僕はいよいよアレクさんに売られるんだと思い、逃げ道はないかと目だけを動かして周囲を見ました。


「やあ、エメル君。また会えて嬉しいよ」


 記憶通りの陰湿な目つきで僕をみるアレクさんは、クリームで固めてあるのか後ろに流した暗茶色の髪が月光を受けてきらきら光っています。


 僕はちっとも嬉しくない。 

 声に出して言う代わりに口元を引き結び、きつい視線を向けたけれどアレクさんは薄気味悪くにやりと笑っただけで、フォルクさんに尋ねました。


「エメルは死んだことにしてくれるんだろうな」

「代わりの死体が見つからなくてな。バウマンの手下が遠国の娼館に売り飛ばしたって噂を流しておくよ」


 死んだことにする? 遠国の娼館……? 僕の知らない所で僕の運命が決まったようで、凍りついてしまいました。


「こっちは何も知らない、関わりがないで通すからね。そのつもりで」

「どうぞ。……金は?」


 アレクさんの合図でカールさんが進み出て、アレクさんとフォルクさんの間に革袋をどさりとおろしました。

 後ろではフランツさんが、にやにやしながら僕を見ています。


「確かめさせてもらう」

 

 フォルクさんが言い、僕の横にいた男がカールさんに眼を飛ばしながら前に出て、革袋の中に手を突っ込みゆっくりと探りました。


 金貨を1枚取り上げて歯で噛み、のろのろと袋の中を探ってもう1枚を手に取って噛み、うなずきます。


 僕を買うお金――――。幾ら入っているのか想像もつかないけれど、僕はお金で買われる――――。

 そう思うと涙があふれそうになり、必死の思いでくい止めました。こんなことぐらいで、泣くもんか。


 フォルクさんは半分壊された校舎の上をちらちら見ていて、その視線をたどって校舎を見上げると、カンテラの灯りが揺れています。


 軽く手を上げ僕に向き直り、涙が溜まっているに違いない僕の目をじっと見て、フォルクさんが顔を近づけて来ました。


「……もうじきレオンが来る。無事でいてくれ、エメル」


 かすれた声が耳をかすめたと思った次の瞬間、フォルクさんの唇が素早く僕の唇に重なって、目を見開く僕にくるりと背を向け、フォルクさんは金貨の入った革袋をつかんだんです。


「ひ……」


 突然の出来事に僕の脳は麻痺し、体は硬直して小刻みに息を吸うことしか出来なくて、声が出ません。

 ようやく働き始めた僕の脳が、一つの言葉を吐き出しました。

 ファースト・キス――――。僕の大切な、ファースト・キス――――。


「きゃああぁぁぁあああ――――っっ!!!」


 渾身の力をこめて僕が叫んだ時には、フォルクさんは革袋を抱えて馬に飛び乗り、「引き上げるぞっ」と大声を上げていました。


 フォルクさん達は入って来た時とは別の方向に向かって駆け出し、僕はフランツさんに羽交い絞めにされ、動けなくなってしまったんです。


「いやだああっ、きゃぁああっ、離してっ、いやだああぁぁああっっ!」


 校門の方角から数多い馬の蹄音が聞こえ、すぐにレオンさんの姿が見えて、

 

「レオンさん! レオンさん!」


 必死に声を上げるとレオンさんは馬からフランツさんの上に飛び降りて僕を引ったくり、片手で僕を抱きながらフランツさんを蹴り上げました。


「エメ、大丈夫か」


 僕をのぞき込む黒い瞳が優しくて懐かしくて、うなずく事しか出来ません。

 僕を腕の中に置きながら、レオンさんは向かって来る敵に次々と蹴りを入れています。

 いきなり銃声が鳴り響いて僕は飛び上がり、見るとアレクさんが銃を構えています。


「また銃か」


 レオンさんはそう言ってマテオさんに向かって僕を押し出し、マテオさんは僕を自分の背後に隠してしまいました。


「こっちも銃だ」


 ブルーノさんがアレクさんの背後に立ち、アレクさんの頭に銃を突きつけています。


「フォルクと何の相談をしてたんだ。レオンの妹が、何でおまえなんかと一緒にいるんだ」

「エメルをフォルクから助け出してやったんだよ」


 アレクさんがぬけぬけと言い、僕は思わずマテオさんの後ろから飛び出しました。


「嘘ばっかり。僕をお金で買おうとしたくせに。フォルクさんに渡した革袋には、いくら入ってたの」

「はした金さ。あいつには逃走資金を貸してやったのさ」


 銃で頭を小突かれ怒りで顔を引きつらせながら、アレクさんは自分の銃を上着の中に仕舞い込み、憎々しげに片方の口端を上げました。


 ――ひどい。僕は、はした金で買われようとしたの?


「レオン。おまえもいよいよヤバくなったら、はした金を貸し付けてやってもいいぞ」


 僕はその時ようやくフォルクさんの真意に気づきました。

 フォルクさんは、最初からアレクさんを騙すつもりだったんだ――――。

 僕をアレクさんに渡すつもりは、なかったんだ――――。


 気づいたのは、僕だけじゃないみたいです。

 怒りと屈辱を虚勢で覆い隠し、自尊心を取り戻そうと懸命になっているアレクさんは、滑稽です。

 

 そうしてアレクさんは無理して胸を張って帰って行き、僕はほっと息をついて、レオンさんの仲間たちを見回しました。


 どの服も泥まみれで、破れたり血が付いたりしています。手足に怪我をしている人、顔に痣を作っている人。


「ありがとうございました」


 僕は自然な気持ちで頭を下げ、レオンさんの仲間たちは目を丸めて顔を見合わせています。


「どういたしまして。下僕めに何なりとお申し付けください、お姫様」


 ブルーノさんが茶目っ気たっぷりに言い、皆がどうっと笑って僕もつられて笑いました。


「笑えるなら大丈夫だな。安心したよ」


 レオンさんが手を差し出して、僕はレオンさんの肩に頭を乗せました。レオンさんの左腕が僕を包み、掌が僕の頭をぽんぽんと叩いたり撫でたりします。

 

 それはレオンさんだけが出来る仕草で、そうされている間、僕はレオンさんの弟気分になれるんです。


 リーデンベルク家三兄弟の末っ子、とっても強い男の子のエメルになれる。

 しかも安心できる、居心地のいい場所。


「家に帰ろう」


 レオンさんが僕に囁き、皆を見渡して頭を下げました。


「俺からもありがとう。『ヤークト』で一杯飲んで帰ってくれ。俺のおごりだ」

「エメルちゃん、顔を見せて」


 マテオさんがくりくりした目で僕の顔を真剣に見つめ、すぐに顔をほころばせました。


「傷一つないね。良かったー。『ヤークト』って言えば、ボタン受け取ってくれた? 青紫の貝殻のボタン。『ヤークト』で落ちてるのを見つけて、トーニオに渡しておいたんだけど」


 時が止まったような気がしました。

 レオンさんの顔が僅かに強張り、すぐに感情のない無表情に変わっていきます。


 ボタン。トーニオさん。ボタン。トーニオさん。


 僕の頭の中で、つながるはずのない2つの言葉がぐるぐる回っていました。






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