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アップルケーキに愛をこめて  作者: セリ
アップルケーキに愛をこめて2 ~ギムナジウム入学篇~
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4  王国の暗部  Ⅰ

 馬に乗ったフォルクさんの前に座らされ、シーツで頭からすっぽりくるまれて、僕はクラレストの『貧民街』と一括りにされてしまう地域を進みました。


 貧しい家々が並ぶ狭い通りはお世辞にも清潔とは言い難く、粗末な服を着た子供たちが駆け回り、お年寄りが所在無げに座っています。


 右側に耳ピアスの男、後ろに太った大男の乗る馬がぴったり張り付いて、大男は太ももに血の滲んだ布きれを巻いています。


 ユリアスさんを警護する男たちに追われて逃げて来て、もう一人痩せた男がいたはずですが、腕の骨を折ったので医者の家に置き去りにしたとか。


「バウマンには俺が話をする」


 フォルクさんが言い、耳ピアスの男は気色ばみました。


「ふざけるな」

「バウマンのことだ、この娘を男爵家に買い取らせる腹だろうが、俺はもっと高値で買いそうな奴を知ってる」

「誰だ」

「直接バウマンに話すと言ってるだろう」


 フォルクさんの声が恫喝するように低く響き、耳ピアスの男は怒りに顔を引きつらせて黙りました。

 

 僕を買い取らせる――――僕は売られる。

 フォルクさんは僕を家に戻さず、誰かに売り飛ばすつもりなんです。いい人だと思ったのに、間違いだった……。


 どうしよう。ここで暴れても逃げ切れないかな。僕を高値で買いそうな奴って誰だろう。

 そんなことを考えていると、フォルクさんが僕の耳元で囁くんです。


「心配しなくていい。俺が食べるまで誰にも渡さないよ」


 また『食べる』話ですか。僕を売るとか食べるとか、僕の気持ちなんかお構いなしに何言ってるの。

 目をぱちぱちさせて涙を押しとどめ、いざとなったら闘おうと僕は決意しました。


 いくら貧相な子牛だって、意地があるんです。大人しく食べられたり売られたりなんか、するもんか。でもその前に、モップを探さないと。


 きょろきょろしているうちに馬は裏通りから別の通りに入り、歌劇場の前に出ました。

 ガス灯が狭い間隔で並び、夜は眩しく賑やかだろうけれど、午前中のこの時間は人も少なく閑散としています。


 この辺りはアンナさんが話していた『夜の歓楽街』に当たるのではないか、見知った人はいないか逃げ道はないかと見回したけど徒労に終わり、馬は瀟洒な煉瓦造りの建物に入って裏庭で僕は降ろされました。


 フォルクさんに抱きかかえられるようにして建物の中に入ると酒場のようで、目つきの悪い男が床を掃除しています。

 2階に上がる階段横の部屋で紳士たちが、こんな時間からお酒を飲みながらトランプに興じています。

 

 カード賭博――――。

 ここ、賭博場なんだ――――。


 3階まで上がり、僕は小さなサロンのような部屋に一人残されました。

 革張りのソファもマホガニーの家具も豪華だけれど、温もりのない部屋です。


 部屋中探したのにモップやそれに代わる物を見つけられず、がっくり肩を落としてソファに沈み込んでいると、フォルクさんが入って来ました。

 何だか機嫌が良さそうで、僕を売り飛ばす話がまとまったのかな――――。

 目を細めて咎める視線を送ると、フォルクさんは僕の隣に座り、にやりと笑いました。


「そう怒るなって。おまえの為に俺は行動してるんだ」


 どうだか。


「おまえを買い取る金は、アレクが用意する。手紙を書いて届けさせたら、結構な値段なのに了承の返事が来たよ」

「アレクさん――――ペテルグ公爵家の?」


 カミーラさんのお兄さんの? アレクさんが、どうして僕を買うの?


「今頃あいつ、ベネルチアの別荘辺りに君を監禁する計画でも練ってるんじゃないか」

「そんな! ……いやです。僕、いやです」

「いいかい、砂糖菓子ちゃん。ここには何にも考えずに人を殺すような連中が、ごろごろいる。おまえの兄貴たちだって、ここに踏み込んだら無傷じゃ済まない。アレクの取り巻きも似たようなもんだが、ここの犯罪者どもよりはマシだ」


 フォルクさんは僕の耳に口を寄せ、囁きました。


「おまえの兄貴に、アレクとの取引場所を知らせておいた」

「えっ」

 

 満足そうに微笑して見下ろすフォルクさんの顔を、僕はまじまじと見ました。よく分からない人です。この人、敵なのか味方なのか……。


「だからね、砂糖菓子ちゃん。褒美をくれ」


 フォルクさんの腕が親しげに僕の肩に回されて、僕は腕を持ち上げて元に戻し、フォルクさんを睨み上げました。

 まだ信用すると決めたわけじゃない――!


 フォルクさんは声を上げて笑い、僕の頭を抱き寄せて額にキスをするんです。

 僕の脳裏に哀れな子牛が復活しました。額に紙――――「おでこ、フォルクさんがお買い上げ」

 ソファの端まで逃げ、僕はびくびくしながら精一杯フォルクさんを睨みつけました。


「助けてくれるつもりがあるなら、警察部隊に知らせてください。そうしたら……」

「却下。警察とは絶交中なんだ。とっても仲が悪いんだよ」


 そうでしょう。仲良しには見えません。


「それじゃ、僕を逃がしてください。ここから」

「それも却下。バウマンを敵に回すと厄介だ。ところでさ。昨夜バウマンの金庫が荒らされたらしいんだけど、もしかしてレオンが何かした?」

「荒らされた……?」

「バウマンがちまちま書いていた裏帳簿が盗まれたらしい」

「裏帳簿……」

 

 アルットさんと何か関係があるんでしょうか。アルットさんは賭博業者に借金があったと言われてるけど。


「それが原因で、おまえは誘拐されかけたと思ったんだが」

「誘拐?!」


 耳ピアスの男たちは、ユリアスさんと僕をさらう気だったんです。すると裏帳簿が盗まれたことに、ユリアスさんやレオンさんが絡んでる?


「僕……分かりません」


 賭博業者をつつくと言ったレオンさんの言葉がよぎったけれど、そんな事をフォルクさんに話せるわけもなく、僕は黙ってうつむきました。


「疑われてるのはレオンだけじゃないけどな。商売敵だのバウマンに借金してる大物貴族だの片っ端から洗って回ってるよ、バウマンの奴。よっぽど公表されては困ることを書いてたんだろう」


「レオンさんは関係ないと思います。だって裏帳簿を盗む理由がないもの」


 僕がおどおどしながら言うと、フォルクさんの瞳がまたたきました。


「フレデリクが宝石泥棒だって話、聞いてる?」

「フレデリクさん……って未来のペテルグ公爵でしょう?」

「堅固な貴族邸に忍び込んで宝石を盗み、さらに堅固になったところでもう一度忍び込んで盗んだ物を返すのが趣味だったらしい」


 僕は口をあんぐりと開けました。返すなら何のために盗むんでしょうか。……趣味?


「ムカツク話さ。貴族の坊やのお遊びだな。レオンもフレデリクと一緒に何度か盗みに入ってるはずだ。レオンの子分のブルーノやマテオも。だから今回、犯人の中にレオンの名が挙がった。夕べ、店に客としてブルーノが来てたって証言もあるし」


 レオンさんが……泥棒?! 衝撃が僕の体を突き抜けました。でも盗んだ物を返してるなら、許されるかも。


「えっと、でも、さっき言ったように盗む理由がないので……」

「それなんだよなあ」


 フォルクさんはソファの肘掛にもたれかかり、指でこめかみを叩きました。


「バウマンの野郎も何か隠してるよなあ」


 フォルクさんのチョコレート色の瞳が、窓からの日差しを受け金色に輝いています。

 短い間隔で瞬きし、何かを目まぐるしく考えているようで、僕はだんだんフォルクさんという人が怖くなってきました。

 何を考えているのか――――得体の知れない人。


 その後フォルクさんは用があるからと出て行き、僕はまた一人残されてしまったんです。




 


 夜になり、裏庭に引き出された僕は、2,30人ほどいるであろう悪相の男達の間を歩き、馬車に押し込まれました。

 小柄な紳士がステッキに両手を置いて座っていて、


「グスタフ・バウマンだ。挨拶が遅れてしまって申し訳ないね」


 と帽子を軽く持ち上げました。この人が、賭博業者のバウマン……。

 黙って会釈を返したけれど、僕を見る目つきがじっとり湿っぽくて気味悪くてたまりません。


「クレヴィング卿が、君と引き換えに私の帳簿を返すと言ってくれてね。嬉しいかぎりだよ」

「あの、レオンさんが帳簿を盗んだんですか?」

「そうなるね」


 そう言って笑っているけれど、目が笑っていません。

 もしかするとこの人は、レオンさんをひどい目に合わせようとしてるんじゃ……。そう思うと、体が凍りついたように硬直してしまいます。

 いっそ、レオンさんが来なければいいのに。

 

 そんな僕の思いを嘲笑うように馬車は出発し、複数の蹄の音が夜のしじまに響きました。

 窓のカーテンの隙間からガス灯の眩しい光が見え、貧しい人たちのうらぶれた通りが目に入って来ます。

 

 やがてガス灯が見えなくなり、暗い夜道を長時間進んだような気がした頃、馬車は停まり僕は降ろされました。

 見覚えのある倉庫群に囲まれて、月光に照らされた男たちがいます。

 

 先頭にレオンさんが立っていて、僕は目を見開きました。レオンさん、来てくれたんだ。僕を助けに来てくれたんだ――――。

 今朝別れたばかりなのに長身で細身の姿は懐かしく、僕の涙を誘います。


「レオンさん!!」


 思わず叫び駆け寄ろうとしたけれど、バウマンの手下に腕をつかまれ動けなくなってしまった。


「エメル!」


 レオンさんの声が僕を温かく包み、僕はレオンさんに会いたかったんだと自分のことなのに今更のように気づきました。

 川風がレオンさんの柔らかそうな黒髪を煽り、黒い瞳が月光に照り映えています。

 涙にくれる僕の隣で、バウマンが冷徹に言い放ちました。


「クレヴィング卿。例え貴族であれ、盗みは罪だぞ」

「文書偽造はどうなんだ」


 レオンさんが言い返すと、バウマンは咽喉を鳴らすようにして笑いました。


「言いがかりもほどほどにな」

「釈明は、俺の妹を返してからだ」


 レオンさんの背後には拳闘士らしい筋骨逞しい大人が3人いて、周囲をフィアの学生らしい若者が取り囲み、マテオさんとブルーノさんの姿も垣間見えます。


「先に帳簿を渡せ」


 バウマンの声をかき消すように、雪崩れ込んで来た若者の群れ。


「レオンを叩きのめせ!」

「やめんか!」


 高等学校生でしょうか、バウマンの制止も聞かず突入し、レオンさんを囲むフィアの学生とがっつりぶつかって、取っ組み合いを始めました。

 拳闘士らしい男たちが次々とバウマンの手下を排除し、それを尻目にフォルクさんが僕に向かって凄まじい早さで駆けて来ます。

 あっと思う間もなくフォルクさんに担ぎ上げられ、僕は怒りにまかせてフォルクさんの背中を思いっきり叩きました。


「何するのっ」

「悪い。あと少しだけ付き合ってくれ」


 フォルクさんの肩の上で暴れながら、レオンさんを探しました。


「エメル!」


 レオンさんは周囲の男たちを殴り倒しながら僕に向かって声を上げ、でも行く手を阻まれて前に進めないでいます。


 フォルクさんは僕を抱えたまま馬に乗り、馬はフォルクさんと僕を乗せて、乱闘から逃れるように闇を突っ切り駆け出しました。





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