2 僕の仕事は用心棒と……愛人? Ⅲ
「裏庭から教室を見たけど窓にカーテン掛かっててよく見えないし、従妹に頼んで君を呼んでもらおうと思って広間で隠れてたら、君がやって来たの。会えて良かったあ」
「僕もお会いできて嬉しいですけど、どうしたんですか、その恰好……」
僕はマテオさんの金髪のかつらや、小さなリボンが沢山ついた華やかなピンクのドレスをまじまじと見ました。
どこから見ても美少女に見え、顔中についていた小さな傷はクリームを塗ったんでしょうか、目立たなくなっています。
「もちろん、君の様子を見に来たんだよ」
マテオさんは愛らしい顔でにっこり笑い、僕の隣に腰かけ、僕の顔をのぞき込みました。
「もしかして泣いてたの? 何かあった?」
心配なのは、マテオさんの方です。女子の帝国に、男子が女装して潜入していいんでしょうか。
でもマテオさんの表情は心から僕を案じてくれているようで、胸がじんとします。
「学校が豪華過ぎて、僕なんか場違いみたいで……気持ちを落ち着かせていたんです」
「エメルちゃん、広間の天井に描かれた天使みたいで、全然場違いに見えないけどなあ。やったらめったらきらびやかだって言うのは、賛成。本館はもっと凄いよ。初めて本館に入った時、目がチカチカして貧血を起こしそうになったもん」
マテオさんはそう言って笑い、僕も思わず笑ってしまいました。
「実際、何度も貧血起こしてぶっ倒れたんだ。小さい頃、体が弱くってね。フィアも休みがちで。通学路にあった拳闘ジムをのぞいて、こういう所に通ったら丈夫になるのかなあなんて考えてたら、いきなり襟をつかまれて中に連れ込まれたの。連れ込んだ奴が、レオンだった。体はいたわるもんじゃない、鍛えるもんだなんて言ってさ。あの頃僕はレオンが怖くって、喧嘩は強いし上級生にも一目置かれてるし、逆らうなんて露ほども考えられなかったんだ。言いなりになってるうちに、気がついたらレオンと一緒に殴り合いの喧嘩をしてぶっ倒れるようになってたよ。同じぶっ倒れるでも、貧血でぶっ倒れるより喧嘩でぶっ倒れる方が、男として恰好いいと思わない?」
「え……」
結局ぶっ倒れるんだから同じだと思います……と言える雰囲気でもなく、マテオさんにとっては明らかに違うみたいで、僕はうなずくことにしました。
それにレオンさんの話を聞けたのが嬉しかった。レオンさんはきっとぶっきら棒なやり方で、体の弱いマテオさんを気遣ったんだと思う。
「レオンさんとは長いお付き合いなんですね」
「5年になるかなあ。……ところで、女子クラスの愛人というのは親友を意味してるって話、聞いてる?」
「えっ! そうなんですか?!」
「あ、やっぱり説明されてないんだ」
マテオさんは顔をしかめ、舌打ちしました。
「ユリアスの奴。そういう大事な部分を先に話してくれないとなあ」
「ユリアスさん、色々と忙しそうだったから……。でも、そうなんですか。ちょっと安心しました」
ちょっとどころじゃありません。ものすごく安心して、肩の力がすっと抜けました。
「もともとは貴族の子女が慣れない学校生活を始めた頃、互いに助け合えるようにと始まった女子クラス独特の制度だったんだよ。誰かが遊び半分で親友を『愛人』と呼んだことから、そのまま定着してしまった。色々と特殊な文化があるからね、女子クラスには。僕らには見えない部分がたくさんあって、さすがのレオンも不安になったんだろうね。今朝教室に入るなり、姉と妹が女子クラスにいるって奴に、女子クラスの現状について話を聞いたんだ。レオンとトーニオとブルーノと僕がその場にいたけど、僕ら女子クラスとは全然縁がないし、トーニオは王宮の女官にはやたら詳しいけど、年の近い女の子には興味ないみたいで全然知らないって言うし」
そこまで話し、マテオさんは困ったように視線を落としました。
「それでね、女子クラスの『愛人関係』は『親友関係』をさすんだけど、ごく稀に本物になった例が過去あったらしい」
「本物って……?」
「うん……つまり……そういうこと」
マテオさんの顔がピンク色に染まっています。
「ユリアスについてなんだけど、春のパーティーの時、リーザとキスしてるのを見たって奴がいるらしい」
「キス……額に?」
額にキスなら、僕もされたけど……。
「そういうんじゃなくて、本物のキス。つまり……」
マテオさんは言いにくそうで顔が赤くなっていて、僕の顔まで熱くなって来ました。
「ということは、ユリアスさんは……ユリアスさんとリーザさんは……」
「本物かもしれない。噂だから、確かではないけどね。それでレオンとトーニオは今日の放課後、愛人関係の解消をユリアスに申し入れることにしたんだけど、トーニオは珍しく顔色を失くしてるし、レオンといったら……」
マテオさんが、首をゆっくりと振ります。
「あんなに狼狽したレオンを見たの、初めてだよ。男子クラスは朝から授業があったけど、心ここにあらずって感じでね。見るに見かねて、学校の備品室にあった仮装用の衣装をみつくろって、僕が君の様子を探りに参上したってわけ」
「ありがとうございます、じゃなくて、ご心配をおかけしました。でも、僕、大丈夫です。マテオさんこそ、大丈夫なんですか。女子クラスに潜入したってバレたら、困ったことになりませんか?」
「――なる」
そう言って溌剌と笑うマテオさんを、僕は呆気にとられて見ていました。
「レオンさんは知ってるんですか? あなたが女装して別館に潜入してることを」
「言ってないよ。言えば口では『やめろ』、心の中では君の様子が知りたくてたまらない、そんなますます困った状態になるのは目に見えてるから」
悪戯っぽく笑い、僕に片目をつぶって見せるマテオさん。
「君は元気そうだったと伝えれば、レオンの心配症も少しは癒されるだろう。それじゃ、僕は報告に戻るから」
衣擦れの音と共に立ち上がるマテオさんに合わせ、僕も立ち上がりました。
「どうやって戻るんですか? 門には守衛さんがいるはず……」
「何とかなるよ。来る時は、遅刻したふりをして走り抜けたから」
「でも、走って門から出るのは不自然ですよ? きっと見咎められると思うんです。えっと……僕が一緒に行きます。本館で入学の手続きがあるってことで、マテオさんは道案内の女子学生ということで。守衛さんに聞かれたら、何とか僕がごまかします」
僕を心配して女装までして来てくれたんだから、マテオさんを無事に送り届ける義務が僕にはあると思うんです。
「それはどうかなあ。もし見つかったら、普段から問題児の僕はまったく問題ないけど、君に罪をかぶせることになる。駄目だよ」
「きっとうまく行きますって。まかせて」
僕はすっかり元気を取り戻し、とんと胸を叩きました。
僕には心配してくれる人たちがいる。そう思うと元気になれるし、その事を知らせてくれたマテオさんに感謝の目を向け、モップをつかみました。
「それ、いつも持ってるの?」
面白そうにモップを見て、マテオさんは顔を引きつらせています。
「はい。学校にいる間は。僕の唯一の武器ですから」
そうして僕はマテオさんと並び、胸を張って門に向かったんです。
「マテオさんって、よく女装するんですか?」
「まさか。これで2度目。1度目は仮装パーティーの時で無理矢理だったけど、今回はレオンのためでもあり、僕自身君が心配だったというのもあるよ。ユリアスってどこか得体がしれないし、女子クラス自体謎めいてるし……。本当に大丈夫だった? 嫌な思いしなかった?」
「はい。本当に大丈夫です」
マテオさんの優しい目に癒されて僕が笑顔で答えると、マテオさんは僕の顔を食い入るように見つめ、突然うつむいて髪をかきむしりました。
マテオさんの指が動くたびに金髪のかつらがユサユサ動き、落ちるんじゃないかと僕は気が気じゃありません。
「畜生、エメルちゃん、ほんとに可愛いよ。女の子に興味のなかったレオンが夢中になるはずだ。でも気をつけて。レオンのファンの女の子たちに恨まれるかも」
「それも大丈夫です。レオンさんは僕を妹だと思ってくれてるし、僕はカカシだし」
「カカシ……?」
マテオさんの不思議そうな表情に、僕は嫌な思い出を話さざるを得なくなりました。
「僕のあだなです。カカシって呼ばれてました。痩せっぽちで髪がボワッとふくらむから、マッチ棒とも。あと目が大きいからカエルとか、金魚とか」
「信じられない。本気で自分がカカシや金魚に似てると思ってる?」
「はい。毎朝姿見を見ますけど、カカシみたいだなあって思います」
マテオさんは驚いたように僕をまじまじと見て、僕はマテオさんの審美眼はおかしいと思いました。
僕よりマテオさんの方がずっと可愛いのに、自分の顔を見慣れてるはずなのに、僕が可愛く見えるなんて変です。
マテオさんが突然僕の両肩をつかみ真剣な顔を向けたから、僕は飛び上がりそうになりました。
「僕を信じて。君は、すっごく可愛いよ。ブルーノから聞いたけど、王宮舞踏会では君の美少女ぶりが評判になってたらしい。カミーラは色っぽいけど、君には清楚な美しさがあるって。これから断り切れないくらい縁談が来るだろうけど、レオンとトーニオの様子から見て、片っ端から断るんだろうな」
「縁談……」
「だからね、エメルちゃん。僕の言葉を信じて。君は僕が知ってる女の子の中で、一番可愛いよ」
そう言ってマテオさんは僕の頬にキスをし、僕の頭の中が真っ白になりました。
「唇にキスしたいけど、レオンに殺されそうだから、やめておく」
僕の頭の中で、同じ言葉がぐるぐる回ります。君は可愛い……君は可愛い……。
「やばい。何か、ドキドキしてきた。一気に駆け抜けよう」
マテオさんの視線は門に向けられていて、門を抜ける話だったみたいで、僕の手を握り引っ張ろうとしています。
「逆がいいかも。君は男の子に見えて、僕は女の子に見えるはずだから。男の子が女の子の手を引いて走った方が、自然だろ?」
「えっ……」
不自然だと思うけど……。男子学生が女子学生の手を引いて別館から走り出たら、誘拐か駆け落ちみたいです。
「あの……普通に歩いた方が……」
僕の声に守衛さんの声が重なり、僕はまたもや飛び上がりました。
「少々お待ちを、プリンセス」
守衛さんはフィアの女子学生をプリンセス、男子学生をプリンスと呼びます。
僕にとってはくすぐったい敬称だけれど、それどころじゃなく硬直してしまい、がちがちにこわばった笑みを守衛さんに向けたんです。
「僕、エメル・フォン・リーデンベルクですっ。今日から入学することになりました。よろしくお願いします。えっと、手続きを本館でしなくちゃいけなくて、場所がよく分からないのでクラスメイトが付き添ってくれることになって、休憩時間の間に行って来ます!」
にこっと笑ったけれど、守衛さんは渋い顔で、
「そちらの方は、どちらの令嬢ですか?」
とマテオさんに近づこうとし、マテオさんはうつむいて手提げ袋を探る振りをしているし、僕は守衛さんとマテオさんの間に立ち塞がりました。
「彼女が不審者に見えるっていうのは、もの凄くよく分かります。僕も会った瞬間、変な令嬢だなあって思ったもの。彼女のご両親に伝えておきます。もっと胸を張らないと学校の守衛さんに不審者扱いされて、門を通るたびに名前を聞かれるって」
「あ、いや、それは……」
「僕、急ぐんですけど。休憩時間の間に手続きを済ませてしまいたいし、次の授業に遅刻したら先生に叱られるし。彼女の名前の確認は、戻って来てからでいいですか? 出来るだけ急いで戻って来ますから」
「お急ぎにならなくてもいいですよ」
守衛さんはまだ不審げだったけれど、困った顔で引き下がり、僕はマテオさんの手をぐいと引っ張って脱兎の如く守衛さんの前から逃げました。
マテオさんの手を引いて、別館と本館の間にある芝生を駆け抜ける僕。
振り返るとマテオさんは楽しそうな様子で、ピンクのスカートがひらひら舞い、何だか美少女の手を引いて走る男の子になった気分です。
初めて女の子の手を握った男の子って、こんな気持ちなのかなあって思いました。
ドキドキするような、幸福感で全身が満たされるような、高揚感でジャンプしたら空を飛べそうな、そんな気持ち。
そのまま僕たちは本館そばの灌木の茂みに駆け込み、顔を見合わせました。くすくす笑いが大きくなり、マテオさんと二人でお腹を抱えて大笑いしたんです。
急にマテオさんが、真顔になりました。
「エメルちゃん、一生懸命僕を守ろうとしてくれたね。感激だよ」
「そんな……当たり前のことですから」
「気分が落ち込んだ時は、僕に言って。君は世界で一番魅力的な女の子だって、何百回でも何千回でも言うから。本当のことなんだから、何万回だって言えるよ」
「マテオさん……ありがとうございます」
マテオさんの方こそ、一生懸命僕を守ろうとしてくれている。そう思うと胸がいっぱいになって、涙ぐみそうになりました。
「それからね、何でも話してよ。くだらない話でも悩み事相談でも、何でも大歓迎。僕はもっと君と話したい。この恰好の方が話しやすいなら、いつでも女装するからね。って言ってる間に女装が癖になったりしてね」
僕はくすくす笑い、マテオさんも可笑しそうに笑っています。
「スリル満点だったよ。次は教室に潜り込んで、女子クラスの授業を受けてみたいよ」
本当にやりかねないなあと思っていると、マテオさんの背後の木陰から人が現れ、僕は凍りついてしまいました。
「あ、あの……」
「もうちょっと趣味のいいドレスがいいな。かつらも今風の髪型にしよう」
「マテオさん、うしろ……」
「え?」
振り返ったマテオさんの正面に長身の男性が立ち、マテオさんの首根っこをつかまえ、にやりと笑っています。
「趣味のいいドレスと今風のかつら? いいねえ。俺のベッドで女装してくれ。ま、どうせ脱がせるんだから、何着たって同じだけど」
男性は磨き抜かれた銅のような色合いの髪を後ろで束ね、細面の顔に眼鏡をかけています。
顔立ちは知性的なのに、言うことときたら……ベッド?
「うわあっ、ナサニエルかよ。離せ、痛いだろ」
「ナサニエル『先生』だ。教師には如何なる場合も敬語を使うべし。フィアの鉄則だろう」
ナサニエルと呼ばれた男性が言い、僕は目を丸くしました。教師……がベッドで脱がせる発言?
マテオさんは僕より長身だけれどそれでもナサニエル先生の肩までしかなく、先生の手を離そうと暴れたけれど無駄な抵抗でした。
「君は?」
「エメル・フォン・リーデンベルク……です」
僕がすっかり諦めて名乗ると、ナサニエル先生はゆっくりと両口角を上げ、知的な顔には不釣り合いな獲物を見つけた狼のような形相になっていきました。
「ほう? レオンの妹だな、ふむ。今回のこの不祥事、エメル君に事情を聞くことにしよう。レオンに立ち合うよう、伝えに行け」
最後の一言はマテオさんに向けられた言葉で、先生はマテオさんをつかんでいた手を離し、マテオさんは怒った顔で先生を見上げました。
「レオンは関係ない! 僕の一存でしたことだ。罪は僕一人にある」
「恰好つけずに早く行け。レオンが来るのが遅くなればなるほど、こちらの美少年だか美少女だかの貞操が危うくなるぞ。一人で来いと、そう伝えろ。いっそ来ない方がいいかもしれん。見れば見るほど、美味しそうだ」
知的な顔立ちで知性あふれる砂色の目をしたナサニエル先生の口元には、狼が笑ったらこんな感じじゃないかと思えるような笑みが浮かび、舌なめずりして僕を見るんです。
「ひっ……」
後ずさる僕の手首をつかみ、先生は声を上げて笑いました。
「今日一番の獲物だ」
「エメルちゃんに触るな。悪い病気が移るだろっ」
「もう移ってるだろう。お前と手をつないで走っているところを見たぞ。エメル君、手を洗いなさい」
「畜生、何てことを」
「早く行け!」
先生の一喝で、マテオさんは悔しそうに口を閉ざしました。
「次の音楽のテスト、問答無用で50点引かれたいか? 卒業できないぞ」
「残念だったな。0点は何点引かれても0点なんだよっ。エメルちゃん、待っててね。必ず助け出すからね。ナサニエル、てめえは最低だ」
マテオさんは言い捨てて、ドレスの裾を膝まで持ち上げ、猛スピードで走って行きました。
「誰に合わせてやってると思ってるんだ。あれが伯爵の御子息とは、やれやれ」
ナサニエル先生は苦笑し、ついと僕に目を向けました。
「さて、エメル君。レオンを釣る餌になって貰おうか」
餌……? レオンさんを釣るって、どういう意味でしょうか。
先生の顔はやっぱり狼に見え、さっきまで女の子をリードする活発な男の子だったはずの僕は、狼の口にくわえられてぐったりしたウサギに成り果て、そうして狼の巣穴へと連れ去られてしまったんです。