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アップルケーキに愛をこめて  作者: セリ
アップルケーキに愛をこめて2 ~ギムナジウム入学篇~
21/78

2  僕の仕事は用心棒と……愛人? Ⅱ




 眼前にはその昔舞踏室だったであろう絢爛たる空間が広がっていて、中央奥にある螺旋階段で上階とつながっています。


 壁も柱も螺旋階段も白を基調にし繊細な模様が彫刻されていて、彫刻部分は黄金色です。

 天井一面に天使の絵が描かれ、豪華なシャンデリアが三つ、咲き誇る花のように下がっています。


 床は明るい色彩の木材で、楕円形の窓から差し込む光に照らされ、金色の絨毯のようです。

 隅に置かれた椅子や物書き用の小机も白地に金細工が施されて、白と金に彩られた華麗な世界に圧倒されそうです。

 

 でもその時の僕には鑑賞する余裕もなく、ひたすら目を見開いて前方を見ていたんです。

 螺旋階段の下に、ドレス姿の姫君たちが集まっていました。


 通学用なのでしょうか、ドレスの材質は丈夫な木綿のようだけれど、レースやフリルに飾られて華やかです。

 凛と背筋を伸ばした人、扇で口元を隠した人、様子は様々だけれど、視線は一様に僕とユリアスさんに注がれています。


「紹介しよう。私の愛人兼用心棒となった、エメル・フォン・リーデンベルクだ。先輩方の承認を得たい」


 ユリアスさんの声が朗々と響き、僕は一瞬目をつぶりました。用心棒はいいとして、愛人……。

 とても大声で人様に聞かせるような言葉じゃないし、ましてお姫様たちの承認を得るような話じゃないと思うんです。


 僕の脳裏に、ユリアスさんと僕の姿が映りました。

 最新流行のお洒落なスーツを着て華やかなアスコットタイを結んだユリアスさんと、地味なスーツに金色ストライプの蝶ネクタイを付けた僕。


 美青年風のユリアスさんと、地味な男の子に見えるに違いない僕。

 この2人が愛人関係――――怪しい。怪し過ぎます。すごく不謹慎で不道徳な関係です。


「ユリアス。あなたには既に一人、愛人がいるでしょう。リーザのことは、どうなさるおつもり?」


 お姫様達はきっと眉をひそめるだろうと思ったのに、これといった動揺もなく、中央に立っていた女子学生が静かに尋ねました。

 髪をゆるやかに結い上げ、落ち着いた大人の雰囲気から見て最上級生のようだけれど、僕は別のことで頭が一杯になっていたんです。

 もう一人の愛人……。リーザって……?


「愛人が2人いた例は、これまでにもある。問題にはならないと思うが」

 ユリアスさんが僕の腰に腕を回し、僕を抱き寄せました。ぎょっとして体をこわばらせる僕に、ユリアスさんの青紫の瞳が流れるように注がれます。


 プラチナブロンドの髪が僕の肩にかかり、甘くミステリアスな香りがほのかに漂って、ユリアスさんは女の子だと分かっているのに僕の馬鹿な心臓がドキドキしてしまいます。


 ユリアスさんが美し過ぎて、貴族の雰囲気が濃厚過ぎて、華麗な舞踏室に負けないくらい華麗で、眩暈がしそうな僕に顔を近づけ、ユリアスさんは僕の額に唇をそっと置いたんです。


「ひっ……」


 僕の咽喉の奥で悲鳴にならない声が絡み、ユリアスさんはふっと微笑んで上級生たちに顔を向けました。

 集っていた姫君たちからため息が洩れ、先ほどの最上級生が呆れたように首を振っています。


「ユリアス、あなたって……仕様のない人ね。問題を起こさないと約束してくださるわね? 痴話喧嘩などもっての他ですよ」

「承知しました」

 ユリアスさんが僕から手を離し、優雅な仕草でお辞儀をしたから、僕も慌てて頭を下げました。


 上級生たちは螺旋階段をのぼって行き、解放されたのかなと思ったけれど、ユリアスさんの腕が再び僕の腰を絡め取り、息をつくことが出来ません。


「6年生の教室は、1階にある。教室に入るまで、もう一波乱あるからね」

 ユリアスさんの言葉の意味は、すぐに分かりました。2組の教室に入るには、1組の教室の前を通らなければならないんです。


 案の定1組の教室の前で、悪鬼めいた微笑を浮かべたカミーラさんが、廊下を塞ぐように立っていました。カミーラさんの周囲にはマチルダさんを初め数人の女子学生がいて、僕を睨みつけています。 


「エメル。モップを持ってるなら丁度いいわ。トイレが汚れてるから、掃除しておいて頂戴ね」

 カミーラさんが言い、周囲の女子学生たちが声を上げて笑いました。


「カミーラ。エメルのモップで張り倒されたそうだな。見たかったよ」

 ユリアスさんの言葉にも、カミーラさんに動じた様子はありません。


「夏休み中、わたしの屋敷でモップを持った猿が暴れたけれど。どこをどう聞き間違ったのかしら。耳まで悪くなるとはお気の毒様、ユリアス」

 カミーラさんの取り巻き達の笑い声がますます大きくなり、僕の顔が熱くなりました。

 モップを持った猿って僕のこと……? ひどい。


「臭いませんこと? 何だか猿臭いわ」

 カミーラさんがじっと僕を見たから、もしかして僕って臭いのかなと鼻をひくひくさせました。

 そんなはずはないような……。

 だって僕は、僕に似合う香りだからとトーニオさんがプレゼントしてくれた香水をつけていたんです。


「私には、バニラの香りしかしないが?」

 ユリアスさんはそう言って、僕の髪に鼻を寄せました。

「エメルは、ケーキのような美味しそうな香りがする。それに臭いといえば、カミーラだろう。毎日豚小屋で皇太子殿下とデートしているそうだな」


「えっ」

 僕はユリアスさんを見上げ、カミーラさんに視線を転じました。


「な、何を言ってるの。哀れな子豚の様子を見に行ってるだけよ。殿下とは何の関係もないわっ」


 カミーラさんの口調は慌てふためいているようで、頬がほんのり赤らんで、僕ははっとしました。

 もしかしてカミーラさん、ゲオルグ皇太子殿下に交際を申し込まれたんでしょうか。そこまで行かなくとも、頬を赤らめるような素敵な出来事があったんでしょうか。


 怖ろしいカミーラさんがごく普通の女の子に見え、不意に鼻に豆を詰めて飛ばしたというとても信じられない過去の姫君達の武勇伝が、僕の脳裏をよぎりました。

 ユリアスさんがそんな事をする場面は想像も出来ないけれど、負けず嫌いなカミーラさんならしゃにむに勝ちに行きそうな……・

 

 鼻の穴に豆を押し込んだカミーラさんの顔が浮かんで僕は笑いそうになり、慌てて両手で口を押えたけれど抑えきれず、指の間から笑い声が漏れ出てしまったんです。


「ひっひ、ひっひ、ひ……」

 カミーラさんはぎょっとして顔を引きつらせ、頭のおかしな子を見るような目つきで僕を見ています。

 

 僕の想像は留まるところを知らず、緑の豆を鼻の穴いっぱいに押し込んだカミーラさんの顔がアップになったところで、

「何がおかしいの」

 と怒りに鼻の穴を膨らませたマチルダさんの顔が、視界の隅に入って来ました。


 マチルダさん、怒ると鼻の穴がふくらむのかな。あれなら豆が10個ぐらい入るかな……。 

 そう思うと笑いが止まらなくなり、僕は口から手を離し、顔中を口にして笑いながら言ったんです。


「同じフィアの女子クラスに通うことになったので、よろしくお願いします。くふふっ……ごめんなさい。マチルダさんの鼻の穴、ふくらんでるから……おかしくて」


「はあ?」

 怒ったマチルダさんの顔を周囲の女の子達がのぞき込み、ぷっと吹き出しました。

「何が可笑しいのよ!」

 そう言って皆を見回すマチルダさんの鼻はますます膨らみ、取り巻きの女の子達が次々に笑い出して、マチルダさんの怒りは頂点に達してしまったんです。


「何言いがかりつけてんのよっ。覚悟しなさいよ、殺してやるから」

 僕の笑いが、いっぺんに引っ込みました。殺す……? そ、そんな……。

 おかしな想像をしたばっかりに、カミーラさんのみならずマチルダさんの怒りまで買ってしまった……。


「エメルに手を出したら、私に宣戦布告したものと見なす」

 ユリアスさんの声が厳かに響き渡り、続いてカミーラさんの声が響きます。

「リーザがどう思うかしらね」


「君には関係ない」

 ユリアスさんはぴしゃりと言い、僕はユリアスさんに抱きかかえられるようにしてカミーラさんの横を通り過ぎ、2組の教室に向かいました。


 教室の中はしーんと静まり返っていて、白く冷たい視線が僕に突き刺さります。

 僕の笑いは完全に消失し、足がすくんでしまいました。


 そのうえユリアスさんが「リーザ・フォン・ヴァイヘンだ」と一人の美少女を紹介してくれたから、僕は硬直してしまったんです。

 この人が、ユリアスさんのもう一人の愛人……。


「よろしくお願いします」

 僕が恐る恐る手を差し出すと、リーザさんはにっこり笑って手を握り返してくれました。

「よろしくね、エメル」


 リーザさんは澄んだ水色の瞳が印象的な、とても可愛らしくて優しそうな女の子です。

 一つ括りの三つ編みはつややかな黒髪で、僕はほっとして笑顔を返しました。リーザさんとならもしかすると友達になれるかもしれないと、淡い期待が湧いて来ます。


 ユリアスさんの隣の席に座るよう言われ、モップを部屋の隅に置いて戻ると、反対側の隣にゲルタさんが座っていました。


「ゲルタさん。よろしくお願いします」

 僕は勇気を振り絞って話しかけたけれど、ゲルタさんは返事をせずに立ち上がり、ユリアスさんの前でにこやかに微笑むんです。


「ユリアス。あなたの隣に座れると思ってたのに、とっても残念だわ」

「次の機会があるよ。席替えは、毎月一回行われるからね」

「そう? 次に期待するわね」


 ゲルタさんは微笑んだまま、まるで僕なんかいないみたいに僕の前を素通りして元の席に戻り、反対側の隣に座る女子学生と仲良さそうにお喋りを始めたんです。


 やっぱり僕は、ゲルタさんに嫌われてる……。そう思いました。

 ユリアスさんは隣のリーザさんと話してるし、僕は一人ぼっちになった気分で悄然として、始業時間を待ちました。


 担任のクリスティン先生が入って来て、一人一人名前を呼ばれて新しい教科書が配られました。

 僕が取りに行くと僕の前に呼ばれた女の子が教科書を渡してくれ、僕は笑顔でお礼を言ったけれど、女の子は顔を引きつらせて席に戻って行きます。


 何か気に障る事をしたかなとか色々考えたけれど思いつかず、最終的にカミーラさんのお屋敷で暴れた話が広まっていて、そのせいで僕はみんなに嫌われてるんだという所で落ち着いて、泣きそうになりました。 


 廊下から1時間目終業のベルの音が聞こえ、休憩時間になりました。始業・終業の合図は、先生が廊下を歩きながらハンドベルを鳴らして知らせることになっています。


 驚いたことにフィアの女子クラスでは、30分授業をすると1時間の休憩が取られることになっているんです。

 長時間の授業をするとお姫様達のみならず、疲れて容色が衰えるという理由で母親達から苦情が来るそうです。 


 休憩時間が始まった途端クラスメイト達がユリアスさんとリーザさんを取り囲み、一大グループにゲルタさんまで加わって、僕はぽつんと座っていました。


 グループの中に入って行く勇気は、僕にはありません。自分にはっぱをかけたけれど、どうしても入って行けない。


 ユリアスさん達の会話が耳に入って来るけれど、流行のドレスとか髪型とか、宝石や装飾品の話とか、とても僕にはついて行けそうにありません。


「エメル。図書室に移動するよ」

 ユリアスさんに声を掛けられたけれど、

「すみません。僕、ちょっと、トイレに……。先に行っていてください」


 ほんの少しだけ迷い、やっぱりモップを持って行くことにして、モップを抱えて1組の教室の前を走り抜け、舞踏室脇の小部屋のドアを開けました。

 中は倉庫のようで、大小様々な机や椅子が整然と積まれています。


 壁にもたれて座り、モップを抱きしめました。何やってるんだろう、僕――――。

 どこに行っても何をしても、情けない奴です。恥ずかしくて先行きが不安で、涙が出そうです。

 

 でも頑張らなきゃ、闘って生きていかなきゃ。

 そう自分に言い聞かせていた時、突然ドアが開き、女の子が一人入って来たんです。


 豪華なドレスに身を包んだ人目を引く美少女で、どこかで見たことのある顔立ちです。

「あっ……」

 僕は、目を見開きました。

「もしかして……マテオさん?」


「正解!」

 昨日カフェの『ヤークト』で会ったレオンさんの友人の一人、マテオさんがお姫様の恰好をして、それも凄い美少女で、僕は呆気にとられました。






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