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アップルケーキに愛をこめて  作者: セリ
アップルケーキに愛をこめて2 ~ギムナジウム入学篇~
20/78

2  僕の仕事は用心棒と……愛人? Ⅰ

「くっふふ……あっはっは」

 ユリアスさんの口元から忍び笑いが洩れ、茫然とする僕の前で、ユリアスさんは綺麗な顔をそむけて可笑しそうに笑い出したんです。


「どうして逃げない。そんなに私のキスが欲しいのか?」

 笑いながら尋ねるユリアスさんに、ぶんぶん首を横に振る僕。


「君は面白いな。顔立ちは絵に描かれた天使のようなのに、身にまとう雰囲気は困り果てた子犬だな」


 困り果てた子犬って、どんな子犬なんでしょうか。

 飼い主に捨てられガリガリに痩せて、ずぶ濡れになってお腹を空かせた子犬が浮かびます。


 僕も痩せてるけど、そこまでひどくない! ……と思ったけど、もしかしてそこまでひどいのかな……。


「僕は、人間のつもりですけど……」

「見ればわかるよ」

「ユリアス。愛人の件だが、エメルが女子クラスに慣れるまで避ける方向で検討して貰えないだろうか。せめて、女子クラスの仕組みをエメルに説明し終えるまで。俺が説明してもいいんだが、俺は女子クラスに詳しくないし……」


 レオンさんが珍しく下手に出て、僕はレオンさんが女の子同士の問題は手に負えないと言っていた事を思い出しました。

 ユリアスさんの顔には、冷笑が浮かんでいます。


「もちろん、説明する。だがこの子を守るためには、私の愛人にするのが最も確実な方法だと思ったのだが?」

「ああ……そうだな。分かってる」


 そうだな……? 僕はレオンさんの言葉に落胆しました。僕がユリアスさんの愛人になってもいいと、レオンさんは考えているんです。


 愛人なんて、嫌です。相手が男性でも、女の子でも。

 僕は心優しい夫と可愛い子供たちに囲まれて、平凡で穏やかな暮らしがしたい。


 レオンさん、助けて……。僕の声は咽喉で止まってしまい、声になることはありませんでした。

 レオンさんは僕のために、心を砕いて考えてくれたに違いないんです。その結果がユリアスさんの愛人なら、僕は黙って従うしかない……。


「エメルをからかうのも迫るのも言い寄るのも、俺の専売特許なんだよねえ」

 トーニオさんが呟くように脅すように言い、ユリアスさんはちらっと横目でトーニオさんを見ました。

「君は、年上の貴婦人専門だろう」

「俺は、すべての女性を愛する神の如き男さ」

「人はそれを、女たらしと呼ぶんだよ」

「傷つくなあ……」


 トーニオさんは胸を押さえ、ユリアスさんはトーニオさんを追い払うようにひらひら手を振りながら、僕の肩を抱きました。

「さあ、行こう。授業が始まる。モップが邪魔だな。武器になりそうな物は、持ち込めないことになっている」

「あの、これは、その……」

 モップを取り上げようとするユリアスさんに僕は懸命に抵抗し、レオンさんの手が伸びてモップを押さえました。


「持たせてやってくれ。エメルにとっては大切な物だ。先生方には、俺たちから話を通しておく」

「レオンさん……」

 見上げると、レオンさんの温かい目が僕を見下ろしています。


「何かあったら、俺の教室まで来るんだぞ。場所は分かってるな? 一人で解決しようなんて考えるなよ。それから……」

 レオンさんは優しい微笑を浮かべ、僕の顔をのぞき込みました。

「……楽しめよ。きっと楽しいことが沢山あると思うから」

「はい」


 愛人でも……? 僕はレオンさんに心配をかけまいと、こみ上げる涙を堪えました。


「エメちゃんには俺たちがついてるんだからね。それを忘れないでね」

 トーニオさんがにっこりして言い、僕の隣でユリアスさんが呆れたように首を振っています。

「過保護な兄どもだ。私が肌身離さず身につけるのだから、心配はいらん」


 肌身離さず……魔よけのお札になった気分です。

 長身のユリアスさんに肩を抱かれ、左手にモップを握りしめ、僕は歩き出しました。


 振り返るとレオンさんが腕を組んで僕を見つめていて、隣でトーニオさんが笑いながら小さく手を振っています。

 僕の兄さんたち――――。僕を心配してくれる、僕の大切な兄さんたち――――。

 兄さんたちが望むなら、僕は立派な愛人になります。そうするしかないんだと涙を押しとどめ、僕は覚悟を決めました。


 兄たちを安心させようと、右手を大きく振りました。

「行ってきます。心配しないで。僕、大丈夫だから!」


 全然大丈夫じゃないけど。気分はまるで、売られて行く牛です。

 僕なんかきっと、ユリアスさんにすぐに飽きられて、場末の競り市に売り飛ばされるに決まってる……。


「泣いてるのか?」

 ユリアスさんに顔をのぞき込まれ、僕は無理をして笑顔を作りました。

「目にゴミが入って。あの、僕、頑張って働きますから、よろしくお願いします」

「働く、か」


 ユリアスさんは考え深そうに僕を見つめ、僕が手にしたモップを見やりました。

「ゲルタから聞いたが、君の棒術の腕は相当なものだそうだな。私の愛人というだけでなく、用心棒も兼ねて貰おうか」

「えっ……その……」


 棒術の腕は全然まったくこれっぽっちも大したことはないと言いかけて、口をつぐみました。

 これは、チャンスかもしれない。用心棒として一生懸命働いて認められれば、愛人としてのお仕事を容赦してもらえるかも知れないんです。


「用心棒、やらせてください。僕、一生懸命働きますから」

「決まりだな。今日は私の家に来てくれ。放課後、ラーデン侯爵家の馬車に乗るように。いいね?」

「はい」


 良かった……。愛人生活から逃れられるかもしれないと僕の胸に希望の火が灯り、にっこり笑うユリアスさんに満面の笑顔を返しました。


 白い石造りの本館の脇に、裏手に回る小道があります。ユリアスさんと僕は、薔薇が咲き乱れるその小道を並んで歩きました。


「女子クラスは、離れの別館にあるんだ」

 薔薇園の先に見える、白い建物がそうなんでしょうか。小じんまりとした三階建てで、金の飾り物の付いた白い柵に囲まれています。


「現国王アルベルト三世陛下が即位されてすぐに教育改革が行われて、トライゼン国内の公立学校は一部を除き、すべて男女共学となった。地方の平民たちの小さな学校では、昔から男の子と女の子が机を並べて読み書きを学んでいたから混乱はなかったが、フィアはもともと男子だけの学校だったから、反対運動が起きたんだよ」


「男子生徒が、女子と一緒に学ぶのは嫌だと言ったんですか?」

 僕が尋ねると、ユリアスさんはにやりとしました。


「とんでもない。クラレストの貴族の子女が、男どもと机を並べるのは嫌だと言ったんだよ。それまで貴族の子女は数人単位で集まって、家庭教師から学びながら他愛のないお喋りを楽しみ、自由を謳歌していた。学校に集められて男たちの監視付きとなったら、自由がなくなってしまう」


「監視……ですか」

 ユリアスさんの言葉や口調に引っ掛かるものを感じ、僕はユリアスさんを見上げました。

 ユリアスさん、男性が嫌いなのかな……。


「男どもは、自分たちにとって都合のいい価値観を女性に押し付ける。女らしさ、色気、母性。押しつけられた側はたまったものではないが、いつしかありのままの自分を忘れ、男たちの価値観に合わせるようになる。我々の先輩はそんな窮屈な学校生活を、拒否したんだよ。結婚すれば社会の規範に合わせなければならなくなるのだから、せめて結婚前ぐらい好きに暮らしたいと考えたのだろう」


「はあ……。好きに暮らすって、僕には想像できませんけど」

 僕が通って来た初等学校も中等学校も共学でしたから、共学でない学校が想像できないし、価値観や自由といった難しい言葉を使ったことがないので、ぴんときません。


「フィアの初代女子学生は1年間だけ本館で男子生徒と共に学び、その間に激しい反対運動を繰り広げたんだ。揃いの赤い靴下を穿いていたことから、『赤靴下』と呼ばれてね。赤い靴下を穿くなんて、当時も今も娼婦ぐらいのものだから、親たちが慌てふためいたのなんのって」


 ユリアスさんはくすくす笑いながら、別館の門の前に立つ守衛に片手を上げて挨拶をし、別館建物に近づいて行きました。


「すったもんだの末、フィアの女子クラスは別館に移ることで双方が妥協することになったんだ。男どもが侵入しないよう柵を張り巡らし、本館から双眼鏡でのぞかれないよう女子クラスのカーテンは開かないこととなった。そうしてようやく我らが先輩たちは、女の子だけの世界を取戻したんだよ」


「女の子だけの世界って、僕には想像できないんですけど、どんな事をするんですか?」

「例えば、胸の大きさコンテスト。もちろん、上半身裸で」

「えっ……えええっ」


 そんな……そんな事されたら僕の最下位は決定です。……上半身裸?! そういう事をするから侵入者やのぞく者が現れるんじゃないか、という気もするような……。


「鼻の穴に豆を押し込んで飛ばす大会。下品な言葉でシリトリ大会。男の品定め。下ネタが飛び交うのは日常茶飯事、すべて先輩たちの話だ。今現在は……」


 納得しました。そばに居られて困るのは、男子生徒だけじゃないと思います。そばに居る側だって困るでしょう。

 僕だって、困っています。貴族のお姫様に対する幻想が、音を立ててがらがらと崩れ落ちていきました。


「実体験することだよ、エメル。女子の帝国にようこそ」


 ユリアスさんがそう言って重い樫の扉をバタンと閉めたから、僕は「ひっ」と飛び上がりました。

 女子の帝国……。何だか怖そう……。


 



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