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アップルケーキに愛をこめて  作者: セリ
アップルケーキに愛をこめて
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2  貴公子は悪魔のように

 

 

 真夏の結婚式が無事に終わり、パパとディリアさんは仲良く夏の別荘へパネムーンに出かけて行きました。

 2週間、邸内はメイド頭のアンナさんと厩番のゲイルお爺さんと狼たちと僕だけになりますが、大して気にしていませんでした。

 他のことで頭が一杯だったから――――。


 ディリアさんが別荘で快適に過ごすためと称してコックを連れて行ってしまったから、その上パパがディリアさんに同調して料理はエメルにまかせればいいなんて言うものだから、僕が皆の食事を作ることになったんです。


 僕は料理は好きだけど、パパの薄給でできる範囲のメニュ――安価なじゃが芋やソーセージや卵を使った料理しか作ったことがなくて、コックのハンスさんからもらったレシピに載っているような高級品を上手く作れるかどうか……。


しかも今は夏休み。

 毎日三食、できればお菓子やケーキなんかも作りたいから、僕のささやかな脳はそのことで一杯になっていました。


 僕は張り切って朝食を作り、トーニオさんは「うまい! とうもろこしのスープ、久しぶり」と喜び、レオンさんは焼きたてのスコーンを黙々とおかわりしていました。


 アンナさんから貰った黒いエプロンをつけ、慣れた手つきで料理を運ぶ僕。


 実際、僕は慣れていたんです。パパとの二人暮らしが長くて、料理も配膳も後片付けもお皿洗いも僕の仕事でしたから。

 そんな僕をしげしげと見ながら、トーニオさんが言いました。


「君のこと、今日から『メイドくん』と呼ぼう」

 メイドくん……。こういう場合、怒った方がいいんでしょうか。


 トーニオさんは優雅な顔に謎めいた微笑を浮かベて、面白い動物を見るような目つきで僕を見てて、僕にはトーニオさんが美しい悪魔に見えました。トーニオさんという人は、どこか悪魔めいてるんです。


 やっぱりからかわれてるに違いないから、ここは怒るべきなんだろうと口を開きかけた時、レオンさんが冷たい一瞥を僕に向け、視線に負けないくらい冷たい口調で言うんです。

「……座れ」


 まだ食後のフルーツを運んでいなかったけど、それはアンナさんにお願いして、僕はエプロンをはずしてシャツとズボン姿になり、急いでトーニオさんとレオンさんの向かいの席に座りました。


「お前はこの家の娘だ。皿運びなどしなくていいから、座って食事しろ」

 レオンさんの低い声が響き、僕は困惑しました。


 だって僕が運ばなかったら、誰が料理を運ぶんです?


 ディリアさんは結婚の御祝儀と称してメイド全員と執事までも避暑地にある別荘に連れて行ってしまったし、アンナさんはお掃除担当という事になってるし――――。 


 困ってる僕をじっと見るレオンさんの視線が鋭くて、端整な顔立ちなのに表情が険しくて、形のいい唇は横一文字に引き結ばれていて――――どう言えばいいんでしょう、僕はレオンさんが怖い。


 返事が待たれてる気がしたから、恐る恐る答えました。

「はい……」

 料理を運びながらどうやって座って食事をするかは、後で考えようと思いました。


「料理、上手だねえ。すごく美味しかったよ」

 トーニオさんは、ナプキンで口もとを拭いています。


「……喜んで頂けて嬉しいです」

「得意料理は何?」


「そうですね……。ブラトカルトフェルン(焼きじゃが芋)とかザワークラウト(キャベツの酢漬け)とか、アイスバイン(塩漬け豚肉の煮込み)とかです。パパの好物なので。でも、あの、値段の安い料理しか作ったことがないので、高級料理を僕なんかが作って、お口に合いますかどうか。もし気に入って頂けたら、幸いです」


 レオンさんがカタッと音を立ててフォークを置いたので、僕はびくっとしました。

「作文を読んでるのか?」

 レオンさんの質問の意味がわからなくて、僕は目をぱちくりさせました。

「作文?」


「レストランのオープニングセレモニーの来賓の挨拶みたいだったよー」

 トーニオさんは、頬杖をついて笑っています。

「君、どうして俺たちに敬語を使うの?」

 トーニオさんに尋ねられ、困ってしまいました。どうしてそんなこと聞くのって、僕の方が聞きたいです。


 パパが連れて来た数多いお客様たちは、特にパパと親密な女性たちは、僕のことを躾の行き届いた子だって褒めてくれたし、そんな時のパパは嬉しそうで鼻高々で、そういうパパを見てると僕も嬉しいし……。


 ううん、違う。本当の理由は、もっと昔の別のところにある。

 分かってるけど、それについては思い出したくないし、話したくない。


「お二人とは初対面に近いですし、礼儀正しくした方がいいかと……」

「礼儀ねえ。俺たちって兄妹になったんじゃなかったっけ?」

「それは……はい、今は……」


「今は?」

 レオンさんが、聞き咎めました。

「なるほど。あの二人がいつ離婚するか分からないということか」

 レオンさんの口角が上がり、笑ってるんだと思いましたが、それはとても笑顔とは言えない怖ろしい表情でした。


「気持ちは分かるねえ。メイドくんのママ、四人目だっけ? いつ五人目に首がすげ変わるか分からないよね。俺のパパも三人目だし、離婚したらもともと赤の他人の俺たちは他人に戻るわけだし。変に親しくしない方が後々のためだよね。うん、わかるよ」

「そんな!……そんなつもりじゃ……。ただ僕は……」


「ただ僕は?」

 レオンさんが僕の言葉を引き取ったから、答えざるを得なくなりました。

「その……できることなら、お二人に気に入られたくて……。あの……今まで他人だったのに、急に兄妹になって、それで……どうしたらいいのか分からなくて……せめて言葉遣いだけでも、きちんとしようって……」


 言ってしまいました。でも昔、致命的な失敗をしたからとまでは言えませんでした。

 僕はうつむいていましたから、二人の表情は見えませんでした。

 見るのが怖かった。きっとおどおどした情けない僕を笑ってるだろうと思ったから。


 うつむいたまま、僕は立ち上がりました。

「あの、僕、そろそろ向こうへ……」


「座れ」

 レオンさんの声が静かに響き、僕は慌てて座り直しました。

 こわごわ顔を上げるとレオンさんは首をかしげ、トーニオさんは不思議そうな顔で僕を見ています。

 僕の緊張は頂点に達し、とても落ち着いて座っていられません。


「すみませんでした……」


 いつものように、僕はまずは謝りました。パパに叱られた時や、心ならずもお客様の女性の気分を害してしまった時のように。

 でも何故かこの時は涙がこみ上げて、目をぱちぱちして何とか堪えようとしたけれど、止まりませんでした。


「あーあ、泣かせちゃった。レオンって女の子を泣かせるの、得意だもんなあ」

 レオンさんの表情は見えませんでしたが、「お前なあ」とトーニオさんに言ってるのは聞こえました。


「レオンさんのせいじゃないです。……僕がいけないんです。すみません……そろそろ、ほんとに、僕、向こうへ……」

 お盆だけ持って、キッチンに逃げました。


 自分が情けなくて恥ずかしくて、こんなことでこの家の娘やトーニオさんとレオンさんの妹が務まるんだろうかと不安で、涙がこぼれました。


 でも頑張らなきゃ。ここが僕の家なんだからと目をごしごし拭き、自分に言い聞かせるのでした。





 その日の夜中のこと。おかしな気配に気づき、目が覚めました。

 真新しいベッドは慣れないせいか寝苦しく、やっと眠ったと思ったら眠りは浅く、ようやく深い眠りについた矢先のことでした。


 窓から心地よい夜風が入って来るのに、何故か暑い。目が覚めて最初に気づいたのが、それでした。

 そして次に気づいたのは……僕の頬を撫でる手、男の子用のパジャマを着た僕の胸の上に乗っている肘。

 腕から腕の付け根、肩へと視線を移し、首の上に乗ったその人物の顔を見上げました。


「き、き、きゃ―――」

 叫びそうになった僕の口をトーニオさんの手が塞ぎ、僕は必死にもがきました。

 トーニオさんは僕の隣で肘枕をし、僕を見下ろしています。


「怖がらなくていいよ。可愛い妹の寝顔を見に来ただけなんだから」

 寝顔を見に来た――? 夜中に――? 

 でもとりあえず僕はその言葉を信じ、口を閉ざしました。

 トーニオさんはにっこり笑って僕の口から手を離したと思ったら、指で滑るように楽しそうに僕の唇をたどるんです。


「何するんですかっ」

「うーん、俺の話、聞いてくれる?」

 トーニオさんは僕の質問には答えず、僕は転がり落ちんばかりの勢いでベッドの端まで逃げました。

 そして、気づいてしまったんです。トーニオさんのシャツの胸元が大きくはだけ、上半身裸に近いということに。


「きゃああ……」

 生涯で二度目の絶叫をあげかけた僕の口をトーニオさんの手が塞ぎ、空いた方の腕が僕の背中に回り、僕は何とか逃げ出そうと両手を突っ張りました。


「静かに。メイドくんの寝顔も見たし、そろそろ部屋に戻るよ。叫ばないと約束してくれないと、この手を離せないんだけど」

 笑いながら言うトーニオさんに、僕は何度もうなずきました。部屋に戻ってもらえるなら、口でも鼻でも何でも閉じます。

 トーニオさんは僕の口から手を離し、背中の手はそのままで、僕の顔をのぞき込みました。金髪が僕の頬にはらりと落ち、悪魔めいた青い目が瞬いています。


「さて。俺たちがどんな風に愛し合うかという話だったね」

「ええっ」

 そんな話、してないっ。僕は泣きそうになりました。夜中に起こされて、どうしてこんな目に合わなければならないの。僕は静かに眠りたい。


「君は本当に可愛くて、綺麗だよ。初めて会った時、天使みたいだなと思ったんだ」 

 初めて会った時といったら蝶ネクタイをつけてスーツを着て髪が飛びはねて、嵐の後の痩せっぽちのカカシみたいだったはず。

 クラレストの洋装店の鏡に映った自分の姿を思い出し、あれが天使に見えるなんてこの人の目はおかしいと思いました。


「男の子の恰好をすれば誤魔化せると思ってるんだろうけど、君のおかげで俺の新たな趣味が目覚めたみたいなんだよねえ。俺って両刀使いかもしれない」


 誤魔化すんじゃなくて闘おうとしてるんですと言いかけて、怖ろしいことに気づいてしまいました。

 ……トーニオさんは変態なの? 考え込む僕を見て、トーニオさんは吹き出しています。


「話は変わるけど、この屋敷には悪霊が棲んでるんだよ。ものすごく勘がよくて、俺たちみたいな若い恋人の気配を嗅ぎ付けては邪魔しに来るんだ」

「悪霊……?」

 俺たちみたいな恋人って言った? 僕とトーニオさんが恋人? やっぱりこの人は、おかしい。


「耳を澄ませてごらん。悪霊の足音が聞こえるだろ?」

 確かに聞こえます。廊下をぱたぱたと走る足音。いきなりドアが開き、飛び込んで来たのはレオンさんでした。


「出たな、悪霊」

「何やってるんだ」

「見ればわかるだろう。部屋を飛びかう愛の羽が見えないのかい?」


 トーニオさんはのんびりとした口調で、ゆっくりと僕から離れていきます。

 僕は急いでガーゼケットを首まで引き上げ、目を見開き、部屋中を見回しました。愛の羽なんて飛んでないんだけど。


「ドアが開いている。鍵はどうした」

「う~ん。どうしたかなあ」

 トーニオさんとレオンさんの目が同時に僕に向けられて、僕は硬直しました。


 鍵はどうしたと尋ねてるの? 鍵は……寝る前に掛けたはず。でもそう言えばトーニオさんは、どうやって部屋に入って来たんでしょう。もしかして僕が鍵を掛け忘れたとか?


 必死に思い出そうとしながら、僕はレオンさんを見上げました。

 僕をじっと見つめるレオンさんの顔は女性のように綺麗なのに、厳しさや冷淡さが覆いかぶさって優美な顔立ちの印象を変えてしまってるみたいです。

 澄んだ黒い瞳は底知れない深淵のようで、吸い込まれそうになっているうちにレオンさんの目に怒りが走り、僕はぎくりとしました。


「最初に言っておく。この屋敷で不道徳なことは許さない。どうしてもと言うなら、よそへ行け」

 レオンさんはそれはそれは恐ろしい目で僕を射すくめ、すぐさま視線をトーニオさんに移しました。

「部屋から出ろ、トーニオ」


 不道徳……僕が? 

 レオンさんの言葉が、冷たく鋭く僕の心に突き刺さります。

 寝る前に確かに鍵を掛けたと思うけれど……不道徳?

 いや、そうじゃない。トーニオさんを部屋に招き入れたとレオンさんに思われてしまったんだと、僕は気付きました。


 誤解ですと言わなければ釈明しなければと頭では思いながら口はわなわなと震えるばかりで、見開いた目をさらに見開き、咽喉の奥からこみ上げる熱いものを止めることで精一杯でした。


「おまえさ、兄上に向かって何言ってんの」

「こんなことに兄も弟もないだろ」

 腕組みをしてトーニオさんを見るレオンさんの目は剣呑で、静かな口調は刃のようです。


「ああ、わかった。メイドくんにおやすみの挨拶をしたらね。すぐに済む。疑うなら廊下で待ってれば」

 ひらひら手を振るトーニオさんから目を逸らし、レオンさんはちらっと僕を見て背を向けました。

 肩の上でふわりとなびく黒髪は柔らかそうに見えるけれど、細身の体躯も背中もがちがちに硬そうで、全身で僕の存在を否定しているみたいで泣きたくなりました。


 否定されて当然です。自分の釈明もろくにできない奴なんか……。

 

 レオンさんは無言で出て行ってしまい、トーニオさんは長い足を床につけ、ベッドに座ったまま伸びをしました。

「もう少し見ていたかったなあ、メイドくんの寝顔。あ、どうやってここに来たかを説明したいんだけど、いいかな」

 と尋ねられたけれど、それどころじゃなかった。


 僕の頭の中で、同じ言葉が繰り返し再生されていました。

 不道徳――――不道徳――――。


「今夜は暑くて窓を開けても風は入って来ないし、眠れなくて庭を散歩してたら、メイドくんの部屋の窓が開いてることに気づいたってわけ」

「窓? でも……」

 僕の部屋は三階にあるし。


「二階の俺の部屋から三階によじ登って、雨樋あまどいづたいにここまで来たの。結構スリルあったよー。で、窓から入った。ちょっと危険かもしれないよ、窓を開けたまま寝るなんて」

 確かにそうだと痛感しました。今度から窓はきっちり閉めて眠らなければ。


「ってことを伝えたくて君が目を覚ますのを待ってたんだけど、待ってる間に俺の方が目覚めてしまったってわけ。理解してくれた?」

 はい、理解しました。よく分からないけれど窓を開けるのは危険だということは、はっきりくっきり脳に刻み込まれました。


「わかってくれたんだね。良かったー。じゃ、次は花咲く野原で愛し合おう」

 は? 

「あの……決して……」

 次は、ないです。窓を閉める話から、どこをどうたどれば花咲く野原になるんでしょうか。


 トーニオさんはにやりとし、

「じゃ俺、寝苦しい部屋に戻るから。お休み、メイドくん」

 と言いつつ、僕に顔を近づけるんです。

「お休みのキス、欲しい?」

「――結構です」


 笑いながら颯爽と出て行くトーニオさんを横目で見て、僕はうなだれました。


 問題その一。僕は不道徳なことなんて何一つしていなくて、部屋の鍵は窓から入ったトーニオさんが開けたんだということを、どうやってレオンさんに釈明すればいいんでしょうか。

 僕は、本当にあの人が怖い。

 朝の挨拶でさえ勇気を振り絞ってるのに、話しかけるなんてとても……。


 問題その二。こういう事はやめてほしいと、トーニオさんにどう伝えればいいんでしょうか。

 レオンさんは僕なんかとは口を聞かないけれど、トーニオさんは気さくに話しかけてくれます。伝え方を間違えれば、トーニオさんまで僕と話してくれなくなるかもしれない。


 問題その三。トーニオさんがした事で、僕の記憶が掘り起こされたような気がします。

 とっくに忘れていたはずの、おぞましくも思い出したくない記憶。

 これについては考えないことにしました。決して思い出さないように、封印をして。


 僕は深呼吸をして、ベッドに横たわりました。

 眠れないままドアに目をやり、ふと思いました。


 男の子になると決心したはずなのに、少しも変わってない。

 うじうじした性格も緊張すると言葉が出なくなる体質も、まるっきり以前と同じ。


 これじゃ、いけない。男の子になりきって闘うって決めたのに。目下の敵は、自分の釈明すら出来ない自分自身です。


 明日の朝、ドアの鍵と窓についてレオンさんに説明するんだぞと自分に言い聞かせ、何度も口上を練習しました。

 よし行けるとベッドの中で拳を握り目を閉じた僕の脳裏を、ある疑問がよぎって消えました。


 トーニオさんは、何故ドアの鍵を開けたんでしょうか。

 まるで、レオンさんが来るのを待ってたみたいに。


 そして僕は眠りの瞬間が訪れるまで、闇のようなレオンさんの美しくも怖ろしい漆黒の瞳の中でもがいたのでした。

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