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アップルケーキに愛をこめて  作者: セリ
アップルケーキに愛をこめて
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7  誘惑は舞踏会の夜に  Ⅱ


「――――カミーラ・フォン・ペテルグ」


 殿下がカミーラさんの前に立ち、カミーラさんは口をぽかんと開けました。


「公爵令嬢から恋文を貰うとは思わなかったな。君の望み通りにしよう。さあ、おいで」

「そ、そ……れ……は」


 カミーラさんは青くなり、赤くなり、信じられないといった表情で殿下を見、僕とレオンさんを睨み、また殿下を見て、何か言おうと口をぱくぱくさせています。


「あ、あの、これ、なに、まち、どう、こん……ほほほほほ」

 (あ、あの、これは何かの間違いで、どうしてこんなことになったのかしら、ほほほほほ)


 ようやく出て来た言葉は意味不明で、カミーラさんは引きつった微笑を浮かべながら殿下から手紙を引ったくりました。

 隣にいるマチルダさんも手紙をのぞき込み、二人で顔を見合わせています。


「気の利く女官が知らせてくれてね。ちょうど殿下が王宮に戻っておられたから事情を話したら、分かってくれたよ」

 ささやき声がして、いつの間にかトーニオさんが背後に立っています。


「でかしたぞ、トーニィ」

「ふふん。手紙には、殿下の子供を産みたいと書いてあった。殿下もお人が悪い。署名をカミーラ・ペテルグに書き直せと女官に命じてたから、素知らぬ顔してカミーラちゃんに迫る気だよ」

 こ、子供……。僕が書きましたと言わずにすんで良かったと、僕は深く深く胸を撫で下ろしました。


「どうしたのだ、カミーラ」

 あたふたするカミーラさんに、殿下は唇の端をひくひくと震わせています。笑ってるのかなとも思ったけど、目つきも顔つきも生真面目そのもので、とても笑顔には見えません。


「も、もちろん、光栄に存じますわ、殿下。ですけれど、ほ、本日はお日柄も悪く……せっかくの舞踏会ですもの。とても残念ですけれど、ご一緒させて頂くのは、明日にさせて頂きますわ」

 僕の目には、カミーラさんの脳がこの突然の危機にフル回転しているように見えました。


「何を言うか。私は忙しい身だ。手紙に一生豚と暮らしたいと書いてあったぞ。ちょうど今夜は豚の出産がある。一緒に見に行こうではないか」

「行きたいに決まってますわ。ねえ、カミーラ。この子ったら、恥ずかしがっておりますのよ」

 とミューゼ伯爵夫人が口添えします。


 カミーラさんは絵に描いたような笑みを顔に貼りつけ、トーニオさんをぎろっと睨み、レオンさんと僕を睨み――その顔の凄みのあることと言ったら! 僕には、笑顔の道化師が牙を剥いているように見えました。

 そして口許とこめかみをぴくぴく震わせながら、どこかに救いが転がってないかと辺りを見回しています。


「ま、まあ、豚の出産ですか。そんなどうでもい……いえ、素晴らしいことなら、是非拝見したいですわ」

 カミーラさんは、覚悟を決めたようです。


「急がないと生まれてしまう」

 殿下が子豚を抱いたままカミーラさんの腰に手を回して抱き寄せたものだから、カミーラさんは泡を吹いたように天井を見上げ、又もや意味不明の言葉を叫んだんです。


「なっ、ぶっ、ちっ、よっ、さっ、あ――っ。ほーほほっほっほっほぉ―――っ」

(何すんのっ、豚を近づけないでっ、寄るな、触るな、あっち行け―――っ。ほーほほっほっほっほぉ―――っ)


 殿下は失神しそうなカミーラさんを抱き寄せたまま、足早に舞踏会場から出て行かれました。


 人々はほっと胸を撫で下ろし、

「めでたいと言うべきか。殿下にも、そろそろ身を固めてもらわねばならんのだし」

「お似合いじゃありませんこと? ペテルグ公爵家は王家につながる家系ですもの」

「仕事熱心な殿下と、豚好きの妃か。トライゼンの未来は明るいな」

 と口々に祝意を示します。


 遠くでカミーラさんの絶叫が聞こえ、すぐに静かになりました。

「自分でまいた種なんだから、刈り取ってもらわなくては」

 トーニオさんは、笑いを堪えています。


 人々の肩越しに、げっそり肩を落とされた王妃様の姿が見えます。王妃様がどうお考えなのかは分からないけれど、僕はゲオルグ皇太子殿下が好きになりました。

 謹厳実直で生真面目な表情の端っこに照れたような笑みを浮かべた殿下は、大人の男性なのに可愛く見えました。


「最初のワルツだよ、メイドくん」

 トーニオさんが僕に手を差し出し、頭を出す僕の不安の虫――。僕が紳士たちを次々と病院送りにする魔の時間が、とうとう始まってしまうんです。


 トーニオさんに手を取られ、僕は踊りました。

 レオンさんもダンスが上手ですが、トーニオさんは名手と呼べるほどの踊り手です。

 トーニオさんにリードされ、ドレスの裾をなびかせながら、ふわふわと踊る僕。

 足を踏んづけないかとひやひやしたけれど、トーニオさんのリードが上手だから、そんな心配は無用でした。


「やっと二人っきりになれたね」

 足元ばかりを見ていた僕が頭を上げると、すぐ上にトーニオさんの悪魔の微笑があります。


「――琥珀のような目をしているね。君の瞳に溺れてしまいそうだ」

「え……っと」


「君の心臓の音を肌で感じたい。君の柔らかな体を思いっきり抱きしめてみたいよ」

「あの……僕、柔らかくないですよ。固いカカシなんです、僕」

 トーニオさんは、くすりと笑いました。


「どこから見ても、柔らかそうで美味しそうな女の子だけど?」

「それは、そのう、詰め物をしてるからそう見えるだけで。胸とか、お尻……の……あたり」

 話が困った方向に進んでしまいそうで、僕は言葉を途切らせました。


「大人になるなんて、簡単なことだよ。俺にまかせて。一晩で大人にしてあげるよ」

 やっぱり、そっちの方向に話が進んでしまうんです。僕は、拳を握りました。振るう勇気はないけれど。


「……子供のままでいいです」

 僕が言うとトーニオさんは目を伏せ、肩を震わせました。笑いをこらえてるみたい。


「ねえ、メイドくん。俺が君に近づくと、凄い目つきで睨む奴がいるんだよねえ」

 トーニオさんの視線をたどり壁際を見ると、レオンさんが不愉快そうにトーニオさんを睨んでいます。


 ワルツが終わり僕を連れて戻ったトーニオさんに、レオンさんが言いました。

「自分の妹を口説いてどうするんだ。王妃様を放ったらかしにしていいのか?」

「俺を追い払う気か。ああ、わかったよ。情報収集に励んで来るよ」

 トーニオさんは、笑いながら離れて行きました。


 僕は、レオンさんと踊りました。レオンさんが相手だと緊張してしまいます。

 そればかりかレオンさんが触れた箇所が熱を帯びたように熱くなって、顔まで熱くなってきます。

 ぎくしゃくと踊っているうちにレオンさんの足を踏んでしまい、僕はますます熱い顔になってレオンさんを見上げました。


「ごめんなさい……」

「ずいぶん緊張しているな」

 レオンさんは、微笑を浮かべました。


「俺は怪獣でも人食い人種でもないよ」

「はい。兄さん……じゃなくお兄様ですよね」

 レオンさんは微笑んだまま、悪戯っぽく眉を上げました。


「様って柄じゃないかもな。音楽教師を見るとこそこそ隠れるような、気弱な人間だし」

「音楽教師……?」

「声楽のテストを受けなきゃならないんだが、逃げ回ってるんだ。――――音痴だから」


 僕は、目をぱちくりさせました。レオンさんが、音痴……?

 レオンさんはきっと、僕の緊張を解こうとしてるんだと思いました。レオンさんの歌は聞いたことがないけれど、声は低くてよく響いて魅力的で、とても音痴とは思えないもの。


「今度、レオンさんの歌を聞かせてください」

 僕が言うと、レオンさんは笑って

「暗い気分の時に聞くといいよ。笑えるから」

 と答え、僕は思わず笑ってしまいました。


 その後レオンさんの学友の方々と踊り――レオンさんいわく信頼できる友人たち、トーニオさんに言わせるとレオンさんが怖くて僕にちょっかいを出せない腰抜け達らしいんですけど――息切れがしてきた頃ヴィリーさんと踊りました。


 ヴィリーさんは、赤ら顔で大柄な熊を思わせる優しそうな人です。

 壁にもたれて僕を見ているレオンさんの姿が目の隅に映り――――レオンさんはずっとその姿勢で僕を見守ってくれているんです――――申し訳ない気持ちでいた時、レオンさんの前を通った女性が足を滑らせて転んだのが見えました。


 その女性はプラチナブロンドだけれど、背格好がマチルダさんに似てるような……。

 レオンさんが女性に手を貸そうと僕に背を向けてかがんだ時、僕の体がふわりと浮きました。


「わ。何……」

 口を大きな手で塞がれ、僕は軽々と持ち上げられたんです。


「大丈夫ですか。ご気分が悪いんですか。外に行きましょう」

 そう言いながら、走って僕を運ぶヴィリーさん。


 僕は暴れたけれどドレスでは動きづらくて、あっと言う間に王宮の庭に連れ出されてしまいました。着いた先は温室です。

 月明かりに照らされた中は明るく、真夏の夜にもかかわらず涼しく、色とりどりの花が咲き乱れていたけれど、僕には楽しむ余裕もありませんでした。


「アーレク、いるのか?」

 ヴィリーさんが大声で呼びかけましたが、返事がありません。


「どうしてなんですか。ヴィリーさんは、レオンさんの友だちなんでしょう?」

 僕が尋ねると、ヴィリーさんは僕を睨みました。

「色々と事情があるんだよ。お前には関係ない」


 関係なくなんかないのに。さらわれたのは僕なのに。

 隙をみて逃げようとしたけれど、すぐに捕まって大柄なヴィリーさんに抱えられてしまいました。

 

 やがて温室のドアが開き、アーレクさんが仲間五人を連れて入って来ました。

 綺麗だけれど、陰湿そうなアーレクさんの顔。


「やあ。また会えたね、エメル君。そんなドレスより、君には男の子の服が似合うよ」

 アーレクさんは、薄笑いを浮かべています。


「僕はもう、行くからな。これで貸し借りなしだからな」

 ヴィリーさんは赤い顔を青くして、慌てふためいて走り去りました。


「どうしてなんですか。僕なんかに用はないでしょう?」

 後ずさる僕にたった二歩で近づき、アーレクさんは僕の首を片手で捕まえました。

 片手でくびり殺せるぞと言わんばかりに。

 もう一方の手で僕の顔を撫で、顔を右に傾け左に傾け、ためつすがめつ僕を眺めます。


「君にはわからないだろうなあ。美少女が男装した時、どれほどエロティックか。創作意欲をかき立てられるんだよ。君は僕が初めて関心を持った女の子だ。嬉しいだろう?」

 微笑を浮かべるアーレクさんは不気味で、触れられた箇所に鳥肌が立ちます。


 周囲を見回しましたがモップが温室にあるはずもなく、代わりになりそうな物を探しました。

 ――あった! 土堀り用のシャベル――――。

 モップに比べると短いけれど、振り回せるだけの長さはあります。


「さて。美しい花園で、裸になって横たわってもらおうか」

 僕は首をつかむアーレクさんの手を右手で思いっきり引っかき、僕の顔を撫でる手を左手でつかんで噛み付き、同時に向う脛を力いっぱい蹴りました。


「くそ!」

 同時に三箇所を攻撃されて、アーレクさんが思わず引き下がった瞬間を捕らえ、シャベルに駆け寄ったんです。


「またそんな物を振り回すのか」

 僕が棒術の構えをすると、アーレクさんは寒々しい微笑のまま顎をしゃくります。

 周りにいた五人の青年たち――いずれも貴族の子弟に見えます――が同時に僕に襲いかかり、無我夢中でシャベルを振ったけれど、背後からはがい絞めにされ、動けなくなってしまった――――。


 一人がシャベルの先を握ったから、下から突き上げると顎に当たって、その青年は吹き飛ぶように仰向けに倒れました。

 すかさず後ろにいた青年の向う脛辺りをかかとで蹴ると当たったようで、その青年は片足でぴょんぴょん跳ね、その隙に僕はシャベルをぶるんぶるん振り回しました。


 熱帯樹木の陰から新たに青年が現れたから、シャベルで攻撃したけれど簡単に取り上げられてしまい、その上僕は片手で楽々と抱き上げられて、必死になってもがきました。

「いやだ! 離して! いやだぁ――っ」

「静かにしろ! 温室は静かに楽しむ場所だということを知らないのか、小僧たち」


 朗々とした声に、アーレクさんたちは凍りついたように静止しました。

 何だか様子が変です。僕を捕まえた青年は、アーレクさんの仲間だと思ったけれど――――。


「いらっしゃるとは存じ上げず――――」

 アーレクさんが、困ったように口ごもりました。

「失礼を致しました。ちょっとした行き違いがありまして――――。その子をお返し頂ければ、すぐにでも退散致します」


 青年のダークブロンドの髪は柔らかそうだけれど、顔立ちは彫像のように冷たく美しく、触れれば切れそうな氷の刃を思わせる薄青い目が僕をとらえました。

 僕はごくりと唾を呑み、

「――返さないでください。僕、無理矢理ここに連れて来られたんです」

「僕――――?」

 青年は僕の頭のてっぺんから足先まで、じろじろと無遠慮に眺めます。


「あの、女の子です、本当です。でも事情があって、当分僕と呼ぶことにしてて……あの……」

 レオンさんの目は怖いけれど、まだ温もりがありました。この人の目は温もりの欠片もなく、近寄り難い雰囲気があります。


「今回のことは大目に見てやる。私の気が変わらないうちに、さっさと失せろ」

 冷たい青い目の青年が言うとアーレクさんは唇をかみ、抱え上げられた僕をちらっと見て、渋々といった様子で温室から出て行きました。


「――ラインハルト」

 熱帯樹木の陰から甘くハスキーな声がして目の覚めるような美女が現れ、美女が呼びかけた名に僕ははっとしました。


 まさか、ラインハルト――王子?!


「――待ちくたびれたわ」

「ああ、すまない、ミレーヌ」

 ミレーヌと呼ばれた美女は、恐らく目をまん丸にしているであろう僕を見て微笑みました。

「新しいペット?」

「うん?」


「あの、降ろしてください。僕、一人で舞踏会に戻れます。助けてくださって、ありがとうございました。あの、シャベルで殴ろうとしたこと、すみませんでした」

 早口でそう言って足を地面に着けようとしたけれど、ラインハルト王子の腕が僕の腰に回され、王子の脇腹と僕のおなかが密着した形でがっちりと固定されて、僕は宙に浮いたままでした。


 僕の顔をじっと見る王子は、微かにお酒の匂いがします。

「そうだな。おもしろそうなペットだ。――すまない、一人で戻ってくれるか?」

 ミレーヌさんはそう言われ、美しい眉を上げました。

「埋め合わせはする。――輝くもので」

「選ばせてくださるの、あたくしの好きなものを?」

「もちろん」


 僕には理解できない会話で、二人は了解し合ったようでした。輝くもの――――宝石とか?

 ミレーヌさんはしなやかな足取りで温室から出て行き、ラインハルト王子は僕の膝に手を入れて、僕を抱え上げました。

「わっ。あの、本当に、降ろしてください」

 だんだん必死になってきました。いつまでも密着しているのは落ち着きません。


「子猫は逃げ足が速いからな」

「え?」

 王子は笑いながら入り口に背を向け、温室の奥に向かい、不安になった僕はじたばたと暴れました。

 王子に対し噛みついたり蹴っ飛ばしたりするわけにはいきませんが、それでも精一杯抵抗したんです。


「どこに行くんですかっ。僕、戻らないと。レオンさんやトーニオさんが心配してるはずです」

「ああ、そうか。君はリーデンベルクの新しい令嬢か。行き先はこの奥だ。ちょうどいい密会場所になっている。ミレーヌとの逢引の邪魔をした償いに、私の相手をして貰おうか」


 密会! 逢引? 償い!! 相手って……。

 僕は真っ青になってさらに暴れ、何とか腕を引き剥がそうとしたけれど、無理でした。

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