運命のはじまり
「ねえ聞いた? やっぱりホントなんだって、噂のあれ」
「またその手の話か。幻覚かなにかじゃないのか?」
「ホントなんだって! もう何人も見たって言ってたよ。夜な夜な街を徘徊する幽霊少女を」
「ウソだろ? 都市伝説化なにかに決まってる。……おい、どう思う、コウスケ」
「お、おう……」
しまった、昨日のことを思い出してたら話に全然ついていけなくなってしまった。由香と庄司の二人がきょとんとした目で俺を見ている。
「どうしたの? 具合でも悪い?」
「また変なもんでも食ったんだろ、どうせ」
庄司の、ふん、と小バカにしたような笑い方に腹が立ったが、言い返す気にもなれない。昨日の出来事があってから俺は腑抜けてしまったようだ。何事も関心をもてないし、何事もする気にならない。まったくのダメ人間だな、俺は。
「おいおいガチでやばいんじゃないかこいつ。由香、病院にでも連れて行ってやれよ。こんな無気力な人間が目の前にいるのは敵わない」
庄司はまさに体育会系といった逞しい体つきに精悍な顔付きをした武士のような人間だが、どうやら現代人並に人には気を使えるようだ。時々すごく雑な行動をして周りから顰蹙を買うこともあるが、俺はこいつを気に入っていた。
「そうねえ……久しぶりに三人で会えたっていうのに、あまりコウスケは嬉しそうじゃないし。なにかあったの?」
対する由香は、決してキレイだとはいえないが、ウェーブのかかったセミロングの髪とくりくりとした愛らしい相貌をしていて、純粋にかわいいと思う。性格は、人一倍他人に気を使いながらも自分の我を貫き通し全てを自分の思い通りにする天然カリスマタイプ。絶対敵にしたくない奴ナンバーワンだ。
この二人との出会いは高校からで、大学生になった今でもたまにこうして会ったりしている。なんとなく人付き合いをしている俺にとって、こんなに長い付き合いをしているのはこの二人が始めてだ。
「あ、もしかしたら、恋じゃない!? ついにコウスケにも春到来かぁ~。さみしいような嬉しいような」
「こいつが恋愛なんてするかよ。どうせまたくだらない悩みでも抱えてるんだろうよ。昔からはコウスケはグジグジ一人で悩むタイプだからな。一晩寝れば忘れることをずっと考えてるだけだ、どうせ」
二人とも勝手なこと言いやがって。でもグジグジ悩むのは本当だから反論できない。くそ。
「うっせえよ。別に恋愛でも悩み事でもない。全然違う」
「ふてくされんなよって。嘘は言ってないだろ」
「でも、恋愛でも悩み事でもないなら、一体どうしてそんなに不機嫌なの?」
「それは……」
昨日の光景が頭をよぎる。大音量で鳴り響く鐘の音。真っ暗闇の中できらめく火花。マネキン。真っ赤な少女。
どう昨日あったことを説明しようと笑われるだけだ。そんなことありえるはずが無い。夢でも見たんだろ。作り話が下手すぎる。家帰って寝ろ。
たぶんこんな風に言いたい放題言われるのがオチだ。もしかしたら由香は真面目に聞いてくれるかもしれないが、それでも絶対信じてはくれないだろう。俺だったら絶対信じないし、絶対笑う。確信をもって言える。
でも、言いたい。喉まで声が出掛かっている。ほとほと俺はバカだ。わざわざ笑われるためにこんなバカ話をするなんて、どうかしている。
ぐっと腹に力をこめて決心する。ええい、あとは野となれ山となれだ!
「……実はな、昨日、噂の幽霊少女をみたんだ」
一瞬、空気が凍りついた。
「だっはっはっはっは!」
まるで銅鑼のような庄司の笑い声が店内に響き渡った。口を天井に向け体を大きく揺らして死ぬほど笑っている。くそ、本当に殺してやろうか。
「ねえ、やっぱりホントにいるんだって! 幽霊少女はホントにいるんだよ!」
けたたましく笑う庄司の袖を引っ張り、もう片方の手で俺を指差す由香。俺は動物園のパンダか何かか? 人の事指差しちゃいけませんとパパやママに習わなかったか? 少なくとも俺は大学生になってから一度も人を指差したことは無いぞ。
恥ずかしさを通り越して怒りがふつふつと沸いてくる。庄司のバカ笑いを見るとますますムカついてくる。絶対こいつ俺のこと馬鹿にしてるだろ。笑い方が尋常じゃない。店の天井が落ちてきそうだ。
店のマスターがこちらを見ている。なかなか不機嫌そうな目だ。
それもそうだ。幸いなことに他にお客さんはいないがこうもうるさいと店の外にも聞こえているだろう。けたたましいゴリラの笑い声が聞こえる店に誰が入るだろうか。いい営業妨害だ。
「で、なに、何を見たって?」
笑いすぎて息の吸えなくなった人特有の、ひっひっひっ、という苦しそうな呼吸をしながら、庄司がさも愉快気に聞いてくる。よほど面白かったのか目には涙までためている。
だがしかしお前にいうことはもう米粒ほども無いわ。
「そんなぶすっとすんなって。で、何を見たって?」
そんな歪んだ笑顔を俺に近づけるんじゃない。あと口くさいぞ。
「幽霊少女ってやっぱり噂どおりの格好だったの?」
俺はその噂すら実はよく知らない。学校で周りの人間が喋っているのを聞いたことがあるくらいで特に興味もないし、二人に言われるまでそんな噂があるって事すら忘れていた。これだから俺は世捨て人とか枯れてるとか言われるんだろうな。
でも誓って言うが俺は世捨て人でも枯れてるわけでもない。ただ今に満足しきってそれ以上の刺激が必要ないだけなのだ。人より格段に小さいレベルでこの世に満足しきっていて、別に新しいものも噂も与太話も、世界平和や各地で起こる紛争や今話題の環境問題にもまったく興味を持てないだけだ。
視野が狭いといわれればそれだけかもしれないし、俺もそうだとは思うが、そもそも自分の今の生活で満足するって結構高等なことじゃないかと自負している。少なくとも、野次馬根性で世の中の事に口を出したり、自分の生活もままならないくせに人の生活に首を突っ込むよりはよっぽどマシだろう。どう思うね、ワトソン君?
「いや……俺、そもそもその噂自体よく知らないんだ」
「さすがコウスケ、期待を裏切らないわ」
「馬鹿にしてんのか」
たぶん由香は大真面目に言っているのだろう。ただ単に天然なだけなのだ。
「馬鹿にしてないわよ~。ただコウスケらしいなって思っただけ。怒った?」
「いや、別に……」
そんな風に心底困った顔をされるとこちらとしても何と言っていいか分からない。
「じゃあ、幽霊少女についてもっと話してよ。髪が黒くて腰まであるってホント?」
ぐいって身を乗り出して由香が顔を近づけてきた。目を大きく見開いき口を小さく開けてるところはなんとも愛くるしい。それにとってもいい匂いがする。甘くてほんわかと香るそれは香水なのか、由香の体臭なのかは判別できない。庄司の臭い息でひんまがった俺の鼻は一瞬で回復した。
そして例の庄司は椅子にドカリと体を任せてこっちを向いている。その口元には相変わらずにやにやといやらしい笑みを浮かべていて、俺はもうこいつを正直殴りたい。
「うん、確かにそれくらいの長さだった。でも俺が見たときは黒じゃなくて赤だったな。あとこんな寒いのにTシャツに短パンで道の真ん中に突っ立ってんだ、その幽霊少女ってのは」
「へー、私が聞いたのとはちょっと違うかな。私が聞いたのだと彼女はいつも黒いドレスみたいなのを着ているんだって。それで、夜な夜な人通りの無い所に現れて、人に見つかるとすうって闇に紛れちゃうんだよ。怖いね!」
そんならんらんと目を輝かせながら言われても、ちっとも怖がっているようには思えない。
「背は? どれくらい高かったの? あとかわいかったのかな、やっぱり」
矢継ぎ早に質問を飛ばされても困ってしまう。あと最後の質問はなんなんだ。幽霊はみんなかわいいなんていうロジックがあるのか、こいつには。あとかわいいという言葉に反応するゴリラは無視する。
「あんま高くなかったような……。顔は、結構かわいかったような……」
あのぞっとするほど生気のない顔付きは確かに恐ろしかった。しかしそれを差し引きしても十分かわいかったのは事実だ。そんじょそこらのアイドルよりも何百倍もかわいく、それでいて独特の雰囲気をもっていた。まるでひっそりと咲く花のような、そんな静かで思わずじっと見つめてしまう魅力をあの幽霊少女とやらにはあったのだ。
「私もあってみたいなぁ、その幽霊少女」
くぅーっとオーバーリアクションに残念がる由香。
「かわいいのはいいけどよ、所詮幽霊少女なんて噂だろ。集団幻覚ってやつだ。幽霊なんてこの時代にあわねえよ。コウスケだってそう思ってんだろ? 幽霊少女なんてなにかの見間違いだって」
庄司の意見には心から同意したい。幽霊少女なんてものがいるなんて思えない。俺の見たあれは、そんな生易しいもんじゃない。幻覚でもなければ、夢を見ていたわけでもない。
――幽霊なんかよりも、もっと恐ろしいナニモノかに俺は出会ってしまったのだ。