入れ替わり立ち替わり
「お、俺……?」
俺がそう発した言葉は、なぜか自分の耳に白々しく聞こえる。
俺が目の前にしたのは、俺。
顔つきも、体も、つい先程までの俺。
俺の認識しているそれと違うのは、髪の分け目が左右逆になっていることくらい。
先ほどまでの俺がそうだったように、シャツと白いパンツを履いている。
驚いて目を見開いている表情。
『なんで、俺が……?』
異口同音のことを、目の前の俺がつぶやく。
聞こえてきた声は間違えなく俺の声。
先ほどあかりに成ったときに感じたのは逆に、俺自身が発していた声とは若干違うように聞こえるが、その程度の差異。
驚き合う俺たちを見て、ゆうなはおかしそうに笑う。
「ね、二人が入れ替わったみたいで面白いでしょ?」
――入れ替わった。
そう言われて、改めて目の前にいるのはあかりだと認識し直す。
あかりがいるはずの場所に俺の姿があったから驚いたが、そんな表現をするということは、あかりが俺の姿になった、ということなのだろう。
俺はあかりの姿に、あかりは俺の姿に変化したのだから、入れ替わったみたい、ということ。
「あ、ああ、なるほど。あかりは俺で、俺はあかりで、ということか」
「昔にあった小説のタイトルみたいな言い方ね」
口元に手を当ててゆうなは笑うが、元の姿だったら可愛く見えただろうそれも、今の男前の姿では強烈な違和感しかもたらさない。
『お前、なんで俺に変身してるんだよ』
あかりも状況を飲み込めたらしい。
俺に向かって指差し、責めるような言い方をしてくる。
責められるいわれはないので睨み返すが、身長差から、今度は俺があかりを見上げる形になる。
今のゆうなほどではないが、俺を見下さないでほしい。
「さっきまであかりの体だったんだからさ、ああやってイメージしろって言われたら最初に出てきちゃうだろ。あかりこそ、なんで俺の姿になってるんだよ」
『目の前にいた男がお前しかいなかったんだから仕方ねえだろ。なりたくてなったわけじゃねえよ』
目の前で俺の姿をした人間が、自分の意思と乖離してしゃべっている姿は絶妙に気持ち悪い。
頭では理解できたはずなのに、鏡で見るのとは違う、表現の難しい違和感がこべりつく。
なりたくてなったわけではない、ということに関して言えば、俺だってそうだ。
せっかく男の体に戻れていたというのに、好き好んであかりの体に戻りたくなんてなかった。
みそら先生がこんなことさえしなければ――
そこまで考えてハッとした俺は、その犯人であるみそら先生を見る。
今の俺はあかりの体になっていて、みそら先生のことも見上げることになる。
先ほどまでの見え方と変わるのは、見る対象が変わらないことによって顕著になるよう。
ただ美人で想像以上に若々しいと思っていたその見た目は、あかりの体を通すと、迫力というか、ちょっと怖さを覚える。
ゆうなたちにも感じていた身長差のこともあるだろうし、スーツを大きく盛り上げる胸の位置に視点があって、そこから受ける印象が強いのだろうか。
そんな俺の視線を気にせず、みそら先生はゆうなたちを見ながら、ニヤニヤとした笑っていた。
「ふふふ。これはこれは、ずいぶんと面白い結果になったものだね。単独で劇的な変化を見せる子たちに、まるで入れ替わったかのような変化になったペアの子たち。先ほどと違って男性比率が一気に上がって、容姿端麗のイケメンや、私好みのショタがいるのも堪らないね。私へのご褒美のようだよ」
ずいぶんと楽しんでいる様子のみそら先生。
愉悦に満ちた笑みを浮かべ、ゆうなとゆたかを下から上へ舐め回すように眺めている。
それが俺に向けられていたらと思うとぞっとする。
そちらに集中しているようなので、あの、と声をかけてから質問を投げかけることにした。
話しかけるとき、心臓がきゅっとなるような圧迫感を覚えたのは、先に感じた怖さか、俺が抱いた疑念のためか。
「みそら先生が、俺たちをこうしたんですよね?」
「ん? ああ、そうだね。私がそのきっかけを与えたよ」
みそら先生は肯定するが、視線はゆたかの方を向けたままなので、こちらに集中してくれていない。
さっきたくやのような華奢な男性が好みだと言っていたこともあって、よほど興味があるのだろう。
しかし、俺としてはある疑念が頭を埋めていて、その様子にすごく焦れったさを覚える。
「じゃあ、今日の犯人も、みそら先生ですか?」
「おや、それはどういう意味だい?」
今度こそ、みそら先生の興味がこちらに向く。
その大きな胸の下で腕を組み、首を下に向けて俺と視線を合わせてくる。
相対すると身じろぎたくなる気持ちが湧いてくるが、ぐっと堪える。
「今日、俺をあかりの体にして、あかりをここに閉じ込めたのも、みそら先生の仕業ですか?」
「ああ、なんだ。そういうことか」
ふふ、と小さく笑い、興味から微笑ましいといった表情に崩れる。
どうして笑ったのか問えば、
「そう勘違いしてしまうのも仕方ないが、そちらはノータッチだよ。私がしたことは、この場所で君たちを異性に変えるきっかけづくりをしただけだ。あきら君が懸念するその事象は、私も解決しようとしていた側の人間なんだよ」
「解決しようとしていた?」
「そうだね、それについても合わせて説明しようか」
今、俺たちを性転換させたのがみそら先生だとしたら、俺をあかりにしたのもみそら先生だったのかもしれないと考えていた。
俺が知る限り、人の性別を容易に変えてしまえる人間はいない。
もし、みそら先生がそれができるのだとしたら、そう疑ってしまうのは自然な流れだろう。
しかし、みそら先生も解決しようとしていた側?
俺と一緒に解決しようとしてくれていたのは男性の菊地原先生の方で、みそら先生とはさっき知り合ったばかりだ。
それなのに解決しようとしていたとは、一体どういうことだろう。
みそら先生の説明は、これから始めるらしい。
その雰囲気を察したのか、他のみんなもみそら先生に注目を始める。
俺の隣にいたゆたかは、先ほどの視線攻撃が効いたのか体の前で腕を組み、気持ち俺よりもみそら先生から離れた位置に立つ。
ゆうなはあかりと俺を見比べ、悩むような表情を浮かべて指をワキワキしていたが、結局何もせず。
あかりは、そんな様子のゆうなから若干距離を置いて、誰よりも遠い位置にいた。
こほん、と小さな咳払いが、みそら先生が話し始める契機になった。
「先に私の疑惑を解いておこうか。ちょっとした悪ふざけのつもりだったのだが、たしかに君たちの置かれた状況のことを考えると、そう疑われてしまっても自己責任だろう。いや、ついゆたか君が私のたくや君と同一の存在なのだと思うと、彼女がどのような子になるのか楽しみで見たくなってしまったということもあってね」
「みそら先生のお眼鏡に適ったようで何よりですよ」
少年に近い声色で、ゆたかは皮肉で返す。
そんな様子もみそら先生は楽しんでいるようで、愛おしそうにゆたかを見下ろしていた。
「たくや君と違って無口ではなくおしゃべりなところも、また違った魅力があるよ。可愛くて堪らないね。しかし私も良い大人なので、手篭めにしてしまいたいこの気持ちはそっと胸にしまっておくことにしよう」
みそら先生は口から生まれてきたのだろうかと思うくらい、本当によくしゃべる。
ゆたかはもちろん、俺も若干引いて、みそら先生と距離を取ることにした。
「さ、程良く熱が冷めたところで、まずは私の疑惑についてだ。これは先ほどあきら君に答えたとおり、私は犯人ではない。私がこういうことをできるように見せかけられるのはこの“裏側”だけで、あきら君とあかり君の人格を入れ替えるようなことを“表側”でやることはできないよ」
含みをもたせた言い方に疑問が湧いてくるが、それをたしなめるようにみそら先生は手のひらを俺たちに向ける。
その手のうち、二本だけを立てて見せる。
「私が奇術らしく見せかけた二つの出来事を起こしただろう? この場所の色を黒から白に変えたことと、君たちを異性に変えたこと。それは私の力ではなく、この“裏側”の特性を利用して、さも私がやったかのように見せかけたんだ」
それは、先に言っていたように種明かしをするような口調のみそら先生。
見せかけた、と表現するみそら先生は、さらに俺たちに何かを見せたいらしい。
私の手にご注目、と言って、こちらに向けていた手の方に視線を集めさせた。
こちらに向けていた手を握った形にする。
もう片方の手でそれを包み、握った方の手が見えないようにする動き。
「さあ、何もなかったこの右手。私が左手で隠すとあら不思議――」
またもマジシャンのような語り口で続けたそれは、まさにマジシャンのそれになった。
言葉を切った途端に包んでいた方の手を離すと、隠されていた手の方には一本の赤いバラが握られていた。
とても手のひらで覆い隠せるようなものではないサイズ感のものなのに、手を離した瞬間に現れ、思いがけず驚く。
そうした反応がみそら先生は楽しいらしく、先ほどから何度も見せている嬉しそうな笑みを浮かべた。
「ほら、私の左手で隠した“裏側”では何が起きているかわからないだろう? これが、私がこの場所を“裏側”と呼称する由来であり、この場所の特性でもある」
みそら先生は、バラを持たない方の手を広げて甲をこちらに向け、持っている手の前へ。
見えていたバラの根本をその手で隠した後、ゆっくりと上へスライドさせる。
すると、不思議なことに、その手の通った場所からバラが消えていた。
先端の花は見えているのに、根本だけが消えている不可思議な状態。
そのまま上へ、花がなっている部分も隠し、過ぎ去ると、完全な消失。
そもそもバラを持っていなかったかのように何もなくなってしまう。
そうしたバラの出現、消失マジックに驚く一方だが、そのことにはもう触れないらしい。
「君たちは、シュレーディンガーの猫という思考実験を知っているかね?」
突然の質問に戸惑うが、俺はそれを知らず、首を横に振る。
「有名な話だが、簡易的に話すと、半分の確率で死ぬ毒が入った箱の中に猫を入れ、箱を閉じる。その箱を開けるまで猫が生きているか死んでいるかは半分の確率であり、それは同時に箱を開けるまで猫は生きている状態と死んでいる状態が重なっているとも言えるお話のことだ」
どこかで聞いたことがあるような気もするが、よくわからない。
特に後半の解釈は理解できず、猫が可哀想な話だが、生きてるかどうかは運次第なわけで、別に状態が重なってるなんておかしな表現にはならないように思える。
というか、みそら先生のこの話は何に繋がるのだろう?
「私の言う“裏側”とは、このシュレーディンガーの猫がいる箱の中と言い換えても良いね。観測者が知るのが“表側”で、隠されて知られるまでが“裏側”であるというのが私の解釈だ。つまり、観測されない以上、あらゆる可能性が重なったままの空間。そう捉えて、あえて語弊のある言い方をするなら、何でもイメージ通りにすることのできる場所と言ってしまおうか」
みそら先生の話の半分も理解できないが、イメージ、と聞いて思い出すのは、先ほどみそら先生が俺たちにやらせたことだ。
みそら先生は、俺たちにイメージしろと言っていた。
この場所の色を黒から白に変えるときも、俺たちの性別を変化させたときも、同じようにイメージするように促し、指を鳴らしてその通りにしたのだ。
「箱の中に閉じ込められた猫は、一体どんな景色を見ていて、どんな結末を辿るのだろうね。猫は当事者であり、自身の観測者でもあり、外側からは箱が開けられるまで生死が確定しない存在でもある。それが今の我々なのだと考えると、ああ量子の波間に思考を漂わせたくなるとは思わないかね」
「いや、思いませんけど……」
「ふふ、そうかね。それは残念だ」
混乱のもやが思考の先を覆う感覚の中、みそら先生ただ一人は嬉しそうに笑っている。
残念とは口にしながらも、その表情には全く込められていない。
「それで、私が君たちにやったのはその特性を使うためのきっかけづくりだよ。もう一度言うが、私がやったのはあくまできっかけづくりで、恐らく君たちは私がこれらの変化をさせたのだろうと思っているかもしれないが、実際に引き起こしたのは君たちのイメージする力だ。私はそれを促したに過ぎない」
そういえば、きっかけづくりと表現は先ほどもしていたことを思い出す。
「私はこの“裏側”についての特性を知っていて、それを利用する方法を多少なりとも心得ている。それはイメージの力だ。極少数の観測者である我々が重なった可能性の中から見出したものが、この“裏側”においての現実となる。私はその見出し方を君たちに実践させただけだよ。故に私は、君たちより少しばかり“裏側”に詳しいだけの一人の観測者さ。犯人なんて大それた存在ではない」
みそら先生の語るほとんどを理解できなくなってきたが、とにかくわかるのは二つだけ。
この場所は、うまくイメージすればその通りにできる不思議な場所であること。
そして、みそら先生はそれができることを知っているだけで、俺をあかりの体に入れ替わらせた事象とは関係ないこと。
みそら先生が流暢にしゃべっている内容をまとめると、たぶんそういうことになるのだと思う。
たぶん一生懸命飲み込もうとしているのが顔に出ていたのだろう。
みそら先生が俺の方を向いていて、小さいものを愛でるように笑い、ちょっとムカつく。
さっきから回りくどく、わかりにくいように話すのが癖だと言っていたから、きっとみそら先生は俺みたいに悩む姿を見るのが好きなのだろう。
改めて、ゆたかが言っていたように「趣味が悪い」のだと認識する。
見れば、考え込む表情をしているのは俺だけではなかった。
俺の近くにいるゆたかは、少年のようになったあどけない顔に手を当て、何かを小さくつぶやいて情報を整理しているように見える。
次に近いゆうなは、相当な美形になった顔を苦しい表情に歪ませ、無骨になった腕を組んで悩み中の表情。
あかりは俺たちから少し距離を空けていたが、俺の顔をして悩むような、半分考えることをやめてるような中途半端な様子が見て取れた。
そして、そんな俺たちを悩ませるみそら先生の話はまだ続くらしい。
「ああ、そうそう」
不意に思い出したような声から始まったそれは、
「私は“裏側”と表現したが、あきら君は「世界の隙間」と、あかり君は「精神世界」と表現していたね。私はそのどれもが正解であると思っているよ」
先ほど俺たちが話し合っていた仮説に関する、両方への肯定だった。