突きすぎると失敗する
「ちょ、ちょっと待ってくれよ、ゆうな」
俺は慌てる。
あかりの味方、反論する。
それらの単語はどうにも不穏で、オカルトを強引にでも否定しようとしていたときのゆうなを思い出すからだ。
「あきら、大丈夫よ。そんなに慌てないで」
対して、ゆうなはとても落ち着いている様子。
「私がする反論は、あくまで可能性の話。まだ完全に否定されるようなものでもないのに、あかりの考えたことを潰されちゃうのは嫌だからね。いつもみたいに屁理屈こねて、それっぽくするだけの反論よ」
「それが怖いんだって……」
俺の気持ちを知ってか知らずか、小さく笑うゆうな。
ゆうなはただおかしそうに笑うだけだが、それがそら恐ろしく感じる。
ゆうなのこねる屁理屈は、いくらでもそれっぽくなるし、それによって振り回されてしまう。
そうなることを知っている俺としては、かき乱される要因になるのでやめてほしいと思うわけで。
しかし、ゆうないわく、
「気持ちはわかるけど、あきらの言っていた世界の隙間説だって、私たちが来て信憑度が増しただけだと思うのよ。まだ確定ってことでもないのに他の可能性を潰しちゃうのは、もしそうじゃないほうが真実だったら、結果的に遠のくだけよ?」
「それは、そうなんだけどさ……」
やっぱりゆうなは口がうまい。
俺としても、本質的に知りたいのは真実で、俺の唱えた説を盲信したいわけではない。
そう言われてしまうと、ゆうなの反論について黙って聞かざるを得なくなってしまう。
俺が話を聞く気になったのが伝わったらしく、ゆうなは小さく咳払い。
猫を愛でるようにあかりを撫で、これまで途切れていた話の続きを語り出す。
「菅原さんの言う矛盾点については、私も理解しているわ。でもそれって、本当に精神世界の可能性を全て否定できるものかしら?」
撫でられているあかりは、食い入るようにゆうなのことを見上げている。
「あかりの部屋で不思議なことが起きているのは間違いないと思う。私もそれには同意してる。そうじゃなきゃ、私自身がこんな暗くて気色悪い場所にいるのが変だもの。でもね、この場所はまだ定義しきれるものじゃないとも思うのよ」
「定義しきれるものではない、って?」
そうオウム返しに問う俺に、ゆうなは小さく頷く。
「そうね。あかりの部屋で眠った私たちが来たのは、本当に世界の隙間だって断言できるの? ってこと。あきらが自信なさげだったように、ここが世界の隙間だってことを確定できる証拠はないでしょ? なら、あかりの頭の中だっていう可能性もあるんじゃないの、ってこと」
ゆうなが言うように、たしかにここが世界の隙間だって確定しているわけではない。
俺が別の世界から来たこと、世界の異なる俺たちが会っていることを考え、世界の間みたいな場所ではないかな、という考えに基づいたものだ。
だから、ゆうなの言っていることに間違いはない。
間違いはないのだが、
「でも、俺たちやみそら先生がいるってことを考えると、あかりの頭の中って可能性は矛盾してないか?」
名前を出したのをきっかけに、しばらく黙っているみそら先生の方を見る。
そもそもの問いを投げかけてきたみそら先生は今どう思っているのだろうと思ってのことだが、考え事をするように口元に手を当て、俺たちの様子を見ていて、その表情は読みづらい。
あと、やっぱり四十歳を超えているような年齢にはとても見えない、すごく若々しくて綺麗な人だ。
とにかく今は口を出してくる様子はないので、またゆうなの方へと向き直る。
「私が言いたいのはね、結論を出すには急ぎすぎるってことなのよ」
急すぎる、と言うのは、
「きっと私たちの体はあかりの部屋で眠ったままで、こうしてここに存在している私たちは魂とか精神体みたいなものって考えてみて。もしくは、不思議な力でみんな同じ幻覚を見ている、ってことでもいいわ。そう考えるなら、どちらに来ていてもおかしなことはないんじゃない?」
ゆうなは優しい表情であかりを見て、その頭を撫でる手を止める。
指先だけであかりの細くなめらかな髪の房を巻取り、指遊び。
さすがにそれはあかりも嫌がったのか、ゆうなのその手を掴み、不満そうに口を尖らせる。
「あら、何でもしていいわけじゃないのね。……まあ、想像してほしいんだけど、私たちの魂が、あかりの部屋で眠った拍子にひょいっと抜け出して、それが不思議な力によってこの場所に引き寄せられたなら、その行き先はあかりの頭の中であっても、同じ理屈で言えるんじゃないかしら」
頭に思い浮かべたイメージは、漫画やアニメで見るような、白く半透明な球体めいたものが俺たちから出てきて、みんなのそれがあかりの体の中に吸い込まれる様子。
「菅原さんとあきらが言っていたのは、あかりの頭の中にはあかりしか存在できないって固定概念に基づいた矛盾なのよ。でも、今起きているのは説明できない不思議なこと。私がいても、みそらさんがいても、それならその固定概念が壊れていてもおかしくないじゃない?」
「なるほど、ゆうなはそう思うんだね」
いつの間にか復活していたゆたかが、俺の横に並び立ってそう返事をする。
もう大丈夫なのか、と聞いたら「波は越えたよ」と、腹痛か何かのように答えたのはちょっと笑った。
「ゆうなは、悪魔の証明はできないってことを言いたいんだね」
「悪魔の証明って?」
「存在しない、ありえないってことを証明することは酷く難しいって比喩表現さ」
先ほどまであかりにノックアウトされていたようには見えないほど、ゆたかは背筋良く凛と語る。
むしろ、先ほどのあれで元気をもらったかのようにも見える。
「たしかに私はゆうなの言うように、固定概念にとらわれていたのかもしれないね。私は幽霊方面が専門だったから、先生が言っていた世界説を前提として考えていて、そのフィルターで見たときの矛盾点を指摘してしまったのかもしれない。だから、あかりに謝るよ。ごめんね」
ゆたかは、あかりに向かって小さく頭を下げる。
頭を上げると、さらに言葉を続けた。
「でも、あかりの言うことにはまだ間違いはありそうだ。それは、あきらが二重人格だってこと」
二重人格、という言葉を聞き、俺はドキリとする。
それは考えうる中で最悪の仮定で、俺の存在否定。
その俺の反応と、あかりのそれは同質だった。
先ほどゆうなが指遊びしようとしていた手を掴んだまま、ゆたかを見上げて固まっている。
「私やゆうなが来れたのだから、ここがあかりの頭の中だったとしても、あきらが二重人格という仮説は成り立たなくなるだろう? あかりがそう言っていたのは、ここにはあかりとあきらしかいないという前提があったものだったのだから」
ゆたかの言うことに、俺は強く頷く。
信じたいという思いが出て、そうあってほしいという気持ちになる。
『で、でもさぁ……』
「それなら、ちょっと怖い話できるわよ」
どもるあかりの肩に手を置いたゆうなは、急にわからないことを言う。
「怖い話?」
俺がそう聞くと、ゆうなは頷く。
それまで向かい合うように抱きしめていたあかりの肩を動かし、半回転。
今度はあかりを背中から抱く形にして、またあかりの頭を撫で始めた。
俺たちと向かい合うことになったあかりは、所在なさげに困った顔をしている。
「二重人格かどうかって可能性を深堀りしていくと、私や菅原さんにだってありえる話じゃない? 自分に人格がいくつもあるなんて自覚ないまま、二重人格になっている人だっているはずでしょ? それなら、私たちがその自覚がなく二重人格になっていて、いつかどこかで人格が入れ替わっていたとしても、それは気づけることなのかしら」
「――ゆうな、そこまで言うのは詭弁だよ」
返すゆたかの語気は、少し強いものだった。
決して怒っているようなものではないが、言葉の一つひとつを丁寧に伝えるような口調。
「ゆうなの言うことは、たしかに可能性の一つだ。でも、そうした稀のものまで含めてしまっては、いつまでも話が進まなくなってしまう。ゆうながしたいのは、そんなことではないだろう?」
「あ……そう……そう、よね……」
ゆたかの言葉に、ゆうなは何かを気付かされたようだった。
自身の顔に手を当て、小さく頭を振る。
「いえ、ごめんなさい。やっぱり、まだ全然慣れないみたい。否定することをやめてみて、思いつくことを片っ端から言ってみても、そうなってしまうのね……」
眉尻を下げ、頭を垂れる。
それははっきりとした反省の色で、悔いる言葉。
ゆうなの柔らかい茶髪が垂れる様子が、チクリと胸に刺さる。
俺が抱いた気持ちは、たぶん同情と分類されるものだろう。
何かを言葉に出そうと思うが早いか、先に反応したのはあかりの小さな声だった。
『ゆうな、ありがとう』
あかりはゆうなの腕の中から抜け出し、振り返ってゆうなの顔を見上げる。
俺からはあかりの背が見えるのみだが、その向けられた表情を見たゆうなは小さく驚いている。
『えっと……ゆうながこんな風に頭が回るなんて知らなかったけど……俺のこと、フォローしてくれたの、嬉しかった』
その声は小さく、俺にも微かに聞こえる程度のもの。
あかりはゆうなの両手を包むように握る。
その小さな手では包み込めていないけど、その行為は温かいものだというのが伝わる光景だった。
ゆうなが言っていたことも、ゆたかが止めた理由も、理解できるものだった。
きっと、ゆうなは自分の恋人であるあかりの考えたことを否定されるのが嫌で、ムキになっていたところがあったのだろう。
自称するように、ゆうなは考えうる可能性を導き出すのがうまい。
けど、それは過ぎると重箱の隅をつつくようなことになり、ゆたかが止める結果になった。
立ち返ってみると、俺とあかりは当事者だし、ゆうなはあかりの恋人で、その味方。
ゆたかに関しても、先ほど自分で言っていたように、無意識のうちに菊地原先生の意見を前提としている節があったと言っていた。
つまり、その立場などが影響して、それぞれから出てくる話はどうしても偏ってしまうのだろう。
これまでの経験を経て、自分のことながらそう思う。
ゆうなの語ってくれた話を聞いて、俺は自身のことを思い返す。
果たして、俺は自分の仮説に固執しすぎてはいなかっただろうか――
「ふふふ」
そんな自省の思いを巡らせようとしているとき、唐突に笑い声。
上品そうに聞こえるその声の主は、これまで俺たちの様子を見ているだけのみそら先生だった。
「ディベートと表現するには稚拙かな。しかし、こうして若者たちが語らう姿を見るのは満足度が高いね」
「からかわないでください。私だって、精一杯やってるんですから」
まず反応したのはゆうなだった。
先ほどまでは落ち込みそうな様子だったが、今度は少し恥じるような口調でみそら先生に食ってかかる。
「いやいや、からかうとかそういう幼稚なことではないよ。本当に私は愉しいんだ」
「なら、みそら先生の趣味が悪いってことでいいですか?」
真っ直ぐな姿勢で胸の下で腕を組み、問うのはゆたか。
その印象は、菊地原先生と相対しているときと近いものを感じた。
ちょっとピリピリしたものを感じるが、対するみそら先生は悠然と構える。
「よくそう言われるよ。自覚もあるかな。それにしても、私の種明かしをそっちのけで議論がかわされるというのは、奇妙でもあったね」
『う……』
それに反応したのはあかりだった。
みそら先生が話し出した途端、ゆうなの背に隠れ、顔だけを覗かせている。
俺に対してドロップキックを繰り出してきたときの威勢は、その影すらない。
「まあ構わないさ。むしろ議論を深めてくれていた方が、私がこれからする種明かしについても理解しやすくなるだろう。お膳立てと言えるね。そういった意味では感謝を述べて良いかもしれない」
「えっと、つまり何が言いたいんですか?」
今度は俺が質問。
仰々しくてどうにもまどろっこしいのは、男性の菊地原先生と同じ匂いがする。
匂いというのは、もちろんそういう意味ではないけど。
「急かしてくれてありがとう。それでは、始めようか」
みそら先生は、俺たちに向かって一歩前へ。
真紅のハイヒールの靴を高く鳴らし、右手を前へ。
「さあさあ、よく見て、よく聞き、よく考えてくれよ。これから私がこの指を鳴らすとき、世界は変わる。今は暗闇に覆われたこの世界が、私の指がパチンと鳴ると、あら不思議。真っ白な世界へと早変わりさせて見せよう」
「え、なんですか、そのマジックみたいなの……」
語り口調も、なんだか調子の良いマジシャンのように聞こえる。
いきなり何を言い出すのかと問う俺に、みそら先生は楽しげな表情を返す。
「種明かしの前に奇術は付き物だろう? さあ、勘ぐらずに素直な気持ちで私の言葉を聞いてくれ」
みそら先生は前に突き出した右手の指を動かす。
薬指と小指は曲げられ、中指と親指を合わせた、指パッチンの状態。
「さあ、この指を見てくれ。ほら、あかり君もちゃんと覗き見てくれよ。そしてイメージするんだ。私がこの指を鳴らした瞬間、周囲の黒が全て白に変わるのを。いいかい? しっかりイメージするんだよ?」
どうやらみそら先生は、このままマジックみたいなことを始めるつもりらしい。
名指しされたあかりはビクリと反応してゆうなの背に隠れてしまったが、すぐにまた顔を覗かせてくる。
そんな様子を見て俺たちは小さく笑い、とりあえず何かを見せようとしているみそら先生に付き合うことにした。
しかし、そんなことができるのだろうか。
あかりだったら、自分の姿を自由自在に変えることができるのは知っている。
でも、そのあかりでさえ、この空間で自由にできるのは自分自身のことだけだ。
なのに、みそら先生は周囲の景色を丸ごと変えてしまうと言う。
俺の疑問はみんなにも共通するものだったようで、ゆうなやゆたかを顔を見合わせたが、その前にみそら先生からは「勘ぐらずに素直な気持ちで」と言われたばかりだった。
思い直し、物は試しに、この真っ暗な空間が真っ白な――まばゆい純白の空間になったときのことを想像してみる。
それが光みたいに眩しいと目が潰れてしまいそうだから、白い壁紙くらいの感じが良いかな、とか思っていると、みそら先生の声。
「イメージできたかい? 素直で良い子たちだね。そんな君達に、イメージ通りのものを見せてあげよ。さあさあ、私の指にご注目」
言われるがまま、俺はみそら先生の指を注視する。
ほんの少しだけシワ深いような気のする手。
細く長い指の先は、赤いマニキュアで彩られている。
「いくよ? 三秒前からカウントダウンだ。……さん、に――」
始められたカウントダウン。
その数字が進むにつれて、みそら先生の指先に力が込められていくのがわかる。
「いち――」
数え下ろす直前。
気持ちとは裏腹に、息を呑む。
そして――
――パチン
小さく弾けるスナップの音が聞こえた瞬間。
宣言通り、俺たちの周囲が真っ白な色合いに様変わりするのを目撃することになった。