あかし
*
『あの……』
ゆうなたちがこの場所に来るまでについての話をした後、遠慮がちにあかりが口を開く。
その声はか細い。
『菊地原先生って人は、この人なのか……?』
ゆうなに抱きついていた片手を、みそら先生を指差すように変える。
みそら先生は、ふふ、と大人の余裕を帯びた笑みで受ける。
「さて、どうかしらね」
「いや、違うって言ってたじゃないですか」
なぜか含ませるみそら先生に対して、俺が突っ込む。
それはさっき、みそら先生自身が言っていたことだ。
俺はこんな大人の魅力あふれる女教授に会ったことなどなかったし、この人がオカルト部の顧問だったら、きっとゆたかは消臭剤を撒き散らしたりしなかっただろう。
『え、じゃあ、この人は……?』
続ける質問の声は小さく、消え入りそうなほど。
どうにも、あかりが妙に大人しいような気がする。
「私は菊地原だよ。みんなの知る菊地原だね」
「それは私から話すからね。あかりは聞いててね」
『う、うん……』
追加で茶化そうとしていたみそら先生の言葉を食い、ゆうなは優しくなだめるような声であかりに話しかけていた。
無視されたみそら先生は、不服そうに口を小さく尖らせていた。
そんなみそら先生の様子をさらに無視して、ゆうながあかりの頭に手を置く。
その手はゆっくりとした動作で撫で下ろし、撫でられるあかりはきゅっと目をつむる。
「このみそらさんは、本人が言っていたように、あきらの世界からきた菊地原先生なんだと思うわ。どうしてここにいたのかはわからないけどね」
あかりは大人しくゆうなに撫でられ、語るゆうなは淡々としている。
「理由はどうあれ、私たちと一緒にここに来ようとしていた菊地原先生は、私たちより先にみそらさんと会ったんだと思う。菊地原先生って、知識欲に対して忠実で貪欲で、行動力もある人でしょ?」
ゆうなの言う菊地原先生のイメージには同意する。
ミステリースポットの臭いなるものを追って、土地勘のないはずの俺の家まで訪ねてくるような人だし。
「みそらさんと会って、別世界の自分ということを知って、みそらさんを代わりに私たちのところに寄越したってことは、きっとこのおかしな場所を思うがままに調べてみたくなったんじゃない? あの人、単独行動のほうが生き生きしそうでしょ」
鼻息荒くする菊地原先生を想像すると、ゆうなの言うことが当たっているような気がしてきた。
「いろんな意味で嗅覚の鋭い人だからね。もし重要な何かを見つけたら私たちのところに来てくれるんじゃないかしら。いろんな意味で残念な人でもあったけど、私はそういう人間性は信頼してるから」
「素晴らしいね。いや、こうして別世界の私のことを褒められたり貶されたりするのは、非常に面白い心証を得るものだね」
みそら先生は、ゆうなに向けて小さく拍手を送っていた。
それは純粋にゆうなを褒め称えるもの。
「君が言っていることは全て正解だよ。いやはやどうして、君は私たちの会ったところを覗いていたのかい?」
「そんな趣味の悪いことはしません。私はただ、みそらさんが言っていたことを、つじつまが合うように繋ぎ合わせただけです」
そう言うゆうなの表情は得意げで。
ここに至ってゆうなの本領発揮というか、あのゆたかさえも凌ぐ勢いに圧倒される。
そんな様子を見て、ゆたかも感心の声をあげていた。
「なるほどね。ゆうなの解説で私も理解できたよ。あと、みそら先生の趣味の悪さもね」
ゆたかが言う趣味の悪さとは、あえてわかりづらく言っていたことを指しているのだろう。
たしかに、ちゃんと話してくれれば混乱せずに済んだのに、意識的にそうしてきたのは、それこそ趣味の悪さ故なのだろうか。
「君の名前はゆうな君で良いかな? いや、実に素晴らしい。世界さえ同じであれば、我がオカルト部にほしい逸材だ」
「それならもうお断りを入れてますよ」
「おっと、後手に回ってしまっていたんだね。それはそうか。やはり私は手が早い女、いや男だね」
おどけたように笑うみそら先生。
半分冗談、半分本気みたいなトーンで話している様は、なかなか掴みどころがない。
と、あかりのつぶやきが聞こえてくる。
『俺の知らない人が、知らない人に変わってたのか……そりゃあ、知らないよな……』
まあ、あかりにとってはそうなのだろう。
三回目のこの空間で話したときに菊地原先生のことを知らないと言っていたから、男性の菊地原先生を知らない状態でみそら先生が出てきたところで、俺たちとは違った感想になるだろう。
そんなつぶやきをゆうなも聞いたようで、優しい笑みを浮かべてあかりを見る。
「そうだね。だから、あかりはみそらさんのことは気にしなくていいよ。それより、私たちがどうやってここに来たのかは理解できた?」
『う、うん……』
「良かった。あかりは偉いね」
小さく頷くあかりに、満足そうに微笑んで頭を撫でるゆうな。
いや、恋人同士にしたって、ゆうなはいつまであかりを抱きしめているのだろう。
あと、甘やかしすぎ。
あかりもずっとされっぱなしだし。
俺の前ではあんなにツンケンしていたのに、今はずっと大人しすぎる。
「なんか、あかりの人が変わったみたいだ」
『な、なんだよ……』
俺がその疑問を口にすると、あかりは眉をしかめる。
代わりに答えてくれたのはゆうなだった。
「あかりは人見知りだからね。知らない年上のみそらさんがいるから、緊張しちゃってるのよ」
「え、そうなの? めっちゃ意外なんだけど……」
ゆたかの方を見ると、ゆたかもそれは承知しているようで、嘘ではなさそう。
いやしかし、俺に対するときと態度が違いすぎる。
「俺だってあかりと会ってから間もないけど、そんな感じの態度じゃなかったぞ? 出会い頭にドロップキックしかけてきやがるし」
『お前とはもう何回も会ってたし、何より、なんかムカつくし……』
ごにょごにょと小さな声のあかり。
俺の記憶ではさっき会って間もない印象だったが、あかりからすればすでに三回は会っていたのだ。
どれくらいの時間を経たのかはわからないが、もう人見知りしないくらいには慣れていたのだろう。
あと、ムカつく気持ちは俺も感じていたところだったのでわからないでもないが、それにしたってドロップキックはやりすぎだろうとも思う。
「あかりは慣れた人にはすごく心を開くのよね。大変だったけど、攻略のしがいがあったわ」
『こ、攻略とか言うなし……』
過去を慈しむようなほっこり笑顔のゆうなと、少し頬を赤らめてゆうなを見上げるあかり。
ふと目に入ったゆたかは、なぜか無感情で何もない遠くを眺めていた。
「まあとにかく、私の存在はゆうな君の言うとおりだよ。大正解だ」
みそら先生は、胸の前で両手をぱちんと叩く。
その気はなくても、視線はとても大きく盛り上がるよう寄せられたそちらに。
「私が君たちと合流するより早く男の私と会っていてね。彼はここに来たばかりで、私はもう長い。まだ尽きない探究心はあるが、きっと彼のほうがより飢えているだろうと思って、彼が担うはずだった責務を代わりに引き受けることにしたんだ。何よりも、種明かし役というのは楽しげだったからね」
「種明かし?」
「あきら、あんまり真面目に聞かないほうが良いわよ」
俺の疑問に返してきたのはゆうなだった。
「意味深なことを言って気を引きたいだけよ、この人は。種明かしって言っても、さっきみたいに自分から謎めいたことを言って、私たちが混乱する様子を楽しみたいだけなのよ」
あからさまな棘のある言葉だが、ゆうなの言うこともわかる気がする。
先ほどまでの言動からしても、みそら先生は人を困らせたり戸惑わせたりするのが好きな性格のようだ。
ゆうなが言うように、わざとそれらしいことを言って俺たちを煙に巻こうしてくるかもしれない。
しかし、みそら先生は否定の声をあげる。
「今度は不正解だよ、ゆうな君。次は正真正銘の種明かしさ」
みそら先生は両手を広げる。
その様子は、まるでマジシャンがイリュージョンを成功させたときのような仰々しさがあった。
「さあ、君たちはこの場所へ探索へ来たという話だったね。だが、その必要性は皆無だ。なぜなら、私こそがこの場所におけるアンサー。種明かしをしてみせるから、みんな可愛らしく驚いてくれたまえ」




