三度目の邂逅・会話
*
「い、いい加減、ちゃんと話をするか……」
『こ、こっちはずっとそのつもりだったよムッツリドスケベ……』
あかりの減らず口は相変わらずだったが、その口調はだいぶ疲れて落ちていて、お互いに喧嘩を続けようなんて気概はない。
少し距離を空けてあかりの前にあぐらをかいて座ると、あかりも合わせてあぐらで俺に向き合う。
こうして対面してみて知ったのだが、ちんまりした体つきのあぐらがこうまで似合わないとは思わなかった。
『で、何の話だっけ?』
「……俺がここに来た方法だよ」
一瞬、呆れて声が出てこなかったが、俺が言うとあかりは合点したように『ああ、そっか』と頷く。
『そんで、その方法は?』
「ゆうなに気絶させてもらった」
『……ん?』
今度はあかりが言葉を詰まらせたようで、頭の上にクエスチョンマークを浮かべて首を傾げる。
『気絶させてもらった?』
「他意はないからな。ここに来るために、ゆうなに協力してもらったんだ」
あかりがしかめっ面をして自分の首の後ろを両手で押さえる。
手刀で気絶させられたと勘違いしているのだろうか。
そんなんじゃない、と言おうとして、ゆうなに気絶させてもらったときの光景を思い出し……いや、言うのはやめておこう。
下手に否定して追求されたら、あんな恥ずかしいことを吐露しなければならなくなる。
あんな、ゆうなに好きなように責められて気を失うなんてこと……。
『おい、何で顔赤くしてんだよ。気持ち悪いな』
「あ、赤くなんかなってねえし」
言われて顔が熱くなっていることに気が付いたが、認めたくないから首を横に振る。
さらにあかりが怪訝そうな顔でこちらを見てきたが、とにかく気にしないことにした。
それからあかりは自分の体にアザができてないか気にしているようだったので、そういう暴力的なことじゃないと伝えると、ようやく安心したように息を吐いた。
暴力的かどうかで言えば、俺の抵抗を一切許さないゆうなの行動はある意味で暴力的ではあったけど……。
脳裏にチラついたゆうなの肌色を追い出すために、また首を横に振る。
『よくわかんねえけど、まあ何ともないならいいか。お前の与太話に付き合ってやる義理なんてねえし』
いちいち一言多いが、それに突っかかったところで得しないのは先ほど学んだばかり。
『で、何でここに来ようと思ったんだよ? っていうかここのことは覚えてたのか? 前はすっかり綺麗に忘れてたよな?』
「何でここに、って……」
一言だけじゃなくて質問も多いな、と呆れて答えようとしたが、頭を過ぎった思考がストップをかける。
俺がここに来た理由。
それはあかりに会うためであり――俺の目の前にいるのは、あかり。
ああそうだ、失念していた。
俺が意識を取り戻して男に戻っていることに歓喜していたらドロップキックを食らわされるし、加害者たる女は変身してあかりになるし。
そのあかりとは初っ端から馬が合わなくて殴られるし、喧嘩するし。
そうこうしていたら、俺の意識はどこからかズレていた。
どうして俺がここに来たのかも覚えていたし、あかりと会っていることもわかっていた。
でもそのことと俺の目的が結びつかなかったのは、ひとえに俺の注視点が他にズレていたからだ。
だったら、呑気にだべってる場合じゃない。
「お前の質問の前に、俺に質問させてくれ」
『は? 嫌だよ、何でお前の質問なんか――』
「頼むよ。時間がないんだ」
あかりはたじろいだようで、戸惑いながらも頷いてくれた。
時間がない。
それは俺がここに来る前からわかっていたことで、時計の類が見られないここではどれだけ差し迫っているのか把握することもできない。
だから、とにかく俺は――気付いた俺は急ぐしかない。
*
『――くだらねえこと聞くなよ』
俺がした質問。
それは俺があかりに会って聞こうと思っていたことで、期待値は高かった。
答えならずともそれに繋がる何かは聞けるだろう。
そう踏んでいた俺の質問は、容易に吐き捨てられる。
『俺たちの入れ替わりを戻す方法を知らないか、なんてこっちが知りたいくらいだっての。誰が好き好んで見ず知らずの野郎に俺の体を使わせてやるんだよ。アホか』
「そ、そりゃあそうだけど……」
俺はあかりを真実に一番近い人物だと想定していた。
何故ならあかりは当事者であり、こうして不可思議な空間に存在している。
なのに、
『ちゃんと考えてみろ。お前が当事者であるのと同じで、俺だって当事者なんだ。同じ当事者のお前が知らないことを、俺だって知ってるはずがないだろ』
あかりの言葉に間違いはなかった。
『いいか? お前は二つ大きな勘違いをしている』
言い、あかりは人指し指を立てる。
『一つ目は、さっき言ったように俺もお前も当事者――被害者だってこと。俺だって俺の体に戻りてえよ。お前みたいな変態に俺の体を預けてるだけで気が気じゃねえし』
続いて中指も立て、二本目。
『二つ目は、』
これが、俺にとって最大の誤算。
『俺たちは入れ替わってなんかいない。俺は一度だってお前の体の中に入ったことなんかねえんだよ』
咄嗟に言葉が出てこず、意図せぬ声すらのまれた息でせき止められる。
――俺たちは入れ替わっていない。
あかりが話したことに、俺はどうして良いのかわからない。
どうして、何で、という疑問。
急激に渇く喉は正しく機能しない。
そんなはずがない、と考えた思考は、どうしてか俺の中で酷く胡散臭く響いた。
『今度は強く反発しねえんだな』
言うあかりは不思議そうで、どこか俺を訝しむ様子。
『前にこの話をした時は、もっと食い気味に「そんなはずない!」って言ってきたんだけどな。少しは成長したか?』
……そうじゃない。
そんなはずがない、と強くはねのけるのは、あまりにそれを意識しているから。
意識しすぎるあまり、それを指摘されると図星を当てられたように過剰に反応してしまうだけ。
なら、強く反発しない今は、
「……何となく読めてきたよ」
『は?』
歯車の噛み合わせは、少しずつ合い始める。
ギシリ、ギシリと緩慢な速度で思考が回る。
「なあ、あかり。俺たちが前に会ったのはいつ――いや、俺たちが会ったのは何回目だ?」
『ふぅん、少しはわかった感じか。――三回目だよ。今、俺たちが会ってるのも含めて、俺たちが顔を合わせたのはこれで三回目』
なるほど、と小さく頷く。
読めてきたのは、今まであかりが散々濁してきた意味合いについて。
「やっぱり俺たちは前にも会ってたんだな」
そして、そこから導き出されること。
「お前、俺の記憶が飛んでることを知ってるよな?」
『ああ、知ってるよ』
あかりの首肯を認め合点がいく。
幾度となくあかりは、俺と以前にも交流があったかのような物言いをしていた。
それは俺があかりと会ったことをうっすらとしか覚えていなかったことからわかるように、そうした記憶は俺の中から抜け出ていて、そこが俺とあかりの認識の違いだった。
俺の覚えているあかりの言葉が『今度こそ忘れんなよ』であること。
そして今のあかりが俺の記憶がなくなっていることについて認識しているのも、そういうことだろう。
俺たちは過去にも会っていて、あかりは記憶をなくしている俺にも既に会っていた。
だからこそ、今のあかりの振る舞いがあるのだと言える。
そして、導き出されるのはそれだけではない。
俺があかりと会っていた記憶は、俺の頭からは抜け落ちていた。
だけど、それは完全に忘れ去っているわけでもなかった。
俺があかりの最後の言葉を覚えていたように、あかりとの記憶は微細ながらも俺の中に残っていたのだろう。
――ゆうなが、俺のことを二重人格だと言ったことがあった。
正確には俺はあかりの中に芽生えた二重人格で、俺のいた元の世界などありはしないという仮説に、俺は過剰なまでに拒絶反応を示していなかったか?
二重人格、という仮説自体、俺の存在を否定するものだから、それに対して嫌がるのは当然の反応だろうが、今にして思えばあんなに嫌悪して否定することもなかった。
もしかしたらありえるかもしれない、けれどもそうであって欲しくない、そういう反応でも充分だったはず。
たぶん、俺の中に残っていた記憶の残滓が無意識に働きかけたのだろう。
――あかりは、俺の体と入れ替わったわけではないと言った。
しかも、それを言ったのは今回が初めてではないと言う。
なら、あかりに言われたその記憶が微かに残っていて、ゆうなが言った仮説が真実味を帯びて聞こえたら――
絶対にそんなことがあってほしくないと、強く反発することだって自然な成り行きではないだろうか。
まあ、結果から見た過程の推測にすぎないけど。
「あかりは、俺のことを二重人格の一人格だと思ってるのか?」
『ああ、思ってるよ。俺の体を勝手に乗っ取って、俺の彼女に手を出す最低な糞野郎だとも思ってるよ』
そこまで聞いてねえよ、と苦言を加え、俺は小さく笑う。
――大丈夫。
「ならそう思っておけよ。俺は、俺のいた世界があるって信じてるから」
俺はもう、その過程を経ている。
『……なんかむかつくんだけど、お前の言い方。殴って良いか?』
「やめろよ。また取り留めがつかなくなる」
あかりが拳を振り上げたが、勢いがなく本気でそうする気がないことはわかる。
が、とりあえずで殴ろうとする癖はどうにかならないのか。
とにかく話を進めよう。
「あかりは俺のことを二重人格の人格だと思ってる。でも俺はそんなことはないって信じてる。二つの仮説は排他的で、どっちも真実なんてことはありえない。だから俺とあかりのどっちかは当てが外れてることになる」
『わかってるよ、そんなこと』
「じゃあ聞かせてくれよ、俺のことを二重人格の人格だって考えてる根拠を」
簡単だよ、とあかりは小さく鼻で笑う。
『お前は、俺とお前が入れ替わったって考えてるみたいだけど、そうじゃない。実際には俺の体にお前が入ってるだけで、俺はお前の体に入ってなんかいない』
あかりは目を閉じ、ゆっくりと首を横に振る。
『俺とお前が入れ替わったってのには無理があるんだよ。一方的に俺の体が使われてるだけなんて、まるで俺の中にできた新しい人格が俺の体を乗っ取ってるみたいじゃんか』
だから、と続ける。
『俺がお前の体の中に入ったことがない「事実」と、現状から導き出した「推測」。その二つがあるから、俺はお前のことを架空の存在だって言ってんだ』
「なるほど」
俺は頷き、想定していた答えと大きな相違がないことを確認する。
言ってしまえば、予想通り。
『んで、次はお前の番だぞ』
あかりに目を向けると、あかりは勝ち誇ったような笑みを浮かべ、あごをしゃくって俺を指す。
『俺の根拠は言った。なら次はお前の番だろ? まあどうせつじつまの合ってないくだらない根拠だろうけど』
「根拠なんてねえよ」
『……は?』
俺の返答は、あかりからすると想定外だったらしい。
つい誇らしげな気持ちになる。
「根拠なんてない、って言ったんだ。強いて言えば、あかりの言ってる根拠と同じかな」
俺が喜ばしい気持ちになると、あかりは反して負の感情に苛まれるらしい。
まるでシーソーのように、途端にあかりの眉がぴくりと跳ねて怒りを露わにする。
『高説垂れといて根拠がねえってなんだよ。それに強いて言えば俺の根拠と同じって、俺の言った根拠はないも同然って言いてえのか?』
「そんな感じかな。ちゃんと言うと、俺もあかりも抱いてる根拠に確証がないと思ってる」
『あ? 喧嘩売ってんのか?』
さらに突っかかってこようとするあかりを手で制し、話を続ける。
「まず、俺が元の世界があるって信じてるのは、俺の記憶があるからだ」
言って、俺は俺の頭を指さす。
「俺の記憶では、俺は今の体のように男だったし、ゆうなと彼氏彼女の関係だった。ゆたかもたくやって名前の男で、他のやつらも性別が反転していた」
自分の体を見下ろし、あかりの体だったときよりずっと筋肉質の具合を確かめる。
気のせいか、体に込められる力のそこが深くなったように思う。
『それ、お前の勘違いかもしれないだろ』
あかりは眉間にしわを寄せる。
『お前の根拠は、お前の記憶だけか? だったらそんな根拠は根拠なんて言わねえよ。それこそお前の言ったように、根拠はない。俺の確固たる根拠とは大違いじゃねえか』
「どうかな?」
『はあ?』
あかりに殴られた恨みやいちいち口が悪いことから、つい挑戦的な言い方になってしまうが、まあいい。
「俺もお前も同じだよ。俺には、俺のいた世界があったという「記憶がある」。あかりには、俺の体と入れ替わったという「記憶がない」。あるとないの違いだけで、根本がそれぞれの記憶にあるのは変わりない」
苦虫を噛み締めたように、あかりは頬をひきつらせる。
下唇を噛み、自身の長い髪の毛を巻き込んで頭をグシグシとかく。
『あー、なんつうかウザイな。要するにお互いに物的証拠がないから、どっちも怪しいって言いたいんだろ?』
けっ、とあかりは悪態をつき、あぐらの股をさらに開いて、ただでさえ似合っていなかったそれのレベルが上がる。
『そんなもん水掛け論だ。記憶しかないなら、どっちが正しいかなんてわからねえだろ。そんなもんを引き合いに出してんじゃねえ』
「あかりの言うとおり、どっちが正しいかなんてわからないんだよ。少なくとも、水掛け論になるぐらいには不確かなものだ」
正しいかどうか言えないなら、間違っているかどうかも言えないのも同義だ。
あかりの仮説が正しくて俺の仮説が間違っているのかもしれないし、その逆かもしれない。
もしくは、どちらとも間違っている可能性だってある。
『そんなの、詭弁だ』
かいて乱れた髪の毛を直そうともせず、あかりは俺を睨みつける。
『俺は俺の意見が正解だって信じてる。お前の屁理屈なんて知ったことか』
不意に既視感。
平行線を辿る仮説と仮説。
この構図は――ゆうなとゆたかの時と一緒だ。
構図どころか、互いが述べる仮説の内容だって全く同じ。
まるでゆうなとゆたかの口論を、あかりと俺すり替えてやっているよう。
いや、逆か。
本来はこうしてあかりと俺がするはずだったことを、ゆうなとゆたかが先に代行してくれたのか。
「屁理屈がどうとか、どうでもいいよ」
水掛け論の先は、もうわかってる。
俺たちがするべきなのはその先。
「真実を見つけよう、あかり。真実と合ってた方が正解だ」