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俺はレズになりたくなかった  作者: ぴーせる
俺はレズになりたくなかった
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ドロップキックが心を射抜く


 久しいと思う感情がこんなにも心を揺さぶる類のものだったことを、俺は二十一年間生きてきて初めて知った。


 ――体が、男に戻っている。


 俺がいるのは真っ暗な空間――よくはわからないが、黒い霧のようなもので周囲の視界が遮られている場所。

 周りを見渡しても見えるのは黒色ばかりで、黒く染めているそれが俺のすぐ近くにあるのか遠くにあるのか対比物がないからわからない。


 真っ黒なのに真っ暗だとは感じない、なんだか不思議な感じ。

 尻餅を着いているのだが、尻からは冷たさも温かさも、その感触がどんなものであるかさえも明瞭でない。

 たぶん尻を着いている、という程度の感覚。


 自分の敷いているものが何か確かめようと視線を落としたとき、俺はその事実に気が付いた。


 白いワイシャツと、白い細身のチノパン。

 何故か身に覚えのない服装をしたその中身は、明らかにガタイのいいもの。


 思いがけず手が動いてワイシャツの前のボタンを外していき、露わになった俺の胸部は薄い。

 あかりのそれのように柔らかな薄さではなく、内側に少ないながらも筋肉が詰まったそれ。


 思考を置いてけぼりにして、次に手が伸びたのは白いパンツ。

 ベルトのはめられていないそれはチャックを下ろすだけで充分で、事を終えると同時に発覚する事実が俺の視覚野を強烈に刺激する。


 ――ある。


 ワイシャツのボタンを閉じることもチャックを上げることも忘れて、ペタペタと自身の体の至るところを手で触れる。


 適度に浮き出ている太めの骨。

 腕や脚には見栄えのよろしくない毛が生えており、薄いところも皮膚の感触が柔らかくない。

 頭に手を伸ばして髪の毛に触れるまでに時間が掛かったこと、触れたそれが梳くほど長さもないことも実感する。


 ――戻っていた。


 俺はこの謎の空間にして、何の前触れもなく男の姿に戻っていた。


「マジで……え、マジで?」


 出てきた自分の声が先ほどまでのそれより圧倒的に低いことに気が付くより前に、俺は自分の感情に呑み込まれる。

 それは歓喜。


 何故だとかどうしてだとか、疑問はもはや後回し。

 ただ純粋に男の体に戻れたという事実が思考を埋め、喜びに拳を握りしめる。


 戻った、俺は元の体に戻れた!


「よっしゃあっ! 男に戻っ――」

『うるせえっ!』


 喜びに震えてガッツポーズを作って立ち上がるなり、どこかからの罵声。


 きょとんとなって周囲を見渡すが、変わらず周囲は黒い霧に包まれて何も見えない。


 俺の耳を信じる限り、俺以外に声を出していた存在はいないはずだから、先ほどの罵声は俺に向けられたものなのだろう。

 思い返せば女の声だったそれだが、発した張本人がどこにいるのかわからない。


 と思いきや、


『どっち見てんだテメエはっ!』


 不意に背後から聞こえた女の声。

 女とは思えない荒々しい口調もあいまって驚き、咄嗟に振り返ったのは幸か不幸か。


『同じリアクション何回すれば気が済むんだよコラァっ!』

「うごぉふっ!?」


 見えたのは白い足。

 両足を突き出し、飛び込んだ勢いをそのまま足の先に込められたそれ。

 どう考えてもドロップキックのそれを腹のど真ん中に突き立てられ、俺はマンガのように激しく後転しながら吹き飛ばされた。


 出会うなりドロップキックを見舞った女は、のたまう。


『ざまあみろ、ドスケベ野郎!』

「い、いってぇっ!?」


 距離にして五メートルほどだろうか。

 女に蹴り飛ばされて盛大に吹き飛ばされた俺は幾度も床に頭を打ち付け、もう割れてしまった方が自然なくらい痛い。


 刺すような痛みやら鼓動と同じリズムの鈍痛やら、ごちゃ混ぜになった痛みで思わず頭を抱え込む。


 患部に触れた手に何も付着しないことと手触りに違和感がないことから、怪我の類は負っていないのだろう。

 しかし痛い、許せないくらい痛い。


「痛えじゃねえかこの野郎ッ!」

『勘違いだ。あと野郎じゃねえし』

「か、かん……っ」


 思ってもみなかった返しに戸惑うが、それが余計に頭に血を上らせる。


「勘違いじゃねえよ、あんだけ吹っ飛ばされて痛くないわけねえだろ!」

『はいはい、もう何でもいいや面倒臭え』


 カチンときた。

 ここまで明確にわかりやすく頭にくることも珍しいが、出会って初っ端からこんなにムカつくやつも珍しい。

 大体、初対面で罵声浴びせながらドロップキックしてくる女なんて早々――


 そこで気が付いた。


 ありったけの罵詈雑言をくれてやるつもりで憎き相手の容姿を見て、不意に頭を過ぎる。


 こいつ、誰だ……?


 黒にしか包まれていなかった空間の中、見えるものが一つだけある。

 それは、背が高くすらりと手足の長い女。


 腰に届かんばかりに伸びている髪は、しっとりとまとまった艶のあるストレート。

 服装は俺と同様の白いワイシャツに白のチノパンを身に付けており、体にぴったりと張り付くようなサイズ感のそれは女のスタイルを浮き彫りにする。


 体の線としては細いが、胸のサイズはゆうなのそれより一回り以上も大きい。

 腰はくびれて尻は小ぶり。

 カモシカのように細く長い脚は、ずいぶんと細い印象だったゆたかのそれにそっくりで。


 要するに、絵に描いたような美人が俺には見えていた。


『なに人のことジロジロ見てんだよ、気持ち悪い……』


 両腕を胸の前で組み、嫌悪感を抱いた様子の視線を俺に向けられる。


 女の言葉にハッとして何か言おうと口を開けたが、パクパクしただけだった。


 と、女が驚いたように視線を下に――自身の胸へ向ける。


『ああそっか、わかったわかった。“この見た目”じゃしょうがねえよな』


 何か合点がいったように頷くが、俺にはよくわからない。

 この見た目、という部分を強調していたが、それが何を意図したものなのか判断できなかった。


『お前さ、俺が誰かわかってないだろ?』


 今度は楽しげな笑顔。

 鼻筋の通った大人びた顔をしているのに、その表情には子供っぽさが多分に含まれていて違和感のあるものだった。


 まあ、と濁しながら頷くと、これまた嬉しそうに『そうだろう、そうだろう』と首を大きく縦に振る。


 いきなり現れたかと思ったら罵声を浴びせてくるし、面倒くさがるし、嫌悪の視線を向けてくるし。

 かと思えば、天真爛漫な笑みを浮かべたり、ご満悦な様子も見せたりする。

 てんで理解できない言動にきょとんとしていると、女はニヤニヤとした笑みを張り付かせながら、


『なら教えてやろうか? 俺の正体が知りたいだろ? ん?』


 意味はわからなくても、とにかくムカつくやつだった。


 俺の正体、なんて言われても……。

 誰かが描いた美人像が現実に現れたような見てくれの、情緒不安定なんじゃないかと思うくらいコロコロと感情の移り変わりが激しい女の知り合いはいない。

 しかも聞いている限り「俺」が一人称らしいが、そんなキャラ付けされたみたいな女なんて――


 ……ん? いや、一人だけそんな特徴があるって聞いていたような……。


 脳裏を過ぎった名前は、しかし目の前の光景がそれを否定する。

 まさか、と思う反面、どこか頭の片隅に引っかかるものがある。


 唯一の共通点と言えば「俺」という一人称と、長さこそ違えど真っ直ぐと黒い髪くらいか。

 顔もうっすらと面影はある気がするが、いかんせん俺はほとんど顔を見たことがないし、それも鏡の中のそれを少し見ただけだ。


 それにしたって俺のイメージよりその随分と大人びて見える、というよりも体つきからして別人だし。

 あんなに立派な体をしていたら、俺が気付かないはずがない。


 ならば――


「お前、まさか……」

『お、気付いたのか?』


 立ち上がった俺は女の元へと歩み寄り、その身長が俺とほぼ同じであることに気が付く。

 いや微妙にだが女の目線の方が高いから、女が少しだけ俺より大きいらしい。


 何故か不敵に笑っている女の顔を間近に見て、俺は頷いた。


 そして、思い当たった考えを口にする。


「あかり――」


 瞬間、女の顔が驚きに満ちたのを見て確信した。


「――の、姉ちゃんだろ?」

『何でそうなるんだよっ!』


 スリッパで叩かれたような軽快な音で頭に突っ込まれた。


 衝撃で頭を垂らされ、 ジンジンと痛み始めた頭頂部をさする。


「い、痛ぇだろこの野郎っ!」

『お前がしょうもないボケをするからだ! 大体、お前も一人っ子だろうが。あと野郎じゃねえし』


 たしかに俺は一人っ子だが、それと今のとは関係ないだろう。

 そう反論しようとした口は、続く女の言葉によって紡げなくなった。


『俺はあかりだよ。今の見た目は、お前の知ってるあかりとは違うけどな』


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