強制的な愛撫
それからすぐに、ゆうなは俺を押し倒した。
どうにも俺の怯えた様子がいたく気に入ったらしく、その行動は素早かった。
抱き抱えていた体勢からさほど動く気がないようで、ゆうなの膝の上に座らされていた俺の肩を掴んで背中の方向、その左側へ引き倒す。
俺はゆうなの膝から滑り落ち、その体重からか小さい衝撃を背中に受けて、ベッドに仰向けに倒されたのだとわかった。
俺の――あかりの長い髪の毛が舞い、ベッドの上の広い範囲に広がる。
背中に感じるシーツが、ワンピースの薄めの生地を通してひんやりと感じる。
でもそれ以上に感じたのは、ゆうなが仰向けになった俺をまたいで四つん這いになり、やや熱っぽく甘い吐息が俺の顔に降り注いでくることだった。
それは、まるで女を押し倒した男のようで……
冷静に考えられたのはそこまでだった。
まるで、に続くことを理解した瞬間、頭の中にスパークが弾けたように危機感がこの身を満たす。
「だっ、ダメだって!」
「どうして?」
言葉を発するのと同時、ゆうなは俺の手首を掴み、俺の頭より上の位置でベッドに押さえつける。
その力に容赦は感じず、俺にとっては万力のようにすら感じる。
「や、やめ……離して……っ」
「ねえ、あきら。考えてもみてよ」
ゆうなは顔寄せて、まるで俺にキスをするかのような距離まで迫り、吐息に近い声で囁く。
「あきら、菅原さんとはエッチするつもりだったんだよね。それ、何で?」
「あ、あれは――」
「ううん、怒ってるわけじゃないの」
俺の焦りが伝わったのか、なだめるようにゆうなの声色が優しくなる。
「私、言ったよね。菅原さんじゃなくて、私でいいじゃない。私だって、レズビアンなんだよ?」
えっと……。
ゆうなの言ったことが頭の中を巡り、しかし咄嗟に言わんとしていることを理解できない。
それは、ゆうなの言ったことが突飛だったからではなく、俺自身に余裕がなかったから。
押し倒され、今にも襲われそうな状況でまともに思考が働くはずもない。
そうした俺をじれったく思ったのだろう、ゆうなは眉を平らにし、
「だからぁ、あきらが菅原さんとエッチしようとしたのは、あきらがレズビアンについて知らなくちゃいけなかったから。そのために、レズビアンである菅原さんとエッチするのが一番手っ取り早かったから、でしょ?」
「う、うん……」
「じゃあ、私はダメなの、ってこと。レズビアンなら、私だってそうでしょ? 私じゃあ役者不足なんて、あきらはそんな酷いこと言わないよね」
そこまで言ってもらって、俺はようやく理解した。
あの時、ゆうなが俺の部屋に来たことによって中止していたこと――ゆうなとの仲に決定的な亀裂を生みかけたことを、ゆうなはやろうと言うのだ。
ただし、今度の相手はゆたかではなく、ゆうな。
――ゆたかは、ゆたか自身と俺がそうなるように仕組んだと言っていた。
レズビアンについて知るなら、それこそゆうなが言うように、ゆたかではなくゆうなであっても問題ない。
むしろ俺とゆうなは恋人同士であり、あかりとゆうなも恋人同士なのだから、ゆうなとであれば何も問題は起きなかっただろう。
それでもゆたかは俺と――あかりの体としたがって、そうなるように仕組んだのだという。
だからゆうなの申し出は、ゆたかの関与がなければそうなるべきだったもので、正当なもの。
さらに言えば、ゆうなから誘ってくれたということは、その言葉の裏も勘ぐれる。
ゆたかとしようとしてしまったことを水に流してくれる、なんて都合の良い考えを。
「……わかった。あきらがだんまりなら、こっちにも考えがあるから」
俺が考えている時間は、ゆうなにとって黙秘に近い行動に受け取れたらしい。
慌てて首を横に振ろうしたが、それより早くゆうなが俺の首もとに顔を寄せてくる。
首筋に当たる柔らかい吐息の感触。
まるで俺の首に歯を突き立てるようにも見える行動に、咄嗟に体が硬直する。
それが手遅れのきっかけ。
「勝手に食べちゃう」
ぬめり、とした熱い感触が鎖骨のすぐ上を滑る。
それがゆうなの舌で舐められたということに気付くのと、俺のわき腹にゆうなの手が添えられたのは同時。
「だっ――」
「ん」
ゆうなの行動は早かった。
不意に唇を奪われた俺は、ただ目を見開くだけで、言葉を発することを許されない。
舌を入れられ、俺の――あかりの小さめの舌はゆうなのそれに翻弄される。
ゆうなの唾液が口内に流れ込む。
生温かく粘り気を帯びたそれは、俺のと混ざり合ってくちゃくちゃに。
僅かにしょっぱさを感じたのは、ゆうなが先に舐めた俺の汗が残っていたからか。
俺のわき腹に添えられたゆうなの手は、舌の動きに合わせて優しくさすってくる。
くすぐられているような、撫でられているような曖昧な感触が、ともあれ心地よくさえ感じる。
ついばむようにしてゆうなが唇を少し離して、その隙間から二人の息が漏れる。
ゆうなが息を吐いて、俺がそれを吸う。
薄い酸素濃度のせいなのか、そうした行為によるものなのか。
頭は霧がかかったようにぼうとして、思考はほとんど回らない。
「ふ、ぁ……」
唯一漏れたのは、俺の口から。
まるで――いや、女そのものの声。
その事実さえも、俺の脳内に巡れば、頭の回転を止めるのに充分な材料足り得た。
「可愛い。あかりより鳴き方が可愛いのは、やっぱり慣れてないからかしらね」
互いの唇が触れ合う距離で、ゆうなは優しく愛おしそうに囁く。
「もっと、教えてあげる」
ゆうなの唇が動けば、柔らかなそれが俺の唇に触れてこそばゆい。
ん、と口をつぐむと、ゆうなは首を少し傾げて口付け。
俺とゆうなの鼻の横が触れる。
ゆうなの舌が俺の唇の間を割り、つぐんだはずのそれはいとも容易く侵入を許す。
元の世界では小さく、今では大きく感じるゆうなの舌。
歯を噛みしめ、これ以上入ってくるのを拒む。
そんな俺の態度が気に食わないみたいで、ゆうなの舌は強引に上下の歯の間を割って入ろうとしてくる。
その舌先は器用で、くすぐるように俺の歯茎を刺激する。
こちょこちょと動く舌先の感触がくすぐったくて、耐え難い。
次第に舌の動きは強く。
無意識のうちに隙間が空いていたのだろう。
上と下の歯の間にゆうなの舌先が入ってくる。
ぐいと奥に伸ばされ、あっと気がついた時には口が開いて俺の舌との接触。
俺の舌に、ゆうなの舌が巻き付くような動き。
二人の唾液でねっとりと濡れたそれらは、あまりに滑りよく絡む。
舌先同士を軽く触れ合わせ、ゆうなの舌が逸れて俺の舌の側面を撫でる。
舌の表を舌先でくすぐられ、すぐさま舌の裏側に回り込まれる。
持ち上げられて、引き出されて。
俺の舌は引っ張り出されて、ゆうなの唇に甘噛みされる。
むにむに、と優しく噛んで、今度はゆうなの口内で舌先をチロチロと舐められた。
「……は、ぁ……っ」
そうしてる間――ゆうなに一方的にされている間、徐々に俺の息が上がってくる。
鼻はゆうなの鼻に押されて呼吸がしにくいし、口からできるのも、ゆうなの口が離れた僅かな隙間からしかできない。
俺の息は荒く、小動物のそれのように小刻みに。
うっすらと目眩があり、意識が白んでいく――
俺に抵抗する力など、残っていなかった。
ゆうなに押さえつけられている手は指先を動かせる程度で、その動きさえも緩慢。
押さえられていない手でゆうなの肩を押しても、ただ鎖骨のあたりを触っているぐらいにしか過ぎなくて、ちっとも押し返せやしない。
足をバタつかせようにも、ゆうなの片足が俺の股の間に滑り込んでいて、ろくに動けるスペースもない。
無力感のみが、薄い意識の中で満たされていく。
「ぁ……っ」
口端から漏れた息は、それでも男だったときのものよりずっと高い音で。
あかりの体は、ゆうなが人差し指でわき腹を下から上につーっと撫でるだけで、過剰なくらいにピクリとしてしまう敏感なもので。
浅い意識は思考を止め、でも回る。
俺の舌から離れたゆうなは、唾液でたっぷり濡れた舌で、ゆっくりと俺の頬をねぶる。
「ゃ……!?」
ゾクリと背筋を駆け抜けた感覚は、悪寒か、それとも。
額にかいた汗で前髪がじっとりと張り付き。
背中に敷く形になっている長い後ろ髪は、くしゃくしゃになってどこかに引っかかり、後頭部が引っ張られて自然と顎が反れる。
ぎゅっと目をつむって、にじみ出た涙が目尻を伝う。
――慣れない感覚で、あまりに一方的だった。
だから、出た言葉。
「だ、ダメ……」
俺の頬を舐めるゆうなの動きが止まって、
「怒られちゃう、からぁ……っ」
舌が離れて、聞こえていたゆうなの呼吸音が遠くなる。
何もされないのが二秒ほど続いて、うっすらとまぶたを開けて見えたのは、俺に跨がりつつも上体を起こしているゆうな。
まぶたを開ききってゆうなの顔を見たら、そこには眉を平らにした表情が伺えた。
「ゆ、ゆうな?」
「誰?」
俺が言い切る前に、ゆうなの強い言葉が割り込む。
「今、誰に怒られるって言ったの?」
「え……?」
俺が疑問符で返したのは、本当にわからなかったから。
何に対してゆうながこんな表情を――静かに怒りを感じているのか、わからなかったから。
でも、ゆうなには伝わらない。
「聞こえなかったの? 今、あきらは誰に怒られるって言ったのかって聞いてるの」
聞いた言葉で、ようやく自分の言ったことが頭の中に駆け巡る。
――怒られるって、誰に?
「怒られるって、誰に?」
俺の思考と重なるゆうなの問い。
「お母さんやお父さんに怒られるとか、先生に怒られるとか、そんなわけないよね」
ゆうなの上体が倒れてくる。
未だに俺の片手をベッドに押さえつけている手に、ぐっと力が込められる。
鼻がぶつかりそうなほどゆうなの顔が降りてきて、ゆうなの柔らかい髪の毛が垂れて俺の視界の左右を遮断する。
俺とゆうなが顔を寄せ、密閉されたような空間。
「菅原さんに、なんでしょう?」
俺の目をまっすぐ見つめるゆうなの瞳には、突き刺さるような感情が込められていた。
「あきらは、また嘘をついてたの? 私を裏切って、菅原さんとそういう関係になってた。私とエッチしたら怒られちゃうぐらいの関係に」
ゆうなは目を伏せ、長いまつげが小さく揺れる。
――こういう時、いつもの俺だったら何て言ったのだろう。
違う、と弁明しようとしたのだろうか。
そんなこと言ってない、と反論したのだろうか。
何も言えず、どもってしまったのだろうか。
正解がどれなのかは、俺自身にはわからない。
わからないのは、俺の出た行動はそのどれでもなかったから。
「……思い出した」
自分でもわかるくらい震えた声で、小さく俺は言う。
「ゆうな、俺……あかりに会ってた。あかりに、会ってたんだよ」
驚き目を上げたゆうなの瞳の中に、そいつはいた。
俺が対面したことのある相手が、ゆうなの瞳にたしかに映ってたんだ。