反省への誘い
「ちょっと待ってください、菊地原先生!」
反論する口振りをしたのは、予想に反して俺一人。
それに少し驚きはしたが、こちらを向いている菊地原先生に視線を合わせる。
「俺に問題点がないとは言いません。むしろ情けないことばっかりしちゃって、どうしたらいいのかわからないくらいだけど……」
語尾につれて下がった顔を持ち上げる。
「やる気が足りないなんてことはなかったです。俺、今日はずっと戻りたくて頑張ってきたつもりなのに、それをやる気が足りないなんて言い方――」
「私の言い方が気に食わなかったから訂正してほしい、そう言いたいのかね?」
「ち、違いますよ。そうじゃなくて……俺はただ、菊地原先生にそういう見方をされてたのがショックで……」
俺が言ったのは本心だ。
たしかに大学で菊地原先生と別れて以降、全く進展がなかったことは認める。
俺の情けない失態が積み重なってそうなったことも自覚しているつもり。
だけど……。
単純に言えば、そんな言い方ないじゃないか、ということ。
いくらなんでも「やる気が足りない」なんてことは――
「今この場で言い方にこだわる必要なんてないと、私は思うがね。君が納得いかないのなら望む限り訂正しよう。ただし私の根っこは変わらない。訂正しようともそれは上辺だけであるのは、わかっているね?」
聞かれ、どう答えていいものか言いあぐねる。
菊地原先生の言い方にカチンときたのは間違いないけれど、だからといってずっと食らいつくほどのものではない。
無理に押し込められたような窮屈な気持ちが寄せてくるのを我慢して、俺は諦めの意を伝える。
満足そうに頷いた菊地原先生を尻目に、ゆたかは気を落とすように顔を伏せ、ゆうなは関わりたくないように、ベッドに座る身を壁際に寄せているのが見えたけれど、そこに思いを馳せられる余裕はなかった。
「先生」
力のない声を出したのは、菊地原先生の隣に佇むゆたかだった。
胸より下の位置で腕を組み、苦い表情を浮かべて菊地原先生を見ている。
「反省会というのはつまり、私たちに自分の本心を暴露しろ、ということですか?」
……本心?
「別に強制はしないよ、ゆたか君。君たちの本心を打ち明けるかどうかは君たち次第だし、私にはそれを従わせる強制力はない。私の言う反省会だって、君たちの協力がなければ開会さえできないものだ」
つらつらと述べる菊地原先生の言葉に、これといった感情を受けることはない。
ただ一つわかるのは、
「だがそうしてくれた方があきら君にもわかりやすく、これからに繋がると思うがね」
俺たちを誘導しようという意思が見られることだ。
それは暗に導こうという魂胆ではない。
あからさまに誘導していることを見せつけるように、知らしめるように誘導しているのだ。
「現状、私にわかるのは君たちの問題点だ。先に進めなくしているがんじがらめのような問題点たちがね」
まるでそれは、菊地原先生の提案に乗るかどうかを試しているかのよう。
「だから私はこう思うのだよ。その問題点を片付ければ、それらの先に何か見えるのではないかとね」
乗るも乗らないも、全ては俺たちの自由。
「まあもっとも無駄足で終わる可能性はなきにしもあらずだ。私は予知能力者ではないのでね、考え得る可能性を語ることしかできない。だから、可能性として時間の無駄になることも考えてくれたまえ」
ただし、
「しかし私なら反省会を推すね。希望者がいなければ司会進行も私が勤めよう。私なら第三者の立場からものを言えるからね。怖いものなしってやつだよ」
乗るなら己の意思で来い。
「さあ、暴露満載の反省会。これに自ら参加する意思は、君たちにあるのかね?」
そう言われている気がした。
ゆたかやゆうなの本心がどうとか、俺が責められる対象にあるとか。
菊地原先生の提案は、決して甘いものではない。
誰かが促してくれるが故、流されるだけで済まされるものではない。
例えば俺への餌は、元の世界に戻る解決策への繋がり。
ただ一つとなったそれを掴めるかもしれない希望のために、その価値はある。
もう泣かない意思だって、固められる。
――けど、ゆうなたちはどうなのだろう?
俺にはある餌が、ゆうなたちにはない。
強いて言うなら、彼女たちの知るあかりが帰ってくることだろうか。
ゆたかなら、パラレルワールドの仮説を信じてくれているゆたかなら、それで賛同してくれるかもしれない。
だが俺を、あきらを二重人格のようなものだとしているゆうなならどうだろう。
もし俺が二重人格であるのなら、この場で菊地原先生に頼る必要はない。
病院に通わせる、あるいは時間の経過だけで治るかもしれないそれで、もしゆうなに菊地原先生の言う本心があるとするなら、暴露するだけの価値があるとは思えないのだ。
俺とゆたかには、これしかないという限定的な枷があり、だからこそ気持ちを預けられる経緯がある。
けど、ゆうなにはそれがなくて――
もし、ゆうなが欠けてしまったら、まずいのだろうか。
考え、やはりまずいのだろうと思う。
大学で菊地原先生と話した通り、パラレルワールド間の移動を原因とするなら、唯一の手がかりはゆうななのだ。
それを失うというのは、ゆうなが恋人であるという立場もあり、とても耐えられないことのように思う。
だから、俺からどう言えるのかわからないけど、ゆうなにも参加してほしいと考えて、
「ゆうなはどうする?」
ベッドで俺の隣に腰掛けているゆうなに、俺は催促の言葉を投げかけた。
声を掛けて見られたらすぐの反応は、ゆうなの肩が小さく震えたことだった。
ゆうなは何かから避けるように壁際に身を寄せているため、壁とは反対側に座っている俺に半ば背を向けている形になっている。
実質的な座高は今の俺より高いゆうなだけど、そう思えないのはその態度からか。
もう一度声を掛けようと、まずはゆうなの肩に手を触れさせたら、
「い、言いたくないから……」
反射的に飛び出た言葉のようだった。
「私、言いたくないから。菊地原先生にも、菅原さんにも。あなたにだって、言いたくないから……」
言いたくないというのは、言えることがあるのと同じで。
つまりゆうなには、隠していた本心があったということになる。
しかし嘘のつけないゆうなだからわかったそれだが、同時に嘘のつけないゆうなが隠せていたのかという疑問も残る。
どちらかを立てれば、もう片方が曖昧になる矛盾に似た思考。
底がないから底の見えるそれを止め、俺は自分の意思を確認する。
ゆうなには、菊地原先生の言う反省会に参加してほしい。
俺も参加するし、ゆたかが嫌がったなら頑張って参加してくれるように説得する。
それだけ俺は先の見えない不安に押しつぶされそうで、濡れた藁にもすがりたくて、気持ちが押し上げてきている。
けど、俺はどうしたらいいのだろう。
菊地原先生はあたかも知っているようなていで話していたが、俺はゆうなの隠し事が何なのかを知らない。
そんな俺が「言いたくない」と突っぱねるゆうなに向けて、その重さも知らないのに無理強いできるのだろうか。
……わからない。
できるのかどうか、どう誘えばいいのか、わからない。
ふるふると首を横に振ったゆうなの柔らかい髪が揺れるのを見て、俺は一度伸ばした手をどうするべきか迷っていた。
迷う手が第一関節分だけ進んで、躊躇って握り拳を作る。
今、ゆうなの肩に触れることで変わることがあるとするなら――
「それじゃあ始めようか、あきら」
ゆたかがそう言ったのは、俺の知る限りでは何のきっかけもなかったように思う。
俺から見て菊地原先生の右側、ゆうなの正面に立ちながら俺を見つめている双眼と視線が合うも、俺は何ら反応を取ることができない。
察したようにゆたかは薄く笑みを浮かべる。
「なら、まずは言い出しっぺの私からだね。私の反省すべき点と言うと――」
「ちょ、ちょっと待った!」
ようやく声が出た。
「ゆたか、いきなりどうしたの? 反省会をするなんて、まだ誰も――」
「でも、あきらは参加するんだろう?」
「え……えっと……」
言葉を詰まらせてゆうなを見たが、俺から見えるのは身を固めたゆうなの背中だけ。
「あきら、別にゆうなを構う必要などないよ。反省会なら私たち二人ですればいい」
「ゆ、ゆたか、そんな言い方……」
「ああ、違うよ、あきら。そういうつもりじゃない。反省会をするとしても、今はゆうなには聞いていてもらうだけで構わないんだ。ゆうなは元からここにいたし、反省会は勝手にここで行うだけ。ならゆうながここにいても参加した内に入らないだろう? だからゆうなは参加したくないならしないでも構わないし、でも立ち去らずに聞いていてほしいんだ」
「そんな屁理屈みたいな……」
そう言うも、それだけゆうなに聞いていてもらいたいというゆたかの意思は伝わってくる。
だから、
「ゆうな、構わないだろう?」
「……勝手にすればいいじゃない。あと呼び捨てにしないで」
「はは、済まないね。あかりから「ゆうな」「ゆうな」とばかり聞いていたから、それで定着してしまったんだ」
二人のやり取りを見守って、その結果に安堵の息をついた。