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俺はレズになりたくなかった  作者: ぴーせる
問答は茶番のように
70/116

ゆたかも怒ると怖い


     *


 ――目が覚めた。


 いや正確には、失いかけていた意識が戻ってきたというべきか。


 頬に感じる微かな感触。

 意識がはっきりしてくるごとにその感触も強くなり、頬をはたかれていることがわかった。


「ん……」


 それが俺を起こすためのものだと気づき、まぶたを開く。


 一瞬眩しさに目を背けたくなるも、すぐに慣れた。


 目の前には心配そうに眉尻を下げきった表情のゆたかの顔。


「あきら……!」


 それが急速に近づき、体を包まれる感触。


 ゆたかが抱きついてきたらしい。


 途端、


「けほっ……けほっ……」


 気が付いたようにむせかえってしまう。

 無理に留められていた空気が暴れているようだった。


 それから数回の咳き込みの後、ようやく痙攣するようだった呼吸器が落ち着き始める。


 まだ苦しさが残るが、これはきっと体自体が強くないためだろう。

 華奢すぎる体に辟易しながらも、俺は意識を失い掛ける直前の出来事を思い出す。


 たしか、俺がゆうなに襟首を掴まれた際に首が絞まる形になって……。


 はっとして、慌てて首を回してゆうなを探す。


 それはすぐ近く、俺を柔らかく抱きしめているゆたかのすぐ後ろに立っていた。


「ゆうな……」


 思わず声をかけた途端、


「……っ」


 ゆうなは自身の体を抱き、ばつが悪そうに体ごと背けてしまう。


 その姿に、胸にチクリと刺さる痛み。


「ゆうな」


 今度声をかけたのはゆたか。


 俺を介抱するように抱きしめていた体勢から移り、立ち上がる。

 位置は変わらず、ゆうなのすぐ側だ。


「……なによ」


 低い声音だが、どこか弱々しく聞こえるそれを発したゆうなは、誰にも向かず壁を正面に据えている。


 そのため、表情を伺い知ることはかなわない。


「今のはかなり危ないことだった。それを自覚しているね?」


 語りかけ、諭すようなゆたかの言葉。


「詳しくを知る由はないが、君があんなに乱れたんだ。おそらく私か、はたまたあきらか。そのどちらかが、君の逆鱗に触れるようなことを言ってしまったのだろう」


 だが、


「だが、今のは本当に危なかった。相手が私だったらまだしも、あかりの体の弱さは君が一番よく知っているはずだろう? なのに、そのあかりの体に入っているあきらに――」

「……悪くない」


 遮る形で、ゆうなが言葉を挟む。


「私は、悪くないんだから」

「……何を、言っているんだい?」


 疑問を投げるゆたかの声には、僅かに怒気を感じた。


「私は悪くない。そう言ったのよ」


 対するゆうなは、言葉に感情を乗せることなくのたまう。


 瞬間、空気が動く気配。


 ゆたかが背を向けるゆうなに迫り、肩に手を置いたのだ。


「悪いとか悪くないとか、私はそういうことを言ってるんじゃないんだ。君の行動がどれだけ危険なことだったかを――」

「つまり、私を悪者にしたいんでしょ?」


 肩に置かれたゆたかの手を振り払い、ゆうなは振り向く。


 見えた表情は、険。

 何かを噛み締めているような、固い表情だった。


「あなたの言い分は、私がどれだけ危ないことをしたかを認めさせたい、でしょ? それって私が悪かったって認めさせたいだけじゃない」

「そうじゃない。私は――」

「違わないわよ。だってあなた、そんな目で私を見てるもの。害悪は私だって、そんな目で」


 もしかしたら、それはゆたかの図星だったのかもしれない。

 そう言われた途端、ゆたかは虚を突かれたように黙りこくってしまう。


 代わりに出たのは俺だった。


「……っ」


 何か声をかけようと思ったが、詰まった喉からはうまく言葉が出ない。


 だから代わりに、俺は立ち上がってゆうなの左腕を引く。

 くいっと、こちらを向くように。


「あかり……」


 意に沿って、ゆうなはこちらに顔を向ける。

 表情は相変わらず険しいまま、声もどこか弱く聞こえる。


 だが、


 ……“あかり”……。


 呼んだ名は“あきら”ではなかった。


 その事実と、俺が気を失い掛けた直前に聞こえた言葉。


『この子は“あかり”なの! あなたの言うような“あきら”じゃないのよっ!』


 それが指し示す答えに、胸が詰まる思いがした。


「ゆうな……」


 果たして俺は聞こえる声を出せていただろうか。

 不安に思いながら自身の喉に手を当てるも、その具合はわからない。


 だからこちらに注視してくれているゆうなの視線が答えと信じ、俺は続ける。


「俺は――“どっち”?」


 ゆうなにとって、俺は“あきら”か“あかり”か。


 その質問を、これだけの言葉足らずでもゆうなには伝わる。

 そう確信する。


 そして、それに対するゆうなの答えも、


「――“あかり”よ」


 俺は、わかってしまう。


 でも、わかることと納得することは違う。


 だから疑問を投げかける。


「どうして? さっき、俺があきらだって信じてくれたはずじゃ……」

「そんなこと、私は言ってないわ」


 ゆうなの言葉が俺を断つ。


「私はずっと、あきらは存在しないって思ってるの。他の世界からきたなんて、オカルトじゃない」

「オカルトだって……」


 オカルトだって、現に起きている。


 そう言いかけて、先ほどゆうながその話題で激変したのを思い出し、言葉を途切る。


「……でも、ゆうなは言ったじゃないか」


 代わりに言うのは、ゆうながしたゆたかを疑う根拠の話。


「ゆたかが犯人かもしれないって疑った一番の理由は、ゆたかの準備が万端すぎたからでしょ?」


 一例として、俺とあかりが入れ替わる少し前に、ゆたかが(そのときは俺の世界だったからたくやが)パラレルワールドの話をしてくれたこと。

 そのタイミングが良かったため、ゆたかがそれに合わせて企んでいたのではないか、と勘ぐるものだ。


「ええ、そうね」


 返事は賛同的なもの。


 が、ゆうなの次句は一気に色を変える。


「菅原さんがパラレルワールドの話をしたタイミングが、あなたを“勘違い”させるのにちょうど良いタイミングだったからね」

「勘違い……?」


 声が半ば枯れるようになってしまったのは、果たしてどんな理由か。

 わからずとも、ゆうなは頷きを見せてから続ける。


「あなたは勘違いしているの。自分はパラレルワールドからあかりと入れ替わったあきらだ、って」


 俺が信じているそれを勘違いとするなら……、


「本当は、菅原さんによって作られた偽物の人格なのにね」


 それは、俺がゆうなに事情を説明する前から言っていたゆうなの説。

 それをまだ言ってくるなんて……。


「……わかってくれたんじゃなかったの?」


 掴んでいるゆうなの左腕を引っ張る。


 全く男らしからぬ行動だが、体がふらふらの俺にはこれくらいの行動しか移せない。


「俺は、いろいろとゆうなに説明してわかってくれたと思ってた。なのに……」

「やめてよ、そうやって同情を誘おうとするの」

「ゆうな……」


 腕を振るわれ、微弱な力しか残っていなかった俺の手は払われてしまう。


「私は初めからわかったつもりなんてない。あなたから菅原さんに吹き込まれた事情を説明されたときだって、最後に私は否定したわ。それは菅原さんの陰謀だってね」

「……そうか」


 ゆうなの言葉に返事したのは、しばらく立ち尽くしていたゆたかだった。


「私は不思議だったんだ。おじいちゃんから、あきらが私を犯人じゃないかと疑い始めてると聞いたとき、いきなり手のひらを返されたような裏切られた気持ちに襲われた。……でも、違ったんだね」


 言葉尻に合わせて柔らかい視線で俺を見るゆたか。


 次にそれを送られたのはゆうな。


 ただし、俺のときとは違って厳しいものになって。


「ゆうな、君が原因だったんだ。君のその取り憑かれたような態度が、あきらを惑わせていたんだ」


 非常に高い位置から向けられたその視線。


 自然と高圧的になりがちなそれを意図的に強く、そして責めるようにするのだから、それは酷く痛い。

 こうして直接でない俺でさえ怖いと思ってしまうほどなのだから、ゆうなのそれは俺の想像を超える。


 あれだけゆたかに対して臆することのなかったゆうなが、半歩引いた。


「君は先ほど私の視線を害悪を見るようだと形容したね。今それに答えよう。――その通りだ。私は君こそ、害をなす悪者だと思っているよ」


 酷く冷たく、そして鋭い言葉だった。


「あきらはあきらだ。あかりの容姿をしているが、それは人格のみが入れ替わったため仕方のないことだ」


 向き合うゆうなの両肩に手を置くゆたか。


 振り払おうとゆうなは身をよじるが、強いゆたかの腕力がそれを制する。


「それを否定するのは、あきらに失礼だ。ここはあかりのいる世界。そこに、あきらはたった独りで迷い込んでしまった。その不安を、君は想像することもできないのかい?」


 ゆたかの腕の強張りから、ゆたかがゆうなの肩を掴む手に力を込めたのがわかる。


「もし想像できずに今までの発言をしていたのなら、是非自分を鑑みてほしい。そしてどれだけ愚かだったか気づいてもらいたい。だが、もし把握した上であきらを否定していたとしたら――」

「……っ!」


 さらに力がこもったのであろう、ゆうなが苦痛に顔を歪め、小さく呻く。


 慌てて間に分け入ろうと動くが早いか、ゆたかは言葉を言い切った。


「君は、蔑む価値もないくらい最低だよ」


 言って、ゆたかはゆうなを突き放す。


 その勢いはあまり強くなかったらしく、ゆうなは僅かにたたらを踏むだけだった。


 が、問題なのは別。

 ゆたかの言葉によって、ゆうなの顔に苦悶が浮かんでいたことだった。


 ゆたか……。


 言葉にならない思いが胸を打つ。


 たしかにゆたかは、これまでも非常に雄弁だった。

 話すべきことは話すし、それに臆することはない。

 やや芝居がかったようなしゃべり方で、ゆたかは今まで口数多く話してきた。


 が、今回のそれは大分性質が違う。


 悪意。


 ゆたかが口にする言葉の中で、初めてそれを感じる類のものだった。


「……なによ」


 聞こえるのはゆうなの声。


 思考を切り見ると、両拳を強く握りしめ、ゆたかを睨みつける姿があった。


「何よ、何なのよ! 何であなたに責められなくちゃいけないの!? 私は悪くないのに!」

「往生際が悪いね」


 対するゆたかは、声色は静かながらも込められた感情に引けを取らない。


「君があきらを困らせ、悩まし、傷つけていたんだ。そんなことを、君は自覚すらできないのかい?」

「自覚も何も私は悪くない! 私は悪くないのよ!」

「悪くない、悪くない、とそれしか言わないね君は。まるで何かの免罪符にすがるようだが、その根拠とは何だい? 是非とも君が悪くない理由を聞きたいものだ」


 雰囲気は最悪。


 険悪と呼ぶことさえ生ぬるいほど空気は張り詰め、触れている肌が切り裂かれそうな感覚がする。


 ……止めなくちゃ。


 果たして俺が言える立場なのか甚だ疑問ではあるが、それでもこの二人はこうして喧嘩すべきじゃない。


 こんな二人を見ていると胸が苦しくなる。


 俺が二人をこんなにしてしまったかと思うと、罪悪感が全身を駆け巡る。


 俺が、二人を止めなくちゃ……。


 体が引きそうになってしまうのは、きっとこの体のせい。

 俺よりもずっと体躯の大きな二人の迫力で気圧されてしまっているせい。


 けど、なりふり構ってなんかいられない。


 足を一歩前に、向かい合う二人の間に向かって。

 口を開き、息を思いっきり吸う。


 肺に溜めたそれが許容量の限界にまで達し、注目を逸らすための声量を出すのに充分と判断し、


「二人とも――」

「黙ってよッ!」


 俺の声をもかき消す叫び声。


 今日一番のそれを発したのはゆうなだった。


 一瞬その言葉を向けられたのは俺じゃないかと思ったが、ゆうなの視線は変わらない。

 つまり、ゆたかに向けられた言葉だった。


「私はあなたなんかに責められる立場にないの! あなたは頭がおかしいのよ! オカルトなんてありもしない幻を信じちゃってバカみたい! どうかしてるの!」

「……心外だね」


 ぴくりとゆたかの眉が反応する。


「私の頭がおかしい? それは結構。私の分野に理解のない人間からすれば、私は大層頭のおかしな人間に見えることだろう。そのことについては自覚しているし、理解もしているつもりだ」


 だが、と言葉を一度切る。


「ありもしない幻なんて否定するような言い方、それは気に食わないね。私はいい。私は頭のおかしな人間で構わないが――私のおじいちゃん、おばあちゃんを否定するのはやめてほしい。彼らは間違いなく己の意思で存在しているのだから」


 ゆうなほど、いや全くといって声を荒げることのないゆたかだが、その威圧感は脅威。

 はらんだ怒気の強さはゆうなのそれに負けずとも劣らずで、まるで俺たちの心を握り潰さんというばかりだった。


 ぐっ、と握り拳を強くするゆうなの姿が見えた。

 見えるゆうなの右手は、強く握られるあまり血の気がなく白んでいる。


「……調子に乗らないで」


 今度の声は、先ほどまでのそれと比べるまでもなく小さなもの。


 だが、睨みつけているゆたかに臆している様子はない。


「あなたが正論を言うなんて、許されないのよ」


 言葉を小さく区切る。

 一言ひとこと、着実に意味を込めていくように。


「あなたみたいな日陰者は、絶対に大手を振ったらいけないの。日陰者は日陰者らしく、相応に慎ましくしてなくちゃならないのよ」


 そこで言い終えたらしいゆうなは下唇を噛み、何かこらえるようにする。


 そうしたゆうなの言動に、含まれた意思のようなものを感じる。


 何と言えば的確なのかはわからないけど……きっと、今のゆうなの言葉だけでは知れない気持ち。

 それが込められている気がして、確かめようと口を開かんとするとき、


「君はずいぶんと理不尽なことを言うんだね」


 俺よりも先にゆたかが言葉を発した。


 その言葉、雰囲気に、俺は二人を止めようとしていた意思が鈍っていたことを自覚する。


「ちょ、ちょっと待って!」


 慌てて出た言葉は詰まりかけたが、それでもゆたかの次句を止めるには充分だったよう。


 ゆうなに向けられていた視線の幾分か優しいそれが、こちらを向く。


 ゆたかが俺に何か言おうとするよりも早く、俺は口にする。


「や、やめよう? こんな風に言い合ったって何にもならないしさ、雰囲気が悪くなるだけだよ」


 聡明なゆたかならわかってくれる。

 そう思って発した俺の言葉は、


「あきらは、ゆうなの肩を持つのかい?」


 裏切られた。


「え、いや、そういうつもりじゃないんだけど……」


 予想外のゆたかの返答に言葉が詰まる。


 俺はただ、これから先さらにヒートアップせんとする二人を止めようとしただけだ。


 ゆたかの言葉を止めたのは、その一手目だったから。

 それ以外に他意はないのに……。


 それ以外に他意はないのに……。


「なら、今の私を止めないでくれるかい?」


 ゆたかは視線をこちらに向けたまま、しかし強さが増す。


「私はゆうなに侮辱されたんだ。それも大層理不尽な、納得のいかない侮辱のされ方をね」

「そんな……」


 たしかにゆうなの言葉はゆたかを蔑むものだった。

 当人のゆたかからすれば、その憤りも納得がいく。


 だが、ゆうなの“言動”はそうではなかった。


 俺ですら気付けたそのことを、ゆたかが気付けないはずがない。


 まさかそこに気を回せるほど冷静じゃないんじゃ……?


「ゆた、――!?」


 声をかけようとした瞬間だった。


 俺が認識したのは、ゆたかがこちらに向き、その両手が俺の両肩に伸びてきたところまで。

 気が付けば俺はくるりと体の向きを半回転させ、とんと背中に軽い感触。

 俺の正面には表情を固く結んだゆうなが立ち、俺の口には大きなゆたかの手。


「んんっ……!?」


 思いがけず出した声が封じられていたことで、俺はようやく現状を悟る。


 俺は背中向かいにゆたかに抱き寄せられ、左手で口、右手で俺の両肩を抱くようにして動きを制限していることに。


「すまないけど、あきらには少し黙っていてもらうよ」


 そうしたゆたかの言葉が、俺を封じた動機になった。


「ん、んんーっ!?」


 痛みを感じることはないものの、かなりの力で口を押さえつけられているためまともに声を出すことができない。


 それはあまりに急な強行。


 ゆたからしからぬ行動に、俺は取り乱してしまう。


「んーっ!」


 俺を押さえるゆたかの姿勢はあまりに不備なもの。


 動きと口の両方を押さえるのに片腕ずつ使っているため、並の相手であれば抜けることに難を覚えることはないだろう。


 だが、


(う、動けない……っ)


 その相手は誰であろう、貧弱なあかりの体だ。


 俺の顔を半分ほど包み込む手にも、両腕の上腕を巻くように抱く腕にも、抵抗の効果が表れない。


 身をよじらせようが、背中にあるゆたかの体に後頭部をぶつけようが、俺の腕を思い切りよく振ろうが、ゆたかにとって些細なものでしかないようだった。


「さあ話を続けようか」


 俺が暴れ抵抗している最中にも関わらず、ゆたかは何一つ変わらぬ様子でゆうなに言う。


「……嫌よ」


 だが、対するゆうなの動きは否定。

 首を横に振り、俺を見やったあとゆたかを睨みつける。


「私のあかりから離れて。あなたなんかに触れる資格はない」

「たしかにあかりは君のものだ。所有物という意味ではなく、恋人という間柄の上でね。だが残念なことにこれはあきらだ。決して君のものではない」

「いいから離れ――」

「静かにしてくれないか」


 ゆうなが声を荒げようとした刹那。

 威圧感のみが痺れるように伝わるゆたかの言葉が、それを断ち切った。


「君と問答しようというつもりは一切もない。私はただ、君に怒っているんだ」


 続けるゆたかの語気は決して強くない。


 だがその一音ずつにたしかな、まるで怒鳴られているような迫力を感じ取ることができる。


 おかげで俺もゆうなも、ゆたかの次句を止めるに至らない。


「ゆうな、君は本当に最低だ。先ほどまでの言動からしてもそうだったが、今の言葉で確信した。君は見下げ果てた女だよ」

「……勝手に言えばいいじゃない」


 返答するゆうなの声が小さいのは、ゆたかに威圧されているのか、また何か思う節があるのか。


「なら勝手に言わせてもらおう。君は私を日陰者と言ったね? それは日陰者という言葉の意味、それこそ侮蔑するレッテル貼りであることを理解した上でのことかい? そうでないのなら今すぐ訂正してくれ。だが、もしそうだったとしたら……」

「意味ぐらい、理解してる」


 言い含めたゆたかをよそに、ゆうなは胸の下で腕を組み、視線をこちらから見て右にそらしながら答える。


「オカルトなんてふざけた趣味、日陰者以外の何者でもないじゃない。そんなの、世間から隠れて目立たないように活動していれば――」

「心外だね」


 割って入るゆたかは矢継ぎ早に続ける。


「菊地原先生の言葉を借りるなら、オカルトはたしかにマイノリティに他ならない。世間一般からすれば、さぞ奇怪なものに見えてもおかしくないだろう。だがマイノリティと日陰者は同義ではない。何一つやましいことはないんだ。それを、どうしてなりを潜める必要があると言うんだい?」


 そこまで言い切り言葉を止めたゆたかは首を横に振る。


「いいや、ない。そんなものはない。だからそれは君の偏見、差別に他ならない。最低の決めつけだよ、ゆうな」


 ゆたかを止めなくちゃ……。


 広くゆたかに触れているため、今の俺にはゆたかの些細な動きさえ伝わってくる。


 ゆたかが小さく身じろぎするその動きから、話す際の声の振動まで。

 ほとんど一心同体になったような気さえするほど、ゆたかの小さな動きまで俺には伝わってくる。


 その内に一つ懸念があった。


 ゆたかが僅かに震えているんだ。


 威風堂々と論破しようとしているゆたからしくない、その雰囲気に見合わぬ、怯えているようなビクビクした震え。


 初め、それは俺を押さえているため、腕を力んだことによるものだと思っていたけど、これはどこか違う。

 震えの中心はゆたかの腕ではなく、その体の方で、ゆたかの力の入れ具合とは関係なく、しかしゆたかがゆうなを蔑むような言葉を発する度に強さを増す。


 これがどういう意味なのかはわからない。

 けど、ゆたかを止めなくちゃいけないってことはわかる。


 でも、どうやって……?


 浮かぶ疑問。


 あかりの貧弱な体で今のゆたかの縛りを解けられないのは、ついさっき試したばかり。

 あかりの体なりの本気で、俺はゆたかから逃れようと体を暴れさせたのに、まるでダメだった。

 ビクともしないわけではないが、それでもゆたかは俺以上の力をもって押さえ込んでくるため太刀打ちできない。


 じゃあ、どうやって……。

 どうやって俺はゆたかを止めればいい?


 こうして悩んでいる間にもゆたかは言葉を紡いでいく。


 自らを怯えるように震えさせながら、ただひたすらゆうなを傷つける言葉を投げつける。


 どうにかして止めなくちゃいけないのに、今の俺じゃあどうにもできなくて……。


 ゆうなに言葉を蹴散らしていくゆたかの注意を少しでもそらそうと、俺はゆたかの腕の中で身じろぎをする。


 ゆたかの正面に触れている右肩を押し付けるようにし、左側の背中を僅かに空ける。


 いつの間にかゆたかに触れ続けていた背中に汗がにじんでいたらしく、その隙間に感じる空気がどこか冷たく思えた。


「?」


 そのとき、不意に音が響く。


 突然のことで理解が追いつかず、もはや何の音が聞こえたのかさえ判断できない。


 だが、ゆたかは言う。


「……こんな時間に来訪者かい?」

「……?」


 口を塞がれて言葉を出せないながらも疑問符を出すと同時、間の抜けたような機械音が耳に届く。


 インターホン。


 それはゆたかの言葉通り、我が家への来訪者を示す音。

 それが鳴り響いたのだ。


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