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俺はレズになりたくなかった  作者: ぴーせる
ゆたかとゆうな
65/116

謀りの可能性


「そんな……」


 ゆたかが俺を騙していた?


 俺を騙すことができるかどうかで考えれば、ほぼ間違いなく可。

 うまく騙そうとすれば、ゆたかなら詐欺師ばりに働けるだろう。

 ゆたかが先ほどついた嘘は、それほどのものだったと思う。


 ゆうなに風呂に入っていたところを見られた、一種の決定的な場面であるにも関わらず、焦りはほとんどなく、咄嗟に考えたであろう言いわけも、それだけ聞いたなら納得のしうるもの。


 ゆうなに突っ込まれて所々ボロは出たが、それも些細なものだけ。

 俺の家に風呂を借りにきたのに、着替えが準備していないのはどういうことか。

 風呂を借りた家主、つまり俺に着替えを借りる魂胆ならまだしも、ゆたかと俺では服のサイズが違いすぎる。

 だからおかしいんじゃないか、ということだけだった。


 しかし、それはあくまで俺の言動を訝しく思ったから突っ込んだだけ。

 しかも続けたゆたかの言いわけは、予定外に借りることになったから準備していなかったというもの。

 俺に風呂を借りることになったのは、大学で会った俺にその話をし、俺の好意によって借りることになった想定外の行動だった、と言っていた。


 こう言われれば真相を確かめる術などないし、理由の説明もできている。


 もし、相手がゆうなでなければ見破れたかどうか。

 また、先にゆうなの対応をしたのが俺ではなく、ゆたかだったら。


 それらを考えると、今の結果が著しく変わっていた可能性が高い。

 それだけに、ゆたかの嘘をつき通せる力は確かなものだろうことが想像できた。


「整理するために、もう一度話すわ」


 言うのはゆうな。


 フローリングに直接座っていた状態から立ち上がり、側のベッドの縁に腰を下ろす。

 その横を、そこに座るのを促すようにポンポンと叩いたので、俺もゆうなの横に座った。


 俺よりも頭半分ほど高くにあるゆうなの顔を見上げ、視線が合う。


 ゆうなの口が開く。


「あなたは、最初から菅原さんに操られているの」


 事実を告げるように、確固とした態度。


「最初、あなたはこの世界がパラレルワールドなんじゃないかって考えたでしょ?」

「うん、考えたよ」

「それは以前、菅原さんからその話を聞いていたから。菅原さんの話を思い出して、あなたはその結論に至ったの」


 言うなれば、


「菅原さんに思考を動かされた。そうとも考えられるわ」


 ゆたかにその話を聞いていなければ、俺はその結論に至れなかった。

 混乱するだけ混乱し、ろくな推測もままならなかったかもしれない。


 だが、現実はゆたかからその話を聞いていたおかげで、今の考えにたどり着けている。

 ゆたかに方向性を左右されたと言えば、そういうことになるかもしれない。


「次に、あなたは菅原さんに会うために大学に向かった」


 うん、と頷き、


「あかりになったばっかりで気持ちの整理がついてなくて、本当は大学に行ける状態じゃなかったけど……ゆたかが一番のあてだったから」

「そうね。パラレルワールドの話をしたのは菅原さんだったもの。頼るとしたら彼女が適任よね」


 ゆうなが賛同してくれる。


 が、


「けど、それも彼女が影響を及ぼしてる行動よね」


 俺が大学に行こうとした理由は、前にもあるように、大学にゆたかがいたから。

 以前にゆたかからパラレルワールドの話を聞いていたから、唯一のあてとしてゆたかを頼りにしていたのだ。


 行動理由として、彼女ほど俺に影響を与えている人物は他にいまい。

 だから、彼女が俺に影響を及ぼしたと言うゆうなの話は正しいだろう。


 次に、とゆうなは続ける。


「さっきあなたから聞いた、私があきらとあかりを入れ替えた間接的な原因になっているって話。これも同じく菅原さんがあなたに吹き込んだから、あなたはそういう結論に至ったの」


 ゆたかが俺に吹き込んだ?


 そこに反応し、俺は首を横に振る。


「俺に話してくれたのは、ゆたかじゃなくて菊地原先生だよ。言わなかったっけ?」

「ええ、聞いてるわ」


 なら、と俺が言うより早くゆうなは続ける。


「あなたに直接話したのは菊地原先生かもしれないけど、その先生を呼んだのは菅原さんでしょ?」

「うん、そうだけど……」

「なら、菊地原先生は菅原さん側の人間ってことになるわ。あらかじめあなたに何を言うのか、菅原さんから菊地原先生に指示しておくことなんて容易だし、逆に私たちはそれを知る余地がない」

「えっと……つまり、菊地原先生が俺にしてくれた説明は、実はゆたかから菊地原先生にそう言うように指示していた可能性があるってこと?」

「可能性があるって言うより、私はそう確信してるわ」


 その言葉通り、ゆうなの目には自信が満ち溢れているように見える。

 自信を通り越し、それに囚われているようにさえ見えるほどに。


 あまりに満ち満ちたゆうなの様子に言葉を失い掛けるも、その瀬戸際で保つ。


「で、でもさ、」


 ここからは俺の反論。


「可能性は可能性なんだからさ、絶対ってわけじゃないでしょ? ゆたかが菊地原先生に指示していた可能性があるなら、していない可能性だってあると思う」


 どちらかと言えば、していない方の可能性を信じたい。


 それに、


「俺に起こった現象を予測するなんて無理だよ」


 俺に起こった現象とは、つまりあかりとの入れ替わりだ。


 人格が入れ替わることさえ滅多に起こり得ないことだと言うのに、俺とあかりの間には世界という壁が存在する。

 それを乗り越えて入れ替わりが起こることを予測するなんて、予知能力でもなければ無理な話だろう。


 可能性の話としては、予知能力ではなく「起きるかもしれない」と予防線を張っていたのだとすれば、ありえないこともない。

 しかし、その確率が確率だ。

 平行世界を乗り越えて俺とあかりが入れ替わる可能性に備えて準備しておくなど、徒労の他ない。


 例えるなら、この日本で一般人が流れ弾に備えて常に防弾チョッキを身に付けているようなもの。

 そんなこと、滅多にもありえないというのに。


「そんなことないわ」


 ゆうなはキッパリ言う。


「だって、あなたを誘導したのは彼女なのよ? あなたに前もってパラレルワールドの話をして、そうなったら彼女の元に赴くように仕向けていた。そこまで準備を万端にしておいたなら、そうなることを予見できていても不思議じゃないわ」

「別に準備万端だったからって、予測してたとは限らないんじゃ……」


 俺の反論に、ゆうなは首を横に振った。


「なら、こう考えてみて」


 それからゆうなは、おとぎ話を語るような口調で切り出す。


「ある晴れた日、天気予報でも降水確率はゼロパーセントの日中に、傘を差している人がいました。それは日傘ではなく、どこにでもあるような普通の傘。そうね、日除けできないビニール傘を思い浮かべてくれるといいわ」


 言われ、燦々と太陽の照りつける道中に、ビニール傘を差している人が佇んでいる情景を思い浮かべる。


「なんか、すっごく変な人」

「ええ。雨も降ってないのに傘を差してるなんて、普通だったら考えられないわ。それも、日除けのためでも何でもない傘。どうして? って思うでしょ?」

「うん。紫外線を避けたいなら黒い傘とか、日傘用のがあるしね」

「そう。でもそれからすぐに雨が降り出すの。小雨なんかじゃない、本降りの大雨がね」

「雨が……」


 この話の前提としてあったのは、晴れ渡った日中という天気と、降水確率ゼロパーセントのほとんど確約された晴天。

 それを覆して雨が降るというのは、そうあることじゃない。


 しかし、それでもこの話では雨は降り出したという。


「その突然の大雨に、道行く人は大変な目に遭いました。急に降り出した雨に予防もできず、服がびしょびしょに濡れてしまいます」


 雨なんて降るはずがないと思っているところに降られたら、一溜まりもないだろう。

 折りたたみ傘を常備しているならまだしも、そうでないのなら濡れることは必死だ。


 だが、そんな中にも例外はいる。


「しかし、傘を差していた人は大丈夫でした。元から傘を差していたので全く濡れなかったのです。おしまい」


 言い終えたゆうなは、そこでふう、と一息。


「どう? 私の言いたかったこと伝わったかしら?」


 えっと、と前置いて考え始める。


 ゆうなの言いたかったこと、というのは、今の例え話から伝えようとした概念的事柄だ。


 例え話とは、わかりにくい事柄を別の事柄に例え直すことによって、そのニュアンスを伝えようというもの。

 つまり、ゆたかが俺とあかりの入れ替わりを予測していたことを、今の例え話に変えてニュアンスを伝えてきているのだ。


 だから、今話してくれた例え話について考えてみる。


 特徴的、というより話の主体にあげられていたのは傘を差していた人だ。


 降水確率ゼロパーセントの晴天にも関わらず傘を差しているというおかしな行動を取っていたその人。

 それからすぐに雨が降り出すも、あらかじめ傘を差していたおかげで事なきを得る。

 よって、傘を差していた人だけは濡れずに済み、その他の普通にしていた人は濡れてしまう。


 そんな例え話の展開から得られるのは……、


「なんか、傘を差してた人が、雨が降るのを知ってたみたい」

「ええ、そうね」


 ゆうなは俺の解答に満足したように頷く。


「普通なら降るわけないと思って手ぶら、せめて折りたたみ傘をカバンに入れておくくらいの予防しかしないわ。雨が降らないのに傘を持ち歩く必要はないもの」


 けど、傘を差していた人は違う。


「でも、その人は傘を差していた。持っているだけでなく、降ることに対応できるように差していたの」


 一息。


「そんなの、雨が降るのを予測してたに決まってるじゃない。本人に聞かずともわかる。予測できたから傘を差してたに決まってるわ」

「たしかに……」


 そこまで完璧に準備された状態で待機していて、実際に雨が降った。


 どうやったのかわからなくとも、何かしらで予測できていたのか、雨が降る低確率に賭けていたのかのどちらかと考えられるだろう。

 でなければ、晴天で傘を差していた意味がない。


 だから、可能性は二つ。


 本当に雨が降ることを予測していたのか。

 降水確率ゼロパーセントにも関わらず雨が降ることに対して予防線を張っていたのか。


 そのどちらかの可能性が高いかと言うと――


「予測していた、かな」


 どちらも低い可能性だとは思う。


 けど、さも自信満々に傘を差して待っていた人を目の前にしたと考えると、予測できていたのではないか、と勘ぐってしまう。


 人の心理とはそんなものだ。

 例え、その人にそんな力がなかったとしても。


「でしょ! やっぱりあなたもそう思ってくれるのね!」


 よほど俺の意見と合致したことが嬉しいらしい。

 飛び跳ねるように喜んで笑うゆうなは、俺の手を取り握手を交わす。


 その本当に嬉しそうな笑顔が、なんだか久々な気がした。


 つまりゆうなが言いたいのは、傘の人もゆたかも同じだということ。


 傘の人は、まるで雨が降ることを予測できていたように傘を差していた。

 ゆたかは、まるで俺とあかりが入れ替わることを予知していたように、俺にパラレルワールドについての話をしてくれた。


 それが同様と言うのだ。


 俺はゆたかの件に関してもゆうなに同意したわけではなかったが……。


 ゆうなの嬉々とした笑顔を見ると、開こうとしていた口が酷く開けづらくなる思いがした。


「これで、菊地原先生が菅原さん側の人間だってわかったでしょ?」


 今の例え話の件から得たのは、菊地原先生が俺に話してくれた世界についての話や、元の世界に戻れるかもしれないという話。

 それらがゆたかによって捏造されていたかもしれない、ということだ。


 ゆうなからすればゆたかが話を作ったのは確定事項のようだが、俺はちょっと……。


 やはり、友人としてゆたかを信用したい面がある。

 だから否定の代わりに沈黙で応えたのだが、


「でね、その中でも一番大きいのは」


 ゆうなは気に留めもしないように続ける。


「一番大きいのは、レズビアンについて学べ。その指示をしたのも菅原さんだってことよ」

「まあ、そうだね」


 菊地原先生の話をゆたかが作っていたなら、それもゆたかが指示していた内容になる。


 ゆたかと菊地原先生の関係を考えれば、指示と言うよりも、そう言ってくれるように頼んだのだろうが……。


 とにかくそうしたヒントも、ゆたかが意図していた可能性は無きにしもあらずだ。


 でも、それが一番の大きなこと?


 意味をはかりかね首を傾げると、ゆうなが補足してくれる。


「レズビアンについて学ぶために、菊地原先生はあなたに何をしろって言ったのかしら?」

「それは――」


 答えるべく思考を言語化し、そこでハッと気が付いた。


 ――ゆたかとセックスしろ。


 俺は菊地原先生にそう言われた。


 が、もしそれがゆたかの指示通りだったなら――


「ゆたかと俺がセックスしようとしてたのも、ゆたかの企みだった……?」

「ええ、そうよ。そう見て間違いないと思うわ」


 俺の言葉の返答に得たのは、自信に満ちあふれたゆうなの頷き。


 ゆたかと俺がセックスをしろという指示を出したのは、菊地原先生ではなくゆたか本人。

 ゆたかが菊地原先生の協力を得ていたという説を信用するなら、そういうことになる。


 菊地原先生が出した最終的な結論は、レズビアンについて学べ、そのためにレズビアンであるゆたかとセックスしろということだ。


 もしゆたかが菊地原先生の言葉を指示していたのなら、その結論さえもゆたかが指示したのと同じこと。だからゆうなの言うとおりなら――


 ゆたかは、俺とセックスするのを誘導していた……?


「だって彼女、あかりのことが好きだったのよ? あなたとエッチしたいなんて、動機として十分だわ」

「……たしかに」


 小さく頷く。


 ゆたかは、あかりのことが好きだったのだ。


 買ったばかりの携帯電話であかりを盗撮して、それを待ち受け画面に設定してしまうほど、時折冷静さを欠いて性欲に暴走してしまうほど、あかりのことを好きだった。


 同時に、あかりとセックスすることを望んでいた。


 俺とセックスすることが決まったとき、あれほど嬉しそうな言動、表情をしていたのだ。よほど望んでいたことに違いない。

 恋人でなくセフレでも構わない、と明言していたほどなのだから。


 だから、もしゆたかが俺を操っていたとして、最終目的に俺とのセックスがあったとしたら、ゆうなと言うとおり、動機として十分なのではないか?


 そういう思考が、頭の片隅に巣くってきた。


「さあ、あなたを欺く力は十二分にある。その動機も確定した。ここまでくれば納得できるんじゃない?」


 さも勝ったように得意げな笑みを見せるゆうな。


 それに思うことはあれど、


「……」


 うまく反論を返すことができない。


 現に俺のゆたかを信じたい気持ちが、ゆうなの思考によって侵されてきているからだ。


 ゆたかの嘘をつく力は、風呂の件で証明された。

 嘘をつくだけの動機は、今の話で結論付いた。


 だから、ゆたかが「する」か「しない」か。

 その選択肢のどちらを選んだのかによって全てが決まってしまう。


 もし「する」を選んだのであれば、ゆうなの話は全て事実。

 ゆたかの企みによって、俺はゆたかとセックスするという選択を誘導されたことになる。


 逆に「しない」を選んでいたなら、今までゆうなが話したゆたかの疑わしい行動は、あくまで結果的に怪しくなってしまったものであり、他意はなかったということになる。


 故に、可能性は二つに一つ。


 ゆうなが散々怪しいと言ってきたゆたかの行動は、狙い故の必然だったのか。

 それとも、偶然にそう見えてしまったのか。


 その内の一つが、真実。


「私はね、」


 ゆうながこちらを見て、話す。


「私は、偶然が重なることなんてありえないと思うの。偶然なんて、そう起こりえることじゃない。なのに、それが重なって起きるなんて……どう考えても怪しいわ」


 だから、と言う。


「偶然が重なるのは、誰かの作為的なもの。偶然を装った単なる人為的なものなのよ」


 ゆうなの視線と俺のそれが合致する。


 怖いくらいに、寸分の狂いもなく見つめ合う。


「たまたま菅原さんは嘘をつくのがうまくて、たまたま菅原さんがあなたにパラレルワールドの話をして、たまたま菅原さんはあなたに好意を抱いていて」


 一息。


「こんなの、ただの偶然のはずがない。絶対に彼女が仕組んだことなのよ」


 その言葉に裏を感じることはない。


 嘘をつくのが苦手なゆうながこう言えるというのは、それだけ真に迫っているということ。

 確信を得ているのだ、自分の仮説に。


「それにね、」


 ゆうなは続ける。


「あなたとエッチするのが確定してからも、彼女は狡猾だったわ」

「狡猾だった?」

「ええ。彼女がシャワーを浴びてるところを私が目撃したときの饒舌さはあなたもわかってるでしょ?」

「うん」


 再三あげられたように、風呂場でのゆたかの嘘は、咄嗟のものにしては秀逸だった。

 少なくとも俺では、前もって考えておかなければあの嘘はつけないだろうというほど。


「でも、彼女の狡猾なところはそこだけじゃない。あなたとセックスしようとしていたのがバレたら、今度は私とあなたの仲を保とうとしたのよ」

「え……?」


 俺とゆうなの仲を保とうとしたことが、ゆたかの狡猾さ?


 たしかにゆうなに事がバレたとき、ゆたかは何よりも俺とゆうなが仲違いしないように働いてくれた。

 事情を話せばわかってくれる、と自分を除いてでも俺とゆうなに話す場を作ってもくれた。


 それを取り上げて、狡猾だなんて……。


「まあ普通に考えたら、それが狡猾には思えないわね」


 俺の表情から察したのか、それともそう思うのを予測してか、ゆうなは言う。


「彼女の行動――まずあなたとエッチしようとしていたのがバレないように嘘をつく。バレないのが一番だからね。疑いの目を向けられたとしても、それを相手の思い違いだって勘違いさせられれば事なきを得るもの」

「う、うん」

「次に嘘がバレてしまった後。彼女は「事情を話せばわかる」の一点で押してきたわ。それだけ、その事情に自信があったんでしょうね。現にあなたから聞いた限りでは、そこにあなたたちの意思は薄い。仕方なくそう行動していたって言わんばかりにね」


 でも、とゆうなは言う。


「でも、それは本当に仕方なかった場合の話。菊地原先生に言われるがまま行動するしかなかった場合だけなのよ」


 そこで、ゆうなは俺の両肩に手を置く。

 諭すように、力強く。


「あなたはもう知ってるはずよ。そこに仕方なく、なんて彼女には存在していなかった。全ては彼女の思うがままだったってことを」


 栗色の柔らかい髪が、微かに茶色掛かった瞳が、俺の視覚野に迫る。


「全部彼女が仕組んだことだった。なのに、彼女はあの場であんな行動を取った。そんなの、一つしかないわ」


 またぐっと距離が近付く。

 もう少しでも顔を寄せればキスできそうなくらいまで。


 口を開く彼女の息が、柔らかく鼻先に触った。


「彼女は自己擁護のために善人を演じたの。私とあなたの仲を壊さないように心掛けた行動に見せかけて、彼女自身の立場を守りにいったのよ」


 ゆたかが、自分を守りにいった……?


 思いを口に出したのかはわからずとも、ゆうなはその解を頷きを持って返してくる。


「今の状況を作ったのは誰か、わかる?」

「えっと……」


 今の状況というと、ゆうなに本当の事情を聞いてもらう場だろうか。


 今は流れが変わっているものの、元はそういう目的で話をしていたのだ。

 だから、そうした場を設けるために働いたのは……、


「ゆたか、かな」

「ええ、そうよ」


 浮気紛いのことをし、なおかつそれを誤魔化そうとさえしたのだ。


 本来ならゆうなを怒らせるだけ怒らせてしまって、こうした弁解の場など与えられるはずもなかった。

 その場から去られ、以降音信不通になるという最悪の事態さえありえたかもしれない。


 だが、実際にはそうなっていない。


 ゆたかが尽力してくれたおかげだ。


 どうしても聞いてほしい、事情を話させてほしいと、泣くしかなかった俺に代わってゆうなを引き止めてくれた。


 故にこの状況作ってくれたのは、ゆたかということになる。


 だが、


「私も騙されかけたわ。一見して、彼女の行動はなかなかに誠実に見えるんですもの」


 ゆうなは言う。


「でもそこで欺かれちゃダメ。彼女ほど狡猾な人間は他にいないんだから」


 肩に置かれていたゆうなの右手が、こちらの頬へ。

 優しい手つきで撫でてくる。


「彼女はそうして、あなたに尽くしてるように見せかけていたのよ」


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