なきあめく
怒っていながらも悲しんでいるような複雑な表情を見せたゆうな。
背もたれにしていた壁から体を離し、一歩俺に近付く。
「もう話さなくていいから」
ぎし、と板の床が軋み立て、またゆうなが歩み寄る。
ゆうなの顔を見上げる俺に、言葉を発せられるだけの余裕はない。
「あなたがあかりでもあきらでも、どうでも良くなったわ。そんなの構いやしない」
また一歩近付いて、俺たちの距離はそれの二歩分にまで狭まる。
「あなたの長話でわかったのは一つだけ。あなたに裏切られたのがたしかだった。それだけよ」
ゆうなの見下す視線は、俺に何も許さない。
反論することも、怯えることでさえ、躊躇いを覚えさせられている。
「だから、あなたは話さなくていい。もう聞く耳なんてもってあげないから」
一歩ゆうなは近付いて、距離は十分に縮まる。
片方が手を伸ばせば、難なく相手の体に触れられるような距離までに。
「これで最期よ」
気付けば、俺は息を止めていて……。
一瞬、意識が白く弾ける。
耳には渇いた大きな音。
――頬を張られた。
戻った視界は、傾いたもの。
「っ……!?」
衝撃に体がふらつき、右に倒れかかる。
声をあげる暇もなく、たたらを踏む。
うまくいかず、膝をついた。
そのまま四つん這いの体勢になって、見るのは床。
張られた左の頬に手を当てる。
じん、とした感覚はあるも、痛みはない。
何よりも驚きが優先されていた。
こんがらがる思考が、ぶつりと音を立てて千切れる。
頭が真っ白になって、何も考えられなくなる。
「……やめて……」
ゆうなの呟き。
漏れ出たような言葉に、はっと視線をそちらに。
「これ以上、私のあかりを汚さないでよっ!」
叫び。
「私の知ってるあかりはそんな子じゃなかった! こんな風に私を裏切ることなんてなかったわ!」
腕を振り、さらに俺に歩み寄ってくる。
荒く、俺の体の横にゆうなの足。
「いつもいつも男みたいな格好をして、男みたいな喋り方をして私を困らせたけど……それでも好きでいてくれた! 私も大好きだった!」
知らぬ間に俺は尻餅をついていて。
覆い被さるようにゆうなは身を低くし、俺の胸ぐらを掴む。
ゆうながプレゼントしたという白いワンピースを。
「何で! 何でこんなことになっちゃったの!? 私の何がいけなかったの? 私がいじめすぎたから? それで愛想を尽かしたって言うの!?」
握り込むような掴み方ではない。
まるでしがみつくような、そんな掴み方。
「だからって、いきなりこんな……こんなのって、ないじゃない……っ!」
そのまま倒れ込むように、ゆうなが寄りかかってくる。
「今日……あなたの誕生日なのよ……っ」
ゆうなの掴む胸元には、銀色のネックレス。
「せっかく喜んでくれると思ったプレゼントが、台無しじゃない……っ」
掴む手が離され、弱々しく肩を殴られる。
「デートだって、一生懸命考えてきたのに……っ」
ゆうなの頭が、俺の首もとに押し当てられた。
そのまま押し倒されるような形で、俺たちは床に体を横たえる。
俺は片膝を立てて仰向けに。
ゆうなは馬乗りの体勢で、俺の首もとに顔をうずめて。
……表情を見れなくても、思考が止まっていても、わかる。
熱い雫が、首に伝ってくるから。
ゆうなが泣いてるって、認識できる。
「……ゆうな」
ほとんど無意識の内に、俺は手を伸ばしていた。
その先は、ゆうなの頭。
……慰めようなんて、おごった考えじゃない。
ただ、ゆうなにこんな風に泣かれたら自然と――
瞬間、
「触らないでっ!」
ゆうなに一喝された。
指先がゆうなの髪に触れたかというところだった。
「おかしくなったあなたなんかに触られたくないっ!」
ゆうなが体をそらし、頭を上げる。
泣きっ面を外気に晒して、目元を赤くしている。
「私は、昨日までのあなたが好きだったの! 今のあなたじゃない! おかしくなったあなたなんかじゃないのよ!」
「お、おかしくなんか……」
「おかしくなってないってなら何だって言うの!? あなたはあかりじゃない? 別の世界からきたあきら? ――バッカじゃないのっ!?」
床についていたゆうなの右手が、バンと強い音をもって床を叩く。
「そんなのありえない! 現実じゃ絶対にありえないことなのよ!」
「ありえなくなんか――」
「ありえないわよ! あなたにそんな力はなかった! 私にもなかった! どこから湧いて出たって言うの!?」
もはや俺が口を挟む隙すらなく、
「きっと全部が創作――そう、菅原さんの創作に違いないのよ!」