話し合いをしよう
話の続きは、少しして状況が整ってから。
俺の、というかあかりの服を貸そうと思ったが、サイズがあまりにも違いすぎたのでそれは断念。
ゆたかは自身が着てきた服を着直し、みんなで俺の寝室も兼ねているフローリングの居間に移動。
俺はベッドに腰を下ろし、ゆたかはその隣に立つ。
ゆうなは対面の壁際に背中を預けて佇み、いつもの所作で胸の下に腕を組んでいる。
向かい合い、視線を飛ばすのはゆたかとゆうな。
身長差からゆたかがゆうなを見下ろす形になっているが、それに負けぬ威圧を持ってゆうなもゆたかに目を向けている。
対等、いやそれ以上。
眼力だけで押し切らん勢いの視線が、ゆうなから発せられていた。
だが、対するゆたかには敵意の一滴もない。
先に口を開いたのは、そのゆたかからだった。
「お待たせしたね。さあ、話の続きを始めようじゃないか」
「あら、主導権を握るつもり? 人から恋人を奪ったくせに」
「そんなつもりはないのだけど……」
ゆたかが苦い表情を浮かべる。
……ゆうなの毒が強い。
それはきっと、嘘をつけないゆうなだから。
今まで向けられたことがなかったからわからなかったが、たぶん、ゆうなが怒るときはこうなのだろう。
溢れ出る怒りや憎しみが、隠されることなく表面に浮き出てくる。
言葉尻の鋭さに恐怖めいたものを感じるも……そういったところでは、ゆうならしさを感じ取れた。
だからだろうか。
時間も置いたおかげもあるだろうが、今の俺はだいぶ落ち着けている。
目元に泣きはらした熱さこそあれ、その元凶が湧き出る感覚はない。
俺は泣き止み、落ち着けてきている。
そう判断する。
「私は君の恋人を奪っていない。君は誤解しているんだ」
「誤解?」
「ああ、そうさ。君は誤解、勘違いしている。私は、私たちは浮気などしていない。それは君の勘違いなんだ」
両手を広げ、ゆたかは必死に弁明する。
誤解を解こうとしてくれているんだ。
だから、俺も同意の証として頷きを見せるも、ゆうなは小さく鼻で笑う。
「あんな決定的状況を見られて、誤解、勘違い? バカじゃないの? あれだけ嘘を塗り固めてたのよ? 私からすれば、あなたたちが裸で抱き合ってるシーンを発見したのと同じくらいに固いものだと思うわ」
ゆたかがシャワーを浴びていたことを隠そうとしたこと。
そして隠したことを正当化しようと嘘をつき重ねたことを、ゆうなはそう言う。
「……たしかに、端から見ればそうなるかもしれない。口早に話したこと全てが嘘だったのだからね。疑うのも無理はないと思う」
「でも実際は違う、なんて言う気?」
「ああ、そうだとも。こうして弁解の余地をもらっているんだ。できる限り抱かせてしまった誤解を解きたいんだ」
ゆうなが目を細める。
「弁解の余地じゃないわ。これは私の興味。私を裏切ったあなたたちが、最後にどんな言いわけをして見せるのか」
そのまま弓の形にたわむ。
「――笑い話にしてほしいもの。こんな辛い話、今すぐにも笑い話にしてちょうだい。あなたの言う事情とやらで、ね」
「笑い話……」
ゆうなの言葉を、ゆたかは小さく繰り返す。
そしてそこから何か得たのか、ふと笑みを見せる。
「そうだね、笑い話にしよう。これはお互いの気持ちが急いて起きてしまったくだらないお話だ。そう、大学を卒業するころには笑い合おう」
「ええ、少なくともあなたたちのいない場で笑える話になるでしょうね。浮気した女の往生際の悪さ、期待するわ」
互いに笑みを見せ合うも、そこに微笑ましいものはない。
ゆうなから発せられる刺々しい雰囲気のせいだ。
ギスギスとぎこちなく、居心地の悪い空気が流れる。
「さあ、もう私たちの弁明を始めてもいいかな?」
そんな空気に臆することなく、ゆたかは発言。
だが、
「ええ、いいわ。聞いてあげる。ただし、あなたを除いてね」
「……どういうことだい?」
一瞬遅れて、ゆたかが問う。
あなた、つまり、ゆたかを除いて……?
「どうせあなたから話を聞いても、うまいこと言い逃れするだけだもの。今までの会話を思い出せばわかるわ。あなたなら安易な嘘も突き通せてしまう。違うとは言わせないわ」
「嘘はつかないさ。さっきのことで懲りたからね」
「そうかもしれないわね」
でも、とゆうなは続ける。
「私は嘘をつかない保証が欲しいの。あなたは平気で嘘をつけるみたいだから」
「だから私を除いて、あきらと話をしようと?」
「ええ。あなたを除いて、あかりと話がしたいの」
「……なるほど」
ゆうなの言葉を聞いて少しの間を置き、ゆたかは言う。
「嘘をつき通せる私より、嘘が苦手なあきらなら信用できる、と……たしかにそうかもしれないね」
「でしょ? あなたと違って、あかりなら嘘をついたらすぐにわかるわ。これ以上ないくらい確かな保証だと思わない?」
ゆうなに向かって頷くゆたかは、今度は視線を俺に向ける。
表情は微笑み。
「私はそれで構わないよ。私が話してもあきらが話しても、変わらないことだからね。より信頼を得られるというなら、それに異論はない」
そこまで聞いて、別の視線を感じる。
ゆうながこちらを見ていた。
「そうね。それが嘘のない事実なら、あなたたちのどちらが話しても変わらないことだもの」
公平でしょ? とゆうなが言うと、ゆたかが頷いた。
「あとは君次第だよ、あきら」
「俺、次第?」
ゆたかが頷く。
「私の代わりに事情を――私たちが部室で話したことを話してほしい。そうしたらきっとわかってくれる」
――わかってくれる。
ゆたかの言葉が反響する。
「さっきみたいに誤魔化そうという気持ちをなくして、ちゃんと伝えれば――」
「ゆうなが、わかってくれる……?」
『別れましょう』
そう言ったゆうなが……。
「もちろん、私を納得させられる内容だったらね」
胸の下の腕を組み替え、ゆうなは言う。
「もしあかりが嫌だったらいいのよ? 私は無理に聞きたいわけじゃない。引き止められて、渋々聞くだけだから」
「そう。だから、あきら」
ゆたかが俺の目の前に来て、屈む。
両肩に手を置き、真っ直ぐ見つめてくる。
「君はこんなこと望んでいなかったはずだ。ゆうなと別れるなんて、嫌だと思う。……だから頑張ってほしい」
肩口まで伸びた黒髪をなびき、長いまつげが微かに揺れる。
すぐ間近まで迫るゆたかに――俺は頷いた。
ゆたかに任せっぱなしなんて情けない。
頑張らなきゃいけないのは、俺だから。
だから力強く頷いて、
「頑張るよ」
視線をゆたかからゆうなに。
その目を見て、俺は立ち上がった。
俺が両足で床を踏みしめると、合わせるようにゆたかも立ち上がった。
ぐんと高くまでゆたかの頭が持ち上がっていく。
俺の周囲に立つ二人は、この体よりずっと大きい。
真っ直ぐ見た視点でゆうなの喉の辺り。
ゆたかなら胸元が位置する。
背の低いあかりならではの視点だった。
「じゃあ私は外に出るね。二人で話すからには、私は邪魔だろう?」
腰を曲げ、俺の目線に合わせて笑いかける。
視線の先は俺だが、聞いたのは俺ではなかったよう。
は、と小さく息を漏らし、ゆうなが答える。
「そうしてちょうだい。変に入れ知恵されたら嫌だからね」
するつもりはないだろうし、されるつもりも全くないのだが……。
話すのは事実。
さっきみたいに何かねつ造するわけではない、ありのままを話そうとしているだけだ。
ゆたかと俺の認識が共通している以上、何か入れ知恵する必要がない。
……とは言っても、さっきのことがある。
それを思えば、ゆうなには何も言い返せなかった。
だから、視線だけでゆたかが部屋から出るのを追う。
ゆたかは玄関まで行き、そこに揃えられた自身の靴を履く。
そこで、こちらに振り返った。
「あきら、頑張ってね」
言葉よりも強く頷くことを優先。
それを認めたらしいゆたかは安堵したように表情を緩ませ、体の向きを外へ。
ガチャリとドアノブを回して、俺の家を後にしていった。
薄く、恐らく安物であろう鉄扉が閉まる音。
外からはくぐもった足音の離れる音が聞こえた。