ごっこ遊び
「遊び……?」
「ええ、遊び。私はそう思ってたわ」
オウム返しする俺に、ゆうなは頷く。
「だってそうじゃない? いきなりあんなことを言われて、そのまま信じるなんて。普通だったらありえないわ」
ゆうなは俺から話を聞いたとき、まるで信じられなかったと言う。
あかりじゃなくて、あきら?
パラレルワールド?
ゆたかの守護霊の話に食い付きが良くなかったことからわかるように、ゆうなはその系統に対する免疫がない。
それは頭ごなしに「ありえない」と否定するほど。
だから今日の夜中、俺がゆうなにいくら話そうが、信じるには値しないことだったと、今のゆうなは言う。
だが、そうは言っても俺も真剣な表情。
いつものように「ありえない」と切り捨てるには、あまりにも真面目な様子だった。
それにゆうな曰く、俺は嘘をつくのが苦手。
もし安易な嘘をつこうものなら、どもりがちになる話し方や態度でわかるらしい。
だからゆうなは悩んだ。
ありえないと思いつつも、俺に嘘をついている様子はない。
嘘をつかずに俺の言うことが正しいとしたら……。
そう考えて思い付いたのが、
「“ごっこ遊び”だったのよ」
胸の下で腕を組み、ゆうなは言う。
「パラレルワールドに来てしまったあきらという名前の男があかりに乗り移った。そういう設定でのごっこ遊び。私はそれしかないと思ったわ」
それなら“そういう設定”ということで嘘をついていることにはならないし、ありえないことの起きていない現実として認識できる。
だから、
「私はその設定を理解したの。理由はわからないけど、あかりがそういう遊びをしたがってるんだと思ってね」
ごっこ遊び。
それは、ある設定の基で役になりきる遊び。
いわば、おままごとのようなものだ。
俺は一般の男の子として育ってきたからそれの経験はあまりないが、全く知識がないわけでもない。
一つの家庭のくくりの中、父親、母親、あとは人数によって子供など配役が決められ、その設定を守って遊ぶもの。そう認識している。
母親役なら母親になりきって家事を営み。
子供役なら奔放に遊ぶ子供を演じて。
総じて幼児期の遊びのため、そのクオリティは言うまでもないが……。
それを俺が提案したと思っていた……?
ゆうなはそう言っていた。
俺から、俺があかりではなくあきらであること。
もしかしたらパラレルワールドに来てしまったのかもしれない、と仮説立てたこと。
それらを聞いて、“そういう設定”の遊びとして認知したと言う。
つまり――
俺からしたら、ゆうなは俺の話を信じてくれたと思った。
その手の話に理解が薄いことを知りながらも、そうして信じてくれたゆうなをありがたく思った。
けど……違う。
あくまで、それは“そういう設定”として理解したまでのこと。
事実とは思っていなく、俺が頭の中だけで考えただけの――
「な、なんだよそれっ」
開いた口は、思わず声が大きくなる。
だが、それを認識しても止まらない。
「俺は、俺はゆうなが信じてくれたと思ったんだ! 信じてくれて嬉しかった! なのに、そんなふざけてるような――」
「ふざけてなんかないわ」
遮り、ゆうなは言う。
「あなたが真剣だったから、私も真剣に乗ったのよ。あなたのその設定に」
「真剣に乗ったなんて……」
意味がわからない。
そんなくだらないごっこ遊びに、二十歳を超えているゆうなが真剣に乗っかる?
いや、そもそもあかりだってゆうなと同い年で二十歳を超えているのだから、そんなやつがごっこ遊びなんて幼稚なものを提案するはずがない。
なのに、それを頭ごなしに“そういう設定”としか聞き入れず、なおかつ真剣に乗るなんてことが――
「だって、ありえないもの」
胸の前で緩く腕を組み、ゆうなはハッキリとした口調で告げる。
「オカルトなことは現実に起きるはずがないわ。そんなのはフィクションの中だけの話なの。実際にあったらいけないことなの。なのに、あなたは嘘一つつく様子のない表情でそう言うのよ? だったら答えは一つしかないじゃない」
右の人差し指を立て、
「あなた――あかりは、何かしらの理由があって“そういう設定”で遊びたかった。違う?」
「ち、違う!」
大きく首を横に振る。長い髪の鬱陶しさも、今は薄い。
「俺はそんな遊びなんて提案してない! 第一、なんでそんなことしなくちゃいけないんだよ!」
「それは私が聞きたいくらいよ。今日はあなたの誕生日だったから何も言わずに乗っかったけど、今考えても理由がわからないわ」
くそ……。
こうなっては埒があかない。
俺は考えうる仮説としてパラレルワールドをあげたのに対し、ゆうなはそれをごっこ遊びの設定として把握してしまっている。
要は言った聞いたの水掛け論だ。
そうなってしまっては、どちらかが引かない限り平行線から近づくことはない。
が、俺から近づくのはありえない。
曲解したのはゆうなの方だ。
俺はしっかりと自分に降りかかった事実を話し、考えてみた結果パラレルワールドに来てしまったのではないか、という考えに行き着いたことをゆうなに話した。
なのに、ゆうなはそれを「ありえない」の一言で一蹴し、さらには「ごっこ遊びの設定」というわけのわからない結論に至ったと言う。
そんなの……絶対に信じたくない話だ。
極論、ゆうなは俺を、あきらを実在の人物ではないフィクションの人間であると言いたいのだ。
あかりの想像の中だけで生まれ、過剰に信じ込まれ、架空に存在する――二重人格のようなもの。
俺はあくまであかりの想像上の人間であり、あかりが“そういう設定”で考え出した現実には存在し得ない人間だなんて……。
ゆうなの話は、ゆうなの勘違いだ。
あかりは“そういう設定”で遊んでいた。
もし本当にそうだったなら、俺は存在していない。
“そういう設定”というだけなら、あきらはあかりの頭の中だけの人物のはず。
じゃあ、俺はなんだ?
あかりの体になる前の記憶もあり、あかりの体に多大な違和感すら覚えている、この俺が“そういう設定”?
そんな馬鹿な話はない。
だって、俺は存在している。
たしかに存在していたんだ。
そう強く思う反面、
(……っ)
不意に嫌な想像が、思考がよぎる。
それが真実だと強く言い放つゆうなの言葉を裏付けられそうな考え方が、俺の脳に蔓延する。
それは――あかりが思い込みの強い人間だった場合という仮説。
つまり、思い込みが強すぎて、実際に俺という人格を生み出してしまった可能性の話。
何で知ったのか覚えていないが、二重人格や多重人格というのは主人格の本人の思い込みから生まれると聞いたことがある。
多くの例として、二重人格や多重人格になるのは親から虐待を受けていたなどの辛い経験から。
その経験を受けていたのは自分ではない、他のやつが受けていたんだと思い込む自己防衛、現実逃避によって、新たな人格が生まれるものだったはず。
今回のことでなぞらえて言うなら、思い込んでしまったのは“そういう設定”。
あかりが“そういう設定”を実際にあると思い込んでしまったため、あかりの脳内に俺――あきらという人格が誕生した。
そして、“そういう設定”で今日九月十二日、俺の誕生日に入れ替わると思い込んでいたとする。
“そういう設定”で入れ替わった俺は、何も知らないまま、あたかも自分は他の世界に住んでいた男で、自分をあかりと入れ替わったあきらだと思い込んで……。
ぐらり、と視界が揺れた気がした。
なくはない、かもしれない……。
いや、下手に超常現象を信じるよりは、幾分も信憑性が高いだろう。
少しの間だけ目をつむり、また開いて落ち着いた視界でゆうなの顔を見上げる。
あんなにも柔らかく微笑んでくれていたゆうなの表情は固く、視線も鋭い。
俺の思考した二重人格説は、あくまでゆうなの言葉を受けて俺が勝手に想像を広げただけのものでしかない。
でも、俺の存在そのものの根底を揺る考え方で言えば、ゆうなの言う“そういう設定”だって一緒だ。
今の俺は、あくまであかりから派生したもの。
あかりが考えただけの、実際にはありえない人物だと。
でも、そんなの……そんなのって、ない。
俺が空想上の人物?
実在しない人物?
ふざけてる。
絶対にふざけてる。
たしかに今の俺には、俺自身を証明できるものが何一つない。
身分証を見れば「あかり」と刻まれ、写真には別人の女。
人に聞けば、俺は「あかり」以外の何者でもなく、そこに「あきら」はいない。
あるのは、自分を自分であると信じる自己の思考のみ。
だけど、だからって俺は存在しないことになっていいはずがない。
記憶があるんだ。
物心がついて、小学校中学校、高校で頑張って勉強して今の大学に入って。
そして、ゆうなと出会って――
こんなにも色濃く残ってる男の記憶が、作り出された偽物のはずがない。
ごっこ遊びなんて、“そういう設定”なんて、それこそありえない。
そんなことを言い張られて、黙っていられるわけが――
「あきら」
俺の名を呼び、肩を叩くのはゆたかだった。
心配そうに眉尻を下げた表情で、優しく諭すように言う。
「落ち着いて。このままじゃ、昼の二の舞を演じてしまうよ」
昼の――
ゆたかの言葉に、思い出された。
大学最寄りの駅のホーム。
俺とゆうなが口論の末に喧嘩別れしてしまった結末を。
「でも……!」
それを思い出したからといって、この溜飲を下げられるものじゃない。
「ありえない」の一言で俺の存在が否定されようとしているのだ。
他でもない自分の彼女に。
せめて、せめて彼女にだけは信じてもらいたいのが心情というものではないのか。
ゆうなに信じてもらいたい。
たったそれだけのことなのに……。
「ダメだよ」
落ち着かせるようにゆたかは言う。
「そんなに力んだあきらじゃあ、本当に二の舞になってしまう。ほら、指を解いて」
「指……?」
ゆたかが俺の手を取り、その指を一つずつ広げていく。
見れば、そこには握り締められていた五指。
指先は白く、力んで血が通っていないのがわかる。
……そんなに力が入っていたのか……。
気付かなかった。
ほんの少しだけ力が入っている気はあったが、まさかこんなに力んでいたとは……。
もし今のタイミングでゆたかが止めてくれなければ、昼と同じく――いや、それより酷いことになっていたかもしれない。
下手に力が入っている、というのはそういうことだ。
本人の意図しないところで冷静な判断力を失ってしまう。
そう、例えば今日の昼のように――
『別れましょう』
ゆうなにそう言われたあとで喧嘩しようものなら、取り返しのつかないことになるのは明白なのだから。