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俺はレズになりたくなかった  作者: ぴーせる
ゆたかとゆうな
56/116

別れましょう


「う、浮気なんて……」

「してないって言うの? この状況で?」


 怒りと憎しみ。


 感情をそのまま乗せたようにゆうなは言って、視線を巡らせた。


 見る先はゆたか。

 バスタオル一枚を体に巻くだけの、長身のその人を。


「あかりに好意を寄せている人が、そのあかりの家で裸になっているなんてどう考えても」

「ちょっと待ってくれないか」


 ゆたかが制止に入る。


「たしかに私はあかりが好きだ。友人としてもそうであり、恋愛の対象としても好いている」

「あら、目の前で告白?」

「そうじゃないよ」


 腕を組むゆうなに対し、ゆたかは首を振る。


「私があかりをそういう目で見ていたのは認める。けど、それと今とは関係ない。私はただお風呂を借りにきただけ。そう言いたいんだ」


 すっ、とゆたかは俺とゆうなの間に割り入る。

 さも俺を匿うような態度で。


 それを見て、ゆうなは怪訝そうに眉をひそめる。


「お風呂を借りにきただけ、ねえ」

「ああそうさ。事情は先に話した通りだ。だから浮気なんて濡れ衣は――」

「嘘ね」


 言葉を紡ぐゆたかに被せるように、ハッキリとゆうなは告げた。


「そんなのは嘘。大方、咄嗟に考えた言いわけなんでしょ?」


 ごくり、と喉を鳴らす音が前方から聞こえてきた。


 その主は探るまでもない。

 ゆたかは躊躇いがちに口を開き、一度閉じる。


 一呼吸分の間を空けて、再度開いた。


「どうして、君は嘘なんて言うんだい?」


 ゆたかの緊張感が手に取るようにわかる。


 体が触れ合うほど近くにいるためか、同じく追い詰められた状況にあるためかどうかはわからない。


 が、この肌をチリチリと焦らすような感覚は……。


「私はお風呂を借りにきた、と言っている。私があかりに好意があったのは認めるよ。そんな私がいるのだから疑う気持ちはわからないでもないけど、それを頭ごなしに嘘と決めつけ、汚名を着せるのかい? 証拠もないと言うのに――」

「あなたたちの動揺が、何よりも動かぬ証拠」


 端的に告げるゆうなの言葉に、鼓動が跳ね上がる。


「そ、そんな憶測――」

「なんてね。それだけなら、そうね、あなたの言うとおりただの憶測よ。……でも、それだけじゃないから言えるのよ」

「……どういうことだい?」


 一歩、ゆうなはゆたかに歩み寄る。


 それほど広くない、この脱衣場にただならぬ圧力を加えて。


「菅原さん。あなた、着替えはどこにあるの?」


 はっとした様子で、ゆたかが背後にある自分の脱いだ服を見る。


「まさかそこにある脱いだ服が着替えなんて言わないでね。お風呂を借りにきた人が、着替えを準備してこないはずないもの」


 また一歩、ゆうなは歩み寄ってくる。


「――違う?」


 膝から崩れ落ちそうな感覚に襲われた。


「そ、それは……」


 ゆうなに迫られたゆたかは、動揺に身を退かせる。


 一歩下がり、俺の体とぶつかったが、気に留める余裕もない。


「も、元は借りるつもりなんてなかったんだ。でも大学で事情を説明したら貸してくれることになった。だから着替えなんて準備してなくて……」

「よく口が回るのね。まるで嘘の上塗りに必死みたいよ?」


 それはゆたかを侮蔑するような言い方だった。


「そ、そんなことは……」

「まあ、あなたの言うことが本当だったとしましょう。そこまで言われると、私も確かめようがないわ。そのときの証拠を見せろって言うわけにもいかないし。でも――」


 そこでゆうなは視線の先を変更。


 俺へ、睨む先を変えてくる。


「あかり。あなたの嘘があるのよ」


 ――あかり。


 ゆうなは俺をそう呼び、横に一歩ずれる。

 そうして俺との間を挟むゆたかから避けると、こちらに踏み出してきた。


 手を伸ばせば触れられる距離にゆうなが迫る。


「シャワーを止めに行く。さっき、そう言ったよね?」


 ドキリ、と心臓が跳ねる。


「どうして?」

「そ、それは……」

「あなたは人が浴びてる最中にシャワーを止めに行こうとしたの? それとも――」


 俺が口を挟む隙もない。

 続けざまにゆうなは言う。


「その場しのぎの嘘を、私についたの?」


 ただ見下ろしてくる冷たい視線。


 俺は、それを一心に浴びるしかなかった。


「おかしな話よね。人が浴びてる途中のシャワーを、本人の意思なく止めに行くなんて。ありえないわ」


 言って、ゆうなは鼻で小さく笑う。


「それこそ慌てて判断力が欠けていたならまだしも……もしそうなら理由を聞くわ。どうしてそんなおかしなことをしようとしたのか、ちゃんとした理由をね」


 チラリ、とゆうなは視線を、俺から見て右に流す。

 その先にはゆたか。


 だが、ゆたかは身動き一つ取れない。


 ――ゆうなが取ることを許さない。


 それを見届け、またこちらを向く。


「私に嘘をついたの? 先に温めておくために流していたシャワーを止めに行く、なんて安易な嘘を」


 また一歩、ゆうなは近づいてくる。


 もうほとんど距離もない。


 抱き合う手前。

 キスをする直前。


 そんな至近距離に、ゆうながいる。


 けど、


「さあ、あなたはどんな言いわけをするの?」


 ゆうなは腰を屈める。


 身長の低い俺に目の高さを合わせて、そっと撫でるような手つきで俺の右頬に触れる。


 ゆうなの顔が、鼻先が触れんばかりに近くて……、


「嘘をつくなら好きにして。そしたら、私は二度とあなたを信じられなくなる」


 その言葉に、悲壮の色を感じた。


 ……圧倒的だった。


 何も言わせない。

 何も言葉を挟ませない。

 ゆうなの迫る態度には、いちるの隙すら見当たらない。


 わかっているのだ。

 彼女には、現状における全てのことが。


 ゆたかが咄嗟に考えてくれたアドリブも。

 俺がついてしまった嘘についても。


 ――俺たちが、何をしようとしていたのかも。


 だからゆうなは、こんなにも強く言える。

 疑ってかかるでも、怒りに狂うでもなく、真実を追及してくるんだ。


「あかり」


 あかりの名を呼び、真っ直ぐゆうなに見つめられる。


 息がかかるほど近い。

 近いからこそ、見透かされる。


 心を丸裸にされてしまったような、頼りなさと羞恥を感じる。


(……ダメだ)


 今さら何を言っても意味を成さない。

 どんな嘘をついても、悪い方向にしか働かない。


(もう……終わった……)


 頭の奥から、ゆっくり思考が止まっていく。


 凍結していくような、石化していくような。


 沼に足をとられたとばかり、身動きできずに沈んでいく。


「こんなときでも、あなたは泣き虫なのね」


 頬に一筋、冷たい雫が流れ出る。


 それは一つにとどまらない。

 次々と、決壊したように溢れ出してきた。


 嗚呼……泣いている。


 俺は今、泣いている。


 声をあげなくても。

 泣き崩れなくても。


 ただ涙を流して泣いている。


 ……この体は泣き虫だった。


 今日の深夜、ゆうなに怒られたらいつの間にか泣いていて。

 昼間、ゆうなと気まずくなったら泣きそうに目頭が熱くなって。


 元の俺からは信じられないくらい涙もろくなっていた。


 けど……打ちひしがれたときには泣かなかった。


 大学の最寄り駅でゆうなと喧嘩して置いて行かれたとき。

 ゆたかに「元の世界に戻れない」と言われたとき。


 打ちひしがれる悲しみよりも絶望が強くて。

 泣くことなんてまるで考えられないくらい気落ちして……。


 なのに、今の俺は泣いてしまっている。


 ゆうなに俺のついた嘘がバレてしまって。


 その嘘がどんな結果をもたらすのか、想像ついてしまっているのに……。


 打ちひしがれていないのか?

 それほど堪えていないのか?


 ……違う。


 比べものにならないんだ。


 これから降りかかるであろう結果に。


 堪えきれなくて泣いているんだ……。


「本当……私、こんなの望んでなかったのに」


 ボロボロと流れ落ちる涙を含め、ゆうなは俺の頬を撫で上げる。


 悲壮を色濃くしたゆうなの目を見つめる。


 言葉を紡ぎ出したいのに、唇はわなわなと震えている。


 ――聞きたくない。


 ゆうなが続けるであろう言葉を、聞きたくない。


 聞いたら、終わってしまう。


 終わってしまうから、聞きたくない……。


 耳を塞ごうと上げた両腕を、ゆうなは優しく掴む。


「聞いて」


 先ほどまでのそれとは一転して柔らかい口調。


 それでいて、確固たるものが伝わってくる。


 掴まれた両手首が、キュ、と強く握られる。


「私は今でもあかりのことが好き。何にも代えられないくらい愛してる」


 ゆうなは目の前にいるのに、視界が滲む。


 溢れる涙が、視界をぐちゃぐちゃに破綻させていく。


「でも……裏切ったあなたを許せない。裏切りを欺こうとしたあなたが、すごく憎い」


 見つめ合っているのに、それがわからなくなる。


 体の芯から冷たくなって、小さく震えてしまう。


「だから――」


 ――聞きたくない。


「私たち、別れましょう」


 聞きたくなんて、なかったのに……。


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