ゆうなは怒ると怖い
「ゆ、ゆうな、これは――」
「なに」
「うっ……」
端的に発せられた、たったの二音。
それだけのはずのゆうなの言葉は、酷く胸に詰まった。
目の前にゆうながいる。
表情は……見るまでもない。
怒ってる。
酷く、酷く、ひたすら酷く。
低い声音が何よりの証拠だ。
……恐ろしくて、目も合わせられない。
視線を下に逸らし、自分をかえりみる。
俺の置かれた状況――
シャワーを止めに行くと言って脱衣場に入ったのに、そこにいるのは俺以外の人物。
全裸で、いかにもシャワーを浴びたと言わんばかりのゆたかがいた。
それを見たゆうなは、どう思う?
それを見られ、俺はどうしたらいい?
気が急く。
早鐘のように鼓動が打ちつける。
浅い思考ばかりが回る。
動揺ばかりが頭を巡って――
「あきら、お風呂ありがとう」
不意にゆたかの声。
見れば、いつの間にか体にバスタオルを巻き、俺に微笑みかけるゆたかの姿があった。
「え、えっと……?」
「いやあ悪いね、わざわざお風呂借りに来ちゃって。うちのお風呂が壊れちゃったのに、近く銭湯がなくて困ってたんだよ。本当にありがとう」
な、何を……?
そう思ってゆたかと視線を合わせて、あっ、と気が付いた。
「う、ううん。困ったときはお互い様だからね」
(あきら、私に合わせて)
そう、目配らせでゆたかが言っていたから。
「お風呂が壊れて?」
そこに食いついてきたのは、他でもないゆうな。
少し怒りの引いた声に目を向けると、ゆうなが訝しげにゆたかを見ているところだった。
対し、ゆたかは気まずそうに笑う。
「あ、失礼。裸ですまないね。お風呂から出たばかりで、着替える時間がなかったんだ」
「それは見ればわかるけど」
ゆうなは一度言葉を切り、
「あなた、お風呂が壊れたからこの家に借りにきたって言ってたけど、本当なの?」
ゆたかのアドリブと、疑うようなゆうなの問い。
それらを聞いて、ようやく理解を始める。
これは、ゆたかが俺の部屋に風呂を借りに来た設定だ。
事情は、何らかの理由でゆたかの家の風呂が壊れたため。
そこで友人たる俺が、ゆたかに風呂を提供するという流れだろう。
本当は借りに来れるほどゆたかの家は近くないはずだが、ゆうなはそれを知らないはず。
それを見越しての設定だと把握した。
だから俺は、
「本当さ。ねえ、あきら」
「う、うん。そうだよ」
必要最低限にしか返事をしないようにする。
理由は単純明快。
墓穴を掘らないため。
あくまでこれはゆたかが考えたことだ。
打ち合わせの一切をしていない以上、俺が詳細を知る由もない。
だから俺は極力黙る。
黙って、聞かれたら既出の情報のみを利用して合わせる。
さもなければ、ゆたかとの食い違いや矛盾が生まれかねないからだ。
そこにゆうなの視線が降り注ぐ。
「本当?」
「あ、ああ、もちろん」
腕を組み、未だ表情を険しく固めているゆうなに頷いた。
「へえ、そうなの」
じっくりと、つま先から頭の先まで舐めまわすようにゆうなに見られる。
ゆたかから見られ、次に俺。
気のせいか、ゆたかのそれより幾分と粘っこく見られた気がする。
と、そこで気が付いた。
今の俺は、両拳を目一杯握りしめてる。
もはや握った拳に手汗がびっしょりなるほどだ。
もし握手を求められようなものなら、それだけで嘘をついている見抜かれてしまう可能性を感じるほど。
拭こう。
そんなことないと思うが、念には念を、だ。
そう思ってワンピースの裾に手を拭こうとした、その時。
「そういえばあかり、嘘をつく時に手を拭う癖があったよね」
「――っ!?」
全身の筋肉が固まるかと思うほどの緊張。
「嘘をつくと手汗が酷くなるみたいだね。前から気付いてたよ、私」
毛穴という毛穴が引き絞られるような、総毛立つ感覚に襲われる。
(しまった……!)
俺にそんな癖なんてない。
けど、これはあかりの体。反射的な行動だ。
それが引き起こしたことを読まれるなんて――
「なんてね。嘘だよ」
先ほどより幾分もトーンの上がったゆうなの声。
「……へ? な、なんて?」
それについていけず、ただ間抜けな声が抜けてしまう。
それにゆうなは少しだけ笑って。
「そんなの嘘。あかりにそんな癖なんてないよ」
よ……
(良かったあ……!)
表情に出ないよう細心の注意をはらいながらも、心の底から安堵する。
良かった……見抜かれたのかと思った……。
本当に、本当に良かった。
バレないように、いやバレたらいけないからこんな嘘をついているんだ。
それを、ほとんど不可抗力のようなものだったさっきので見抜かれたら元も子もない。
協力してくれてるゆたかにも申しわけ立たないし。
何より、ゆうなにどう詫びていいものか。
ただでさえ一つ、必要なこととはいえ、ゆたかとセックスしようとしていたことを隠しているのだ。
嘘の上塗り。
嘘を隠すための嘘をついていることがバレてしまったら弁明のしようもない。
最悪のケースだ。
それだけは避けれたのだと、安堵の息を、
「なんて、それも嘘だけど」
冷たく言い放たれたゆうなの言葉がせき止めた。
「……な、なに? それも、嘘?」
そう言うゆうなの言葉が何を示すのかわからなくて。
ただ戸惑い聞いたら、
「嘘をつくなんて最低よ」
隠しきれない怒りを抱いたゆうなの言葉が、俺に叩きつけられた。
キッ、と強くゆうなに睨まれる。
何が起きているのかわからない混乱した感情。
それをも上回る恐れの感情。
何か心臓に爪を立てられたような、キリキリと痛む緊迫感に襲われる。
「嘘とは、どういうことだい?」
聞いたのはゆたか。
ゆうなは視線の先をそちらに向けなおすも、睨む強さは変わらない。
そこで口を開いた。
「あなた、オカルト研究部部長の菅原ゆたかさんよね?」
「ああ、そうだとも」
ゆたかを知ってる……?
ゆうなとゆたかは面識があるのか?
……いや、口頭で俺からお互いの名前を出したことはあっても、直接の面識はないはず。
少なくとも俺の受けている授業では、ゆうなとゆたかがブッキングしているものは一つもない。
なら俺のいない授業で顔を知ったケース――というのも考えたが、それはない。
今のゆたかを見ればわかる。
「どうして私の名前を?」
まるでわからないといった表情に、今の発言。
つまり、ゆうなは一方的にゆたかを知っているというわけで。
と、不意にゆうなが小さく笑う。
「どうしても何も、なかなか有名だもの、あなたの名前は」
「有名?」
「ええ。たった数人の小さなサークルに「部」なんて名称をつけて顧問を付けていることや、霊視ができる発言。それにレズビアンのカミングアウト。私の周りじゃ知らない子の方が少ないわよ」
「そ、そうなのか……」
本人、かなり意外であるように口元に手を当てていた。
ゆたかが有名……?
その節を探るも、いまいちピンとこない。
俺が知るのはたくやの場合だが、同位置にある人物だからさほど大差ないはずだが、そこまで有名とは思えなかった。
たしかにたくやは異質だ。
幽霊を見れるなんてなかなかいないし、なおかつ信憑性があまりにも高い。
しかもそれを隠す風もなく普通に話すから、たくやと話したことのあるやつならそれを知っているはずだ。
それに、オカルト研究部という弱小のサークルに顧問がいるというのも変な話である。
その手の小さなサークルは内輪だけで運営されるのが普通で、顧問がついているのはまあまあな異例だろう。
だが、その顧問である菊地原先生自身は、オカルトそのものに興味があるのだ。
先ほど話した限りでは、パラレルワールドなどについて、俺では理解しきれないだけの知識を持っていた。
だから顧問として、というより一参加者として加わっているようなものだろうと思うのだが、それは本人に会わなければわからないこと。
他から見れば、何かのひいき目で顧問がついているように見えないこともない。
これは俺の世界だろうが、こちらの世界だろうが同じことだろう。
まあ最後のカミングアウトの件は、たくやはゆたかと違って異性愛者だったから違うだろうけど。
……いや、もしかしたら隠している可能性もあるか。
ともかく、それを踏まえても“誰もが知る”というほどではないと思う。
どちらかと言うなら、“知る人ぞ知る”。そんな印象を持っていたのだが……。
「それに、私の場合は私情も挟んでたからね」
ゆうなは言う。
「菅原さん。あなた、あかりを狙ってたでしょ?」