ゆうなと板挟みのゆたか
「ねえ、」
何か考えるように眉根を詰めているゆうなと目が合い、ドキリと心臓が跳ねる。
ヤバい……!
嫌な汗が流れ、額に髪の毛が張り付く。
こんな状況でシャワーの音を聞かれるなんて……。
そう固唾を飲んだ、ゆうなの次句。
「シャワー出しっぱなしみたいだけど、平気なの?」
「え……?」
ゆうなは小さく笑う。
「ほら、シャワー出してお風呂場温めてたんでしょ? 最近、夕方過ぎると寒くなってきたもんね」
「あ、ああ、そうだね」
曖昧に返事をするも、一抹の疑問。
シャワーが出しっぱなし?
ゆうなに言われたことを頭に反芻させて、あっ、と気が付いた。
ゆうなは勘違いをしている。
今、風呂場は無人だと。
シャワーの音は、俺が浴びる前にあらかじめ出しているものだと。
そう思っているらしいことが今の言葉から伺い知れた。
そうか、ゆうなからすれば俺の部屋にいるのはただ一人。俺だけなのだ。
そこでシャワーの音が聞こえたからといって、必ずしも誰かが浴びているという思考には繋がらない。
その結果がこれだ。
この勘違い。
もしうまく使えれば、もしくは――
「シャワー止めないの? お湯、もったいないよ?」
「あ、うん。止めてくるよ」
そ、そうか、まずはシャワーを止めなくちゃな。
ゆうなが来ているのに風呂場を温めておく必要もない。
となれば、止めに行くのが自然だろう。
何よりも、不審に思われないために。
俺はゆうなに向かって頷き、立ち上がって脱衣場に入っていった。
居間と脱衣場の敷居を跨ぎ、体を中におさめる。
脱衣場の扉を閉めるのは後ろ手。
ガチャリと扉の閉まる音を背後に聞き、一つ息をつく。
風呂場に隣接しているための高く温かい湿気が、今の渇いた喉には望ましい。
「……ふう」
もう一つ息をついて、頭を小さく振るった。
そうして考える。
これからどうしようか、と。
隣接したそれぞれの部屋にいるのは、二人。
一人は、何も知らずにシャワーを浴びているゆたか。
そして、俺がシャワーを止めに行っただろうと思っているゆうな。
それらに、精神的にも実質的にも挟まれた状況に今の俺はある。
これを何とか解決、ないしは打開しなくては……。
ゆたかとセックスする。
第一目標のようにしていたそれ自体、ほとんど浮気のようなものかもしれない。
けど、それは元の世界に戻るため。
少しでもこの世界における異質な存在であるゆうなを知るための行動だったんだ。
何も、それを大義名分に掲げようというわけじゃない。
だけど、何よりも俺の心境はそうであって。
ゆうなに嫌われてしまっては、元も子もない。
元の計画であれば、ゆたかにレズビアンについて学んだあと、俺からゆうなに会いにいく予定だったのだ。
仲直りをして、ゆうなが元の世界に戻れるキーパーソンである事情を伝えて。
そうして一緒に試行錯誤していけたら、なんて考えてた。
なのに、現状を知られたら……。
何とかするしかない。
いや、何とかしよう。
そう心に決めるが早いか、それはいきなりのことだった。
「あれ? あきら、どうしたんだい?」
声に驚きそちらを見ると、ゆたかの姿。
体の前に開いたタオルを垂らして要所を隠しているゆたかが風呂から上がってきていた。
「まさか一緒にお風呂入ろ――むぐっ!?」
慌ててゆたかの口を押さえにかかる。
あまりの身長差にどうなるかと思ったが、目一杯腕を上に伸ばせば何とか足りた。
半ば背伸びをしながら右手でゆたかの口を押さえ、左手は人差し指を自分の口の前に立てて、しー、と声を殺す。
隣にはゆうながいるのだ。
シャワーの音でさえ聞こえるような壁の薄さで、人の会話が聞こえないはずがない。
だからもごもごしているゆたかに向けて必死に黙ってくれるよう、自分の唇に立てた人差し指を当てる。
静かに、静かにして、と口パクで伝えながら。
そして、それは通じた。
事情がわからずに首を傾げている節があるにしろ、一応ゆたかが頷いてくれたのだ。
コクコクと小さく頷くゆたかを認め、そっとゆたかの口を押さえていた右手を離す。
ぷはっ、と小さく息を吐いた。
「もう、苦しいじゃないか」
いきなりしゃべられて驚いたが、最大限に声量を抑えられたしゃべり方で安堵する。
喉から声を出さず、通る息だけで発音するそれだ。
俺もそれにならう。
「今、ゆうなが来てるんだ。隣の部屋にいる」
手短に告げると、ゆたかは口に手を当てて驚いた。
「本当かい? でも、どうしていきなり訪問なんて」
「喧嘩のことを謝りにきてくれたんだよ。ごめん、ってさっき謝ってくれた」
「おお。ということはちゃんと仲直りできたんだね?」
「ま、まあ」
仲直りしたかと言うと……ゆたかがいることに焦ってたからなあ。
ちゃんと、と言うには些か語弊がある。
けど、
「それは良かった。あきら、おめでとう」
笑顔でゆたかは祝ってくれた。
仲直り、か……。
考え、ぐっと噛み締める。
したい。
うん、絶対にしたい。
今はしたのかどうかよくわからない状況だけど。
でも、今を脱したら言おう。
謝ってくれてありがとう。
そして俺もごめん、って。
これからはちゃんとゆうなを傷つけることのないように誓う。
そして元の世界に戻ろう。
俺には俺の彼女のゆうなを。この世界のゆうなには、恋人のあかりを戻すために。
そうするのが一番の望みだから。
そして、嬉しい誤算がある。
ゆたかが思っていたよりもずっと落ち着いてくれていることだ。
もしかしたら好き勝手に暴走されて……なんてことを考えていたが、外れて良かった。
今の落ち着いたゆたかの様子なら、確実な味方になってくれる。
それも大変に心強い味方に。
「ゆたか、協力してくれ」
これはゆうなへの裏切りじゃない。
言うなれば未遂。まだ行為はしていなかった。
そうする気持ちはあったにせよ、何も起こっていないのもまた事実。
だから、ほんの少し。
ほんの少しだけ事実をねじ曲げて――
「ねえ、何してるの?」
瞬間、時が止まった気がした。
いや、もちろんそんなことはない。
むしろ時間が止まっていたなら、こんなことは起きなかったのだから。
「シャワー、止めに行っただけなんだよね?」
不機嫌に低くなった声。
――ゆうなの、その声。
ぎこちない動きで首をそちらに向けると、いるのはゆうな。
開け放たれた脱衣場の扉の前、胸の前で腕を組み、睨むように細くなった目をこちらに向けているゆうなの姿だった。