二人で歩く並木道
「あきらは暴力的だなあ。たんこぶがたくさんできて頭がすごいことに」
「うっさい。時間ないんだからキビキビ歩け」
綺麗に舗装された石畳の上。
俺とゆたかが横に並び、それぞれの靴を鳴らして歩く。
今は、ゆたかが知っているという同性同士で入室可能なラブホテルに向かう道すがら。
暦上では秋なのに、紅葉する気配を全く見せない銀杏の並木道。
講義棟の間を縫うように走るここは、大学の敷地内である。
夕方に差し掛かる頃合い、正面はまだ青空だけど、西に向かって赤みが増しているグラデーションの空。
俺たち以外にもちらほら大学生らしき人影が見えて、おそらく下校中であろうことが見受けられた。
にしても……右手がじんじんする。
叩きすぎで鈍く痛い。
散々暴走し尽くしたゆたかを止める犠牲だ。
ゆたかは頭が痛いと言ったが、そっちは自業自得だ。
叩く方も痛いんだぞ。
頭なんて硬いところを叩きまくったのだから、当然のように赤く腫れてる。
もうやだ。
「にしても、結構時間経っちゃったね。日も落ち掛けてるよ」
「ゆたかのせいだからな」
「わかってるよ。ごめんね、あきら」
ゆたかが言うように、予定よりもだいぶ押している。
携帯電話で時間を確認したところ、午後六時になる少し手前だった。
一時間近くあんな目を遭っていたのかと思うと泣けてくる。
はあ、こんなことで間に合うのだろうか……。
それにしても、と思う。
ラブホテルに向かう理由がゆたかに脅されて、というのはどうなんだろう?
事は、つい先ほど。
ゆたかの暴走が終局を迎える、その直前の頃合いだった。
興奮してやまないゆたかに落ち着くよう諭そうとして、
『あきらとセックスしたい!』
『……は?』
『セックスしてくれるなら襲わないから!』
『え、ちょ……』
『セックスしてくれないならこの場で襲ってやるうう!』
『ま、待てえーっ!』
大声でセックスセックスうるさいっつうの。
……まあ、することへの踏ん切りをつけるのにちょうど良かったけどさ。
ゆたかとセックスするのは必要なこと。
信じがたい面もあるが、菊地原先生はそう言っていたのだ。
元の世界に戻る方法の一も知らない俺からすれば、差し出された唯一の手段。
すがらずにはいられないものだ。
だから、うだうだしているよりは、こうして半ば強制だと気持ち的に楽ではある。
もっとも、脅されてるという点では納得いかないし。
前にゆたか自身が「無理強いはしない」と言っていた気がするのだが。
と、不意に風が足元をくすぐる。
冷気を帯びた、背筋を震わせる風だった。
「う、さむ……」
自身を抱くように、両腕を擦る。
夕方にもなると、九月上旬とはいえそれなりに涼しくなる。
風が少ないのが幸いだが、それでもワンピース姿では少し肌寒い。
服のチョイス間違えたな、と今さらながら思うも、
(そういや、これもゆうなに着させられたんだっけ……)
半ば強制だったことを思い出し、内心嘆息した。
もしかしたら俺、すっげえ立場弱いのかも……。
ゆたかには、この数時間だけで何回も襲われかけてるし。
ゆうなにだって、深夜帯に気絶するほど攻められた。
マゾっ気なんて、微塵もありはしないのに……。
あかりの容姿がそうさせているのか。
それとも俺の人格が入るとそうされるのか。
できれば前者であってほしいなあ、なんて望みながら、まだまだ緑の銀杏の並木道を歩く。
さっきは俺がゆたかを急かしたが、どうやら遅いのは俺の方らしい。
百五十にも満たないであろう俺の低身長と、百八十を優に超えるゆたかの高身長。
それを比べれば、俺とゆたかの歩幅差など想像に容易いだろう。
彼女の歩く速度に合わせる彼氏宜しく、ゆたかは俺に合わせてゆっくり歩いてくれている。
俺、結構早歩きしてるんだけどなあ……。
それがなんだか癪に思えて、俺はさらに足を早めることにする。
「はは、大丈夫だよ、ゆっくり歩いても。下手に急いでも疲れるだけだよ」
笑われた。
「う、うっさいなあ」
なんかまどろっこしいんだよ、この体。
背が低いせいで歩くの遅いし、体力もなくて疲れやすいし。
普段の勝手が利かないのが、こうもイライラするものだとは思ってもみなかった。
ワンピースの裾だって、ヒラヒラ足にまとわりついてうざったい。
いっそゆたかのジーンズを奪って履いてやろうかとも思ったが、
「股下なげえ……」
どう考えても無理なので、俺は考えることをやめた。
「ん、どうしたんだい? 私の股をそんなに凝視して」
俺の呟きが聞こえなかったらしいゆたかが、何故だか体をくねくねさせながら言う。
「もしかして今にも辛抱堪らなくな」
「なってないから」
つうか、公に下ネタ口走るのやめい。
そう突っ込むと、ゆたかは口をとがらせた。
「だってしょうがないじゃないか。念願だったあかりとラブホテルに行けるんだよ? 中身はあきらでも、外見はあかりそのものだからね。普段は冷静沈着で通している私でも、この状況には興奮しないわけがないよ」
「いや、それなんだけどさ、」
「なんだい?」
歩きながら首を傾げるゆたかを認め、俺は言う。
「ゆたかとするの、ラブホテルじゃなきゃダメなの?」
「それはどういうこと? 他にあてがあるのかい?」
「あてって言うか……」
これから俺がしなければいけないことの、最初の二つ。
ゆたかとセックスをして、レズビアンについての見聞を広げること。
そして、ゆうなに会い、どうにかして元の世界に帰る方法を模索すること。
それらを考えてみたとき、ラブホテルに行くよりも効率的に思える場所が思い当たった。
「俺んち、なんてどうかな?」
言った、その瞬間だった。
横を歩いていたはずのゆたかが急にこちらを向き、俺の両肩を鷲掴みしてきたのは。
力強く、まるで逃さないようにするその動作。
(あ、間違えたかな)
後悔する間もなく、ゆたかは爛々と輝く瞳を携えている。
「それはお誘いだね? 私を公認のセフレにしようという素晴らしきお誘いだね? 答えはイエスだよ。選択肢、はいかイエスのイエスを選ぶよ」
あ、あの……。
何故、そんなにも興奮してらっしゃるのかしら。
ゆたかは興奮しすぎると、人の顔につばを飛ばすのもいとわなくなるらしい。
とりあえず取り出したハンカチで顔を拭き、頬を朱に染めているゆたかを見上げる。
「ゆたか、まず落ち着――」
「ありがとう。私はどこまでも君についていくよ。ああ一生涯の約束だ。破りはしない。例え世間に悪名着せられる愛人だろうと、私はいつまでも君の都合の良い人間であり続けるよ」
「いや、意味わからん……」
何の公約だよ。
俺、この世界に居座る気なんて毛頭ないし。
もう一度ハンカチで顔を拭き、ゆたかに言う。
「そういう告白はあかり本人に言え。な?」
「そ、それもそうだね」
どうやら今の一言が効いたらしい。
あかり本人に、と言った時から、妙に大人しくなってくれた。
その隙に話の続きだ。
「ラブホテルよりも俺んちの方がいいと思うんだけど、どう思う?」
聞くと、少し冷静になったらしいゆたかが首を傾げた。
「ああ、私はその方がすごく嬉しいよ。あきらの家はあかりの家だからね。私個人としては願ってもないことだ。けど、あきらがそれを勧める理由はなんだい? お金のことなら心配しなくても大丈夫だよ」
「いや、お金のことじゃなくて」
もしラブホテルに行くのなら俺が金を払う気ではいたけど、そこじゃない。
効率。
それを考えたときのこと。
「俺んちからの方が、ゆうなの家に行くときに近いんだよ」
大学から見て、俺の家とゆうなの家は同一方向。
俺の家の方が大学に近く、そこからもう三駅過ぎたところが、ゆうなの家の最寄り駅だ。
対して、これから向かおうとしているラブホテルは、それとは逆方向。
往復は徒歩必須であり、帰りはそこから大学の最寄り駅に行き、電車に乗って余計に移動しなければならない。
さっきまでは行くか行かないかで悩んでいたから気付かなかったが、時間がない現状、俺の家に行った方が幾分も良いだろうと考えつく。
だから、俺はゆたかに進言したのだった。
「なるほどね。たしかにそうかもしれない」
うんうん、とゆたかは頷く。
「私はゆうなとあかりの家の場所を知らないけど、あきらの話を聞く限り、ラブホテルに向かうのは非効率的だね。少しでも時間が惜しい今からすれば、私もあきらの意見に賛成だよ」
ゆたかはそう言って、にこやかに笑った。
相変わらず雄弁というか芝居がかってるというか。
妙な喋り方であるけど、とにかく賛成してくれて良かった。
未だ俺の両肩を掴んでいるゆたかの手を振り払い、
「じゃあ行こうか」
向かう先は、ラブホテルから大学の最寄り駅へ。
変更されたそれ相応に踵を返す。
と、不意に、
「あ、でも……」
ゆたかが声をあげた。
その声に振り向くと、ゆたかは何か思案しているような様子だった。
自身のあごに手を当て、眉根を詰めている。
「ゆたか、どうしたの?」
何事かと問うと、取り繕うように首を振る。
「い、いや、何でもないよ」
「何だよ。気になるじゃんか」
「いや、本当に何でもないことなんだ」
どうやらひた隠しにするつもりらしい。
なんだか納得いかないけど……そこまで拒否するからには言う気がないのだろう。
それを問い詰めたところで吐きそうにもないし……まあ、いっか。
「じゃあ今度こそ行こうか」
「うん、行こう」
ゆたかの頷きを見、ようやく歩き出した俺たち。
向かう先は俺の家。
そこで――
やっぱり、襲われるんだろうなあ……。