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俺はレズになりたくなかった  作者: ぴーせる
二つの可能性
47/116

後味は、甘く粘る


     *


 最後に菊地原先生にわけのわからない息子の話をされたせいでぐだぐだしてしまったけど、菊地原先生との話はそれまで。


 教授としての業務もまだ残ってるとのことで、菊地原先生は教員室に別れることになった。


『君たち、絶対にセックスするんだよ? 絶対にだからね?』


 そんな一言を残して。


 あの人、やっぱりただのレズビアン好きなんじゃないだろうか……。


 本当、掴み所のない人だったと思う。

 よくわからないところも多かったし。


 はあ、と椅子に腰掛けながらため息。


 菊地原先生のこともある。

 差し迫ったゆたかとのセックスもある。


 二つの意味で、今の俺は気が重かった。


「あきら、大丈夫?」


 不意に投げかけられた言葉にドキッと胸が跳ねる。


「顔色良くないけど……どこか不調かい?」

「い、いや、大丈夫」


 視線を手元の缶コーヒーに固定したまま返事をする。


 鼓動が大きい。体の内側から揺らすよう。

 顔が熱い。思考がゆっくり静止していく。


 ああ、もう……。

 めっちゃゆたかのこと意識しちゃってんじゃん、俺……。


 どうしよう……。

 マジでどうしよう……。


 恥ずかしい気持ちが急いて、慌てて缶コーヒーを煽る。


 半分ほど残っているそれを飲み干そうと一気に――いや。


 ふと思い直す。


 傾きを緩くして、飲む量は最小限に。

 俺はゆっくり、できる限り時間を掛けて飲むことにした。


 理由は……逃避。


 さっきは、ゆたかに飲み物を買ってきてもらうことで時間稼ぎをした。

 今は、その買ってきてもらった缶コーヒーを飲んで間を溜めている。


 こく、こく、とゆっくり缶を傾けて、少しでも飲むのを遅くする。


 飲んでいないと何か話を振られそうで。

 あまりに意識してしまっていることを悟られるのが嫌で。


 だから俺は、これ以上缶コーヒーから口を離すことなく、ちびちびと飲んでいた。


「……」


 それを、ゆたかは俺の傍らに立って見ている。


 目をそちらに向けてはいないが、たしかにゆたかの視線を感じる。


 きっと、自分の飲み物を飲み終えたのだろう。

 あとは俺が飲み終えるのを待つだけ。


 ……俺、弱いな。


 女のゆたかは真摯に受け止めているのに、俺ときたら……。


 こんな些細な時間稼ぎなんて、意味がない。

 むしろ残り少ない時間を削っている、本来なら避けるべきことだ。


 なのに、俺は缶コーヒーをゆっくりと飲み続ける。


 味もわからなくなるくらい。

 喉が潤うのもわからないくらい、ゆっくり、ゆっくりと。


 情けないとわかっていても缶コーヒーの傾きが増すことはないし、待ち続けているゆたかを見もしない。


 差し迫った事実に目を背けてしまう自分が、嫌になった。


 ただ、そうしていても、時間の流れはたしかなもので。


「……あ」


 どのくらいの時間が経ったのかはわからない。

 でも、ゆっくりと傾けていた缶コーヒーがなくなるだけの時間は過ぎていた。


 空になった缶コーヒーをそばの机の上に置く。

 コト、と小さな音と共に、ゆたかの声が降り注いだ。


「飲み終わったかい?」

「う、うん」


 優しい触りのゆたか。

 さっきまで普通に話せていたその声でさえも、今の俺には心臓に悪いものに感じる。


 嫌ではない。

 でも……良くもない。


 しなきゃいけない自分と、しちゃいけない自分。


 ――ゆたかと、セックス。


 ごちゃごちゃにせめぎ合う複数の感情は、こんな少しの時間でほどけるわけもなく。

 ただ、思考のはっきりしない様を呈していた。


「ねえ、あきら」


 ふと、前に微風。

 はっとしたときには、ゆたかの顔が目の前にあった。


「私とセックスするのが、そんなに嫌なのかい?」


 ……気付かれていた。


 いや、気付かれない方がおかしかったのだろう。


 意識しているのがばれないように目を合わせないで。

 少しでも延ばそうとみっともないことをして。


 だから……だから、ゆたかはこんな顔をしているんだ。


 悲しげで、儚げな困った表情を。


「……ごめん」


 何よりも俺の口をついたのは、謝罪の言葉だった。


「嫌って思ってはいないけど……嫌じゃないって否定もできない。自分がどんな風に思っているのか、よくわからないんだ」


 言いわけにもならない、都合の良い言葉だな、と思った。


 でも、それが俺の真実。

 まとまらない感情は、固い結び目で絡まっていた。


「混乱しているのかな?」

「かも、しれない」


 それさえもよくわからない。


 と、不意に笑み。

 ゆたかが、こちらに小さな笑みを浮かべてきた。


「じゃ、やめよっか?」

「……え?」


 それは唐突なもの。

 ゆたかの口からは発せられないと思っていた、予想だにしない言葉だった。


「い、いいの?」

「うん。先生が言うにはセックスは必須らしいけど、それは合意の上でのこと。無理にやったって、何の意味もないからね」


 レズビアンを理解するためにすることを、嫌々やったところで理解できるはずもない。

 だから意思の合意は必須で、さもなければやらない方がいい。


 そう言うゆたかは、さらに続ける。


「私はしたい。した方が良いだろうとも思っている。でも、あきらがしたくなかったら諦める。理解を深める方法は、他にもたくさんあるからね」


 言って、ゆたかは俺の頭を撫でた。


 細く長い指で俺の長い髪を絡め、上から下に撫で下ろす。

 そんな、優しい動きで。


 これに、俺は甘えてもいいのだろうか。


 嫌だと突っぱねたわけでもなく、ただわからないと言っただけの俺。

 撫でられ続け、甘えるだけで、俺は楽な方に流されていく。


 そんな俺なんて……。


 ……良くないこと、なんだろうな。


 頭で考えてまとまらないときは、口に出せばいい。

 どこかで聞いたそれを実践してみるくらいなら……やってみよう。


「俺……友達とセックスなんて、考えたことなかった」


 口で、紡ぎ出す。


「セフレなんて言葉はあるけどさ、俺の中じゃ、そんなのはなかった。セックスってのは恋人同士がするもので、それ以外はありえないって」

「うん」


 ゆたかの小さな頷き。


「別にそういうやつらを否定したいわけじゃないけど……俺は、そういうのを考えられなかったんだ。変な理想かもしれないけど、そんな軽いものじゃないって思ってる」

「古風な考え方ではあるね」

「かもしれない。だけど、古いからってすぐ考えを切り替えられないんだ。こういうもの、って俺の中で決まっちゃってるっていうか、なんていうか……」


 一息。


「とにかく、ダメって考えが優先されてる感じ。さっき先生に説明されて、しなきゃいけないってことはわかってる。けど……って、渋ってるんだと思う。今の俺は」

「なるほどね」


 ゆたかが一度頭を撫で、手が離れる。


 隣にあった椅子を引いて座り、俺に寄り添った。


 俺の両手を、優しく握ってくる。

 ほのかな体温が手の甲に伝わり、温かい。


 見上げると、優しく微笑んだゆたかの顔。

 窓からのそよ風が、ゆたかの黒髪をさらりと揺らす。


「私は素敵な考えだと思うよ。今時、逆の考え方ならいくらでも氾濫しているからね。それに流されていないのだから、すごく立派だよ」

「そう、かな?」


 そうだよ、とゆたかは頷く。


「正直に言うと、私は立派じゃない方の人間だ。だからそう思うのかもしれない」

「そうなの?」

「ああ。私は、あかりをセフレにしたいとすら思っていたくらいだからね」


 喉の奥がきゅっと締められたら感覚。


 意外なことを言われて、言葉がついてこなかった。


 それを認めてか、ゆたかは、ふふ、と小さく笑う。


「驚いたかい? 私がそんな風に思っているなんて」

「ま、まあ……」


 そう頷きかけて、


「いや、さっき襲われたのを考えるとそうでもないかも」

「はは、これはなかなか痛いところをつくね。それは謝るよ。本当にごめん」


 過ぎたことだから構わない、と首を振ると、またゆたかは小さく笑む。


「それで、私があかりをセフレにしたいと思っていたのは事実だよ。もちろん第一希望は恋人だったけど、残念なことに、その席は埋まっているからね」


 ゆうなに取られちゃった、と小さく笑う。


「そんなに、あかりのことが好きなのか?」

「もちろんだよ。それを反対していたおじいちゃんを説き伏せるくらいには、好きでいるつもりさ」


 俺の世界では、おばあちゃんがたくやを溺愛していた。

 となると、この世界でゆたかを溺愛するのはおじいちゃんのはず。


 それを説き伏せるくらいだから……


「かなり頑張ったんだな」

「うん、一年近く掛かったよ。認められた恋人関係にはなれていないけどね」


 一年、か……。


 俺から視線を横に流したゆたかの瞳に帯びた憂い。

 恋い焦がれやまない様が見て取れて、ゆたかの気持ちが伺い知れた。


「あ、このことは他の人に言わないでくれるかい?」


 はっと我に返ったように言うゆたか。


 少しの焦りを帯びたそれに、首を傾げる。


 曰わく、


「まだあかりに直接思いを告げていないんだ。だから、私が言うまであかりには聞かれたくないんだよ。誰から伝わるとも限らないし、誰にも言ってほしくない。わかってくれるね?」


 なるほど。


 盗撮気味のあかりの写真があるくらいだから、相応にシャイらしい。

 それを待ち受けにしているくらいだから、いつばれてもおかしくないだろうが。


 ま、黙っておくに異論はないし、俺は肯定して頷く。

 そもそも、この世界に俺の顔見知りなんていないから、心配無用だろうけど。


 俺の解答に安堵を得たのか、小さく息をつくゆたか。

 握られっぱなしの両手が、少し汗ばんでいる気がする。


 ゆたかが口を開いた。


「実は一度、さりげなく告白はしているんだけどね」

「え、マジ?」


 両手が少し強く握られ、ゆたかは頷く。


「うん。二年のときに一度。お互いに二十歳になっていたから、という理由で、あかりに、初めて飲みに誘われてね」


 思い出すように視線を上げるゆたか。


「二人っきりで飲んで、一時間したくらいかな。ほろ酔いだったけど、勢いに任せてさりげなく「好き」って言ってみたんだよ」

「あかりは何て……?」


 少しの間を空け、ゆたかはこちらを見る。


 困ったような、眉尻を下げた笑みで。


「あかりは「あたしも好き」、そう言ったよ」


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