彼女は俺を知らない名前で呼ぶ
茫然自失、とはこのことだろう。
あまりにわからなすぎる状況に、俺の頭はオーバーヒートののちにショートを起こしそうになる。
「あかり、どうしたの? なんか変な顔してるよ?」
ハテナでいっぱいに埋め尽くされた脳髄に響いてきたゆうなの心配そうな声。
そして、また「あかり」。
だから、誰だよ……。
「あ、あかりって誰なんだよっ?」
「へ?」
甲高く怒鳴った俺の声に、ゆうなはきょとんとした顔を向ける。
「誰って……あなたのことよ? 他にあかりって名前の女の子、いないでしょ?」
「は?」
さも当たり前のように答えたゆうなに、今度は俺がきょとんとしてしまう。
俺の名前は、言わずもがな「あきら」だ。
彼女だってそれを知らないわけがないし、間違えるはずだってないのに……。
俺が、あかり?
しかも、女の子っ?
「はああぁぁぁっ!?」
「ちょっと、やだ。いきなり大声出さないでよ」
「い、いやいや! それどころじゃないでしょ!」
顔をしかめて耳をおさえるゆうなの肩を揺さぶる。
すごく迷惑そうな顔をされたが、それどころじゃない。
「俺があかりってどういうことだよ? しかも女の子って!」
「だからぁ、いつも言ってるじゃない。その「俺」って言い方やめてって。もっと女の子らしい言い方あるでしょ?」
「そうじゃなくてぇ~!」
ついこの間まで小さく華奢だと思っていた、今は大きく感じるゆうなの肩を揺らす。
同時に栗色のゆうなの髪の毛も大きくなびき、密着しているといってもいいほど近い位置にいる俺に、その毛先がチクチクと触れた。
その間もなく、怒ったようにゆうなは眉尻をつり上げる。
「もうっ、さっきからどうしたのっ? 私が急に来たことがそんなに嫌だったっ?」
「い、嫌ってわけじゃ……」
「ならなんで? あかり、ちょっとおかしいよっ」
おかしいのはそっちだよ! なんてこと、とてもじゃないけど言えるような状況じゃなかった。
ゆうながこうして怒る姿を見たのなんて、最近はいつも仲が良かったせいか、かなり久々かもしれない。
そのせいで、こうして間近で怒鳴られると気持ちが萎縮してしまう。
「まったく、なんなの? さっきからいきなり大声出すし、わけわかんないこと言い出すし」
加えて、逆転した身長差というものもあるかもしれない。
いつもと同じく小さくて華奢なゆうななら怒られたことに反省するにせよ、ここまで萎縮することはない。
「誕生日だからビックリさせよう、って遊びに来たのに、なに? 私への当てつけのつもりなの?」
だが、今はなぜか俺たちの身長差が丸々入れ替わったような状況なのだ。
「ちょっと、聞いてるのっ?」
自然と逆らうことのできない目上の人に叱られているような気になってしまって、恥ずかしいことに肩がビクリと震えてしまった。
うう、なんだか情けない……。
「……あ、ごめん。大丈夫?」
俺の肩が震えて間もなく、不意にかけられた優しい声。
思わずうつむいていた俺が顔を上げると、途端にゆうなが目を見開き、驚いたような表情になった。
「え、嘘。泣いてるの?」
……はい?
いやいや、泣くって。
そんな子供じゃあるまいし、怒られたぐらいで泣くわけが……。
って、あれ?
すぅ、と頬を流れた一筋の感触。
まさか、と思ってその跡を指先で撫でると、たしかにそこには何かしらの水分が通っていた。
……え、ええぇぇっ!?
「あ~ん、ごめんねごめんね! 強く言い過ぎちゃったよ! 謝るから泣かないでぇ~!」
逆にそっちが泣いているのではないかと思うほど悲壮の色を含んだ言葉と共に、ゆうなはさっき部屋に上がってきた時と同様、俺を強く抱きしめてくる。
全身を包まれるような大きな抱擁に、その不慣れからぞわりと嫌な気持ちがする。
いや……。
なんで俺泣いてるんだよ。
ぎゅう、と後頭部に手を回されながら抱きしめられ、ゆうなの首元に顔を押し付ける形になった。
ゆうなに抱きしめられている、という状況だけ考えれば、今の状態はなかなか嬉しいものであっただろう。
だが、それだけでないのだ。
なぜか女みたいな体になってしまっているし、当たり前のようにゆうなからは女の子扱い。
俺が縮んだのかゆうなが大きくなったのかはわからないにせよ、逆転した身長差で抱きすくめられるようになっていて。
挙げ句の果てに、まったく意図していないにも関わらず、俺の頬に涙が流れたのだ。
こんなわけのわからない状態で、素直に嬉しがれるはずがないだろう。
誰か……。
誰でもいいから、今のこの状況をわかりやすく説明してくれ!
「うう……」
彼女に怒られただけで泣き、その彼女に慰められる俺。
なんと情けないことだろう。
情けなさすぎて、こうして抱きしめられながらゆうなの鼓動を聞くことしかできない。
頼むから、こんな嘘みたいなこと、夢であってくれ……!
*
ゆうなに抱きしめられてからどのくらい経っただろうか。
しばらく抱きしめられ続けた後、身を離される。
「うん、だいぶ落ち着いたみたいね」
ほれぼれとするような可愛らしい微笑みをこぼしながら言われた。
元から取り乱したつもりはなかったが、ゆうなから見ればそう見えたのだろう。
泣いたことさえ俺の範疇外の出来事だったのだから、落ち着いたように見えるのも俺の意識外かもしれないし。
まあ、そんなことより。
「ゆうな、聞いてほしいことがある」
「ん? 聞いてほしいこと?」
俺の言葉をおうむ返しするようにして小首を傾げるゆうな。
その仕草があまりに可愛すぎて思わず抱きしめたくなったが、先ほどのこともあるし、今抱きしめようとしたところで逆に抱きすくめられてしまいそう。
なによりそんな状況じゃない、と自分を戒め、俺は一度立ち上がって傍にあるベッドに腰掛けた。
これなら、なぜか開いてしまった身長差を埋め、またいつものように俺がゆうなを見下ろすことができるだろう、という目論みだ。
……まあ、それに反して、ゆうなは俺の隣に腰掛けてきたのだが。
俺は隣に座るゆうなを見上げ、これから話すことを考える。
その内容は、今のおかしな状態のこと。
これまでの状況から判断するに、どうやら俺の誕生日になった瞬間、俺は女になってしまったらしい。しかも、比較的背の低いゆうなよりも背が低く、貧しい体型の女に。
名前は「あかり」だったか。
もちろん、こんな馬鹿げたことを丸々信じているわけじゃない。
急に髪の毛が伸びて、性別が変わって、彼女から「あかり」なんて知らない名前で呼ばれて。
だが、何よりもこれが身に起きている事実だ。
何度見下ろしても体は華奢になっているし。ゆうなに抱きしめられれば、ゆうなの胸に俺の薄っぺらい胸が押し潰される。
そんな状況の中では、無理にでも信じざるを得ないだろう。
そして、だからこそゆうなに話そうと思ったのだ。
この不可思議極まりない現状を。
「話したいことって、なに?」
俺が黙っていることに痺れを切らしたのだろう。
優しく促すような言葉をゆうなに投げかけられ、俺はゆっくりと頷いた。
そして口を開き、話し出す。
俺は「あかり」という女ではなく、「あきら」という男だということ。
誕生日を迎えた瞬間にこうなってしまったこと。
そのすべてをだ。