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俺はレズになりたくなかった  作者: ぴーせる
オカ研顧問の“再登場”
36/116

初対面ではない既視感


     *


 最終的に、この部室はとてつもなくフローラルな香りに包まれた。


 置くタイプの消臭剤は、計六つ。

 本棚ばかりのこの部屋のどこから取り出してきたのか知らないが、気が付いたときにはゆたかがそれだけの数を用意していた。


 現状、それらは部室の入り口に一番近い机の上にまとめて置かれている。

 窓を開けているからそれらは風下に位置しているが、もし風上に置かれていたら大変なことになっているに違いない。なんだかんだで消臭剤のにおいもキツいし。


 次に、ファブリーズを代表する吹き付けるタイプ。

 これらは三種類、それぞれの香りがこの部室に放たれた。


 普通、このタイプは布地のものに吹き付けるだけだろう。

 臭いの染み着きやすいものに吹き付け、そこの臭いを取るものだと、そう思って今まで生きてきたのだが、どうやら俺は大変な勘違いをしていたようだ。


 俺は今、ゆたかの指示で本棚にファブリーズを吹き付けている。

 それがハードカバーだろうが文庫本だろうが関係ない。どんな本に対しても遠慮なく、一冊ずつ手にとってシュ、シュと吹き付けていた。


「さて、こんなものかな」


 一通りファブリーズによる行使を終えた辺り、ようやくゆたかの一声が掛かった。


 それまで無言でファブリーズプレイをさせられていただけに、安堵せざるを得ない。


「あとはマスクがあれば完璧だったんだけど……」


 ……俺は一体、何の対策をさせられているんだろう。


「さあ、休もうか」


 作業が一段落したということで俺とゆたかは座って休むことにした。


 作業時間は、約二十分ほどだっただろうか。


 とにかく解せない作業を強制させられていただけに、体感時間は何倍にも思えたが……。

 まあファブリーズを吹き付ける過程の中で、床に散乱した本の片付けもできたから良しとしよう。


「で、何でこんなことを?」


 ここにきてようやく理由を問いただす。


 先ほどまでも何度か聞いたのだが、そのたびに「急がないと」と流されていたのだ。


 作業らしい作業を終えた今なら、聞いても支障ないだろう。

 そう思って聞いたのだが、


「まあいずれわかるよ」

「まだぼかすんかい」


 いい加減答えてくれればいいのに、と思う。

 まあ直接答えてくれなくても、それなりに予想はできるのだが――


 と、その時。


 ガタッと椅子を引き、ゆたかが立ち上がった。


「来るよ……」


 小声で囁かれた言葉。


 ゆたかは部室の入り口を睨みつけるように見つめていた。


 何事かと、俺もそちらに視線を向ける。


 と、


「いやあ、お待たせお待たせ」


 ガチャリとドアノブを回す音と、しゃがれた男の声。


 それらと共に、開いたドアから一人の中年男性が現れた。


 お待たせ、と発した男の言葉から察するに、この人が菊地原先生なのだろう。

 オカルト研究部の顧問であり、半時ほど前にゆたかが呼んだ人物。


 服装は、使い古してか、よれてくたくたになっている紺色のスーツ。

 さすがにこの時期ともなれば暑いらしく、上着は右腕に掛けられており、これまたよれたワイシャツと赤いネクタイが目に付いた。


 また、それらが包むのは男の肥えた体。

 ビール腹というにはいささか出過ぎたウエストに、それと見合うだけ全身も皮下脂肪、内蔵脂肪を蓄えた体型だ。


 なるほど、ゆたかが「典型的な中年男性」と称したのも頷ける。

 この人以上にオヤジのテンプレートを貫き通している人など、そうはいまい。


 ただ、同時に「典型的でない」とも言っていたような気が……。


「遅かったですね、先生。もっと早く来るものかと慌てちゃいましたよ」


 そう“鼻声”で発したのは、俺の隣に座るゆたか。


 鼻声……?


 ふとした疑問に、俺はゆたかに視線を向け、ぎょっとした。


 ゆたかが鼻をつまんでいる。


(な、何を……?)


 一瞬鼻頭をかいているのかとも思ったが、それは違う。

 しっかり親指と人差し指の二本を使い、鼻の穴を左右から押し潰して外気を遮断しているのだ。


 かいているなどとは程遠い。

 ましてや遠慮がちにつまんでいるわけでもない。


 ガチで、ゆたかは鼻をつまんでいた。


「お、おい、ゆたか……」


 そっと小さな声で囁き、ゆたかのシャツの裾を指でちょいと引く。


 さすがに直接鼻をつまむのは失礼だろう。そう思っての行動。


 いくらゆたかに話を流され続けていた俺でも、今までの行動から、先ほどのフローラルプレイの理由くらい察しがつく。


 菊地原先生が臭うのだ。


 さすがに中年男性。

 見れば四十歳は越えてそうな外見だし、加齢臭もあるのだろう。


 たしかにそれには耐え難いものがあるが、本人の目の前で鼻をつまむのはどうだろうか。

 顔をしかめるまでは自然にそうなってしまうことがあるため仕方ないとしても、さすがにそこまですると……。


 が、ゆたかは、


「なんだい?」


 こちらに首を傾げるだけで、その声は鼻声のまま。


 まるで当然のように鼻をつまみ続けているゆたかに、慌てて視線を菊地原先生に向けた。


 が、その表情は怒るでも不快に感じているようでもなく、


「いやあ、少しばかり道に迷ってしまってね。慣れない土地を探索していたものだから」


 ただ、先ほどのゆたかの言葉に言いわけをしていた。


(え、えぇぇ……)


 鼻をつまんでいるゆたかに対して、怒るでもなければ気にしている様子すら見せない菊地原先生。


 普通なら何かしらのリアクションをするだろうに。

 予想に反して、なんだか肩の力が抜けてしまった。


 勝手に慌てた自分が馬鹿らしいというかなんというか。


 ゆたかはゆたかで、当たり前に鼻をつまみ続けているし。

 菊地原先生は菊地原先生で、ただ遅くなったのを詫びているだけ。


 何も事情を知らない人がこの不可思議な現状見たなら、何事かと思うだろう。


 ……わけわかんね。


「ところで、」


 不意に菊地原先生が発言。


 ふっくらと丸みを帯びた頬と共に、顔がこちらに向いた。


「ゆたか君の言う相談とは、君に関することかね?」


 君、というところでの視線の先は俺。


 たしか、ゆたかは菊地原先生へ電話したとき「相談したいことがある」としか言わなかったはず。


 ならば菊地原先生は一切事情を知らないわけで、部屋に着いてみれば呼び出したゆたかの隣に見知らぬ人物、つまり俺がいたのだ。

 順当に考えれば、当然の思考だろう。


 だから俺は頷きと共に返答しようと――


 そこで、はたと気が付いた。


 先ほどまで異臭に分類されんばかりに漂っていたフローラルな香りが明らかに弱まっていたこともある。


 が、それ以上に、


(この人、どこかで見覚えが……)


 菊地原先生の顔を見て、そう思った。


 はて、どこで見たのか。


 覚えた既視感に首を傾げる。


 菊地原先生と過去に会ったことはあるか?


 記憶をたどる。


 菊地原という名字を聞いたのは、今日が初めてのこと。


 過去に聞いたことがあるのならゆたかから聞いたときに覚えがあったはずだし、菊地原という名字は、佐藤や鈴木に比べればあまりポピュラーなものではないため、一度聞いていればこの菊地原先生と紐づくはず。


 が、やはり俺の記憶は「菊地原」を初めてだと返す。


 すると、どこかですれ違った程度なのだろう。


 正直な話、俺はあまり記憶力が良い方ではない。

 暗記をモットーとする授業は平均弱がやっとで、人生経験上、俺はそれが苦手であると認めているくらいだ。


 そんな俺がすれ違った程度で既視感を覚えるとなると、割と最近に菊地原先生と会ったことになる。


(……最近?)


 この菊地原先生はここの世界にしかいないはず。


 先刻のゆたかとの話に基づいた世界のルールであるなら、俺の世界の菊地原先生は女性であるはず。

 まさかこんなに典型的な中年男性の見た目をしている人を、性別を超えてデジャヴを覚えるはずもない。


 となれば、会ったのは今日に限定される。


 だが、ゆたかが鼻をつまむことからもわかるとおりの特徴を持つ人だ。

 そんな人、今日会っていたならすぐに思い出して――


 鼻を、つまむ?


「あーっ!」


 ようやく思い出した。


 その答えは菊地原先生をビシッと指差すと同時に、


「あの時のドリアンオヤジ!」


 言葉となって吐き出た。


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