見つけてしまった事実
菊地原先生。
ゆたかが口にした人名を脳裏に反芻させ、記憶の中に該当しないことを確認する。
オカルト研究部の顧問だという話だが、初めて聞く名前だ。
俺がオカ研に顔を出す機会が少なく、またたくやからも聞いたことのない名前だから仕方ないのかもしれない。
というか、この弱小部活に顧問がいること自体、初耳だった。
ゆたかが苦手と言うのだから、たくやも菊地原先生のことは苦手だろうし、それなら話題にも出さなかったのだろう。
「菊地原先生ってどんな人?」
すると、困ったようにゆたかは苦笑いを浮かべた。
「本人のいないところでこう言うのは好かないんだけど……典型的であり、そうではない中年男性、かな。癖がなかなか強くて」
だから苦手なんだ、と言ってさらに苦笑した。
よくはわからないが……どうやらよっぽど苦手な人らしい。
その白くてきめ細やかな肌を持った顔に、ありありと「呼びたくない」の意思が表れているのだ。
それがなんだか気の毒になって、
「嫌だったら呼ばなくても」
「いや呼ぶよ。仕方ないことだからね」
言葉を食うゆたかは、やはり苦い表情を浮かべていた。
なんだかゆたかに無理を強いてるようで申しわけなくなる。
だけど、せっかくの申し出だ。
それを断るのはゆたかの気持ちをむげにするような気もあるし、そこに可能性があるというなら任せたい。
そういう気持ちが、今の俺には強かった。
「じゃあ、お願いしていいかな?」
「もちろん」
相変わらず苦い表情をしているゆたかは一度頷くと、傍らに置いてあった自身の物であろう小さなバッグから携帯電話を取り出して――
って、携帯電話?
「ゆたかって、携帯電話持ってるの?」
「当たり前じゃないか。今の時代、持ってないと不便でならないよ」
いや、それはもう持ってる身として十分理解しているんですが……。
それよりも俺が詰まったのは、ゆたかが携帯電話を持っているという事実。
その理由は、記憶の相違からだった。
たくやは携帯電話持ってないような気がしたんだけど……。
そもそも俺が今日こうしてゆたかの元に訪れたのも、直接会う他連絡手段がないと思っていたから。
たくやは携帯電話を持っていない。
それが記憶の一片としてあったからこそ、俺はこんなに小さくて不便な体ながら、頑張って大学敷地内にあるここまで足を運んだのだ。
なのに、ゆたかは携帯電話を持っていた。
つまり、それは骨折り損ならぬ、俺とゆうなの喧嘩損なわけで……。
別にゆたかのせいにするわけではない。
だが、ゆうなと喧嘩したのは大学に向かう道中のこと。
もし、ゆたかへの連絡が携帯電話一本で済んでいたら違う結果になったかもしれないと思うと、なんだかやり切れない思いが胸の内を満たした。
そうした思考で頭を抱えたい気持ちになっているとき、
「あ、そう言えば連絡先を交換してなかったね」
ゆたかに、それを遮られるようなことを言われた。
えっと……。
不意にゆたかの言ったことが飲み込めずにいると、それを発した張本人は微笑んだ。
「携帯電話を買ってからあかりとはまだ会ってなかったからね。知らないのも無理ないよ」
つまり、その携帯電話は最近買ったばかり。
「そもそも買ったのはあかりに勧められたからだよ。一生使えないままだぞ? って脅されてね」
ああ、そういえば。
そこに俺とあかり、たくやとゆたかの違いはあれど、その記憶はたしかにある。
思い返せば、今年度が始まった辺りだろうか。
たくやとの連絡手段が大学内で会うしかなく、それを不便に思った俺が言ったんだっけ。
『携帯電話、いい加減買ったらどうよ。使えると便利だぞ?』
『なくても平気』
『なんか、ずっとそんなこと言って死ぬまで使わなそうだな』
『……かもしれない』
別に脅したつもりはなかったんだが、まあそれで買う気になってくれたのなら良かった。
良かったとは思うけど、タイミングが良かったような悪かったような……。
まあとにかく。
頭を軽く振って意識を切り替える。
終わったことをぐずぐず言ってもどうにもならないし、良い気持ちもしないだろう。
それなら話を進める方がよっぽど有意義。
そして、ゆたかが携帯電話を持っているとあらば、進めるべき方向は一つ。
「連絡先、交換しておかないか? いざってとき、必要だろ?」
せっかく連絡手段が確立したのだ。
それを利用しない手などあるまい。
菊地原先生への連絡は、少し後回しにしてもらうとしよう。
「もちろん」
返しは笑みをたたえた頷き。
認め、俺は持ってきたバッグの中から携帯電話を取り出した。
バッグに入れるときにも確認したが、俺とあかりのは同じ機種。
だから、それを持つ手の大小はあっても、使い方は変わらない。
連絡先の交換方法も同様のことで、俺は手慣れた動きで自分の端末を操作し、先に準備を整える。
一方、ゆたかはと言うと、
「あ、えっと……んん……?」
携帯電話を両手に、あせあせと困った様子だった。
「もしかして手間取ってる?」
「あ、いや違うんだ。変なところを触っちゃったら変なものが出てきちゃって……」
それの何が違うんでしょう。
とりあえず、わたわたしながら言いわけがましく言葉を重ねるゆたかが手間取っているのはわかった。
人差し指でおっかなびっくり画面を触っているが、どうにもうまくいっていなさそう。
まあ買ったばかりとのことだし、うまく扱えないのは仕方ないだろう。
たくやと同じ境遇なら、生まれて初めて携帯電話を買ったのだ。
もしそれで意図も容易く扱えたのなら、これからこいつを「携帯電話神童」と呼ぼう。
にしても、と思う。
「ご、ごめんね。今頑張ってるんだけど、なんかアプリを探そうとか言い始めて……」
相変わらず口ばかりがぺらぺらとつくが、それでも動作は初々しいもの。
たくやと知り合ってから、そしてゆたかと会ってから落ち着いた様子しか見たことのない俺は、それがすごく微笑ましし光景に見えた。
いやあ、ゆたかってこうして見るとなかなか可愛いなあ。
……体の寸尺は置いといて。
こうして考えている間も、携帯電話を相手に孤軍奮闘を続けているゆたか。
見ている分には微笑ましくて良いのだが、あまり時間をかけすぎるのはよろしくない。
「ほら、貸して。やってあげるから」
ゆたかの側へと寄り、両手を差し出して求める。
が、ゆたかの両手で握られた携帯電話は応じることなく、その薄い胸元へと引かれた。
「い、いいよ。大丈夫だ。さすがにそれは申しわけない」
「いいからいいから」
「うーん……そ、そうかい?」
少し迷ったように身じろぎを見せたゆたかの手の行く先は、ゆっくりとこちらの両手へ。
なんだか罰の悪そうな顔をしているゆたかの表情が印象的だった。
おずおずと手渡されたゆたかの携帯電話を見る。
ゆたかが詰まっていた原因はすぐにわかった。
何故かオセロのアプリゲームが起動していたからだ。
誤操作かなにかだろうか。
かなり危なっかしい手付きで触っていたものだから、本人が意図しないところに指が触れ、起動してしまったのかもしれない。
オセロが妙に進められた状態で止まっているのも、少し微笑ましい。
いや、さっきアプリを探そうとかなんとか言っていたのに、こんなことになっているのは不思議だけどね?
「このオセロ、終了しちゃっても大丈夫?」
まさかこのタイミングでオセロゲームをしているわけないが、念のため確認。
「もちろんだよ」
俺のとは別の機種だけど、おおよその操作感は同じはず。
そう思い、電源ボタンを押してホーム画面を開き――噴いた。
アプリ終了後に開かれたホーム画面が、他ならぬ俺、あかりの写真だったのだから。