饒舌な不満をはけ口に
*
オヤジが微かに残り香を置き去ったあと。
俺たちは周りの客の迷惑にならない程度に話をした。
とは言っても、初めはゆうなが話を振り、広げ、俺は相づちを打つだけ。
先ほどのオヤジに対する愚痴から始まり。
この前、ゆうなが女友達と成り行きでドリアンを食べることになったこと。
臭いがあまりにきつくて食べれなかったこと。
そういえば、あのオヤジの臭いがドリアンと似ていたかもしれない、など。
そうしているうちに、だんだんと俺も口を開くようになっていった。
あれだけ躊躇っていた口も、相づちという形で踏み切りはついていたのだ。
ゆうなの話の間に一言挟み始め、次は二言、三言。
気が付けば、ゆうなと同じくらいの量を話すようになっていた。
どうしようもないほどのくだらない世間話。
だが、ゆうなとのそれは非常に楽しいものだった。
先ほどまでの雰囲気が払拭されたかのよう。
ゆうなは、俺が無視していたことを気にしている様子はないし、俺もさっきまでの会話への躊躇はなくなっていた。
だから、こんなにも楽しく感じるのかもしれない。
気が付けば、もう一駅で大学の最寄り駅に着くというところ。
この時間経過の早さが、ゆうなとの会話がどれだけ楽しかったのかを証明してくれているような気がする。
「そういえば、あかりは通学どうしてたんだ?」
すっかり調子を取り戻し、電車のドアに背を預けている俺は、目の前のつり革に掴まっているゆうなを見上げ、聞く。
このあたりの駅になると乗車率も和らぎ、普通に立っている状態で会話ができた。
俺の問いに、ゆうなは優しく笑う。
「いつも私と一緒だよ。あかり一人じゃ、この電車は心配だから」
「なるほどね」
ゆうなと二人で電車通学。それで胸のつっかえが取れた。
俺が電車から押し出されてしまったときの、ゆうなの慣れた対応。
それから発した「電車に乗るときは私にくっつかなきゃ危ないでしょ?」という言葉。
あかりを壁際に配置し、その前にゆうなが立つことによって乗客からの圧迫を削減していた電車の乗り方。
それらすべては、あかりのことを心配して優しくするゆうなの気持ちによって築かれていたものだったのだ。
「そうか、そうだったんだな。……なんだか、うらやましい」
思いを胸の内から取り出し、口の中で滑らせる。
「俺の世界だと、ゆうなと会うのは昼休みか、講義が一緒のとき。あと大学が終わってから遊ぶときぐらいだったんだ」
「そうなの?」
「うん。だから、毎朝一緒に通学できるなんてうらやましい」
「あら……」
ゆうなは眉尻を僅かに下げ、つり革を掴むそれとは逆の手で自分の頬に手を当てた。
俺は自嘲的に笑い、続ける。
「この世界じゃあかりは愛されてるみたいだけど、向こうでの俺はどうなんだろうな。ちっとも愛されてなかったりして」
――後に俺は思う。
何を饒舌に自分の不幸を嘆いたのだろうと。
そして、なぜ。
なぜ、俺はこんなことを言ってしまったのだろうと。
「愛されてない……?」
そう聞き返すゆうなに、俺は頷く。
「ああ。あかりと比べて、俺はそう思ったんだ」
電車がガタッと揺れ、俺たちはその衝撃を身に吸収する。
俺はドア脇の手すりに掴まって。
ゆうなはつり革に掴まって。
「この世界でも同じだと思うけど、俺たちは付き合い始めてから三ヶ月と少しというところだろ?」
「……ええ」
「その間、あかりはゆうなからワンピースをもらい、今日はこのネックレスをもらった」
白いワンピースを着た胸元にある銀色のネックレスを指差す。
直接もらったのは俺だが、「Akari」と名前が彫られている時点で、これはあかりへのプレゼントであるべきもの。
「だけど俺は、俺の世界のゆうなからまだ何もプレゼントしてもらったことがない。あかりみたいに、服も、ネックレスも」
女々しいと思われるかもしれない。
女からのプレゼントを欲しがり、もらっていなければもらっていないと愚痴をこぼす。
そんな男なんて。
でも、滑らかになった口と、溜まっていた思い。
それが合致した今、発言を取り消そうとする自分はいなかった。
「それにさ……俺はあかりに負けてるんだよね」
視線をゆうなから外し、自分の足元に泳がせる。
淡く桃色の染色がされたワンピースの裾から白くて細い足が二本伸びている。
くるぶしまでの靴下とスニーカーを履いた足。
……比べるまでもない。
「ゆうなは見たことないだろうけど、俺は普通の男なんだ。あかりみたいに可愛らしいところもなければ、優れた容姿もない、ただの男」
車内にアナウンスが流れ、まもなく大学の最寄り駅に着くことが知らされる。
「そんな俺でも、ゆうなから愛されてると思ってたよ。俺がプレゼントをあげて、頭をなでて、エッチもして」
次第に電車は停車せんとスピードを落とし始める。
「でも、そんなのあかりと比べたらへでもなかった。何分の一……いや、何十分の一だって思い知ったよ」
歩くほどの速度まで落ちた電車は、僅かな揺れと共に停車した。
「だから、俺は愛されているに満たなかったのかもしれない」
俺は背中をドアから離し、踵を返してドアの正面に向き直る。
そして、目の前のドアが横にスライドし、開いた。
「……なにそれ」
ゆうなの言葉と共に。