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俺はレズになりたくなかった  作者: ぴーせる
ちょっと臭うんです
19/116

大人と子供


     *


「まもなく一番線に電車が参ります。黄色い線の内側に――」


 決められた、いつもと変わりのない駅の音声案内。

 それを聞き流しつつ、ふと隣に佇むゆうなの顔を見上げた。


 こちらの視線には気付いている様子はなく、ただ口をへの字に曲げて前を向いているゆうな。


「もう、なに怒ってるんだか……」


 そう愚痴をこぼされ、ちくりと胸の内から針を刺されたような痛みに襲われた。


 俺が大好きでたまらなかったはずのゆうなが見せる、ほんの少しのぼやき。

 その姿を見て、なんだか目にこみ上げてくるものがあった。


 ……この体は、涙もろいらしい。


 それを耐えるように、視線を正面に戻す。


 線路を挟んだ向こう側に、コンクリートで固められただけの壁がある。

 そこには、いくつかの広告が貼り付けられていた。

 美容整形や、俺とは関係のない大学、専門学校の案内に、大手通信会社のロゴが大きく載せられたものなど。彩りの華やかさで言えば、申し分のない広告群。

 だが、少なくとも今の俺が見たところで、何の利益も楽しさもないただの景色に過ぎない。


 ふと隣で、今度はゆうながこちら見ているような視線を感じた。

 どうやら先ほどの俺の視線に気付いたらしく、こちらを向いたらしい。


 だけど、俺はそれを横目に見ることもない。


 家を出てから、俺はほとんど無言で通してきた。


 ……なんというか。


 日差しが焼け付くように照りつけていることが不快なのもある。

 ワンピースの丈が短くて、なんだか落ち着きないのもある。


 だが、それよりもずっと。

 ずっと、ゆうなと話すのを躊躇っている自分がいたのだ。


 俺は、何をやっているのだろう。


 今日は俺の誕生日。二十一回目の俺の誕生日だ。


 俺の彼女はそれを祝ってくれた。

 今、俺が首にかけている名前入りのシルバーネックレスをプレゼントしてくれて。


 本来なら、少なくとも今のような暗い気持ちになっていることはないはず。


 なのに、俺は何をやっているのだろう。


 彼女に話しかけてもらっているというのに、それには何の言動も返さない。

 しまいには、彼女に対して躊躇いさえ覚えてしまっている。


 なぜだろう。


 そう考えても、今の俺ではもっともらしい答えが思い浮かんでくることはない。

 唯一あるのは、ゆうなに話しかけにくくなってしまった思考のみ。


 だからといって、思い切って話しかけようなどとも思わなかった。

 躊躇っている気持ちに流され、怠惰に無視をし続けている。


 最低なのはわかっている。

 わかってはいるけど……。


 そう考えていた、次の瞬間。突風が、左に駆け抜けた。


「わっ……」


 ビクッと肩を震わせて我に返り、ようやく俺たちの乗るべき電車が着たことに気がついた。


 電車がホームに滑り込むアナウンスや物音にすら気づかないほど、俺は思考にふけっていたらしい。


 突風が、髪を激しく暴れさせる。

 細くしなやかなそれが風に煽られ、強く俺の頬を打ちつけてきた。

 毛先がちりちり頬を刺し、痛みに満たない程度の感覚を与えてくる。


 あまりの煩わしさに右手でそれを押さえるも、長くはためくそれは抑制という挙動を知らないようだった。


(う、うざいなぁ、この髪の毛……)


 押さえた先から、また別の生物であるかのように毛先が大きくはためく。

 ただただ暴れ馬のように風になびき、俺の頬を刺す髪の毛。


 それが自然的におさまったのは、目の前の電車は停止してからだった。


「……ふぅ」


 どうやら、女の長い髪の毛というのは扱いが難しいものらしい。

 電車がホームに滑り込んだときの風でこれだけなびいてしまうのだ。

 強風が吹けば、それだけで惨事だろう。

 あかりの体でなければ、今すぐにでも切ってしまいたい。


 ともあれ、先ほどまで狂ったようにはためいていた髪の毛はその毛先を垂らし、何事もなかったように地を向いている。

 風さえ止めば、やはり髪の毛は髪の毛だ。


 でも、髪の毛全体を見たら何事もなかったわけではないらしい。


「あ、髪の毛乱れてるわよ」


 ゆうなが、不意に俺の頭に手を伸ばす。

 天頂部からなで下ろすように俺の髪を手ぐしでなおしてきた。


 指先が乱れた髪に絡む感触。

 頭皮に触れた微細な感覚に思わず身震いしかけ――下唇を噛んだ。


 俺はゆうなの手を振り解くように、今開いたばかりの電車に向かって歩き出す。


 見れば、車内はすでに乗り込むのが困難なほどの乗車率。

 あきらからあかりになれど、この混みようは変わりなかったようだった。


 俺はただ何も言わず、電車の内側を背に向けて乗り込む。


 ドアの縁に手をかけて、右足から車内の床を踏む。

 そして、それをつっかえに、腰を引いて体全体を電車内に押し込む。

 満員電車に乗るための、いつもの所作だ。


 割と強引で、他の乗客を押し込むような乗り方だが、乗車率が十割を超えるような満員電車では、こうして無理やり詰めてもらう形で乗らなければならない。

 みんな、たとえ狭い車内だろうと、より広い範囲を確保しておきたいはず。

 ともあれば、次に乗り込む人がいようといまいと、それ以上自分の居所を狭くしてやろうと動く人は滅多にいないわけで、仕方のないこと。


 多少強引にやってしまうと申しわけないと思うのだが、そうでもしないと電車に乗ることができない。

 だから、今日もそうして力任せに乗り込もうとしたのだが……。


 こうして、腕と足で体を電車内に押し込むという作業にはそれなりの力がいる。

 全力とは言わずとも、押し込む一瞬には少なからず力まなければならない。


 だが、今はその力がいつもより数段劣っていることを、俺は忘れてしまっていた。


「あ……」


 そのことに気が付いたとき。

 俺の体が前方に傾き、電車から押し出されていた。


 僅かな力で踏ん張って腰を引いた結果、車内の人々からの反作用を受けて押し出されてしまったのだ。


 今の俺は、非力なあかりの体。

 そんな、筋肉がまともについているのかさえ怪しい細い腕でドアの縁を掴み、少女のそれと同程度としか見えない細さの足でつっかえたところで、人の大群を押し込むだけの力が生まれようはずもない。


 金属の鎧につまようじで挑むようなもの。

 挑む間もなく負ける。

 それが固く揺るぐことのない結果だ。


 瞬く間に俺の体は前傾に倒れ、視界がホームのアスファルトに近づいていく。

 重力に従い、次第に加速していく転倒。


 あ、転ぶ……。


 そう思ってまぶたを閉じようとした、そのとき。

 視界が急激な停止を見せた。


 俺の右腕を引っ張るゆうなだった。


「あきらっ、大丈夫?」


 俺の右の二の腕を掴み、車内から支えているゆうな。

 非力さ故に転びかけた俺を助けてくれたらしい。


 返事をする間もなく、ゆうなに引っ張られて電車に乗り込む。


 すぐに目の前で扉が横にスライドしていった。


 間一髪のところだった。


「電車に乗るときは私にくっつかなきゃ危ないでしょ? 勝手に乗っちゃダメ」


 まるで子供をたしなめる母親のように言うが、その言い分には納得できた。


 満員電車に乗り込もうにも、いつもの具合で力を込めただけではダメなほどだ。

 おそらく、全力をもってやっとというところ。

 たったそれだけの力しかないあかりなのだから、一人で満員電車に乗るのはさぞ困難なことであろう。

 だからこそ、満員電車に乗ろうとすれば、ゆうなの助けが必要になる。


 だが……そうは思っても。


「……べ、別に平気だし」


 俺の口はへの字に曲がっていた。


 視線をドアの窓ガラスに貼られている広告に向けると、頭上のゆうなからくすり笑いがこぼれてきた。


「ふふ、強がりなところもあかりに似てるね」


 あかりと似てる、ねえ……。


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