お着替え教室(強制)
「それにしても酷いわねえ」
一瞬だけ目の色を艶に変えたゆうなだったが、それと間もなく、今度は打って変わってほう、とため息をついた。
酷い、と言われても、俺には特に思い当たることがない。
ゆうなの視線から見るに、その対象は俺が手に持っている薄桃色のワンピース。
だが、それに対して俺は別段「酷い」と思うようなことを感じない。
そう疑問に決着をつけられないでいると、不意にゆうなの手がこちらに伸ばしてきた。
何事かと思って身を強ばらせたが、どうやらその目標は俺が手に持ち広げているワンピースだったようだ。
ゆうなは薄桃色のワンピースに触れるかどうかという距離にまで手を伸ばしたところで、その手でワンピースの布地をなで始める。
その動きは、そう。
「人がプレゼントしたワンピースをタンスにしまうなんて、シワができちゃうじゃない」
畳まれていた際にできたシワを伸ばそうとしているものだった。
「まったくもう……」
よく見るとワンピースに刻まれたシワはなかなか深い。
少しでも伸ばそうとワンピースをなでているゆうなが、再びため息をもらす。
「いくら気に入らないからって、酷いなぁ。見た感じ、一回も着られてないみたいだし……」
「気に入らない?」
唇をとがらせながら眉尻下げるゆうなの言葉に引っかかりを覚えた。
あかりが、このワンピースを気に入らないという点。
もちろん人の好みによるところはあるのだろうが、男の俺から見ても可愛いと思えるデザインであるこのワンピースを気に入らないというのか、あかりは。
せっかく、ゆうなからもらったプレゼントなのに。
「気に入らない、って言うより嫌いみたい、この服。……もったいないよね」
もったいないどころの話ではない。
ゆうなの善意をむげに扱うだなんて……。
最低だ、あかりのやつ。
「あ~あ、せっかくあげたのになぁ」
まるで逃がした魚の大きさを悟ったときのようなセリフ。
悔しい気持ちと焦れったい歯がゆさを漂わせるように薄く笑ったゆうなは、ワンピースのシワを伸ばす手を止めた。
本当に、このままではゆうなが可哀想。
俺ではないやつにプレゼントをしたというのは癪だ。
だが、それをちゃんと受け取ってもらえず、寂しそうにするゆうなに同情は抱く。
ちゃんと受け取ると言うのは、プレゼントしてくれた相手への感謝の意を持ち、律儀に扱うこと。
それなのに、あかりはゆうなに感謝する段階にすら達していない。
本来は着られる目的で作られたはずのワンピース。
それを、さも着ることを想定しないかのように、シワができることもいとわず、平気でタンスにしまっていたのだ。
俺は女物の服については詳しくないからよくわからないが、こうしてゆうながこの扱いを嘆いている様子を見る限り、とても雑なものだったことは知れる。
なんてことだろうか。
これでは、あまりにもゆうなが不憫だろう。
「まあ、しょうがないか」
そう軽口で笑うゆうなの顔が酷く痛々しく感じる。
この世界のゆうなは、こんなにもあかりのことを愛しているというのに……。
ゆうなに愛されているあかりへの嫉妬や、あかりに冷たくされているであろうゆうなへの同情がないまぜになる。
どっちつかずの感情がぐちゃぐちゃになった。
俺は、こういうときにどうしたら――
「あかりが絶対に着ないような服をあげた私が悪いんだけどね」
「……うん? あかりが絶対に着ない……?」
あっけらかんとした表情で言うゆうな。
「うん。だって、あかりがこんな女の子っぽい服を着てるとこ、付き合ってから一度だって見たことないもの」
え、なにそれ。それなのに、プレゼントしたの……?
頭の回転が追いつけていない俺をまったく介さないように、ゆうなは、今俺が手に取っているワンピースの入っていたタンスの引き出しを指差した。
「ほら、見てよ。タンスの中、み~んな男の子が着るような服ばっかり」
つられて中をのぞき込む。
そこに見られたのは、元の世界の俺が着ていたような男物のシャツがいくつも並んでいる様子だった。
白や黒がメインで、デザインなどにも女の子らしさはほとんどない。たしかにゆうなの言う通り「男の子が着るような服」といったものばかりに見える。
それを見て、俺はゆうなに対して疑問、というか推理した想像を口にする。
「もしかしてあかり、これもらうときに嫌がってなかった?」
「あ、わかる? すっごく嫌そうな顔して「いらない」って突き返してきたのよ、あかり」
なるほどね、と心のなかで得心する。
それは、俺があかりと体が入れ替わったとき。あかりは男の俺が普段着として着るような服を部屋着にしていたときから、そう感じてはいた。
あかりは、このワンピースみたいに女の子女の子した服が苦手なのではないかと。
そして、先ほどのぞいたタンスの中身。
男物の服の数々。垣間見た程度だが、タンスの引き出しいっぱいに男物のそれが見えたあたり、おそらく他の引き出しも似たような有り様だろうと思う。
別に異性装について言及するつもりはない。が、あかりはこれほど徹底的に女物の服を拒んでいるのだ。
男装癖。男装、ないしはそれに近い服装を好むこと。
あくまで想像にすぎないが、経緯から察するに、あかりがそれであることはほぼ間違いがないだろう。
なぜそうなのか、までは予想もつかないが。
そして、その苦手である女物の服を着せようとしたのは、他でもない。
この世界のゆうなだ。
「ゆうな、そういうのは良くないと思う」
「そういうのって?」
「あかりにこういう服を着せることだよ」
こういう服、の言葉に当てはめるよう、俺は手に持ったワンピースをゆうなに向けて突き出す。
「俺はあかりのことよくわかんないけど、女物の服を着ないのは、きっと何か理由があると思うんだよ」
それが俺の思ったような男装癖であれ、そうでなかれ。嫌がるのには、何かしらの事情があるはずなのだ。
「だから、そこら辺――」
「わかった!」
俺が言い終わるか、というより言い始めてそう経たないうちに食ってくるゆうな。
それに少なからずむっとしたが、まあわかってくれるのならそれで――
「つまり、あかりじゃなくてあきらに着せればいいのね!」
いやいや、何を理解したんだよっ!
「そういうことじゃ――うひゃあっ!?」
ゆうなに反論しようとしたとき、自分でも情けなくなってしまうぐらい甲高い声が出た。ゆうなが俺の横腹をつついたからだ。
思わず手を離してしまったワンピースを、ゆうなが目にも留まらぬ早さで奪い取る。
「ほらほら、着替えましょうねえ」
「ちょっと……やめ……っ」
力が抜けた瞬間の俺の両腕をつかんだゆうなは、それを下から持ち上げ、抵抗する間もなく天井に向けて両腕を伸ばす形にしてくる。
そこから先は、まるで幼児に服を着せてあげるお姉さんのような手つきだった。
ゆうなはワンピースの裾を広げ、俺の頭に覆い被せてくる。
俺の視界が真っ白から真っ黒に染まったかと思うと、すぐにそこから抜け出し、上げられていた両腕が肩紐の下を通されて――
「はい、出来上がり」
にっこりとした笑顔で、あっという間に完成宣言されてしまった。
神業、というのはこういうことを言うのだろう。
ゆうなが俺にワンピースを着せるとき、俺の上げられた両腕はフリーだった。
それを振り下ろして抵抗しようとすればできたはず。
俺の両腕を押さえるべきゆうなの手が、ワンピースを着せる作業に回されているのだから当然だ。
だが、できなかった。
する間もなかったと言うのが妥当だろう。
俺が抵抗しようとする思考すら働かない段階で、全ての事が片付いていたのだから。
「んふふ、やっぱり可愛い。すっごく似合ってるよ」
美人でなければ気持ち悪い印象しか与えないであろうはしたない笑いを見せるゆうな。
エロオヤジばりのニヤニヤとしたそれに、恐怖から悪寒を背筋に覚えた。
おそらく後天的に植え付けられたのであろう、あかりの体から伝えられる危険信号。
それを背中に流れる冷や汗で感じ取ったとき、俺はこう思ったのだ。
いくらなんでも、あかりいじりのプロフェッショナルすぎるだろ……と。