虚しくも散る
*
ゆうなをなで始めてからどのくらいの時間が経過しただろうか。
しばらくされるがままだったゆうなが、いまだに俺の腹にすがるような形で抱きついたまま目を覚ました。
「ん……?」
おそらく寝起きで、どうしてこんな状態になっているのかが理解できないのだろう。
そんな小首を傾げて小さくあくびをするゆうなに、俺はなでる手を離して声をかける。
「おはよう、ゆうな」
寝ぼけ眼のゆうながこちらを見上げ、
「おはよ、あかり」
「いや、あきらだって」
「あきら……?」
やっぱり寝ぼけているらしい。
寝言で「あかり」と呼ばれ、寝起きでも「あかり」と呼ばれた。
この調子でいくと、ばっちり目が覚めても「あかり」と呼ばれそうだ。
よく言っておかないと。
「今は「あきら」なの。わかる?」
「あ……ああ、そっか。今は「あきら」なんだっけ?」
う~ん、と首をひねらせて考えていたゆうなにしびれを切らして声をかけると、ようやく思い出してくれたらしい。
「ごめんね、あきら。改めておはよ」
「うん、おはよう」
謝ってくれたり、あきらとして挨拶しなおしてくれるのはいいけど……。
まだ俺の腹に抱きついたままなんですね、ゆうなさん。
「ゆうな、そろそろ離れてほしいんだけど……」
ゆうなの頭をなでているときはさほど気にならなかったが、こうして起きて会話しながらだとさすがに気になる。
意識的かどうかは知らないが、ときおり抱きつくゆうなの手が、むにむにと俺の腹を触ってくる。その触られ方が緩いおかげでくすぐられている感じはしないが、妙にこそばゆい。
ゆうなと密着してるのは、嫌ではないけれど……。
「えー、ダメー?」
「うん、ダメ」
「あきらちゃんのケチ」
「誰があきらちゃんだ!」
なんでちゃん付けだよ、と軽くゆうなの額を叩く。
いたっ、と小さくうめいて、ゆうなは膨れっ面になった。
「もう……女の子はそんなに暴力的じゃいけないんだよ?」
いやいや、昨日、俺を思い切り襲ってきたのはどこのゆうなですか。
「とにかく離れて。くすぐったい」
「やぁだ。むにむにするのー」
むにむにするのはわざとだったのかよ!
「離れろ~!」
「やだぁー」
気がつけば、ゆうなは腕枕していた方も俺の背中に回し、しっかりと抱きしめる姿勢。
両手でゆうなの肩をぐっと押せども、まったく微動だにしない。
ゆうなに風呂場で襲われたときからわかってはいたが、やはり今の俺とでは力の差が歴然としているとは……。
「ん~っ!」
「えへへ、頑張るねぇ」
必死に腕を突っ張っても、ゆうなはニヤニヤとした笑みでこちらを見ているだけ。
な、なんつう一方的差だよ……!
力みすぎて腕がぷるぷるしてきたのに、向こうは全然余裕そうで。
むしろむにむにする速度が上がっているぐらい。
「は~な~れ~ろ~!」
この際やけだ、とゆうなの肩に、寝間着の上から爪を立てた、そのとき。
「――ぁひゃあっ!?」
脇腹をくすぐられた。
「ちょっ……や、やめれ!」
「あん、あきら可愛いよぉ」
「人の話を聞――あはははっ! 待っ、無理~っ!」
横っ腹を指で軽くつままれるようにくすぐられ、笑いたくもないのに声をあげてしまう。
肩や腰がビクッと震え、足をバタバタさせても、くすぐったくて笑いが漏れてしまうのだ。
「や、やめんかいっ!」
「いたっ」
さすがに怒ってゆうなの頭をひっぱたく俺。
予想以上にうまい具合に入って、パシンと乾いた音が高く響いた。
「もー……」
よほど痛かったのか、ゆうなはくすぐる手を止めて叩かれた患部を押さえた。
強く叩きすぎたらしい。
ゆうなを叩いた俺の手も、じんじんと軽い鈍痛がした。
「えっと……ごめんな?」
ちょっとやりすぎたかなぁ、と謝りつつも、とりあえず起き上がり、ゆうなから距離を置く。無意識的に、ゆうなからの逆襲を恐れていたのだろう。
……だが、その警戒に意味がなかったことを、俺は思い知る。
「まったく……しつけが足りなかったみたいね」
ぞっと背筋が凍るような声色。
それと共に顔をあげたゆうなの表情は――まるで捕食者のようだった。
「し、しつけって……」
しつけ、という言葉の意味は知ってるし、またゆうなが発した意味するところもわかる。
だが、ゆうなの逆鱗に触れてしまったことを理解したくなかったのだろう。
ただでさえ高い声がさらにうわずり、語尾が震えてしまった。
「まだ大学まで時間はあるし……ふふ」
淫靡に笑みを含むゆうなの言葉に反応して壁掛け時計を盗み見ると、時刻は七時ちょい過ぎというところ。
今日は午後から授業が始まる日だから、ゆうなの言うとおり時間は十分にあるわけで……。
「あ、あの、ゆうなさん? 目が相当いっちゃってますけど……」
「えへへ」
まるでねずみを捕らえんとする猫のような目。
そのねずみに値するのは、言うまでもなくこの俺。
……ま、またこのオチなわけ?