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 何が起きたのか。

 みそら先生やバラを消滅させたあれは何なのか。

 俺たちに何が迫ろうとしているのか。


 上がる心拍数で息が苦しくなり、浅い思考や疑問が頭を巡る。

 地に足がついていない感覚が不安になって脚を動かそうとして、自分が尻餅をついていたことを認識する。

 頭と体がうまく働かない。


「“無の壁”。呼称は分裂した私がつけたものだが、なるほどね。視認できないが、知覚はできた。そういう存在なのだろう。それはゆうな君も同じで、みんなも同じだろう?」


 みそら先生の言葉を何とか理解して、俺は小さく頷く。


「ということは、観測できない性質はあれそのものにも適用されているようだね。そのものが無であり、触れたものを無に帰す存在か。ふふ、底知れないね」


 なぜみそら先生は笑っている余裕があるのか。

 俺にそんなものはなくて、体の芯から冷えるような感覚に身震いしてしまいそうになっている。


 俺と違って立ったままのゆたかが、その高い位置にある顔を不安そうにしてみそら先生に問う。


「みそら先生は“無の壁”と言っていますが、あれの正体を知っているんですか?」

「いや、悔しいことにわからないよ。あれは私にも種明かしできないな。予定調和の外側にあるもの、いや、裏の裏かな。君たちよりここに長く滞在する私も知らなかったものだ。私より長く滞在しているというあかり君はどうかな。覚えがあるかな?」


 そう言って俺の方を向くみそら先生だが、質問する先は俺の隣にいたあかり。

 俺と同じように尻餅をついていて、返事をする声は少し上擦っていた。


『いや、あんなの知らないです……。俺も、初めてで……』

「なるほどね。ありがとう、あかり君。そして聞く相手を間違えてしまってすまない。一卵性双生児よりも君たちは似ているから、つい間違えてしまったよ」

『あ、いえ……あいつが、悪いので……』


 あいつと言ってあかりが見てきたのは俺だが、俺だって不本意だ。

 なりたくてなっているわけじゃないし、望んでそのままでいるわけでもない。


「あれは、みそらさんの悪ふざけ、っていうことでもないんですよね?」


 そう尋ねたのは、腕を組み考え込んでいる様子のゆうな。

 戸惑いの色が強い表情で、みそら先生に聞いている。


「残念ながら私の関与するものではないね。驚かせるだけなら私の趣味だが、あれは範疇外だね」


 その返事を聞いて、ゆうなはみそら先生の顔を窺うような動きを見せるも、少しして落胆した。


「そう、ですか。急にみそらさんが増えたり減ったりするのを見せられて、あれを見せられたので、混乱してしまって」

「まあそうだろう、分裂のことは伝達不要だと思って、君たちには言っていなかったからね。あきら君とあかり君の例と違って、同じ人間が出てきたら戸惑うだろう。それ以上に、戸惑う理由もあったしね」


 みそら先生は思案する表情になる。

 いつになく真剣な雰囲気を感じて、息が詰まる。

 それに耐えきれなくなって、俺は思わず聞いてしまう。


「あの、俺たちはどうすれば……? あの“無の壁”って、迫ってきてるんですよね?」

「そうだね、それについて作戦会議をしようか」


 パチン、とみそら先生が指を鳴らす。

 その音の直後、俺たちの目の前に現れたのは一つのホワイトボード。

 みそら先生はホワイトボードを俺たちに見えるように移動し、添えられていたペンを手に取る。

 急に現れたそれに戸惑うも、その様子から、みそら先生が先導して話を進めてくれるらしいことを感じ取り、全員様子を探りながらも先生の様子に注目することにした。


「さて、まずは現状を整理しようか」


 みそら先生はホワイトボードに黒色のペンを使って書き出す。

 ホワイトボードの真ん中に丸を一つ書き、それが今の俺たちがいる場所を示しているらしい。

 その右に二重の波線を書き、さらに右に一本の縦線を引いて、それよりも右側を塗りつぶす。

 二重の波線は距離を飛ばすものであり、それより右に書いた黒いものは、先ほど俺たちが見た“無の壁”とのこと。


「“無の壁”って、そんなに巨大だったんですか?」


 ゆたかの質問は、俺も同意見だった。

 みそら先生が書いた“無の壁”は、ホワイトボードの右側を上下幅いっぱいまで塗りつぶすほどの面積。

 俺たちにはその存在はなんとなくわかったけど、目には見えなかったので、それほど大きなものだったのかどうかは気になる。


「この図のように直線的ではないかもしれないが、かなり広大な範囲なのは間違いないよ。君たちが見た分裂した私は一人だったが、彼女はそれまでに何人もの分裂した私と共有してきたんだ。私と共有したときに知った情報では、少なくとも五人の私が“無の壁”を知覚していて、その距離は相当離れていたはずだよ」


 みそら先生はまた黒ペンを手に取り、“無の壁”を示す塗りつぶした領域の少し左側に小さな丸をいくつか書き足す。

 上に二つ、真ん中あたりに一つ、下に一つ書いて、それが分裂していたみそら先生たちのことらしい。


「位置な関係は大雑把だが、これらのポイントで私たちは“無の壁”を知覚していた。そして、この“無の壁”は私たちの方向へ迫ってきているんだ」


 ホワイトボードにペンを走らせるみそら先生。

 “無の壁”の境界として書いていた縦線よりも左側に縦線を加え、そこまでも塗りつぶす。

 左向きの矢印も書き添えて、俺たちに迫ってきていることを示していた。


「“無の壁”が立方体のような形状なのか、それとも万里の長城のような延々と続く壁となっているのかはわからない。視覚情報はなく、触れたら一発アウトの現状では想像すらできないが、触れてはいけない境界が迫ってきているものとして理解して良いはずだ」


 触れたら、というのは、先ほど消えてしまったみそら先生のことを指しているのだろう。

 消えてしまった瞬間の光景が脳裏によぎり、不安が胸を突く。


「さっき消えてしまったみそら先生は、どこに行ったんですか? みそら先生のところに戻ってきてたりするんですか?」


 みそら先生の言う分裂がどういう理屈でどんな仕組みなのかわからないが、先ほど言っていた「共有」という言葉と、二人で手を合わせた後に片方が消えたことから、なんとなくだが分裂した後に一つの体に戻れるようなものだということを推測している。

 先ほど“無の壁”に触って消えてしまったみそら先生は、もしかしたら今の俺たちの目の前にいるみそら先生と合流しているのかもしれない、なんて考えたのは、読んだことのある漫画の影響だろうか。


 残念ながら、みそら先生の返答は否定。


「彼女は消えてしまったよ。我々の観測できない空間に行ってしまったのか、それとも存在そのものが消えてしまったのか。どちらにせよ、観測できないのなら死んでしまったのと等しい状態だろうね」

「え……」


 死――

 想定していなかった現実味のない言葉に、思考が止まる。

 それが動き出したとき、額に嫌な汗が滲み出てくるのを感じた。


「し、死んじゃったんですか? さっきの、みそら先生は……」

「そうだね。希望的観測を言うなら、生命活動は停止していないのかもしれないし、パラレルワールドのどこかの世界に飛ばされているような状況かもしれないが、可能性は薄いだろう。教えを請われる立場の人間として口にしたくない表現ではあるが、私の直感がそう告げている。あれは、そんな生易しいものではない」


 言われて、ハッとする。

 俺があれを目にした時に感じた胸のざわめき、嫌な予感。

 それはみそら先生の言う直感と類似している気がして、理屈抜きで納得してしまう。

 その感情はあれを見た全員が共有しているものだったようで、ゆたかやゆうなたちと顔を見合わせ、小さく頷きあった。


 それを理解すると同時、自分の手が震えていることがわかる。

 たぶん恐怖に由来するものであろうその震えを見て、また一段と息苦しくなる。

 人の死、なんてものを目の前で見てしまったためだろうか。

 みそら先生は目の前にいる。でも、消えた方もみそら先生で、最後に俺たちに声をかけてくれていた。

 見慣れてなんていない、意識すらしていなかった「死」という概念。

 狭窄する視界に、浅くなる呼吸。

 自覚しているのに、抑えることができない――


「彼女は彼女の意思で消えたんだ。もし完全な私というバックアップがあるなら、私も死に直面するような危険なものであっても飛び込みたいと思ってしまう知的好奇心と破滅願望を持っている。だから、あきら君、あかり君、気に病む必要はないよ」


 そう言われて肩を叩かれ、いつの間にか伏せていた顔を上げる。

 見えたのはみそら先生の手で、もう片方は隣に座り込むあかりの肩に伸びていた。

 少しだけ張り詰めていた糸が緩んだような気持ちになり、一つ深く息を吐いた。


 そのすぐ後にゆうなとゆたかが俺たちのところへ心配そうに来てくれて、ゆうなはあかりのところに行って背中を擦り、ゆたかは俺のところに来て声をかけてくれた。

 ゆうながあかりのところに行ったのは寂しく思う一方、ゆたかが来てくれたことに嬉しく思う。

 そんな二人は大丈夫なのかと問うと、


「正直、状況が飲み込めないというのが一番かな。迫ってくる危機の方に頭がいっぱいで、気を回せていないから、今はまだ大丈夫かな。わからないけどね」

「私もよ。あかりは繊細な子だからそういうことに気づけて、きっとあきらも似てるんでしょうね。表の世界にいたとき、似てるところをいっぱい見たもの」


 そういうものだろうかと思うものの、二人が大丈夫そうなら良かったと思う。


 うん、と頷いたみそら先生は再びホワイトボードの前に戻る。


「さて、迫りくる“無の壁”だが、その移動速度は不明だ。対象が見えないこともあるし、私と共有した五人の情報と比較して推測していた移動速度が噛み合わない。等速ではない速度で迫ってきていると考えたほうが良いだろうね」


 ホワイトボードに書いていた“無の壁”から伸びる左向きの矢印をいくつか書き加える。

 長い矢印や、短い矢印を無作為に散らす。


「加えて反対方向、あるいはホワイトボードで言うところの上下方向から迫る“無の壁”はないとは言い切れない。私たちが近くした“無の壁”だって、いつからそこにあり、いつの間に移動してきたのかが不明だ。唐突に現れる可能性も考慮したほうが良いだろう」


 そう言って、ホワイトボードの左の端、上と下の端にクエスチョンマークを書いていく。

 その記号は中央に書かれた俺たちを囲むようで、顔が引きつるのが分かった。


「もしあれに触ってしまったら、私たちも消えてしまうんでしょうか?」

「十中八九そうだろうね。その前提で動こう。万が一にかけるメリットもないからね」


 触れたら、触れた者が消されてしまう壁。

 そんな得体の知れない、恐怖でしかないものが俺たちに向かって迫ってきている――


「――時間制限」


 ポツリ、とゆたかが発言する。


「男性の方の菊地原先生が言っていたことです。世界膜の歪みは直り、ミステリースポットがなくなるまでの時間を過ぎれば、時間切れ。今、私たちに迫っている“無の壁”って、そういうことなんじゃないですか?」


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