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迫る異変


「うああ、できねえええ!」


 俺がイメージの練習を始めてから、どれくらいの時間が経ったのだろうか。

 昼夜もわからず時計もないこの場所で時間を知る術はないが、とにかく相当な時間をかけているのは体感上明らかであり、それでもなお上がらない進捗に俺は吠える。

 あかりの体の細い喉で、その小さな拳で地面を叩いても、無力感しか得られないが。


 あかりとゆうなは一発で、ゆたかは何度かの練習を経て、元の体に戻るイメージを成功させた。

 俺がやっていることと何が違うのかは過程が形にならないのでわからず、ただ結果として画然たる差が生まれている。

 しかも、あかりとゆたかはその後、自分の体を少しだけいじる応用編みたいなことまでやれていて、基礎もできていない俺には悔しさしかない。


 俺の成果が上がらないのに暇を持て余したのか、あかりとゆうなは二人で楽しそうにおしゃべりをしている。

 みそら先生とゆたかは俺のことを見守ってくれていたが、最初こそ失敗するたびにアドバイスをくれたりしていたものの、段々と口数が減り、困ったような顔で俺を見る時間の方が長くなった。

 視線が痛い。つらい。不出来な俺を憐れむような目はやめて。


「ううん、どうしたのだろうね。私の誘導があれば、あかり君の姿に変身することはできたし、失敗とは言え一部の変身はできたから、全くできないということもないと思うのだけどね」

「や、その一部の話は、もうなかったことに……」

「ふふ、とても興味深い変身だったよ。忘れられない光景だったよ」


 もはや、みそら先生が俺をいじってくる始末。


 あまりに不遇な思いに、俺は仰向けに寝転がり、大の字になる。

 空も含めて真っ白になっているこの場所は、見上げたところで何の感慨もない。

 ただ冷たい地面の感触が薄いワンピースの生地を経て伝わってくるだけで、俺は大きくため息をついた。

 ちょっと離れたところにいるあかりから『そんな格好で寝るな!』と怒鳴る声が聞こえてきたが、ひねくれて無視してやる。


 右手を上に、手を広げたり握ったりして、その感触を確かめる。

 本来の俺の手よりも、遥かに小さくて力が弱い。

 白くて少し丸い印象のある柔らかそうな手。

 握り込むときの力はずっと弱くて、爪を立てても自分の手のひらに食い込ませるのがやっとなくらい。

 俺の体とは全然違う、違和感のあるはずの体。


「自分の体は覚えているつもり、なんだけどな……」


 もしかして、自分の体を正確に把握できていないといけなかったりするのだろうか。

 自分の体については知っているつもりだが、正直なところ、そこまで正確ではないかもしれない。

 どんな筋肉の付き方をしていたかとか、ほくろの位置がどこだったかとか、そういうところまで把握してなければいけなかったとしたら、俺はダメだろう。

 だが、あかりたちがそれを満たせているのかというと、どうだろうか。


「なあ、ゆたかって自分のほくろの位置って全部覚えてるのか?」

「いや、覚えていないね。あきらが確認してくれてもいいよ?」

「やめとく」


 そうだろうなと納得するも、なら俺だけができない理由には納得できない。


 俺とあかりたちの何が違うのだろうか、と考えてみる。

 思い当たるのは、みそら先生の言っていた「発散」の言葉だろうか。

 頭の中で元の自分の体に変わっていくのをイメージするのだが、それがしっかりと形作られる前に思考がまとまらなくなってしまうというか、成功につながらない。

 きっとあかりたちは最後までそれができていて、俺には難しいのだろう。

 みそら先生に誘導されながらであればできた経験のことを考えると、俺はその部分を補助してもらっているのだろうとも思う。

 それが理解できたところで、成果は上がらないのだけど。


「おや」


 自己分析の思考に浸っているとき、不意にみそら先生が虚空を見上げる。

 何かに気づいたような声が気になり、俺は上体を起こしてその様子を見ると、みそら先生は俺たちの誰もいない方向を見て、緊張感のある表情を浮かべていた。


 何か見つけたのだろうかと思って、みそら先生の見ている方向を俺も見たとき、それは突然現れる。


 ――もう一人のみそら先生。


 俺の傍にいたみそら先生の視線の先、すぐ目の前に、もう一人のみそら先生。

 同じ窮屈な着こなしのスーツ姿、同じ色気のある顔をしたみそら先生が、俺の指導にあたっていたみそら先生の目の前に唐突に出現していた。

 出現、と表現するしかないのは、そのもう一人のみそら先生はどこからかやってきたわけでもなく、気づいたときにはその場所に立っていたから。


 みそら先生が二人いる。

 理解できない光景に、俺は口をぽかんと開ける。


「さ、共有しようか」


 他の誰も声をあげない中、当事者たるみそら先生だけが冷静で、そう声を発する。

 みそら先生同士で手を合わせる動きを見せた直後、俺たちの前に現れたばかりのもう一人のみそら先生が消滅する。

 消滅と表現したのも、出現時と同じように忽然と消え去るものだったから。


 何も理解できない俺たちをよそに、みそら先生は何か考え込むような表情で腕を組み始めた。

 それはあまりに真剣な表情だったのだが、それ以上にあんまりな出来事に疑問が溢れて仕方がない。


「み、みそら先生、いまのは……?」

「ああ、あれは分裂していた私だよ。有意義に過ごすためにそれぞれで行動していたのだが、どうやら彼女がおかしなものを見つけてね」

「ぶ、分裂って……」


 それもイメージのなせる技だろうかと思うも、基本ができていない俺に理解できることはない。

 興味ありそうに『分裂かあ』とつぶやいたあかりに、みそら先生は咎めるように「あまりおすすめしないよ、下手したら精神を病んでしまう可能性があるからね」なんて脅し文句を言っていたが、それがどういう意味なのかもわからない。


 みそら先生は、その分裂していたもう一人のみそら先生が見つけたものについて教えてくれた。


「彼女が“無の壁”と表現していたものが、私たちに迫っているらしい」


 教えてくれたものの、それが何を指すのか全くわからない。

 わからないことでいっぱいの状態を察してか、みそら先生は直接見に行こうと提案してくる。

 聞けば、それがあるのは遠い場所ではあるのだが、そこまでの移動手段があるらしい。


「この“裏側”は観測によって成り立つ場所だからね。認知できればどんな場所だってすぐそばさ」


 そんなことを言って、みそら先生は俺たちに近くに来るように促す。

 全員で円を描くように手を繋ぐように指示されたので、身長差を考え、一番背の高いゆたかの両隣にみそら先生とゆうな、そのそれぞれの隣に俺と少しだけ背の高くなったあかりで、お互いに手を繋いで円になる。


「目をつむって、決して手を離してはいけないよ。さあ、いこうか」


 言われるとおりにしたあと、その言葉を合図にして一瞬体が揺れるような感覚。

 それからすぐ、


「よし、目を開けていいよ」


 数秒程度しか目を閉じていないのに、という感想を胸に抱きながらまぶたを開けて目にしたのは、先ほどと変わらない光景。

 周囲はすべて真っ白で、円陣を組むように手を繋いだ俺たちの様子も変わりない。


 なのに、どこか、何かがおかしいような気がして、胸がざわつく感覚。


「みそらさん、これは……?」


 手を離したゆうなが、ある方向を指す。

 そこは他と変わらず真っ白な景色が広がっているだけなのだが、そちらを向くと、胸のざわつきが強くなるのを覚える。


「これが“無の壁”だよ。試してみようか」


 何を言っているのかさっぱりわからないが、嫌な予感がしているのはたしか。

 それはとても感覚的なもので、理性的に理解しようとすると言葉を失ってしまう。


 両手を俺たちから離したみそら先生は一歩後ろに下がり、目を閉じる。

 閉目した時間は僅かで、まぶたを開けたみそら先生は右へ一歩ずれた――かと思いきや、そのすぐ後ろにもう一人のみそら先生がいて、その人は左へ一歩ずれた。

 互いに一歩ずつ左右にずれて、結果的に横並びになった二人のみそら先生が目の前にいる。

 そんな信じがたい光景を見て俺は驚くしかないが、どうやらみそら先生が言った試すことは、そのもう一人にやらせることらしかった。


「やあ、私。この“無の壁”については君も知っているよね。飛び込んでみる知的探究心はあるかい?」

「おや、その役目を譲ってくれるのかい、私よ。とても光栄だね。ぜひやらせてもらおうか」


 そんな茶番のようなやり取りを経て、後ろから現れた方のみそら先生が、あの胸のざわつきを覚える方向を向く。

 まずは、なんて言ってから、自身の赤いハイヒールを脱ぎ、片方をその方向へと投げつけた。


 そして、それは消えた。


 距離にして、五メートルもないくらいだろうか。

 弧を描いて飛んでいった赤いハイヒールの片割れは、その距離を越えたくらいのところで突然消える。

 何かにぶつかって壊れたとかそういうのではなく、消失。

 その全てが見えなくなり、発せられるであろう音もなく、行方が知れない。

 それは、もう片方のハイヒールを投げても同じだった。


「ここまでは予想通りだね。それでは行ってみようか。じゃあね、君たち。また会えたら嬉しいな」


 きっと正しく脳が動いていない俺たちを置いて、もう一人のみそら先生が言う。

 ウインクを飛ばしながら言って駆け出し、何をしようとしているのかに気づいて声をかけるよりも早く、ハイヒールの消えた距離へ到達して――


 消えた。


 ハイヒールと同じように、無機質のそれと同じように、みそら先生が消えたのだ。

 俺が瞬きをしている間に、なんてこともない。

 目を見開いてる前で、たしかにいたはずのみそら先生が消えてしまった。


「え、え……なに、が……?」


 疑問しかわいてこない俺の声は酷く動揺していた。

 物が、人が、消えた。

 何もないように見えて、きっとそこには何かがある――

 理解できずとも、予感がそれを確信させる。


「あー、やっぱり戻ってこれないね。残念だが、それに触れた刹那を味わえたことは羨ましいな」


 他人事のようにみそら先生が言っているのを聞いて、急に身震いがする思いだった。

 分裂した自分というのは、そんな感じで使い捨てられるものだろうか。

 使い捨てると言うか、この目の前の見えないものは何なのか。

 どうしてもう一人のみそら先生は、この見えないものに触れたあたりで消えてしまったのか。

 疑問がぐるぐると頭の中で蹂躙し、うまく言葉にできない。


 そんな俺を差し置いて、指を鳴らして右手に一輪のバラを出現させた。

 何をするのかと思えば、それを見えないものの方向に向かって放り投げ、俺たちから三メートルくらいの距離のところに落とす。

 あの見えないものには届かず、俺たちとの間くらいの位置にバラが倒れる。


「これは目印だよ。みんな、もう少し離れようか」


 そう言って、みそら先生は俺たちを伴って、あの見えないものから遠ざかる。

 十歩ほど歩いて振り返ると、先ほどみそら先生が放り投げたバラが小さく見えるくらいになっていた。


「もう一つの実験をしてみよう。これは少し待つ必要があるから、あのバラを観察しながら説明を――おっと、これは」


 みそら先生が言葉を区切る。

 本当はもっと時間があるのを見越していたであろうことは知れたが、それよりも飛び込んできた事実の驚きが上回る。


 投げ、放置されていたバラが消えたのだ。

 バラは移動していない。

 距離が離れて小さく見えると思っていたところ、その場所から動いたりしていないのに、突然見えなくなった。


 ドクン、と心臓が跳ねる。

 それはとても嫌な感触で、体の奥が冷えるのがわかる。

 両手を組んで胸の前にして、小さく震え始めているのを実感する。


「想像以上に速度があるね。逃げよう」


 端的に告げられたみそら先生の言葉を受け、俺たちは指示されずとも円になって手を繋ぐ。

 ゆうなは顔をしかめ、ゆたかは目を細め、あかりは怯えたように震えていた。

 たぶん、俺はあかりと同じような顔をしている。

 手汗が酷い。でも、構っていられない。


 目をつむると、すぐに一瞬の体が揺れる感覚。

 もういいよ、というみそら先生の声を聞いた瞬間、急に力が抜けて尻餅をついてしまった。


 心臓が痛いくらいに鼓動して、体を揺らしている。

 汗が吹き出てきて、吐き出す息が小さく震えた。


「あれが“無の壁”だよ。確認した限りでは、あらゆるものを観測できなくさせる性質のようだ。そして、それは迫ってきているようだね」


 震えて見上げるしかない俺には、その言葉を理解するのに時間が必要だった。


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