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二十一グラムの余裕を持ちましょう


「ゆうな……!」

「し、知らなかったんだもの、そんなこと。わかるわけない、し……」


 俺の筋違いなのかもしれないが、もし俺の無意識が自分の体を誤認識するようになったかもしれない出来事があるならば、ゆうなに襲われたこと以外に考えられない。

 そう思うと、思いがけず責めるような語気をはらんでしまう。


 やはりゆうなもそれには気づいていたようで、何のことか示さなくても伝わっているようだった。

 最後は言葉を詰まらせ、反発と反省を混ぜたような横顔で視線をそらしている。


「いや、でも、そもそもみそらさんの言っていることが全て真実だって確証は――……あー、いや、ううん、なんでもない」


 途端、ゆうなはバツの悪そうな表情に変わり、首を大きく横に振る。

 女性の姿のときと違って短くなった茶髪は、さほど揺れない。


「違う、違うのよね。自己保身のために、人の粗探しなんてしちゃだめよね……」


 男の低い声に女言葉の違和感を含み、消え入るような声。

 それはゆうな自身の反省によるものだということを、そのつぶやきをもって知る。

 頭がよく回るゆうなのことだから、きっと言おうと思えばたくさんみそら先生の言っていたことに対する疑問を投げかけることができるのだろうと思う。

 でも、それは今のゆうなにとって「だめ」なことらしい。

 自身を制するように、ゆうなは自分の両頬を叩いていた。


 そんなゆうなに対して最初に言葉をかけたのは、愛しそうな笑みを浮かべるみそら先生だった。


「ゆうな君が言いかけたこと、たしかにそのとおりだ。先に言った通り、私は一人の観測者であり、数少ない事象から推測しているに過ぎない。だから私の言うことに確証はないし、必ずあきら君とあかり君を元の世界に戻してあげられるとは約束できない」


 しかし、と続ける。


「数少ない事象とは言え、おそらく君たちが見てきた数よりも多いだろうとは思っている。推察を重ねる時間もね。信じるかどうかは君たちに任せるが、男性の私に任された以上、私も種明かし役としての責務は果たしたいと思うから、聞いてもらえると助かるよ」


 みそら先生は、ゆうなの肩に手をポンと置く。

 今はゆうなの方がずっと背が高いので、みそら先生の腕は高く上げられていた。


 それに対して、ゆうなは少し気まずそうな表情を浮かべながらも、小さく首を縦に振る。

 目を閉じ、少し呼吸を深めて自分を落ち着かせようとしているのが見えた。


 と、みそら先生の手が下に、すぐに上に、ゆうなの肩を擦り始める。

 それは優しさによるものではなく、確かめるような動き。

 何事かと思えば、


「いや、今のゆうな君はずいぶんと立派な体をしているね。服の上からではわかりづらかったが、相当しっかりした肉体をイメージしたんだね? こうして触っても堅牢で重厚な三角筋の存在が伝わるよ。いいね、いいね。もし良かったら、一枚でいいからはだけてくれると私の目の保養に――」

「みそら先生」


 ドン引きしている俺とゆうな。

 その横、無表情のゆたかがみそら先生を見上げ、淡々と告げる。


「続きを聞かせてください。二つ目の条件があるんでしょう?」

「あ、ああ、そうだったね……いや、すまない」


 どうしてか、今のゆたかの言葉が効いたらしい。

 動揺して目を泳がせたみそら先生は、何度か咳払いをして、自らが乱した場をならす。

 ゆうなはみそら先生から一歩離れ、ゆたかは無表情のまま、あかりはみそら先生を敵対するような目つきで睨みつけているが、暴走しかけた本人は少し落ち着いた様子で話を続ける。


「それではゆたか君のご所望通り、二つ目の条件だが――」

『あ、その前に、ちょっと……』


 そこに口を挟んできたのは、まだ少し睨みつけるような目つきが残っているあかりだった。

 自分の体だったときより幾分か怯えが少ない様子で、みそら先生に疑問を呈する。


『俺……先生の言ってた一つ目の条件はやったことあります。あの、ここにずっといたんで、自分の体に戻ろうって何度もやったことあります』

「ほう」


 みそら先生の表情は、少し感心したようなもの。


『俺はあきらのことを二重人格だと思ってたんで、表に出る人格を入れ替えよう、みたいな感じでしたけど……たぶん、似たようなものだと思うんですけど』


 たしかにあかりはこの空間に置き去りにされ、かなり時間の余裕があったはず。

 前にここに来た時に聞いた話だと、たしか体感で一週間以上もいたと言っていたか。

 それだけの時間があったのだから、みそら先生が言っていたようなイメージをしていたとしても不思議はない。

 特にあかりは俺の体と入れ替わることなく、自分の体に戻ろうと思っていたのだから、俺のように無意識が上書きされるようなこともなかったはずだ。


 しかし、みそら先生は首を横に振る。


「あかり君のイメージする方法が正しかったかどうかを検証する方法はないが、一つ確認しておこうか。あかり君がそのイメージをしたとき、あきら君はこの“裏側”にいたかい?」


 なぜ俺の存在が関わるのだろう。

 俺の疑問はあかりの疑問と同じようで、理解できないと言った表情を浮かべて否定する。


『いや、あきらがいないときです、俺が元の体に戻ろうとしたのは。こいつがいると大体ムカついてたんで、そんなことをやってる余裕ありませんでしたし』


 それは俺のせいなのか、俺の方を一瞥してきたあかりに顔をしかめる。

 俺の顔をしたやつが、俺の意思に反して動く姿を見るのはどうにも気持ち悪い。

 しかも、それが俺に向けて負の感情を向けてくるのなら、なおさらだ。


「それならば、私の考える二つ目の条件を裏付けとなる事象だね。ありがとう、あかり君」

『……どういうことですか?』


 怪訝そうな顔をして尋ねる俺の顔をしたあかり。

 その疑問には俺も同意だったので、みそら先生の続ける言葉に耳を傾ける。


 みそら先生は人差し指と中指を立て、二本の指を立てた状態に。


「それでは二つ目の条件だ。それは、その肉体に宿るべき精神がなく、空いていること。眉唾物の言葉を借りるなら、二十一グラムを容れるだけ器があることだね」


 もう片方の手を自身の胸に、豊満なボリュームに押し付ける。


「いくら戻る対象を定め、その行動を示そうとも、戻れる場所でなければ成し得ないはずだろう? その肉体に対してすでに精神が収まっているのならば、それは戻れる場所の喪失にほかならない」


 胸に当てた手を少しだけ押し込み、反動を使って大きく跳ね除けさせる。

 それはたぶん体に入れなかった精神のことを示すためにやっているのだろうけど、こう、見る者としては心が落ち着かないわけで。


「ねえ、あれってわざとやってるの?」


 小声のゆうなにそう言われても、俺は「さあ」と首を傾げるしかない。

 自分の体を見下ろし、あかりの体では到底できないことだよなぁ、とは思うが。


 そんな俺たちの反応を気にせず、みそら先生は意気揚々と話を続ける。


「あかり君が元の肉体に戻ろうとイメージしたとき、あきら君は“裏側”にいなかった。言い換えると、そのときはあかり君の肉体に収まっている状態にあった、ということだね。すでにあかり君の肉体には精神が収まっているのだから、あかり君が戻ろうとしても戻れなかったのだろう。これがあかり君が戻れなかった二つ目の条件であり、あかり君が裏付けしてくれているものだよ」

『な、なるほど……』

「言ってしまえば、肉体に収まれる精神は先着順ということだね。例外があるとすれば、先に述べた“1のあきら君”かな。彼か彼女が引き起こしたことは、その条件を覆すほどの大きな力があったのだろう。それほどの力だったからこそ、ここまでの“玉突き事故”を起こしたのだろうと思われるね」


 根拠たるものはまったくわからないけど、みそら先生の言うことは何となく理解できなくもない。

 体に対して精神はいっぱいに入るものだとして、そのぎゅうぎゅうに詰まったところに入らないようなイメージだろうか。

 先ほどのみそら先生の動きを見て、パンパンに詰まったあの胸元にはもう何も入らないよなぁ、という想像が頭をよぎり、それは慌てて振り払う。


 とにかく、あかりが自分の体に戻ろうとしたとき、タイミング悪く俺があかりの体にいたことによって阻害されてしまったのだろう。

 あかりが俺の顔をして睨んでくることから、あかりの頭に思い浮かんだことも同じことなのだとわかるが、自分の顔で睨みつけるのはやめてほしい、気持ち悪くて怖い。


 そんな中、そのあかりが不意に『あ』と声をあげる。


『ということは、今だったら自分の体に戻れるってことですか……?』


 俺がここにいるということは、あかりの体に俺はいないというわけで。

 それは、二つ目の条件の達成ということでもあり。


「そうだね、その認識で合っているよ」


 みそら先生の答えは肯定。

 しかし、それは「ただし」という条件付き。


「戻るためには練習が必要だよ。先ほど、私が君たちに付き合うと言っただろう?」


 修行編が始まるような予感に、俺は何とも言えない気持ちになった。


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