003 紫色の髪
「フゴフゴ!(よろしくね!)」
「えっ?」
今、声が二重に聞こえた。小ぶりの動物から出た声とは別に、可愛らしい女の子の声がしたのだ。
『フゴッフゴフゴ!(私は猪の子供のウリ坊に──した、──よ!)』
「まぁ、猪の子供だったのね」
時折、雑音が混ざったように聞こえて、女の子の声の方だけ聞こえなくなる箇所があるけれど、何故声が聞こえるのだろう。
死にかけて不思議な力が目覚めたのかしら。
がしかし、そんなことどうでもよくなるくらい、目の前の猪がとにかく可愛い!
背中の縞模様は薄茶色と金色で、クセっ毛なのか毛先が少し丸まっている。
可愛くて、つい抱きしめたくなってしまう。
でも、私はそんなことをしてはいけない。
病をうつしてしまうかもしれないから。
伸ばしかけた手を、私は胸に止めた。
『フゴッ! フゴフゴ(あなた! 見た目によらず賢いのね)』
「あら、褒めてくれるのね。あなたは見た目も可愛いけれど、素直で素敵な子ね」
嬉しくてウリ坊のことも褒め返すと、ウリ坊は琥珀色の瞳を輝かせた。
『フゴッ。フゴフゴー!(気に入ったわ。私のことはリウリーって呼んで!)』
「よろしくね。リウリー」
『フゴー。フゴッ? フゴ、フゴゴ!(もちろんよ。あら? あなた酷い格好ね。動けそうだし着替えましょ)』
リウリーは箪笥に向かって走ると、大胆にも体当たりの反動で引き出しを開けた。
そしてフゴフゴ言いながら新しい服を見繕い、ベッドまで持ってきてくれた。服は男性物だけれど、とても上質な生地で仕立てられている。
私が服に手を伸ばそうとすると、リウリーは首を振り、私の手首を甘噛して包帯をほどき始めた。
『フゴゴ。フゴー(もう取っていいのよ。ほら自分でやって)』
「えっ、でも……」
着替えをするのに、爛れた肌を晒してしまうと、擦れて痛いのではないだろうか。痛み止めが効いているようだけれど、どうなのだろう。
私が戸惑っていると、リウリーは豪快に包帯を咥えて引っ張り、頭を派手に振り回しながら全ての包帯を外してしまった。
「嘘……。傷痕が、ない」
腕は真っ白だった。肌は以前と同じように張りと艶を取り戻し、手で触れても痛みは感じない。
傷跡もなくすべすべだった。
私が驚いている内に、リウリーは頭の包帯も全て外してくれた。長い髪が顔にかかる。
そして私はあることに気付いた。
「か、髪が……紫色に変わってる」
私の長い銀髪は暗い紫色に変わってしまっていた。
母から譲り受けた自慢の髪は、見る影もなかった。
『フゴ、フゴゴ?(鏡があるけど、見てみる?)』
「鏡……」
リウリーが咥えてきてくれた手鏡を受け取り、鏡を覗き込んだ。
そして自分の姿を見て、髪色なんてどうでもよくなってしまった。
「ぇ……。わ、わたし? 嘘……本当に?」
髪は全て紫色になってしまったけれど、爛れた肌は腕も顔も元の白い肌へ戻り、そして驚くことに、私の身体は年相応の身体つきに成長していた。
髪色は違えど、宮殿に飾られた母の肖像画と瓜二つの、夢にまで見た成長した自分になっていたのだ。
『フゴゴ。フゴーゴ。フゴゴゴ(あなたも大変だったわね。彼に会えなければ死んでいたわよ。無愛想だけど、腕は確かよ)』
「全部彼のおかげなのね。きっと宮殿へ戻れば、お父様もお義母様も喜んでくださるわ。彼にも沢山、謝礼を渡さなくちゃ」
私は成長した身体に感動しつつ、宮殿にいる家族の顔を思い浮かべた。
馬車に乗った時は、こんなに嬉しいことが起こるなんて想像もしていなかったのに。
ああ。生きていて良かった。
『フゴ、フゴゴー(向こうで湯浴みできるわよ)』
「本当に? すごいお屋敷ね」
私は寝台から立ち上がった。なんだか、背が高くなったみたい。
いや、実際に背が高くなったのだろう。寝込んでいた割には足も動くし、湯浴みもできそうだ。
『さっき貴女が目覚める前に、彼が針を刺してくれていたから、歩くこともできるのではないかしら? さあ、こっちよ』
私はリウリーに案内され湯浴み場を借り、新しい服に着替えた。やはりとても上質な服だ。
彼は貴族か、もしくはどこかの王族なのではないだろうか。
お礼は何をあげれば喜ぶだろう。
「ねぇ、リウリー。あなたのご主人様は何者なのかしら?」
『フゴゴ、フゴー。フゴゴーフゴーゴ(別にご主人様ではないわ。私の──を彼が──ないと)』
「えっ? リウリーの何をどうするの? 獣の声とあなたの声が重なって聞こえているからか、たまに聞き取れないところがあるの」
『フゴ。フゴフゴ!? (え。私の声が聞こえているの!?)』
「ええ。女の子の声がするわ。リウリーは妖か何かなのかしら?」
リウリーはくるりと私へ向き直り、じっと私の瞳を見つめると口をつぐみ、今度は女の子の声だけで話しかけてきた。
『そういえば、さっきから私の名前、呼んでるわね……。リウリーっ、久しぶりに呼ばれた……あなた。──なの?』
「ごめんなさい。うまく聞き取れないわ」
『そう。──のことは誰にも言えないから、聞こえないのだわ。まぁいいわ。私の事はアヤカシだとでも思って、どうせ説明できないし、特に詮索しないでもらえると有難いわ。えっと、貴女の名前は何だったかしら』
「私は雪燕よ」
『もしかして碧砂国の公主だったり?』
「ええ、そうよ」
『そういうことね。──改めまして、雪燕。今の私と話ができる人に初めて会ったわ。とても嬉しい、よろしくね』
リウリーは小さな右手を前に出し、私はその手を握り返して握手をした。
初めて、ということは、これは普通のことではないようだ。
「ええ、よろしく。ねぇ、あの方とも話せるの?」
『あの方?』
「私の病を治してくれた彼のことよ」
『何となく分かってはくれるけど、私の声は聞こえていないと思うわ。そんなことより。貴女、自分が病だったと思っているの?』
「ええ。そうだけど……」
病でなければ何だと言うのだろう。元々の体質?
それとも……。
医学の知識のない私には思い当たることが何も無かった。
リウリーは口にするか迷ったのか、暫く間を空けてから言った。
『……ふーん。泰然は、なんて言っていたの?』
「泰然?」
『蘇泰然。さっきの彼、この屋敷の主の名前よ』




