016 新たな舞姫
「今日から一緒に暮らすことになった、よろしく!」
翡雲様は笑顔でそう言うと、山の屋敷に誰もいなかったため町にいるだろうと思って、ここへ来たということを説明してくれた。
どうやら、密仙国との婚約については、向こうの国の都合で数カ月ほど待っててほしいと言われたそうだ。
とても機嫌がいいのはそのせいだろうか。
「もうすぐ次期女帝が決まるそうなんだ。そのため、婚約の話は、それが決まるまでは保留とのことだ。──そうそう、実は大工を呼んだ。今、倉庫を改築させている」
「「えっ?」」
私と泰然様は同時に驚いて声が重なり、二人で顔を見合わせてしまった。
なんだか背中でリウリーもモゾモゾ動いている。喜んでいるのかな。
「はぁ、仲がいいねえ。また酔って泰然が部屋を間違えないように、泊まれる部屋を増やそうと思って倉庫を改築させたんだが、必要なかったか?」
翡雲様は、泰然様の隣にある倉庫を自分の部屋にするとのことだ。私は今のまま翡雲様の部屋だったところを使っていいと言ってくれた。
「……いや。ただ、大工の苦労を思うと胸が痛いだけだ」
「はははっ、今頃、青い顔で必死に作業中だろうな」
「大丈夫なのですか? 昼だと言っても毒が……」
「大丈夫だ、一番強い解毒薬を飲ませている。ただ、みんな怖がりでな。心配することはない」
作業は寝台を運んで組み立てるくらいだそうだけれど、大丈夫だろうか。
泰然様はあきれたように遠くを見て、何か思い出したように言った。
「そうだ、そろそろ沈家の娘の舞の時間のようだな」
「沈家?」
「ほら、林殿が迎えに来ている。雪蘭を呼ぶように頼まれたのだろう。今日の分の薬は渡し終えた、俺も行こう」
「舞か、私はやめておこう。緑淵には久しぶりに来た。商店を見て回ってくるよ」
翡雲様は手を振り人混みへと消えていった。
どうしたのだろう。翡雲様は舞が好きなのだと思っていた。
満月の日は、いつも来てくれていたから。本当は嫌いだったのかな。
「心配しなくても大丈夫だ。町に来るときは侍衛がついているから」
「侍衛ですか?」
辺りを見回したけれど、どの方が侍衛なのか分からなかった。碧砂国に来る時に連れていた方と同じだろうか。
「ああ、気づかなかったか?」
「はい」
「侍衛は山の屋敷には来ないが、近くの町で待機している。町に出る時は必ず合図を送り、侍衛をつけることになっている。さて、林殿を待たせている。行こう」
今日は本当に人が多い。背中のリウリーが引っかかってしまわないよう、リウリーが前に来るように結び直した。
林殿に付いていくため、泰然様はいつもより足早に進んでいく。おいていかれないように気をつけていたら、急に泰然様が足を止めたので、背中に額をぶつけてしまった。
「す、すみません」
「大丈夫か? 急ぎすぎたな。悪かった」
「いえ」
「こっちだ。もうすぐ着く。良かったら、掴まってくれ」
「はい」
私は、目の前に出された泰然様の肘の辺りの服を掴んで歩き進めた。
向こうの方から琵琶が奏でる音楽が聞こえてきた。
人々は、町の真ん中を通る川沿いに集まっている。
川に架けられた幅の広い橋の上で、梓晴は舞を披露していた。豪華な桃色の衣装に濃い化粧、それに負けないくらい優美に梓晴は舞を踊っていた。
私との練習なんて、必要なかったのではないかと思うくらい堂々としている。
「すごい」
「間に合ってよかったです。お嬢様も喜ばれます」
林殿いわく、あの橋は梓晴の曽曽祖父様が建てた歴史ある橋だという。
林殿が見やすい場所へ案内してくれたから、梓晴とも目が合い、笑顔を向けてくれた。
「いえ、私の方こそ、お礼を言わせてください。泰然様、……あれ? 泰然様?」
いつの間にか隣にいたはずの泰然様の姿が見えなくなっていた。
「少し出店を見てくると言っていましたよ」
「そうでしたか、すみません。舞に魅入ってしまっていました」
「そうだ、ご存じですか? 先ほどご到着されたのですよ。春燕様が。泰然様達は、この村には週に一度しかいらっしゃらないのに、舞姫様をお目にかかれるとは、運がいい」
楽しそうに話す林殿とは裏腹に、私はスッと血の気が引いていくような感覚に囚われた。
春燕がここに来る?
それも今……。
「おっ、あの輿に乗っておられるのが春燕様ですよ」
橋の近くに煌びやかな輿が停められた。そして、輿から薄碧色の衣を纏い現れたのは異母妹の春燕だ。
あちこちから歓声が上がり、笑顔でそれに応える春燕。
私に毒の白粉を贈り、醜聞を広めていた春燕。
ここでは目が合ってしまうかもしれない。
もし、春燕が私に気付いたら……。
私は目眩がして一歩後退り、後ろの方にぶつかってしまった。
「す、すみま──」
謝ろうとしたら、目の前に薄紅色の扇が開かれ視界が塞がれ、耳元で囁かれた。
「大丈夫か?」
「泰然様」
「今すぐ帰ろう」
ポツリと言った言葉に、強張った心が解されていく。
しかし、その言葉を聞いていた林殿は残念そうに言った。
「帰られるのですか? 今から春燕様も舞を披露してくださるのですよ」
「いえ……、見ていきます。きっと、二度と見ることはないだろうから」




