011 間違え
お腹がいっぱいで寝られない。
こんなことを言ったら笑われてしまうだろうけれど、本当だ。
翡雲様の料理が美味しすぎた。
商談も上手で、剣技も得意だと聞く。
その上、料理までできるとは、本当にリウリーが言っていたように、天から二物も三物も与えられた方なのかもしれない。
そういえば、今日はリウリーと話していない。翡雲様と泰然様と部屋で話をした時は、寝台の上にいたけれど、それから見ていない。
どうしたのだろう。
はあ、考え事をしてしまうせいか、まったく眠くならない。
寝台の上でコロンと寝返りを打つ。
薬草の香り、泰然様の香りがする。
今頃、翡雲様とお酒を飲んでいるのかな。
駄目だ。全然寝られない。
明かりを灯し、少し書物を読むことにしよう。
いくつか薬草に関する書物を読み、それから、泰然様のお祖父様が遺したという秘薬の書に目を通した。
泰然様は、どれほどの歳月をかけて、谷の地図に描かれたバツ印の分、試薬を作り、自分の身で試してきたのだろう。泰然様はきっとこの場所で、絶え間ない努力をし続けてきたのだろう。
少しでも力になりたい。
「早く休んで、早起きしなきゃ」
明かりを消し、また寝台に横になる。
目を閉じていれば眠くなる眠くなる。
そう心の中で唱えていると、部屋の扉が開く音がした。
誰か来たのだろうか。振り向こうとした時、寝台に誰かが潜り込んできた。枕元を手で探り何か探しているようだ。
「翡雲……」
耳元で声がした。泰然様だ。ここは泰然様の部屋だから、間違えてしまったのだろう。
体を起こし振り返ると、小さく丸くなって寝息を立てる泰然様がいた。寝台の隣の机に置かれた宮燈の灯りで顔がよく見える。
「寒いのかな。何か掛ける物はあったかしら」
寝台の奥に掛布ががあった。それを泰然様に掛けると、小さく丸まっていた身体が寝返りと共に気持ちよさそうに伸びていた。
普段はしっかりしているのに、その無防備な姿がまるで猫のようで可愛いらしい。
ふと、柔らかそうな髪に触れてしまいそうになり、手を引いた。
私は何をしようとしているのだろうか。
触れては駄目だ。泰然様は猫ではないし、気持ちよく寝ているのに起きてしまうかもしれない。
「さて、私はどこで寝ようかしら」
寝台を降りるには、泰然様を乗り越えなくてはいけない。足元からいけば通れそうだ。
しかし、身体を起こすと急に腕をつかまれ、寝台に引き寄せられてしまった。
「翡雲、酒はもう飲み干した。諦めて早く寝ろ」
「あの……あのー」
どうやら翡雲様と間違えているみたいだ。
呼びかけても泰然様は目覚めない。
どうしよう、腕を握られたままだ。
このまま隣で寝るしかない。
すぐ隣で眠る人がいるなんて、こんなの初めてだ。
泰然様の薬草の香りに、少しお酒の匂いが混ざっていて、それから、掴まれた手から伝わる体温が温かくて、なんだか安心する。
規則的な寝息が、すぐそばで聞こえて、ずっと寝付けないでいたのに、急に眠気に誘われて瞳を閉じると、私はすぐに夢の中へと落ちていった。
****
鳥のさえずりが聞こえて目が覚めた。
なんだかいい夢をみていた気がする。
瞳を開けると、目の前に泰然様がいた。
互いの額がくっつきそうなほど、すく近くに。
それに、まだ私の腕を握ったままだ。
そうだ。昨夜、泰然様の隣で寝てしまったんだ。
このまま泰然様を起こすべが、それとも、手を振りほどいから起こしたほうがいいだろうか。
どちらにしても、起こしたあと絶対に気まずい。
迷っていると部屋の扉が開く音がした。
良かった。きっと、リウリーだ。
リウリーがいれば気まずい雰囲気なんて吹き飛ばしてくれるだろう。
「いやぁ、すまない。寝坊してしまった。薬膳湯のお陰でスッキリだ。出発は……あれ? ここにいると思ったんだけど……」
入ってきたのは翡雲様だった。
泰然様を探してここへ来たのだろう。
寝台は部屋の奥にある。翡雲様が来る前にこの状態を脱却しなければ。
私は泰然様の手を解こうと彼の指に触れると、泰然様の瞳がパッと開いた。
「え……雪……、俺の……部屋?」
「お、おはようございます」
泰然様は私の腕を離すと、両手で顔を覆い耳を赤くし、大きくため息を付いた。
「……すまない。間違えた」
「いえ、元々泰然様の部屋ですので、気になさらないでください」
私は寝台を出ながら説明していると、翡雲様に見つかってしまった。
「もしかして、泰然はここで寝ていたのか?」
「はい。私は、あちらの長椅子で寝ました。泰然様、間違えてご自分の部屋に戻られたみたいで」
寝台で顔を押さえて丸くなったままの泰然様の背中を叩きながら、翡雲様は少々呆れ気味で言った。
「おーい。泰然、酒が空になっていたぞ。一人で全部飲むとは狡いぞ」
よし、ここは翡雲様に任せよう。
「薬膳湯があるのですよね。取りに行ってきます」
「おお、頼む。食堂にあるぞ」
「はい」
良かった。何とか変な空気にならずに済んだ。
食堂に行くと鍋に温かな薬膳湯を見つけた。
お椀入れていると、足をツンと何かに突かれた。
「えっ? あ、リウリー、どこに行っていたの?」
『うーんと、翡雲様の料理って最高でしょ。でもさすがに私の分は作らないから、こっそり食堂で食べていたの』
「もう、言ってくれたら、私の分を半分こにしたのに」
『ふふっ、そうね。ちゃんと言えばよかった。でも、翡雲様の前でフゴフゴ食べるのは恥ずかしいから昼間は大人しくしてる。雪燕、夜は一緒に寝てもいい?』
「ええ、一緒に寝ましょう。待っているわ」
『うん、じゃあね』
「あっ……」
リウリーは身を翻すと食堂を出ていった。
どうしたんだろう。やっぱりちょっと元気がない。
夜に話せるといいのだけれど。
薬膳湯を届けに行くと、泰然様と翡雲様が、都へ運ぶ処方薬の支度をしていて、
翡雲様は、それを確認すると馬車を走らせ都へと帰っていった。




