009 薬師の部屋
泰然様の部屋に入ると、いつも泰然様から香る薬草の匂いがした。
部屋はとても広く、棚には書物がびっしりと並び、薬棚と、調合するための鍋やすり鉢などの道具がたくさん置かれていた。
泰然様は、一通り、棚の書物や薬棚の使い方、そして道具について説明をしてくれた。
そして最後に、机の上に開かれて置かれた特に古そうな巻物の前で足を止め、泰然様は、その巻物にそっと触れた。
「これが、祖父が残した秘薬の書だ。どうしても、最後の決め手となる材料がわからないんだ。谷にある茸のようなのだが、生育場所になにか条件があるようだ」
「なるほど……」
机には谷の地図が置かれていて、そのほとんどにバツ印がついている。
「印の箇所の茸はもう試したんだ。しかし、秘薬は作れなかった」
「なにか他の条件があるのかもしれませんね。例えば、夜は谷の毒が濃くなると言っていましたよね。昼か夜かに採取することで効能がかわるとか。すみません、素人が適当なことを」
「いや、それはあるかもしれない。祖父は谷の毒に耐えられる身体だった。夜も採取にいけたはずだ。しかし……」
泰然様は興奮した様子で早口でそう言ったけれど、最後は言葉を濁らせ黙り込んでしまった。
「どうしたのですか?」
「夜は毒が強すぎる。俺では半刻も外にいることはできない」
「私はどうでしょうか?」
「ん?」
泰然様は意味が分からないといった様子で首を傾げた。
「私は、泰然様より、毒に耐性があるようですし」
「危険すぎる」
即答だった。確かに、私一人で夜の山を歩くのは無理があるかもしれない。でも、可能性があるのなら試してみたい。
「では、まずは昼間の谷の探索から試して、何も問題がなければ、夜間も少しずつ時間を延ばして外へ出てみる、というのはいかがでしょうか?」
「……分かった。昼間の探索は俺も行く。しかし、夜は狼が出るのだ」
「狼だったら、松明を持っていれば寄ってこないのではないでしょうか。あっ、爆竹で追い払うとか」
泰然様は私の提案に驚いて固まっていた。
そんなに変なことは言っていないと思うのだけれど……。
「ふっ、夜に一人で狼と遭遇するかもしれないというのに、なぜそんなに楽しそうなのだ?」
「えっ!? そ、そんな楽しいとは思っていないのですが……」
泰然様の役に立てると思ったら、嬉しくて舞い上がってしまった。恥ずかしい……。
「大丈夫か? 少し顔が赤いぞ」
そう言って泰然様は私の額に触れ、そして彼の額をくっつけてきた。
顔が近くて、余計に体温が上がってしまう。
でも、泰然様が心配するということは、これは病ということなのだろうか。
目のやり場に困っていると、後ろから声がした。
「仲がいいな。羨ましい」
いつの間にか翡雲様が戻ってきていた。
泰然様はサッと額を離すと、私の手首に指を当てた。
「ち、違う。脈を診ていただけだ」
今は脈を診ないでほしい。心臓がバクバクしているのに、気付かれてしまう。
翡雲様は、「へぇー」とからかうように言ってしばらく私達の様子を観察した後、泰然様の肩をポンと叩いた。
「泰然、そろそろ荷運びを手伝ってくれ」
「……分かった。雪蘭、薬棚以外は、自由に使ってくれ。それと、しばらく俺の部屋で寝泊まりしてくれ」
「えっ?」
「向こうの翡雲の部屋の方が寝台が大きいから、俺は翡雲と向こうで寝る。おそらく今日は夜更けまで酒を飲むだろうから、君は早めに休んでくれ」
「わかりました。私も荷運びを手伝ってもいいですか?」
「おお、人が多いほうがいい。手伝ってくれ」
****
外へ出ると、泰然様は馬車の中を見て呆れて声を上げた。
「いつもより多くないか?」
「雪蘭が増えたのだし、あれこれ町で買い込んでしまった」
馬車いっぱいに積み荷が詰まっていた。
半分は食材で、半分は薬の材料だという。
泰然様は薬の材料を部屋で仕分けし、私と翡雲様で食堂に食材を片付けている。
買い出しも荷運びも全部三人でやった。
皇子なのに、侍衛は一緒じゃないのだろうか。碧砂国に来る時は侍衛が数名一緒だったのに。
「それは雪蘭に。開けてみてくれ」
食堂の机の上に、食材に混ざって置かれていた風呂敷包みを指さして翡雲は言った。
私に、とはなんだろう。開けてみると可愛らしい女性用の服が何枚も出てきた。
「男性の服を着ている理由があるのかもしれないが、そうでないかもしれないと思って用意した。必要なかったか?」
「いえ、ありがとうございます。道中色々ありまして、服の持ち合わせがなく、先日、泰然様と町で仕立てたのですが、まだできていなくて……あの、もしかして、今私が着ている服は、翡雲様のものでしたか?」
翡雲様は笑いながら頷いた。
「ああ、しかし気にするな。せっかく泰然と二人きりだったのに、邪魔して悪かったな。雪蘭とも仲良くなれそうだ。やはり、しばらく滞在することにしよう」
「えっ!? 宮殿に帰らないのですか?」
反射的に尋ねると、翡雲様は、わかりやすく肩を落とし、不満そうに口を尖らせた。
「……やはり、私は邪魔なのだな」
「いえ、そうではありませんが」
私の顔をじっと訝しげに見つめた後、翡雲様は肩を落として言った。
「少し考えたいこともあるのだ」
「考えたいこと、ですか?」
「ああ、婚約のことだ。父は、密仙国との繋がりがより深まれば、医療の幅も広がるのではないかと」
「なるほど」
確かに、不思議な力を持つ仙女が暮らしているという国と繋がりが持てれば、そういうことも考えられるかもしれない。
「雪蘭もそう思うか?」
「……密仙国のことはよく知らないので、何とも言えません」
「そうだな。情けない話だが、あまり良くない噂を聞いて少し怖気づいているのだ。こんな姿、雪燕が見たら何と言うだろうか」
今、隣で見ています。なんて言えないけれど、不安に思うことは、誰もが当たり前に抱く感情だと思う。
でも、私に励ましたら、よけい情けなく思ってしまうだろうか。
気まずい雰囲気を察してか、翡雲様は思い出したかのように私に尋ねた。
「そうだ、雷殿は息災か?」
「は、はい」
雷殿ということは、私の父のことだろう。
雷様、適当に答えて申し訳ございません。泰然様に恩を返すため、今だけ娘として親孝行させてください。
「もしかして……」
「な、なんですか?」
「雷殿はとても厳格な方だと聞く。無断で来たのではないか?」
「あ、あはは……」
「よし、雪蘭がここにいることは、誰にも言わないでおこう」
適当に言葉を濁すと、翡雲様はなかなか良い提案をしてくれた。
無断なのはここにいることというより、私の存在自体なのだけれども、これなら雷家に私のことが伝わることもないだろう。
「ありがとうございます」
「だから、私のことも秘密で頼む」
「はい、翡雲様。そうだ、着替えてきてもいいですか?」
「ああ、きっと泰然も喜ぶだろう」




