006 私の自慢の許嫁(翡雲視点)
満月の夜、私の自慢の婚約者は、龍神の池のほとりで舞を踊る。
銀色の髪と白い肌、紅玉の様に美しい瞳を持ち、軽やかに舞うその姿は、白兎の舞姫の呼び名に相応しい。
名を雪燕という。
私と彼女は、碧砂国の宴で出会った。
幼い頃から叔父とともに碧砂国に商談のための使節団の一人として訪れていた私は、宴の隅で母親の舞を真似て踊る小さな少女に、一目で恋をしてしまった。
彼女が公主だと知ると、私は碧砂国と雲龍国の更なる国交の強化のために、と、六歳の子どものくせに大口を叩き、父へ婚約を願い出た。
面白がった父が本当に婚約を結んでくれた時は、どんなに嬉しかったことか。
婚約を結び、一年ほど経った頃、彼女の母親が病で亡くなり、彼女はその数カ月後に、母の舞を継ぎ舞姫となった。
まだ五歳だった彼女を少しでも応援したくて、満月の日には必ず商談を理由に碧砂国を訪ね、誰よりも近くで彼女の舞を見続けてきた。
その努力が実ってか、舞姫となったあとも、彼女と許嫁で居続けることができた。舞姫は稀有な役割ゆえ、婚約を解消されるかと懸念したが、それは杞憂だった。
龍神は空高く、どこからでも舞姫の舞を見ることができるらしい。
しかし彼女が十歳を迎えた頃、彼女の身体に異変が起きた。身体の成長が止まってしまったのだ。
ずっと彼女を側においておきたくて、龍神が彼女の成長を止めてしまったのではないかと私は勘繰ったが、周りの者達は呪いだと蔑み、彼女を除け者にした。
早く雲龍国に彼女を連れ帰りたかった。
周りの者達に蔑まれ宮殿に閉じ込められ、それでも舞を踊ることを止めなかった彼女が、もっと笑顔になれるように。
それなのに──。
黒い外套の切れ端を、皇帝陛下に差し出した。
銀糸の花の刺繍が施されたボロボロの布は、死色の深淵の谷で見つけた。大破した馬車に引っかかっていた。
皇后はこの布を見て、「雪燕」と呟くとその場に倒れてしまった。
皇帝陛下はその様子を見て、全て悟ったようだ。
「翡雲。よくぞ見つけてくれた。雪燕は……もういないのだな」
「……」
私は何も言葉を返せなかった。言葉にするのが怖かった。雪燕の死を認めるのが怖かったのだ。
「翡雲、君が良ければ、春燕を許嫁として迎え入れてほしい。雪燕の代わりとはなれないだろうが、どうだ?」
「そのことでしたら、父から文を託されております」
「そうか、分かった。下がってよい」
さすが皇帝陛下だ。文になんと書かれているか、お見通しなのだろう。
「失礼いたします」
私は用意された部屋に戻り、一晩休んだ後、国へ帰ることにした。
毎月、満月の度に碧砂国を訪ねていたが、もうここに来ることはないだろう。使節団は叔父上に任せよう。
ここは、彼女との思い出が多すぎる。彼女がいた景色に、彼女がいない現実が私は耐えられないのだ。
明日の早朝ここを出るつもりだ。雲龍国の都へ帰る途中、いつも寄るところがある。夜の移動を避けなければならない場所であるため、早朝に出ないとならない。
寝台に横になり、休もうと思い瞳を閉じると、外の喧騒が耳に届いた。バタバタと駆ける足音が徐々に大きくなり、部屋の扉がバンっと開けられ、許嫁の妹である春燕が部屋に現れた。
「失礼いたします」
誰か止めろよ。そう言いかけて口を閉じる。
話すのも面倒だった。
「翡雲様、どうかご無礼をお許しください」
無理に決まっている、絶対許さない。
そう心の中で呟いた。
無礼だと分かっているのに、無礼を働く者が一番嫌いだ。
「父から翡雲様の婚約のお話を伺いました。雪燕との婚約が破談となり、密仙国の姫との縁談を取りまとめる予定だと……」
そうだけど、許嫁を自分にしろと言い出しそうな勢いに鳥肌が立った。
「私の母は密仙国の皇族でした。ですから、その娘である私も密仙国の姫なのです。私を許嫁にするよう皇帝陛下にご進言くださいませ」
本当に言うとは、なんて傲慢な女なのだ。
彼女はまだ言葉を続けた。
「今の密仙国の姫は、蛇のように地を這い毒牙を持つ女性や、毛を逆立て突進する獣のような女性、闇夜に紛れて空を舞う生き血を吸う姫だと噂に聞きました、そんな姫より、私の方がいいに決まっています!」
それは私も聞いた。
婚約を勧めてきた父である皇帝からそう聞いた。
そんな姫を娶りたいはずがない。
しかし、春燕もその化け物の姫と同類であることに気付いていないのだろうか。
「翡雲様もお嫌でしょう? 私が……私が翡雲様をお守りします」
そう言って春燕は、そちらを見向きもせずに寝台に寝転んだままの私に駆け寄り、おそらく抱きつこうとした。
それは本当に死んでもされたくないので、私は腰の剣を引き抜き身を翻した。
誰も寝ていない寝台に春燕が倒れ込み、背後に立つ私は、彼女の首すじに剣を添えた。
「私に触れるな」
「翡雲様っ。なぜそのような物を私に向けるのですか!?」
「お前が嫌いだからだ」
「えっ?」
驚愕の表情で固まる春燕に私は振り上げた剣を突き立てた。
「きゃっ」
寝台に深く突き刺さる剣を眼前に、春燕は小さく悲鳴を上げるも、それだけだった。
私が傷をつけるようなことなどしないと、わかっていたのだろう。
計算高く小狡い女だ。
「お前が雪燕の悪評を広めていたのだろう? そんな腹黒い女を誰が娶ろうというのだ」
私は春燕が悪女であることを知っている。
数ヶ月前、碧砂国の高官の娘たちが集う茶会に誘われた時、聞いてしまった。
春燕はあえて地味な服を着て参加し、雪燕が煌びやかな服も装飾品も、全て欲しがるから仕方ないのだと話していた。
呪われた小さな身体で似合うはずも無い豪華な服を独り占めし、舞姫であることを鼻にかけ、春燕を蔑む女だとほざいていた。
涙ながらに語る姿に、周りの者達は同情し、雪燕を知る私だけが春燕に嫌悪感を抱いた。
しかし、私は雪燕の許嫁だ。彼女を擁護しようものなら、雲龍国の皇子まで手玉に取る悪女との汚名まで着せることになるだろう。
私は春燕の言動を知っていながら、見て見ぬふりをした。宮殿にいる雪燕にはその噂は届いていない。婚儀まであと一年もないのだから、わざわざ波風を立てなくてもよいと考えてしまったのだ。
「翡雲様、雪燕に何を吹き込まれたのか存じませぬが、雪燕はもういません。死んだ者より、生きている者の言葉を信じるべきですわ」
たおやかに微笑む春燕を前に、全身に鳥肌が立つ。この女には何を言っても無駄だ。
私は剣を引き抜き、すがりつく春燕を無視して出立の準備を始めた。




