004 仕事と鞠
目が覚めると食堂から美味しそうな香りがしていた。
うん、寝坊した。
そんな私を咎めることなく、泰然様は昨日の私の申し出を真剣に考えてくださっていて、私でもできる仕事を用意していてくれた。
朝食の後、私は部屋で待つように言われ、リウリーと鞠を蹴り合って遊んでいると泰然様は紙の札の束を持って部屋に現れた。
今度屋敷に来る方に頼まれている処方薬の薬名を札に書いてほしいとのことだ。
筆なら得意だ。私は喜んでその仕事を受けた。
「数が多い。休み休みでいいからな」
「はい、お任せください」
こんな時も気遣ってくれるなんて、なんて出来た方なのだろう。心配なのか、泰然様は札を一枚書き終わるまで隣で見ていた。
「字が綺麗だな。その調子で頼む。俺は部屋で調剤するから、分からないことがあったら訪ねてくれ」
「はい」
字が綺麗だと褒められてしまった。
嬉しいけれど、渡された薬名が書かれた紙の文字も、とても達筆だ。多分、泰然様が書いたのだろう。
『ねぇ、雪燕、一緒に鞠で遊びましょう?』
「いいわよ。でも、これを書き終わったらね」
『分かった。やっぱり部屋だとつまらないから、外で待ってるわね』
「えっ? でも、外は毒があるでしょう?」
『私はもう慣れたわ。野生の動物たちも、普通に生活してるのよ。ずっとこの山で生きてきたからかな、毒に慣れてるのよ』
毒に慣れる事が出来るんだ。
それは動物だけなのだろうか。
「そうなのね。じゃあ、私たち人間も、外にいる時間を増やせば、毒に慣れるのかしら」
『やめておいたほうがいいわ。人間にはあまり合わない毒だから、量を取り過ぎたら死ぬだろうし』
「ふーん。リウリーって毒について詳しいのね」
『まあ、私は百年も生きているからね』
「そ、そうなの!?」
『ふふっ、ウソよウソ。雪燕と同い年くらいよ』
「えー、どっちが本当なのかしら」
『まあいいじゃない。それより早く手を動かして。外で待ってるわね~』
なんとなく誤魔化して、リウリーは鞠を咥えて外へ行ってしまった。
「百歳か……。でもウソって言ってたから、ウソなのかしら」
泰然様が言っていた秘薬なるものが出来れば、この答えは分かるのだろうか。
「あっやだ……」
間違えて紙に「百歳」と書いてしまった。
いけない、ちゃんと集中しなくちゃ。
****
「さて、休憩するか」
処方薬を紙で包み、雪燕が書いた薬名の札を乗せて紐で結ぶ。彼女のお陰で、あいつに頼まれていた薬の準備が早く終わった。
調合は得意だが、紙に薬名を書くのが地味に苦手だった。数が多く同じことの繰り返しで飽きてしまうのだと思う。
俺は机のうえに置かれた小さな木箱に目をやった。あの中には雪燕から預かったというか、買い取った翡翠の腕輪が入っている。
雪燕の部屋に置いておこうとしたが、それでは売ったことにならないと突き返されてしまったのだ。
彼女がここを去る時、給金だとして渡せば受け取ってくれるだろうか。
外から彼女の笑い声が聞こえてくる。
先ほど彼女は俺の部屋を訪ね、書き終えた札を持ってきてくれた。
そして次の仕事を尋ね、急ぎの仕事はないと伝えると、外に出てよいかと聞いた。
まさかその理由が、リウリーと鞠で遊ぶためだとは思わなかった。
窓から外を覗くと、鞠が青い空を舞っていた。
まだ陽は高く、外はとても眩しく美しかった。
毎日朝は来るし、陽も昇るけれど、こうして外の光を美しいと感じたのは、いつぶりだろうか。
秘薬作りで頭がいっぱいで、当たり前に広がる空を見上げることも心で感じることも忘れてしまっていた。
ボーッと外を眺めていると、空高く飛んだ鞠が、窓の近くの壁に当たり、こちらを見た雪燕と目が合った。
「泰然様も一緒にやりませんか?」
「フゴフゴッフゴッ」
多分、リウリーも誘ってくれている気がする。
「ああ、すぐ行く」
口を開くとその言葉を発していた。
後で言ってしまったことを後悔するとも知らずに。
──就寝前。
雪燕に体調の変化はないかと脈を診たあと、昨夜と同じ香を焚いて部屋を出た。
そして俺は、自室に戻ると、寝台に倒れ込んだ。
なんだ、あの二人の身体能力は……。
あちこち駆け回り鞠を追っても、息すら乱れない。
雪燕は斜めに生えた木を駆け上がり、高く打ち上がった鞠を空中で蹴り返していたが、見事に着地していた。
舞を踊る時と似ているから、鞠も楽しいと笑いながら言っていた。
俺も鍛錬せねば。
毎朝、剣を振ってはいるがあれほど走ったのは久しぶりだ。
足と背中に膏薬を塗った。このまま寝たら筋肉痛になりそうだが、膏薬を塗れば大丈夫だろう。
これくらいのことで膏薬を塗っていると父が知ったら笑われてしまうだろうな。俺の父は武人だから。
そう言えば、もう四年も家に帰っていないな。
ここに来た頃は、使用人がいたけれど、皆、谷の毒を怖がりひと月と経たずに帰郷した。その後も途切れ途切れ人を寄越してくれたが、長続きするものは居なかった。
俺の我が儘に付き合わせてしまうのも申し訳なく、俺は一人で何でもできるように料理も掃除も習得し、それからは使用人が来てもすぐに帰ってもらうことにした。
俺の生存確認と称して、変わらずあいつだけは毎月来るけれど。
明日も鞠を一緒にやる約束をした。
薬の調合ばかりの毎日だったが、こんな日々も悪くないかもしれない。




