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『短編集』  作者: Yumi
2/2

2、『誰がための、切符』


 ジ、ジージジッ、ジ・ジジジー

 ザーザー・ジッジジジー

 機会仕掛けの音に混じって、〈〈彼〉〉の声が響いた。


――〈〈おはよう。今日も、僕は君を愛しているよ〉〉――

――〈〈世界一だいじな、君を〉〉――


 その声は懐かしいけど、まだ逢ってない存在の声。

 僕の世界から繋がる、門を叩く術を知っている者の声だ。



 マンションの、カーテンの隙間からこぼれた光が顔に当たり。うざったそうに「……うん、……」マクシは目を醒まして、身体を起こした。

 目醒めると、世界が日によって違って見えてしまうのは、いつものことだけども。

 誰も彼も、忙しいのか。そのことを気にとめようとせず。そうやって自分だけの感覚で、自分だけが悪いような気持ちになってしまう。イヤな一日だ。

 眠りもそうだけど。どうして〈〈目覚め〉〉というものが、この世界に在存しているのだろうか、と。小学生の終わりという齢のわりには大人のようなことを思いつきながら、マクシは寝台から身体を起こすと、勉強机の壁に掛かったカレンダーの赤い斜線や丸を気にして、ため息をついた。

 もうすぐ中間テストの時期で、憂鬱は更に広がっていった。

(……今日も、また一日がはじまる)

 そして、また明日がやってくる。

 繰り返し、繰り返し。

 終わりがあることを知っていても、無意識で記憶の奥底に押し込めているとも知らず。

 自分には、永遠の繰り返しの毎日に感じられてしまい。

 おかしなことであるが、身体は成長して環境が変わっても、そう思うのだ。

 ふと、マクシが寝台の横にあるカーテンを開けて窓の向こう側を見ると、いつもと変わらない灰色の、見慣れた世界があった。

 目醒めのときの光は、なんだったのか。という疑問は、薄れて消え。

(ああ、そうだね。僕の世界はここだ……)

 誰かに話しかけているわけでもなく、独り言だから。心の中での呟きであって、でも、なんだか一人だから。滑稽なのかもしれない。

(……あれ?)

 どんよりとした鈍色の雨雲の隙間から、スポットライトのように光がこぼれて、遠いところにある建物に一筋の光が当たっていて。不思議に思えて、あそこに何かが在るのではないかと感じてしまったけど。そんなの、生きていく上では、どうでもいいことだ。

 そう思いながら、マクシが視線を逸らすと、「マクシ。起きてるぅ? ちょっと、いいかしら?」という聞き慣れた声が、自室のドアの向こう側から届いたので、ようやっと、寝台から降りて返事をする。

 床に裸足が落ちると、ぬるく感じられた。

「はーい、お母さん。起きるよーっ!」

 元気よく返事をすると、母親は何も応えず。

 そのまま、スリッパによって独特な音になってしまった足音を響かせて、居間の方へと向かってしまった。なんだ、冷たい母親だ、とも想わない。

 近頃、母親が苛々しているのは、重要な存在を胎内に宿しているからであって。

 しょうがないことなのだろう。このような状況になることは、前にもあって、そのときには恵まれなかったから。

 今回の存在に対して、神経質になって当然なのかもしれない。

 誰から言われたわけでもなく。しつけ通りに寝間着から私服に着替えたマクシは、学習鞄を手に持つと、今の時間帯は行きづらい居間へと、そっと向かった。

 ちょうど、居間と廊下の間を区切るドアの前まで来ると、ドアノブに手を掛けて「はぁ」と深いためいきをつく。ドアの向こう側の光景は、ここ最近、変わりないから。

 そうしてドアを開けて、居間のテーブルに向かうと。コーヒーの入ったカップの向こう側、テーブルの椅子に座って新聞紙を広げて読んでいる父親と、砂嵐を映すテレビと苛々しながら格闘している母親が見えてしまって。その状態だと、ここで、ため息を付くわけにはいかないから。首を傾げて、学習鞄を椅子の背に引っかけると、用意してあった食パンを口に含んだ。

 体調がすぐれないながらも、こうやって食事の準備をしてくれる母親のことが嫌いなわけではないが。どうにも、今日はいつも以上に苛々している気がしてならなくて、「だいじょうぶ?」と訊ねると、

 それには答えずにテレビの前でリモコンを押し続けて、「まったく、困ったものだわ」と言った。

 この母親は、今は会話が億劫なのだろう。

 不自然にふくらんだ腹部を優しく片手で撫でながら、マクシの母親は「ほんと。困ったわ」と再び呟いた。

 無視してしまって、口の中に入れて無くなったパンの代わりに牛乳を飲み込んで、ここよりは少しマシな環境になってる学校に行ってもいいのだろうけど。

 どうにも、先ほどから母親の様子が気になってしかたなく、

「なにが?」と声を掛けると、同時に、ザザー、という音を立てて久しぶりにテレビが付いた。

 テレビのほうが悪いのではなく。映像を届けてくれる側の調子が悪いのだが、マクシにとっては当たり前の光景なので、どうして、母親がいつも苛々するのかよく分からないのだ。

「電磁場よ」

 それは、マクシが物心ついた頃からはじまった現象で、最初のころには経済状況などを含めて、多大なる混乱を招いた自然現象である。

 花粉という名称が優しく感じられるようなものであるが、マクシたち子どもにとっては珍しくないことであるが。そうなる前の状態で暮らしていた大人たちにとっては、世の中を不便にした煩わしい現象の一つである。

 ちょうど、ついたテレビのニュースで、電磁場についての注意情報が天気予報と同時に行われていた。

 電磁場は太陽が活発となる時期に起こり、波のように世界を飲み込み。そうすると、あらゆる電子機器が弱体化して、電源も切れ。ときには使えない時間帯も生じるため。事前に、バックアップに切り替えないといけないのだが、

 その作業は、子どもには分からないことであって。大人しか知らないやり方法であるから、「大きめのが、来るらしいわ」――胎内のことが気がかりで、神経質になっている母親にとっては、なおのこと煩わしいのだろう。

 さいわいなことに、太陽による電磁場が身体に与える影響というのは、今まで見られないらしい。が、

(……本当に、そうなのかな?)

 食べ物にだって何か組み替えられたものが混じっているのに、天空からの存在によって自分たちは組み替えられて、違ったものに変化していってるのかもしれない。

「うーん」

 そんなことを考えている合間に、テレビは再び砂嵐を流してはじめてしまって、「選ばれて〈〈  〉〉に」という雑音混じりの音が響いたけど。そのまま、いつも以上に画像を映そうとはしなかった。

「あ。あの。行ってくるね」

 居間に居るだけ時間の無駄のような気がしてしまい、マクシは椅子から立ち上がって、鞄を肩に掛けると玄関に向かった。

「はい。いってらっしゃい」

 どうしてか。去っていくマクシに掛ける母親の声は、いつも優しかった。




 ――いつものように退屈な授業を終えて、マクシは筆記用具などを鞄の中に詰めていった。昼食は学校給食なので弁当はないから。

 生徒手帳に、筆記用具に、ノート、財布、ハンカチ、

「……うーんと。忘れものはないな」

 ふと、〈〈マクシ・クリノフ〉〉と名前が書かれた定期券が目についてしまって、それを手に取って見て違和感を覚えた。いつも見ている筈の定期券なのに、違った物質のように感じられてしまい。これでは、いけないような気がする。

 この定期券があるからこそ。学校と自宅を行き帰りできる筈なのに、どうして、そんな気分になるのか分からないけど。そのことが、間違っているように感じられてしまったのだ。

 ここではない、どこか、別のところに行けるのではないだろうか。

 そんな子どもじみたことを考えてはいけない。囚われてはいけないと、父親から教わっていたのにも関わらず。

 マクシが、ぼーっとしていると、

「ねぇー、マクシは今日ぉー暇?」横隣から女子の声が掛かったので、振り返ってそちらを見た。

 このクラスでは男女平等に交流しましょう。という空気が流れているので、女子と会話しててもからかわれることはなく。

 彼女とは、幼い頃からの友達であった。

「ううん、ごめん。今日も、早く帰ってきなさいって言われてる」

「えー?」

「しょーがないだろ。赤ちゃんが産まれるんだから」

 母親の胎内には新しい家族。赤ちゃんがいて、三週間後には産まれる予定だった。

 数年前のことになるが。かわいそうなことで産まれなかった赤ちゃんがいて、そのときにマクシに性別を教えてしまって、両親ともに後悔しているのだろう。

 今回は、妹か弟か教えてもらってないけど。母親のお腹の中にいる妹弟(きょうだい)は、あと数週間で産まれることになっていた。

「母さん。重い荷物とか持てないし、危ないから。父さんの代わりに僕が助けないといけないんだ」

 あまり重い荷物は持つことができないけれども。自分も、それでいいと想っていたから。なにより、新しい家族が増えてくれることが嬉しくないということではない。

 できる限りは手伝いたいので、最近は、友達と遊ぶ時間も減らしていた。

「あ~。じゃあ、しょうがないか。うちも似たような感じだから」

「そうなの?」

「うん。マクシ、偉いね。うちは、お兄ちゃんが居るからそうでもないんだ」

 そう言われてしまうと恋心がないと分かってても、少しだけ感情が揺さぶられるところがあったけど。彼女は、なんともないといった様子で微笑んでいた。

「ねぇ、マクシは〈〈切符〉〉こと知ってる?」

「〈〈切符〉〉? 電車の?」というと、彼女は頷いた。

 つまり、駅の改札口で売っている切符のことだろうか。それが、どうしたというのだろうか。

「ここじゃない。どこかに行ける〈〈切符〉〉があるんだってさぁ」

 その言葉にマクシは表情を強ばらせて、「ここじゃない、どこか?」――無意識で、身体が震えた。

「うん。何人かは、そこに行って帰って来ないんだって」

「怖いな」

 その場所がなんであるのか知ってしまうことが、おそろしくて、でも、知りたいような気持ちもある。

 マクシが考え込んでいるうちに、「怖くないよ~。帰ってこない人たちは、しあわせにしてるって話だから」と彼女は、信じられない言葉を口にした。

「……しあわせ?」

 そんな簡単にしあわせなど訪れるものなのだろうか。不思議でならなかったが、彼女が嘘を言ってるようにも思えなかった。

「なんかよく分からないけど。しあわせになれるんだって」

「うーん」

 嘘を言ってるわけではないのに、そんな〈〈切符〉〉など有りはしないと、信じたくないような気持ちもあり。

「しあわせって、そんな簡単にくることじゃないと想うけど」

 だけど、ここじゃないどこか別の世界に行ける方法があるなら、自分もその〈〈切符〉〉が欲しい。と、密かに想ったのも事実であり。

 マクシは、そのことを心の奥底に無意識で閉じこめた。




 いつも通り。定期券を使って自宅に戻って玄関のドアを開けて、「ただいま」と言ったところ。

 居間のほうから、「お帰り。マクシ、悪いけど買いものに行ってくれる?」という、母親の憂鬱そうな声が玄関まで届いた。

 どうやら、気分が優れないらしく。マクシが居間に行くと、椅子に座って、コップに入っている水を飲んでいた。

 綺麗な髪型も崩れてしまって、とても疲れているようだった。

「いいよ。どこまで?」

「……ごめんね。学校の方向に戻ることになってしまうけど、……」

 母親の説明した通りだと、行き帰りでは登校の距離と変わらないので、夜になるまでには帰れるだろう。

「――分かったいいよ。大丈夫、まだ明るいから」

「気をつけて行くのよ」

 買いものリストが書かれたメモを受け取ったマクシは、学習鞄からリュックに定期券とお財布を入れ直して、それを背負うと、再びドアから外へと出て行った。

 そうして、駅前まで到着すると、定期券を取り出そうとするが。「あ、あれ?」入れた筈の定期券がないことに気づいた。

「……ない」

 いくら探しても定期券は見つからず。

 慌てて、移し替えたときに置いてきてしまったのだろう。さいわいなことに、財布は所持していたので、そこから出して、〈〈切符〉〉を買うために改札口へと向かった。

 買うことは、はじめてではないとはいえ。

 改札口に鬼のように立っている駅員が好きではなくて。でも、ずっと、駅に居るわけにはいかないから。

「あ、あの……。〈〈切符〉〉を、一枚ください」

 駅員は無言で「どこか?」とも訊ねず。一枚の、〈〈切符〉〉をくれた。

「……ありがとうございます」

 どうして、行き場所が分かったのか不思議でならなかったが。それでも、電車に乗って――、しばらくして、

「……え?」

 通学のときとは違う景色が、車窓に流れていることに気づき。しかし、途中下車することはできなかった。




 正しく乗った筈なのに、行き先が違うと分かったときには遅く。「ここ、どこ?」下車したマクシは、屋根のないプラットホームだけで改札口もない駅で呆然としていた。

 立ったままで、周囲を見回してみるが。やはり知らない場所で、時刻表を見てみると、上り下りともに一時間に一本しか停車しないことが分かった。

「ええーと、うーん」

 こんな駅があったのかと不思議でならないが、一時間も時間があるので駅から出てみると。工場のようなところで、

(……ここって、もしかして)

 ふと、思い出したのは今朝のことで、自宅から遠いところにある建物に雨雲の隙間からこぼれた光が、スポットライトのように当たっていたが、もしかすると、この建物がそれかもしれない。

 あの光の先が、気になって仕方なく。

 マクシは、建物に近寄った。

 休みなのだろうか、工場には人も気配はなく。ドアノブに手を掛けると、鍵も開いていた。

「……だめだよな」

 どのような工場なのか分からず、中には危険物がたくさんあるのかもしれない。なにより、勝手に他人の建物に入ってはいけない、と教わっていたから。

(でも、知りたい。あの光は……)

 子どもの好奇心というのは、いつも冒険心を押さえきれないのだろう。悪いことだと分かっていたが、マクシはドアを開けると中に入ってしまった。

 薄暗い工場内の、長い廊下を歩いて奥へと進んでいく。

 どうやら、最新型のコンピュータを作っている工場らしく、ところどころでコンピュータ自身がマクシの知らない言語で会話していた。

 なかには、人の形のしたものもあり。マクシと背丈が変わらないくらいの、子どもの形をしたものもあって、人の気配がないこともあって不気味で。しかし、光のことが気になってしかたなく、足を更に奥へと進めていった。

 あれは、天候のなせる技であって、もう存在してないと分かっているのに、でも、――きっと、まだ有ると知っていた。

 そのうち、鉄を冷やすための巨大なプールが見えてきて、緑色の液体で満たされたそこに、〈〈彼〉〉は居たのだ。

 先に声を発したのは、〈〈彼〉〉だった。

「こんにちは」

 見た目はマクシと変わらない年頃の少年で、でも、異国の顔つきをしている〈〈彼〉〉は、プールの上、空中に身体を浮かせていて。

 人間の成せる業ではなく。彼の背からは、光の羽のようなものが生えていた。

「僕は〈〈ラスール〉〉」と、〈〈彼〉〉の声が響く。

「ぼ、ぼくはマクシ」

 毎日のように読んでる本の中に出てくる、その存在と酷似しているが、これは自分が見ている幻なのかもしれない。

「うん。よろしく。マクシ」

 だけど、ラスールという少年が幻だとは、とても思えなかった。

「――世界には、様々な言語があるけど。君の世界の言語は、とても美しいね」と、ラスールは透き通るような声で言った。

 音楽のような声の響きで、マクシを違った世界に居るように感じさせてくれるラスールの存在に、多少の怖さもあったけど、好奇心のほうが勝ったマクシは微笑みながらも、問いかけた。

「ラスール、君は何者なんだい?」

「僕は、伝える者」

 伝える。とは、なんであろうか。

 疑問を口にする前に、全てを見透かしてラスールは言った。

「君に伝言だよ」

 その言葉は文のように口から流れてくるとともに、マクシの体内へと入って一つの文面となっていった。

 まるで誓約書か、予言書のようである。

「大人と子どもには境目があって。君は、まだ子どもだけど、大人になったら望む世界には行けない」

「え?」

「君の未来は、そのうち。定められてしまって、いつか裁かれるんだ」

 その一言はとても残酷で、しかし、マクシの中が熱く煮えたぎって、新しいものに生まれ変われるような、そんな感覚がした。

 まるで、芋虫が頑なな蛹になっていた状態から、羽化して蝶になるような、そんな開放感もあった。

 この言葉こそ、マクシが待っていた一言なのかもしれない。

 だけども。次の言葉で、全てが冷えていく。

「君の知ることのできなかった。君の妹弟は、先に望む世界で暮らしているよ」

 それは、考えたくもない先のこと。これから訪れるだろう、マクシを苦しめることの一つであるが、ときに〈〈彼〉〉の言葉としては〈〈祝福〉〉とも呼ばれることである。

「じゃあ、未来を変えることなどできない、この世界で、僕はどうやって生きていくの?」

「知らない。僕は、伝えるだけの人だから」

「そんな……。身勝手だよ」

 そんな身勝手だよ。と、ラスールを責めることこそ、人としての身勝手なのだろう。

 だけども、教えられるだけ教えられて、知らなければ良かったということには違いないから。納得いかないのだ。

「そういう役割の人だよ。一番に、嫌われる」

「やくわり?」

「……ときに、様々な言葉で呼ばれるかな」

 彼の役割は様々であり、時に、罵られ。迫害されてきたのだろう。そのことを理解してしまうと、急にラスールに対する憤りも消えて、マクシの両目から自然と涙がこぼれ落ちた。

「泣かないで、マクシ」

 哀しいわけじゃないのに涙がこぼれるのは、ラスールが苦しいと分かってるから、かもしれない。ラスールという存在は、いつも、こうやって人知れず苦しんできたのだろうから。

 不意に、ラスールの光の翼が羽ばたきはじめた。

「君は、まだ世界に必要だから。生きていていいんだよ」

 彼は、元いた場所に帰るのだろう。

 ふわりと。上へと光の導きに引っ張られて去っていく彼に、マクシは手を振った。

「……――分かった、僕や僕の子孫に伝えていくね」

 いつか、きっと。もう一度、彼に逢えると分かっているから。別れは寂しくないというのに、ぽろりと大粒の涙がこぼれ落ちて、地面に涙の跡を作った。




 殺風景なプラットホームのベンチに座って、電車を待っている間。

 考えることを放棄しようとしたけど、できず。やってきた電車に乗って、どうにかして正しい下車をしてから、母親に頼まれていた買いものを済ますと。

 マクシは、変わらない自宅へと戻って、「ただいま」と、玄関ドアを開けた。

 出かけている間に、気分はだいぶよくなっていたのか。ほんのりと、頬を薄ピンク色に染めた母親は、にこりと微笑んでマクシを出迎えてくれたけど、

「お帰りなさい。どうしたの、マクシ」

 ラスールとの会話が忘れられないマクシは、憂鬱そうな顔をしてて、見事に母親にそのことが知られてしまった。

「僕は、生きていていいの?」

 息子の、その一言に慌てずに近寄った母親は、優しく、マクシを抱きしめてくれた。

「ええ。生きてて欲しいわ」

「本当?」

「私のかわいい、マクシ、私の愛しい息子」

「ぼく、……――僕……」――それ以上は、言葉にはならなかった。

 抱きしめてくれる母親の体温は、あたたかくて。これからか産まれてくるだろう弟妹の心臓の鼓動と声が聞こえたような気がした。

 いや、聞こえたのだろう。

(……逢いたいなぁ)

 産まれてくる小さな生命に逢い、ともに生きていくことができるのならば、自分という生命は無価値ではないのだろう。

(いつか、僕は大人になるのだろう)

 だけど、弟妹は自分よりずっと遅くに年をとって、この世界をたった一人で、生きていくのだから。

 真実を知ってしまい。複雑な気持ちでもあるけど、新しい生命の未来を見ることこそ、自分の役割なのかもしれないと。

 そう想い、母親の優しさに甘えた。




――〈〈誰がための、切符〉〉――

――〈〈君と。君の未来のための〉〉――



     『誰がための、切符』[了]


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