親心か、わがままか
客間の前に着いたところで、晴奈は戸をわずかに開ける。戸の向こう側には、恰幅のいい猫獣人の男が正座していた。それは間違いなく晴奈の父――黄海、いや、黄州はおろか央南全域に強い影響力を持つ黄家の当主、黄紫明だった。
「はあ……」
姿を見ただけで、晴奈の心は重苦しく淀んでいく。見かねたらしく、後ろにいた雪乃がそっと晴奈の肩に手をかけた。
「まあ、あなたの気持ちも分からなくはないけれど。でも、いずれはこうなることと、それとなく分かっていたことでしょう? まさか一生縁を切ったままなんて、義理と仁徳を重んじる央南人らしからぬ考えを抱いていたわけじゃないわよね?」
「う……まあ、それは」
雪乃は強い眼差しで、しかし一方で穏やかな口調で晴奈を諭す。
「精神修練の際に最も気を付けることは?」
「邪念を払うこと」
「でしょう? 余計なわだかまりを抱えていては、頭の中はいつまでも晴れない。それじゃ、邪念は払えないわ。いい機会だからここできっちり、けじめを付けなさい」
「……はい、承知しました」
晴奈は大きく深呼吸し、客間の戸を開けた。瞬間、客間にいた紫明が口を開く。
「帰るぞ、晴奈」
この有無を言わさぬような物言いに当然、晴奈も反抗的に答える。
「断ります」
「何故だ!? もう1年もこんなむさくるしいところに、……いや、失礼」
晴奈の背後にいた雪乃に一瞬目をやり、紫明はコホンと咳払いする。
「1年も家を離れていたのだぞ。そろそろ、家が恋しくなったろう?」
「いいえ」
娘を侮っている親と、親を疎んじる娘の話が噛み合うわけがなく、場の空気はたちまち険悪なものになった。
「強がりを言うな、晴奈。女のお前がこのようなむさ、……男ばかりの場で過ごして、辛くないわけがなかろう? 辛い思いだって一杯しているはずだ。私には分かるのだぞ」
そんな一方的で偏見に満ちた言われ方をされて、うなずくような晴奈ではない。苛立ちを隠すこともなく、真っ向から反論した。
「ご覧の通り、ここには女もおります。力も技も、そこらの軟弱な男よりずっと強い」
「そんなわけがないだろう。女が男より、強いわけがあるまい」
「……」
この言葉には流石の雪乃も気分を悪くしたらしく、師匠が不快そうに息を呑むのを、晴奈は背中で感じ取っていた。
「父上。今の発言は取り消して……」
どうにか落ち着いた声色を作って諭そうとしたが、紫明は聞く耳を持っていない。
「さあ、ごちゃごちゃと言い訳などせず、こっちに来るんだ」
「嫌ですッ!」
晴奈は一層苛立ちを強くし、語気を荒くする。対する紫明も、次第に口調がきつくなっていく。
「ダダをこねるな、晴奈ッ! 強がるだけ無駄だぞ!? 分かっているんだ、私には! さあ、四の五の言わずに一緒に帰るんだ!」
「嫌だと言ったら嫌だッ! こっちの話を聞く気がないなら、私だってあなたの話を聞く義務はない!」
「いい加減にしろ! 早く帰る支度をするんだ!」
紫明の言い方が命令になり始め、晴奈はますます態度を堅くする。
「帰らない! 私はここに骨を埋めるッ!」
「私を煩わせるな! もういい、引っ張ってでも……」
ついに紫明が怒り出し、晴奈の手をつかんだ瞬間――。
「ああ、ああ。いい年をした御仁が、みっともないですぞ」
どこからか現れた重蔵が、紫明の手をひょいと取った。
「何だ、このじじいは! 離せ、離さんと……」「離さんとどうするおつもりかな、黄大人?」
重蔵が尋ねた途端、紫明が言葉を詰まらせる。どうやら重蔵に気圧され、頭が冷えたらしい。
「う、ぬ……」「さ、落ち着きなされ」
紫明は言われるがまま、晴奈に向けていた手を引っ込め、座り直す。重蔵は晴奈と紫明の中間に座り、ゆったりとした口調で仲裁に入った。
「まあ、黄大人のお気持ちもわしには分かりますわい。手塩にかけて育てた娘御が、こんな『むさくるしい』ところに閉じこもっておったら、確かに気が気ではないでしょうな。とは言え娘さんは、あなたの所有物ではない。子供が嫌がるものを無理矢理押し付けるのは親切心ではなく、親のわがままでしょう。親なら、子供がやりたいことを応援しなされ」
「し、しかし。その、晴奈だって、ここで1年も暮らせば、耐え切れなく……」
なおも自分の意見を通そうとする紫明に、重蔵はびしりと言い放つ。
「それこそ、黄大人のわがままと言うものでしょう。黄大人は黄大人であって、晴さん……娘さんでは無い。娘さんの気持ちは、娘さん本人にしか分からんものです。黄大人がここまで言ってきたことは、すべてあなた自身の勝手な予想と思い込みから出てきたものに過ぎません。
それとも黄大人。あなたはこの部屋に入ってから今までで、娘さんから一言でも『帰りたい』と言う言葉を聞いたのですかな?」
「ぐぬ……」
正論を返され、紫明は何も言い返せなくなる。そこで重蔵は晴奈に振り向き、静かに問いかけた。
「で、晴さん。実際のところ、どうじゃ? 家に帰りたいか? それとも、修行を続けたいかな?」
「もちろん、修行を続けたいです」
「うむ、そうじゃろうな。と言うわけで黄大人、良ければ一度拝見されてはいかがかな?」
重蔵の言った意味が分からず、紫明はきょとんとした。
「え?」
「娘さんの頑張っておる姿。それを見てから今一度、晴さんが本気で修行を続けたいと言っておるのか、それともちょっと長めの家出でしかないのか、判断するのがよろしいでしょう」




